カテゴリー別アーカイブ: 3b.世界一周ノート

3b. 世界一周ノート 第22回:インド ジャイプール~ジョードプル~ファテープル・シークリー


3b. 世界一周ノート 青木大地

仕事をやめ、2013年10月から1年間の予定で世界一周の旅に出ました。

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青木大地(あおき・だいち)

1986年生まれ。日本大学 芸術学部 卒業。
卒業後、大手レンタルビデオメーカーに勤務。店舗、営業を経て世界旅行のため退社。
念願のフリーライターとしてとりあえず1年は過ごせそうです。
同名義でFacebookもよければ見てください。

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第22回:インド ジャイプール~ジョードプル~ファテープル・シークリー

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息が切れて、後ろを振り返ると誰も追って来なかった。ムンバイの大通りにはリキシャが列をなして僕を誘っていた。

西インド、ジャイプール・ジョードプルを目指して僕はムンバイの大きな駅を巡っていた。チケットがなかった。駅の外国人専用窓口で聞いても、ローカルの長い列に並んでも効率良く移動できる列車がなかった。「あそこの駅に行ってみたら?」と根拠のないたらい回しにあって、よく言えばインドを信じていたからできたことだけれど、僕は色々な駅の窓口へと顔を出した。
その時の移動手段も列車で、常に超満員の中で市内を移動していた。運賃は16円だったけれど、誰も切符を持っている人はいなかったし(突然線路から飛び乗ってくる乗客もいた)、僕も無賃乗車をしていた。

ようやく納得のできるルートが組み上がってジャイプール行きのチケットが買え、ホテルの最寄り駅に着いた時だった。初老の駅員が僕を見つけると駆け寄ってきて、「チケットは?」と言った。
僕は何故か「誰も買ってないチケットを、どうして買わなければならないのか!そして何故外国人の僕を狙ったかのように声をかけてきたのか!」と言って逆ギレした。今思うと恥ずかしいことだけれど、インドに居るという緊張感が僕の良識とか、金銭感覚を麻痺させていたのかもしれない。罰金は600円程度とのことで、僕は駅の事務所へと連行された。
事務所に足を踏み入れた瞬間、僕はとっさに駅員を振り切って走って逃げた。
この旅で走って逃げるのは2回目だった。最初は上海でお茶会詐欺から逃げた、そして今回はキセルの取り締まりから。
大通りのリキシャの誘いを断って、僕は泣いた。前日は失禁し、今日は法を犯して逃げた。何て情けないことをしているんだろう。こんなことをするために僕は旅行をしているんじゃない、と泣いた。この日は母親の誕生日で、とんでもない親不孝者だと自分を呪った。

西インドの砂漠は美しかった。ピンクの街ジャイプール、青の街ジョードプルでの観光は比較的清潔な安ホテルにも恵まれて楽しむことができた。いい加減な人々も、親切な人々も、迷い込んだスラムも、強烈過ぎる印象を残して記憶の奥底に沈んで行った。
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目を覚ますとアグラに列車は到着していた。楽しみにしていたタージ・マハルは、それまでのインドがそれを上回って美しさ以外の感情を生むことはなかった。
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不安定だったWiFi環境も安定して、少し足を伸ばしてファテープル・シークリーという古都の遺跡群を訪れたりもした。
バナナを20分くらい値切ったり、完全ローカルの屋台に挑戦したり、変なお土産屋に連行されたり、駅前でたむろするタクシードライバーにタバコをせがまれたり、そのお礼に携帯でエロ動画を見せられたり。僕はまた少しインドに順応できてきている気がしていた。行列に並んで列車のチケットを買うことにも慣れた。
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そして首都ニューデリーの喧噪の中で、そろそろ罪を流す頃合いかなと、濁った夜空を見上げた。
罪深く怠惰に生きてきた罪を、そして失禁を、キセルを、ガンジス川で洗い流すそうと決めた。

次回は今度こそガンジス川沐浴とバングラッシーを記します。


世界一周ノート
とりあえずの予定コース:上海→杭州→南寧→ベトナム→ハノイ→ホーチミン→カンボジア→チェンマイ→ラオス→バンコク→パンガン島→ペナン島→マラッカ→スマトラ島→ジャワ島→マニラ→シンガポール→ジョホールバル→シドニー→チェンナイ→ムンバイ→ジャイプール→ジョードプル→アグラ→ニューデリー・・・。以降トルコ、ヨーロッパ、アフリカ、アメリカ、南米と巡る予定

3b. 世界一周ノート 第21回:インド チェンナイ~ムンバイ


3b. 世界一周ノート 青木大地

仕事をやめ、2013年10月から1年間の予定で世界一周の旅に出ました。

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青木大地(あおき・だいち)

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第21回:インド チェンナイ~ムンバイ

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南インド、チェンナイにエア・アジアで着いた。アライバルビザの発効は何故かイラつき、手間取る係官のおかげで2時間かかり、空港を出て汚い列車に乗り込んだ時には23時を回っていた。
無計画に、旅の再スタートはバンコクと決めて、いざ着いてみると安い航空券はなかった。カルカッタやデリーといっためぼしい都市へのフライトは予算オーバーで、結局安いチェンナイ行きのチケットを僕は買った。ビザ申請は面倒くさく、結局アライバルでとることにした。
ワーホリ・バブルを抱えた僕はバンコクで浮かれ、ゴーゴーバーを梯子したり、日本にお土産を送ったりしていた。

そんな華々しかったバンコクから一転、チェンナイ・エグモア駅は暑かった。駅を降りると数人の客引きがやって来たけれど、思っていたよりもしつこくはなく、僕は歩いて安宿を目指した。英語は比較的通じるように思われた。
なんとかホテルの従業員を起こし、チェックインした部屋は300円のシングルだった。暗く、臭く、湿った部屋は、それでも僕の想像していたインドよりは充分快適だった。「僕は旅慣れた。やっていける」そんな過信を胸に僕は眠りについた。

翌朝、パスポートのコピーが欲しいと言われ、僕はパスポートとコピー代16円をおじさんに預けた。おじさんがコピー屋に行くのに暇だからついて行くと、コピー代は8円だった。おじさんは会計を見られたのでお釣りの8円を返そうとしたけれど、僕はことわっておじさんに8円をチップとして渡した。それ以来、おじさんは僕が何かしようとする度に手伝おうとした。そして何か困っていないかと30分おきに部屋に来た。近くにWiFi環境がないので訪ねると、離れたショッピングモールを教えてくれ、仕方なくバスで向かうとそこにWiFiはなかった。そのショッピングモールについて来た宿にいるインド人は夕食を僕に払わせた。食後のパーンと呼ばれる生の葉で香辛料を包んだやつ(噛みタバコのよう)も屋台で僕に買わせた。そして結局、tabinoteの原稿を送れず、連載に穴があいてしまった・・・

僕は遂にインドに来た。これらは500円にも満たなかったけれど問題は額じゃない、概念だった。効率とか、生産性とか、そういう概念の通用しないカーストが蔓延る国、インドに来たのだ。
チェンナイの濁った浜辺からインド洋を眺めると、その先にオーストラリアが浮かんでいるのが嘘のようだった。

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ネットがなく、予備知識もないので、僕は観光もろくにせずダラダラと散歩をして過ごした。そして列車でバンガロールを経由して、ムンバイへと駒を進めた。そしてインドにも慣れたと僕はまた勘違いしていた。辛いものが苦手なのでビリヤーニというカレー味の炒飯を食べ、コーラとクッキーで空腹を満たした。ムンバイでは安定してWiFiの入るカフェを見つけ、観光にも意欲的になれた。エレファンタ島というフェリーで1時間程の遺跡を見に行くことにした。そして浮かれた僕はターリというカレー定食を比較的ローカルなレストランで食べた。

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遺跡はどうってことはなかったけれど、さんざん旅行記で読み漁ったインドを巡っていることが嬉しかった。きっと自分はインドが好きになるタイプの人間であると少しづつ考え始めていた。お腹が痛くなるまでは。
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それは帰りのフェリーに乗ってすぐだった。お腹が痛い。すぐにターリがよぎった。ターリの端にあったヨーグルトみたいなやつがよぎった。原因はどうあれ、大きく揺れる船内で僕は目を閉じて祈った。祈りはフェリーが港に着くまでは通じた。ただ、そこから歩いて500mのホテルには届かなかった。27歳、痛恨の失禁だった。

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ホテルで洗濯した服に想いを馳せて、僕は砂漠の広がる西インドへの列車に乗った。失禁さえ済ませれば怖いものはない。あとは慎重に体調のことだけを考えて、上手くやっていける。観光資源に富んだ西インドはこれからだと、僕は自分に言い聞かせた。そして車窓に広がる乾燥地帯に野生の孔雀の姿を見た。もうすっかり気分は三島由紀夫だった。

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結局僕は都合3回失禁した。そんなに甘くはないし、やっぱりインドは刺激的だった。
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次回は西インド観光、ガンジス川で風とおかゆとバングラッシーを記します。


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3b. 世界一周ノート 第20回:オーストラリア・ワーキングホリデー -4


3b. 世界一周ノート 青木大地

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第20回:オーストラリア・ワーキングホリデー -4

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シドニーを出発して9日間。9000kmを走破したレンタカー周遊は、結局1人600$+諸経費(個人で買ったタバコやお土産、お菓子等で200$程度)という出費になった。
これが高いか安いかというと、物価高を極めるオーストラリアにおいては非常に安くあがったと言えると僕は思う。
通常、シドニー発のエアーズロックツアーが500$~という観点からもそれは言える。
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今回、僕たちが観て周った場所を記すと・・・
・キャンベラ(首都)
・メルボルン(フィリップ島、ペンギンツアー含む)
・グレートオーシャンロードのドライブ
・エアーズロック
・クーパーピディ
・ゴールドコースト(国立公園での土ホタル観光含む)
・ニンビン(大麻の聖地)
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以上が主な観光地だった。弾丸ツアー、半分以上が車中泊という悪条件もあったけれど、広大なオーストラリア、観光地の数からすれば1人800$はやはり安い。
もちろん、安くあげることが全てではないけれど、今回のレンタカー旅行という試みはそれ以上に大きな経験を、平たく言うと思い出を僕に与えてくれた。
それは深夜の砂漠の真ん中で見上げた星空の夥しい流星だったり、地平線に大パノラマで沈む夕日、朝日だったり、何度も行く手を唐突に遮るカンガルーだったり、コンロで作った不味いカレーだったり、運転交代都度に吸った大麻だったりした。
これらはやはり個人旅行という枠組の中でしか現れない、ある種余計な、そして素晴らしき体験だった。

オーストラリアでのワーホリ社畜は、こうして充分過ぎる「ホリデー」を期に終わりを告げた。そして手元に残ったのは10000$の所得から生活費・旅費を差し引いた3000$程だった。visa代金と航空券代金を差し引いて完全な黒字は2000$程度だろうか。

4ヶ月という1年の旅程の大部分を占めたオーストラリアは僕に海外生活という自信、2000$、僅かな英語力、そして大麻の味を教えてくれた。
ワーホリ帰りという、どこかバブリーで道楽色の強い響きも、実際に節約し働きまくってみると、案外貧乏臭いことができるのかもしれない。決して華々しくないワーホリがあるということがわかっただけでも、僕にとっては収穫だった。
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6月、僕は再びシンガポールへと降り立った。アジアの熱気は懐かしく、当然のように僕はシンガポールを地下鉄とバスでスルーして、マレーシア・ジョホールバルへと抜けた。そのままバスターミナルへ直行し、クアラルンプールへの夜行バスに乗ると、あの貧しい金銭感覚が研ぎすまされていくのがわかった。クアラルンプールで1泊450円のドミトリーにチェックインするともう4ヶ月前の自分が居た。労働を経た僕の体は復活した旅への欲求で溢れていた。
屋台でヌードルをすすると、インドへと急いている自分が居た。そこで待っている地獄の腹痛なんて想像も出来ずに・・・
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しばらく原稿が途絶えていましたが、今号より再開させていただくことになりました。今号の内容は8月12日配信のメルマガの続きからとなっています。
今後ともよろしくお願いいたします。

次号はインド突入・受難編を記します。


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3b. 世界一周ノート :休載のお知らせ


3b. 世界一周ノート 青木大地

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休載のお知らせ

今号の「世界一周ノート」は休載いたします。

青木さんは、メルマガで執筆中のオーストラリアを既に離れ、インドから欧州に渡り、アフリカを経て現在ニューヨークに滞在中とのことです。
今回は、本来「オーストラリア・ワーキングホリデー」の第4回、車で巡るオーストラリア旅行の旅程をご報告いただく予定でした。

しかし、先日南アフリカのヨハネスブルグに滞在中、強盗に遭われたそうで、原稿データの入ったラップトップや現金などを奪われるという被害を受けたそうです。
幸いにしてお怪我はされていないようですが、以上のような事情により、今号は休載とさせていただきます。
また、次号以降も再開までに時間がかかってしまうかもしれません。読者の皆様におかれましては、ご理解のほどお願いいたします。

最後に、青木さんからのメッセージと、南アフリカの安全情報をご覧下さい。


青木さんからのメッセージ

差出人:青木大地
Sat, 6 Sep 2014 00:30:39 +1000

やってしまいました。南アフリカヨハネスブルクで強盗に遭い(白昼の街中で5~10人の黒人に襲われました)、パスポート及びラップトップ等の貴重品を全て奪われました。
用意していた原稿も消えました。申し訳ございません。
現在、パスポートの再発行をし、なんとかNYまで辿り着き、この先を考えているところです。
予算的にも精神的にも大変厳しい状況です。
原稿ですが、書く環境が整わず次の目処が立たないというのが現状です。
一旦落ち着いたらまたご報告いたします。
軽はずみな行動でご迷惑おかけして申し訳ありません。

かなり衝撃的な記事が書けると思うのですが、今しばらくお待ちください。
今号?次号?はこのメールを掲載するなりなんなりしていただいて構いません。

連絡が遅くなりすみません。原稿落ちも、本当に申し訳ないです。


南アフリカの安全情報

「在留邦人向け安全の手引き」 / 在南アフリカ共和国日本国大使館(2012年1月)より。
http://www.anzen.mofa.go.jp/manual/south_africa.html

(抜粋)
南アフリカ共和国(以下南アという)は、1994年の全民族参加による総選挙で新政府が誕生してから15年以上が経過した現在でも政治、経済、社会、治安等の各分野において数多くの課題を抱えています。とりわけ治安問題に関しては、ヨハネスブルグは、世界的でも最も治安の悪い犯罪都市の一つとされ、最新の2011年9月発表の犯罪統計によると、殺人事件が15,940件(1日当たり43.6件)、殺人未遂事件が15,493件(1日当たり42.4件)、武武装強盗事件が101,463件(1日当たり277.9件)、強盗事件54,883件が(1日当たり150.3件)、強姦を含む性犯罪事件が66,196件(1日当たり181.3件)発生しています。前年度に比較すると、殺人事件が約5%減、殺人未遂事件が約11%減、武装強盗事件が約11%減、強盗事件が約5%減、強姦を含む性犯罪事件が約3%減となっていますが、いずれも発生件数は非常に高い水準であり、南アの人口が約5,000万人であることを鑑みれば、我が国とは到底比較になりません

(中略)
(2)日本人の強盗被害状況
(イ)日本人が南ア国内において、殺人事件の被害に遭った事例は1995年以降ありません。しかし、強盗の被害者となった事件は報告されているだけでも2008年1月から2011年12月末までの4年間で23件発生しており、手口としては、けん銃使用が6件、刃物使用が3件、首締め強盗が6件等が報告されています。緊縛強盗も2件含まれており、一歩間違えば死亡事件に発展する可能性も十分あったと考えられます。

(中略)
(ハ)日本人の強盗被害事例
《事例1》
午前8時15分頃、被害者が国際空港から自宅に車で帰ったところを自宅前で待ちかまえていた4人組の武装強盗に襲われ、旅行用カバン、パスポート、腕時計、鍵一式等を奪われた。
《事例2》
午後1時15分頃、被害者が自宅にいたところ、雇用していた警備員が2名の武装強盗にけん銃で制圧された状態で現れた後、緊縛されて暴行を受け、自宅内を物色されて現金、パソコン、携帯電話、カメラ、指輪等が奪われた。
《事例3》
深夜午前1時30分頃、ケープタウン市内からシーポイントに帰るため、ミニバスに乗ろうとしたところ、ドライバーと客を装った2人組に、首にナイフを突き付けられ、現金、書籍及びギターを強奪された。
《事例4》
午前3時頃、自宅で被害者が就寝中、バーグラー・バーを破壊して侵入してきた数人組の男に頭に袋を被せられ、殺すと脅迫された後、体を縄で縛られた。さらに、金庫の暗証番号を言うように強要され、現金等が盗まれた。
《事例5》
午後7時30分過ぎ、被害者が在宅中、工事作業員風の黒人2人組が外周塀を乗り越えて敷地内に侵入されてけん銃を突きつけられる等し、現金、宝石、パソコン等を強奪された。
《事例6》
午後12時頃、被害者がヨハネスブルグ駅直近の路上を歩行中、背後から突然何者かに首を絞められた後引き倒され、腹に巻いていたマネーベルト内の財布、パスポート等が強奪された。被害者は数分間意識を失っていた。
《事例7》
午前11時30分頃、被害者がプレトリア中心地区を歩いていたところ、突然3人組の男に取り囲まれて胸ぐらを掴まれ、犯人の所持していたナイフで肩から提げていたポーチ(現金等在中)の紐を切られ強奪された。

 
この事例に青木さんも加わることになろうとは….。
残りの旅のご無事をお祈りします。

-tabinote編集部


世界一周ノート
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3b. 世界一周ノート 第19回:オーストラリア・ワーキングホリデー -3


3b. 世界一周ノート 青木大地

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第19回:オーストラリア・ワーキングホリデー -3

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オーストラリア・レンタカー周遊、準備と予算編。
ワーキングの後にはホリデーを。僕は3ヶ月で稼いだ10,000$(オーストラリアドル;以降も同様)に浮かれ、オーストラリア国内旅行をすることにした。目指すは地球のへそ、エアーズロック(オーストラリアでは先住民の呼びな名ウルルの方が通じる)。

ただそれだけでは刺激が足りなかったので、僕はレンタカーでの低予算旅を計画した。運良く人が集まり、4人編成10日間の旅が実現した。狭い日本人コミュニティーにあって、メンバーは職場の元シェフ・系列店のウェイトレス・僕のシェアルームメイトの4人だった。
車中泊上等の低予算賛同者を乗せて、僕は3ヶ月ぶりの旅に、大陸を渡る旅に出発した。

でもその前に・・・僕は国際免許証を取得していなかった。日本大使館へ出向くと発行は不可とのことだったけれど、代わりに翻訳業者なるものを紹介された。シドニー市内なのでその足で歩いて向かうと、ビルの中のオフィスには料金表が貼られていた。どうやら公的書類等を合法的に効力そのままで翻訳してくれるらしかった。117$と高額だったけれど、運転をシェフと担当しなければならなかったので、無免許で捕まるよりはと依頼することにした(実際、旅の間も数回警官に止められる機会があった)。
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この書類を軸に、今度はレンタカー選びが始まった。価格は店舗によってかなり差があったけれど、長距離移動という観点からトラブルに対応できる保険形態と国内に支店が多い会社を選ぶ必要があった。その結果、価格と照らし合わせて大手も大手、HERTZ社でのレンタルとなった。これが正解で、新車同様の車両をレンタルすることができ、最も恐れていた車両トラブルもなく旅をすることができた。
また、欧米人の中では主流の、中古車を買って旅の終わりに売り払うというスタイルは短期間旅行・トラブル時のリスク回避から選択肢から外した。
結局、10日で600$(1人150$)という出費から旅が始まった。

ここからガソリン代と食費、観光とホテル代金が日々加算されていくのだけれど、最終的にその殆んどがガソリン代になった。10日間の走行距離は9,000Kmに及び、給油の度に心が痛んだ。
食費に関しては旅の初めにガスコンロを量販店で購入(15$)し、これを使っての自炊で費用を抑えることができた。何時でもコーヒーがいれられる利点もあった。
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ホテルに関しては主にモーテルを利用した。4人で1泊100$が相場だった。けれど、車中泊が多く実際に使ったのは4回で、後はキャラバンパークと呼ばれるキャンプ施設(そこら中にある)で数百円でシャワーのみ借りることが多かった。
観光費用は入場料等でかかるけれど、全体からすると微々たる出費だった。
1度駐車違反で切符を切られたので200$程飛んだ・・・これは削れる経費だった。
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以上を踏まえて幾らかかったか。次号で旅の観光の様子と共に発表します。
因みにシドニー・ウルル間のツアー(飛行機使用)では1泊2日500$~が相場です。


実際、車で走ってみて、僕はこの方法を選んで良かったと思った。日本では見ることの出来ない大陸特有の景色を24時間見続けて、自分の都合で行き先を自由に決めて。確かに、美味しい食事もなく、体はボロボロになってしまったけれど、僕にとっては満足のいく旅になった。ネット等でも検索すると、シドニー・ウルル間を車で移動するという選択は避けられている傾向にあった。主に車両トラブルに起因するネガティブな意見が多いのだけれど、それも醍醐味である気はする。実際、前後100Km何もない砂漠の真ん中で深夜に往生している車も見たし、カンガルーや牛を車で跳ねた人の話も聞いた。
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結局、この旅行が忘れられず、僕は出国を延ばしてまでパース(西海岸)へと出向いたりした。旅は次なる好奇心を生んで新しい旅に向かわせるといつも感じる。
まだあまり日本人に浸透していない、車で巡るオーストラリア旅行。刺激も魅力も詰まった未開のおすすめ旅程です。
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次週は周遊ルートと観たものリスト、経費を記します。


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3b. 世界一周ノート 第18回:オーストラリア・ワーキングホリデー -2


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第18回:オーストラリア・ワーキングホリデー -2

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ワーキングホリデーに来ている日本人の傾向として、男性は若く、女性は30歳前後という印象を受けた。だから27歳の僕は少し半端な存在だった気がする。
大学を休学したり、就職をせずにふらふらしている20代前半の未成熟な男性と、日本での社会人生活や結婚生活を経て海外生活を選択した30歳前後の女性たち。そんな不思議な相関図が成り立っていた。
特に若い男性はそんな女性たちをギリホリやヤリホリ(外国人目的のワーホリ)と言って笑っていたりした。
社会人を経験している僕はやっぱり仕事においても女性の方が価値観が合っていて、何となく同じ苦しみを持っていることがわかった。
そんな中にはかぶれてしまい、「日本に戻れない」発言をする若者や、実際に35歳くらいで学生ビザを伸ばし伸ばし留まる人もいた。因みに、前回記した日本食レストラン等ではビザの種類無視で無制限で働けるので生活は成り立つ。

日本人のコミュニティは狭く、何か困ったことがあれば日系の代理店が全てを請け負ってくれる。そんな環境で語学修得が捗ることはなく、海外生活は旅行感覚で過ぎていく。それが現実だった。
それでも、僕はワーキングホリデーに価値があると断言したい。英語が上達しなくても、ずっと日本人と一緒に居ても、その生活は刺激的で、旅行のようだ。だから、ワーキングホリデーに何か成長を期待して裏切られるのではなく、ただ楽しんだという既成事実を後でゆっくり咀爵すればよい思う。本人も、周りも。
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そんな中でも未だに僕が許せないワーホリ人種が一つある。それは知り合った外国人をブラザーと呼び、オーストラリアを第2の故郷と呼び、ヒッピースタイルを気取る若者だ。
そんな彼らの大好きな大麻について記したいと思う。
ずばり簡単に手に入るかというと、答えは運次第だ。日本人は大麻を買うルートがなく、ルームメイトや職場の環境に左右される。相場は小さなパッケージ1つで50$と安くはないけれど、半合法的に流通している点から言えば日本よりも遥かに安全と言える。

僕は何度かその買い物に出掛けたけれど、プッシャーは毎回場所を変えてその受け渡しが行われた。それはアパートの1室だったり、公園だったり、バックパッカーと呼ばれる安宿だったりした。
ドイツ人やフランス人の間での流通が盛んで、そこに近付ければ簡単に手に入ると思う。
僕のルームメイトだった韓国人は最終的にLSDに手を出して、生活がままならなくなって帰国していたので、やはりその点は自己責任ではあるのだけれど。
けれど、そんな中でも確実に手に入れられる場所が存在する。「ニンビン」だ。ゴールドコーストから近い聖地と呼ばれるその場所は、呼び名の通りメッカだった。
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500m程のメインストリートしかないその小さな町は、ハーブショップやヒッピー雑貨の店で溢れ、一目でジャンキーとわかる人々が怪しく彷徨いている。そこを歩けばどこからともなく声がかかり、裏路地へ案内される。そこで質を確かめて価格交渉をする。本当にそれだけで買えてしまう。
相場もシドニーと比べると安く、10oz(28g)で400$といったところだろうか。年齢不詳の顔がシワシワの老婆の様なジャンキーが1番安かった。
それでも私服警官の巡回があるということと、実際に帰り道で前の車がパトカーに停められていたのを目撃したことから、やはり自己責任と言える。
そこで買った大麻をシドニーでつてのない日本人に売れば、それだけでビジネスが成り立つように感じた。
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大麻に溺れ、価値観を失い、外国に墜ちて行かない限り、ワーキングホリデーは素晴らしく、生きていく糧になると僕は思う。夢と希望と挫折と絶望を抱えた日本人たちが、今日もそうしてシドニーを歩いている。

次回はレンタカーで巡るオーストラリア半周観光を記します。


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3b. 世界一周ノート 第17回:オーストラリア・ワーキングホリデー -1


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1986年生まれ。日本大学 芸術学部 卒業。
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第17回:オーストラリア・ワーキングホリデー -1

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オーストラリアに着いた僕は、15$を支払って市内までの電車に乗った。知人を頼り、居候という形で潜り込んだ大都市シドニーの物価は「旅人」にとっては堪えがたいものだった。

親中国として著しい経済好況に沸くオーストラリア。街に溢れているのは自国ブランドと中華系企業の看板ばかりで、外食では1000円超えが当たり前の違和感に、アジア周遊を終えた僕は戸惑うばかりだった。前回、記したワーキングホリデー準備編での作業をこなし、僕は入国4日目にして仕事を始めることになった。
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観光といえばオペラハウスを少し眺めたくらいで、後は新生活の準備に追われていた。それ程までにオーストラリアの物価は高く、貧乏旅行者には身動きのとれない場所だった。

時給11$、現金支給の日本食レストランは、違法な雇用形態の所謂ブラック企業だった。でも、それはシドニーでは当たり前のことだった。高騰する物価に雇用主も頭を抱え、そこで生き残るために人件費を少しでも削っていた。僕のようなにわかワーホリにとってはそれでも文句を言える環境ではなかった。この現実はシドニー全体を覆っていて、特にアジア系の働き口では常識となっていた。ワーキングホリデーは語学留学や社会経験を積む場所として機能する反面、こうやって煌めく街に集まった労働力を買い殺す側面を併せ持っていた。

だから僕たち難民は、ジムもプールもついた高層マンションとは名ばかりの、シェアハウスという監獄で雑多な人種に埋もれて暮らす必要があった。僕の監獄には12人が住んでいたし、蓋を開ければこのマンションの中は殆んど囚人たちで溢れかえっていた。それでも1週間120$という家賃には逆らえず、皆一様に「金」がなかった。そして囚人たちの間を巡った「金」が正規の賃金で働く「オーストラリア人」を潤わせ、少なからず好況に貢献していた。そして僕が見てきた囚人たちは誰一人その現状に気付いていなかった。
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僕は旅の資金を稼ぐため、週6日間、1日12時間の労働に没頭していった。

レストランでの仕事はウェイターで、接客は英語だったけれど、職場では日本語が飛び交い、言語のストレスは皆無だった。1ヶ月も経てば同僚の顔ぶれは変わってしまい、ワーキングホリデーという労働力に支えられるレストランは生き物の様に流動した。だから社長が冗談混じりに「ビジネスビザを出そうか」と働き過ぎる僕に言うのも悲しいかな、頷けた。
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そうやって繰り返す出会いと別れは旅にも似ていて、僕は一定の生活を掴んだシドニーでの生活でさえ、どこか旅を続けている錯覚に陥ることが度々あった。
一ヶ月の給料は3000$になった。レストランでの賄いにも助けられ、僕は順調に旅の資金を貯めることができた。高い物価にも慣れ、友人もできた。そしてつい長居をしてしまった。気付けば4ヶ月を僕はオーストラリアで過ごした。それは1年という旅の計画の首を絞める結果になってしまったけれど、後悔はない。
旅と生活。そのバランスは重要で、旅が成り立つのは生活があるからだと僕は思う。生活の傍らで開いたtabinoteが刺激的なのも、退屈な生活がそこにあるからだ。
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ただ、僕はオーストラリアで刺激的な生活を手に入れた。27歳にしては遅すぎる僕の遊びは、少し贅沢過ぎたのかもしれない。

次回はオーストラリア・ワーキングホリデーの人間模様、大麻の流通について記します。


世界一周ノート
とりあえずの予定コース:上海→杭州→南寧→ベトナム→ハノイ→ホーチミン→カンボジア→チェンマイ→ラオス→バンコク→パンガン島→ペナン島→マラッカ→スマトラ島→ジャワ島→マニラ→シンガポール→ジョホールバル→シドニー…、以降インド、トルコ、ヨーロッパ、アフリカ、アメリカ、南米と巡る予定

3b. 世界一周ノート 第16回:マニラ・デング熱-2


3b. 世界一周ノート 青木大地

仕事をやめ、2013年10月から1年間の予定で世界一周の旅に出ました。

Profile
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青木大地(あおき・だいち)

1986年生まれ。日本大学 芸術学部 卒業。
卒業後、大手レンタルビデオメーカーに勤務。店舗、営業を経て世界旅行のため退社。
念願のフリーライターとしてとりあえず1年は過ごせそうです。
同名義のFacebookもよければ見てください。

Facebook

第16回:マニラ・デング熱-2

(編集部注:第8回バンコク第9回シドニーの間をつなぐ、シドニー移動前のエピソードです)

デング熱にかかった僕は旅行保険を使って2日間、40度を越える高熱と激しい頭痛、冷や汗と悪寒に耐えて過ごした。便通はなく、食事は一切とることができなかった。
3日目にしてようやく熱が38度まで下がり、僕はパイナップルジュースや食事に手をつけることができるようになった。そしてそこからはゆっくりと症状が改善され、僕自身も回復していった。
シャワーにも入れるようになって、毎日の同じ様な食事にも飽きて、病院の中を散歩したりして1週間以上が経った。そうして退院の許可が降りたのはフィリピンを出るフライトの朝だった。
市内散策もパラワン諸島への旅行も何も出来ず、僕は念のため入院証明書を発行してもらい(無料)、その晩シンガポールへと旅立った・・・
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シンガポールから先は旅の資金稼ぎのため、オーストラリアでのワーキングホリデービザを取得していて、フライトは5日後だった。
病み上がりで訪れたシンガポールは物価が高く、僕はここでは長く滞在できないと踏んで、チャンギ国際空港から一度も寄り道をすることなくマレーシア・ジョホールバルへと向かった。地下鉄と国境を跨ぐバスを使うと400円弱で辿り着くことができた。
中国・インド・イスラム文化の混じったマレーシアの食事は美味しく、1食200円もしない食堂の値段も懐かしく、自分がどこまでもアジア主義の旅人なのだと強く感じた。
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ジョホールバルでの滞在では、少し足を伸ばして日帰りでバトゥ・パハを訪れた(バスで往復750円)。放浪詩人、金子光晴が大昔に長居した日本人クラブを眺めやって、ワンタン麺をすすって、さてシンガポールに戻って蟹でも食べようかと気取ってみては、そんな贅沢をするお金が僕にはないとわかって、それでも何だか嬉しくて、僕はデング熱のことなんてすっかり忘れてしまっていた。
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再びシンガポールに戻って1人で見上げたマレーナベイサンズの夜景は少し虚しくて、マーライオンの横に腰掛ける僕は偉く貧相で場違いな感じがした。
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目指すは世界一物価の高いオーストラリア・シドニー。金策へのあてはないけれど、旅疲れからくる一定の生活への渇望が、4ヶ月を過ごすことになるその大都会へ僕をゆっくりと突き動かしていた。

次回はオーストラリア、ワーキングホリデー事情詳細を記します。


補足:今回、僕が入っていた旅行保険は損保ジャパンの1年契約の保険でした。費用は12万円弱で、先のワーキングホリデー下でも有効のものです。キャッシュレス対応の病院を電話の段階で薦めてくれるので、自己負担は0円でした。保険会社によって病室のグレードが変わるとのことで、僕は運良くスウィートに入れました。フィリピンの入院食は蒸した鶏、米、果物の連続でした。デング熱は東南アジアで流行中で、最近ではシンガポールでの集団発症もありました。予防方法は虫除けのみですが、かかるとせっかくの旅程が狂ってしまうので、特に人里離れたエリアへ行く際はご注意下さい。辛いです。


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3b. 世界一周ノート 第15回:マニラ・デング熱-1


3b. 世界一周ノート 青木大地

仕事をやめ、2013年10月から1年間の予定で世界一周の旅に出ました。

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青木大地(あおき・だいち)

1986年生まれ。日本大学 芸術学部 卒業。
卒業後、大手レンタルビデオメーカーに勤務。店舗、営業を経て世界旅行のため退社。
念願のフリーライターとしてとりあえず1年は過ごせそうです。
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第15回:マニラ・デング熱

(編集部注:第8回バンコク第9回シドニーの間をつなぐ、シドニー移動前のエピソードです)
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野宿が続き過ぎていた。ジャワ島では駅のホームで3泊、スラバヤの路上で1泊。体も疲れていたせいか、少し虫除けを怠ってしまっていた。

バリのデンパサールからフィリピンのマニラへ。空港を出て、ショッピングセンターの前では拳銃を所持したガードマンが立ち、都市を循環するモノレールは通勤ラッシュで満員、廃れかけたインフラの上を人々が忙しく動き回っていた。
1泊800円の安宿で腰をおろして、さて街へと繰り出そうとすると、異変が起きた。体が信じられないくらいだるかった。
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僕は旅の疲れと、治安が悪いという固定観念からくる精神的疲労だと勘違いして、無理矢理散歩に出た。
マニラの人々はそこかしこでバスケットボールに夢中になり、露店ではレプリカのユニフォームや偽物のシューズが安価で並んでいた。しかもその質は非常に高く、本物と遜色ない商品がたくさんあった。
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フィリピン人に倣ってファーストフードを食べてホテルへ帰ると、僕は倒れこむようにしてベッドに横になった。風邪薬を飲んで目を閉じて、明日の朝には良くなるだろうと、そんな期待を抱いていた。
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眼球の激しい痛みと、吐き気で僕は目覚めた。冷や汗でシャツは濡れ、起き上がることすらできなかった。しばらくして眼球の痛みは頭痛だとわかった。頭痛が眼球にまで響いていた。僕はとにかく風邪ではないその症状に危機感を覚え、ホテルのフロントに駆け込んだ。

一番安いSIMカードをそこで購入し、ベトナムで買った1800円の携帯に急いで突っ込んで、僕は保険会社へと電話をかけた。電話はすぐに繋がって、中心部の病院での診察の予約をとることができた。オペレーターは日本語対応で、親切に対応してくれたけれど、何度も確認で折り返しの電話を待ったこと、予約が2時間後だったことがその時は地獄の苦しみのように思えた。
流しのタクシーを捕まえて、相場500円の距離をしっかりと1000円払わされた僕は、値段交渉も意識朦朧とし、とにかく連れていってくれるならと目を閉じた。
病院に着いて外国人専用の窓口を訪れると、既に僕の情報が伝達されていて、担当の日本人の方が通訳となって、すぐに緊急処置場へと運んでくれた。
40度の高熱の中、血液検査を経て、点滴を受けながら待つこと1時間、主治医が僕に「デング熱、B型」と悲しそうな顔で告げた。
アジアを巡る旅人から幾度も聞いていた恐怖の病、デング熱。遂に僕もその餌食になってしまった。

デング熱に関するQ&A / 厚生労働省(2014年1月10日作成)より。

デング熱とは、どのような病気ですか?
答  デングウイルスが感染しておこる急性の熱性感染症で、発熱、頭痛、筋肉痛や皮膚の発疹などが主な症状です。

日本国内での発生はありますか?
答  日本国内で感染した症例は、過去60 年以上報告されていません。ただし、海外の流行地で感染し帰国した症例が近年では毎年200 名前後報告されています。

どのような症状が出ますか?
答 突然の高熱で発症し、頭痛、眼(か)痛、顔面紅潮、結膜充血を伴い、発熱は2~7日間持続します(二峰性であることが多い)。初期症状に続き、全身の筋肉痛、骨関節痛、全身倦怠感を呈します。発症後3~4日後、胸部、体幹から始まる発疹が出現し、四肢、顔面に広がります。症状は1週間程度で回復します。
なお、ごくまれに一部の患者において、発熱2~7日後、血漿漏出と出血傾向を主な症状とする重篤な致死的病態が出現することがあります。

デング熱 / Wikipediaより。
一過性の熱性疾患であり、症状には、発熱、頭痛、筋肉痛、関節痛(Arthralgia)、はしかの症状に似た特徴的な皮膚発疹を含む。治療方法は対症療法が主体で、急性デング熱にはいま起きている症状を軽減するための支持療法 (supportive therapy, supportive care)が用いられ、軽度または中等度であれば、経口もしくは点滴による水分補給、より重度の場合は、点滴静脈注射や輸血といった治療が用いられる。稀ではあるが、生命を脅かすデング出血熱に発展し、出血、血小板の減少、または血漿(けっしょう)漏出を引き起こしたり、デングショック症候群に発展して出血性ショックを引き起こすこともある。

通訳の方が、「あなたの保険はスイートが使えます」と言って、僕は薄れ行く意識の中でエレベーターが高層階に辿り着くのを感じた。

次回はデング熱、闘病と旅行保険を使っての感想を記します。


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3b. 世界一周ノート 第14回:バリ・ウブド


3b. 世界一周ノート 青木大地

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青木大地(あおき・だいち)

1986年生まれ。日本大学 芸術学部 卒業。
卒業後、大手レンタルビデオメーカーに勤務。店舗、営業を経て世界旅行のため退社。
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第14回:バリ・ウブド

(編集部注:第8回バンコク第9回シドニーの間をつなぐ、シドニー移動前のエピソードです)
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バリは楽園だった。それは僕が失っていた観光地への感覚だった。
安宿、土産物屋、そして怪しいマッサージ、日本語が堪能な客引きに、日本人女性を狙うジゴロ、そしてマジックマッシュルーム。
今まで通りすぎて来たアジアの魅惑、そして嫌悪していた魅惑が再び目の前に現れて、僕はバリを楽園のように捉えていた。
ホテルは出会った旅人と1泊1500円のツインルームをシェアした。それでも朝食・プール付きの豪華さは、この旅史上最も心休まる宿泊先だった。
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バリではウブドや棚田をレンタルバイクで訪れ、海を散歩し、夜の街を散歩しては土産物屋を冷やかして歩いた。
漫画ドラゴンボールのモデルとなったと言われるその景観は、日本人がすっぽりとおさまってしまうような居心地を孕んでいた。
出会った欧米系の旅人たちはこぞってバリを喧しがって、次なる開拓地としてロンボック島を話題にしていた。僕には時間がなく、訪れることは出来なかったけれど、バリからフェリーで4時間程のその島は自然が多く残り、喧騒から逃れられる場所として人気を集めていた。
それでも僕にとってバリは充実したリゾートとして目に映り、スマトラ島からジャワ島へとインドネシアを縦断した疲れを癒してくれた。
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そんな毎日の中で、僕はインドネシアを出る前にもう1度マジックマッシュルームを食べることにした。価格は500円もせず、トバ湖の半額だった。そして今度はオムレツではなく、コーラシェイクで摂取した。

砂浜に寝転び海を眺めていると、光が眩しく幻覚が見え始めた。
思考の速度が速まって、それからは前回と同じ展開だった。
ただ、ひとつの奇妙な考えが僕を捉えて離さなかった。

それはそれは多くの思考が消え去って、かなりの時間が経ったと思い、iPodの画面を見ると、全く時間が経っていないことがわかった。
僅かな時間で、効果的に思考の鍛練を積むことが出来る。端的に言うとマジックマッシュルームへの僕の印象はそんな感じだった。

そしてふと、「精神と時の部屋」と同じだと僕は思った。そう、ドラゴンボールに登場するそれだ。キャラクターたちはその部屋で修行をし、絶大な力を得て帰還する。そして実際の時間軸では僅かな時間しか経っていない。

もし、鳥山明がバリを訪れていたとして、マジックマッシュルームを食べていたとしたら・・・
これが単なる薬物中毒の虚言だとは僕は思わない。あくまで仮定の話なのだけれど。

もしかしたら脳みそがふやふやになってしまったかもしれない僕は、そんな事を考えながら1ヶ月を費やしたインドネシアを後にすることにした。
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次回はフィリピン、デング熱発症を記します。


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とりあえずの予定コース:上海→杭州→南寧→ベトナム→ハノイ→ホーチミン→カンボジア→チェンマイ→ラオス→バンコク→パンガン島→ペナン島→マラッカ→スマトラ島→ジャワ島・・・シドニー…、以降インド、トルコ、ヨーロッパ、アフリカ、アメリカ、南米と巡る予定