カテゴリー別アーカイブ: 3b.世界一周ノート

3c. 世界一周ノート 第49回:セカシュー紀行-その3


3c. 世界一周ノート 青木大地

仕事をやめ、2013年10月から1年間の予定で世界一周の旅に出ました。2014年11月帰国。

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青木大地(あおき・だいち)

1986年生まれ。日本大学 芸術学部 卒業。
卒業後、大手レンタルビデオメーカーに勤務。店舗、営業を経て世界旅行のため退社→帰国→セカシュー。

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3b. 世界一周ノート 第49回:セカシュー紀行-その3

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「僕のセカシュー」

バックパッカーは帰国したら何をするのか?これは割と気になることだと思う。バックパッカーの帰国後は大きく分けて2種類あると思う。1つめは、資格があったり、確実に需要のある仕事を辞めて旅をするタイプだ。こういう人たちは手に職があったり、少し長旅に出たりしてもすぐに元の職種に戻れる算段のある「趣味型」だと思う。具体的には薬剤師やレントゲン技師など、医療関係に従事している人たちが多かった。そして2つめが何の当てもなく旅に出てしまった「人生放棄型」だ。このタイプの人たちは割と儚げに旅に幻想を抱き、本気の自分探しに勤しんでいる節がある。この「人生放棄型」は帰国すると何か適当に仕事をしてお金を貯めて、再度旅に出るという悪癖の持ち主が多い。一概には言えないけれど、この2分化は割と的を得ていると思う。
「人生放棄型」の僕は、元々はしがないレンタルビデオ店の店員なので、帰国してからのプランなんて全くなかった。もっと旅を続けたい、海外でも日銭を稼ぐだけなら割と簡単だと知ってしまった時、その気持ちはどんどん強くなって僕は帰国後の自分の将来を「人生放棄型」のクソバックパッカーだと信じて止まなかった。

実際、帰国してからの僕は元々働いていたレンタルビデオ店にバイトとして返り咲いた。就活も軒並み落ちて、世界一周旅行者のプライドに反してそう言ったありふれた人材への需要のなさに絶望しかけていた。

NYのシェアハウスの居候時代に一緒に暮らしていたTさんが一時帰国したのはそんな時だった。Tさんは僕と生活のリズムが似ていて、一緒に食事をしたり、Tさんの通う日本人コミュニティのサッカーチームの練習に混ぜてくれたりして、とてもお世話になった人だった。NYでもすぐに就労ビザを取得するような、器用な人だった。TさんはNYで話半分に僕に日本での仕事先を紹介するなんて言ってくれたりしていて、その時はまさか本当にそうなろうとは思ってもみなかった。

Tさんは一時帰国の間に僕に日本で勤めていた会社の人たちを紹介してくれた。たまたま人出の足りない部署があって、僕はアルバイトからというかたちでその会社で働くことになった。そこから僕はTさんの勤めていた会社で働き始め、半年後に契約社員に登用してもらった。

かくして僕は運良く逆輸入版セカシューに成功することができた。自分でも驚くほどにあっさりと、何の努力もせずに仕事にありつくことができた。28歳の何のスキルもない僕が契約社員とはいえ、立派に社会人としてカムバックすることができたことは、今でもちょっと信じ難いほどだ。もしかしたらこのまま頑張って、正社員になれるのかもという淡い期待を抱いて、今は暮らしている。

ただ、時々思うことがある。「あ~、どっか行きて~な~。誰にも邪魔されず、汚い安宿でネットサーフィンして、暮らしたいな~」と。
僕が世界一周旅行で見つけた本当の自分は、どうしようもなくダメな自分だった。だから今でもストレスを溜め続け、生きている。

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3b. 世界一周ノート 第48回:セカシュー紀行-その2


3b. 世界一周ノート 青木大地

仕事をやめ、2013年10月から1年間の予定で世界一周の旅に出ました。2014年11月帰国。

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1986年生まれ。日本大学 芸術学部 卒業。
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「ニューヨークでのセカシュー」

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僕は南アフリカで強盗に遭った損失を取り戻すため、ニューヨーク(以下NY)で大学時代の先輩の家に居候をさせてもらいながらアルバイトで資金稼ぎをすることにした。シドニー同様、NYにも日本人向けの求人サイトがあって、僕はそこから日本食レストランのランチのウェイター職を手にすることができた。ウォール街のど真ん中にあるその老舗は、911事件経験者などもまだ在籍していて、色々と興味深い話を聞けたり面白い出会いが多かった。もちろん、ここでも僕は末端の労働者として存在し、華々しいニューヨーカーではなく、最下層民たちと共に生きていた。
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NYでの末端の労働者を語る上で欠かせないのが「アミーゴ」たちの存在だ。彼らラテン系不法移民はNY全体の末端労働を支配し、NYは彼らなしでは機能しないほどに彼らに支えられていた。僕の働いた日本食レストランにもアミーゴたちは何人も居た。アミーゴたちは親族のつてを使い、ブローカーを介して国境を越えていた。もちろんそれには命懸けの行程もあるようで、「親戚が2週間前にメキシコを出たのにまだ着かない・・・」「輸送中に死んだ」などの海外ドラマみたいな話が実際に転がっていた。

不法移民や不法就労に世界一に甘い反面、正規ビザに関しては世界一厳しいのがNYだった。だから日本人に関して言えば学生ビザを繋いで滞在したり、特定の企業のみでの就労を許可されるビザなどを申請して滞在している人が多かった。ただ、これでさえ非常に難易度が高く、何の武器も持たない人間にとっては長期滞在に向かない街というのが正直なところだった。そして流されやすい日本人は、アミーゴという最強の悪例を見ながらとんでもないことになっていたりした・・・


[case01 Nさん 30代女性]
Nさんは学生ビザが切れ不法滞在ルーキーだった。NYでの生活は10年は越え、ビザの延長に限界がきた。レストランでもランチ、ディナーとたくさん働き、優しい人だった。ただ、彼女自身は不法滞在になってしまったことに焦っていて、帰国すればもうNYには戻れない不安を口にしていた。NYに居る具体的な目的はなくて、無為に過ごしているように映った。Nさんにはもう一つの問題があった。それは彼氏の存在だった。Nさんの彼氏はアミーゴだったのだ・・・
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[case02 Sさん 40代女性]
Sさんはレストランのお局的な立場の人で、仕事にも厳しかった。NYでの滞在は長く、20代の頃から帰国はしていなかった。もちろん不法滞在バリバリで毎日スポーツウェアーで出勤し、お母さんのような人だった。僕は気に入られていて、手作りのお弁当をもらったり給料のチップを少し多めにもらったりしていた。そんなSさんには別の顔があった。どうしようもないパーティーピーポーだったのだ。夜はスポーツウェアーをドレスに着替え、夜な夜な遊びに繰り出していた。特定の相手は居らず、外国人を貪り続けていた。
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NYでのセカシューは本当に難易度が高いと思う。本当に実力や才能がない限りは難しく、運も必要なため、シドニーのように単なる人足として入り込める隙はないように感じた。そしてNYに居る人たちはどこか不幸に見えた。それなのにNYで生活しているというプライドだけは高く、それに相応しいものは何一つ持ち合わせていなかった。NYの底辺は閉塞感漂うまさしく蜃気楼だった。憧れのニューヨーカーたちは今日もわかりきった詰将棋を延々と続けている。

次回は実際の僕のセカシューについて記します。

3b. 世界一周ノート 第47回:セカシュー紀行-その1


3b. 世界一周ノート 青木大地

仕事をやめ、2013年10月から1年間の予定で世界一周の旅に出ました。2014年11月帰国。

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3b. 世界一周ノート 第47回:セカシュー紀行-その1

世の中は空前の旅ブーム。学生旅行から社会人の休日まで、本当に多くの情報が出回っている。今ではベトナムのダナンが人気を呼ぶなど、ニーズは拡散し、日本人の触手も多様さを増して伸びつつあるように思う。

そんな中で「セカシュー」という言葉をよく耳にするようになった。旅先での出会いやコネを通じて、世界のどこかで就職することを指すこの言葉は、旅ブームのひとつのムーブメントとしての役割に加えて、少し海外ダークサイド的な要素を含んでいる気がした。本メルマガでも連載のある下川祐治さんの著書「日本を降りる若者たち」で描かれているような、日本での生活をドロップアウトした人たちの世界がそこには広がっているのかもしれない。
今回はそんなセカシューについて、「シドニー」「ニューヨーク」そして実際にセカシューに成功!?した自分自身を例にして書いてみようと思う。

シドニーでのセカシュー

言わずも知れたワーホリの聖地、オーストラリアで僕は飲食店でのアルバイトをしていた。そこには数多くのドロップアウターたちが生息していた。
街並み

[case01 Hさん]
彼は30代前半の日本人で、オーストラリアでの生活も5年越えのベテラン選手だった。ワーホリの期限は2年、しかも30歳までという期限つきなのに対して、彼はその全てをオーバーした状態での滞在をしていた。もちろん勤務時間も法定オーバーだった。彼は観光ビザと学生ビザをやりくりしながらなんとかシドニーに踏みとどまっていた。レストランのシェフとして生活し、永住権を持ったアジア人の恋人が居た。ワーホリをきっかけに滞在し、レストラン内のアルバイトリーダーとして無敵の権力を振るっていたHさんは気難しく、仕事にも厳しいため、あまり和気藹々とした雰囲気の飲み会なんかにもあまり顔を出さないタイプの人だった。何度か閉店作業で2人きりになって話をする機会があって、僕は色々と聞いてみた。Hさんは日本での税金関係の支払いなどはしておらず、オーストラリアでも割とギリギリの生活をしていた。「もう日本に帰っても自分の価値はない」と口癖のように言っていて、人生の選択肢はシドニーでの就職、彼女との結婚で永住権を得る、違法ギリギリの状態を続けるかに絞られてきていた。それでもHさんは無為に時を過ごすことを選択しているように思えた。ここで重要なのは、シドニーでの就職(永住権を取得すること)は割と簡単だということだ。3か月しか働いていない僕でさえ社長さんから就職を勧められた。海外での人材はそれほどまでに不足している場合があるのだ。
それでもHさんは頑なに現状維持にこだわっていた。実は、似たような状況に陥っている人は他に何人も居た。日本人に関わらず、韓国人にもその傾向は見られた。彼らに共通して安定志向はなく、旅をしないバックパッカーのような、中二病患者のように見えた。
法を犯しての滞在ではなく、ギリギリのラインを保ち続ける彼らはきっとそれなりの常識もあるはずだった。海外経験を活かし、それなりの生活も日本で手に入れることのできるスペックを持っている彼らは何故シドニーでの生活にこだわるのだろうか?果てしない自意識のがんじがらめ状態の日本人が、シドニーには腐るほど溢れていた。
キッチン

[case02 Yさん]
韓国人のYさんは、本格的にセカシューを目論んでいた。彼もまたシェフとしてシドニーで働いていた。レストランでもビザ修得を前提に雇われていて、準社員のような形で少し給料もよく、労働時間も多かった。ただ、彼は迷っていた。Yさんは妻帯者で、韓国には娘も居た。シェアハウスで暮らし、本国へは仕送りもしていた。それなのに・・・Yさんは遅刻欠勤の常習者で、女癖も悪かった。バイトの日本人の女の子に手を出して問題になったり、シェアハウスでも同様の問題を起こすなどして、社員登用への道が頓挫しかけていた。Yさんは帰国をほのめかすようなことも時々口にしていた。セカシューへの道は時に険しいのかもしれない。
店内

聞こえはいいセカシューも、ビザや税金、生活保障の面では常に危険と隣り合わせとなる。将来への不安は常に付き纏うという点では、日本での就活よりもハードルは高いのかもしれない。レストランの社長のように一軒家と自家用車を持って家族を養う世間一般の勝者への道は、やはりシドニーでも遠いように思えた。

次回は完全に不法滞在・不法就労をしてでも滞在にこだわる底辺のニューヨーカーについて記します。

3b. 世界一周ノート 第46回:世界の悪宿


3b. 世界一周ノート 青木大地

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3b. 世界一周ノート 第46回:世界の悪宿

世界には良いホテルもあれば、悪いホテルもある。もちろんそれは貧乏旅行者の泊まる安宿にも当てはまることで、きっとバックパッカーたちはそんな当たり外れに毎日一喜一憂しているのだと思う。今回は僕が泊まった悪い宿について少し記してみます。

■ 劣悪リゾート トバ湖「BAGUS BAY」
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スマトラ島の世界最大のカルデラ、トバ湖に浮かぶサモシール島のBAGUSBAYは、1泊350円、湖畔に面した好立地ながら中々パンチの効いた宿だった。フェリー乗り場のバイタクにとにかく最安をと頼んだ結果、訪れたのがBAGUSBAYだった。コテージ形式で風呂トイレ共同のお部屋では様々な事件が起きた。暗く湿った共同シャワーはちょっと奇妙な形をしていて、蛇口をひねると壁に空いた穴から水が吹き出るシステムだった。その水の錆のような濁りがとても怖かった。ある日、雷雨の夜にはトカゲ・ネコ・ネズミ・蛇が隙間から入ってきて一緒に雨宿りをすることになった。また、レストラン併設のため、オーダーすると食事が150円くらいで食べることができたので、僕はよく利用した。薄暗い部屋でその料理を食べるのだけれど、ある日違和感を感じて器を覗くと、大量の小さい蟻が混入していた。今思うと笑えるけれど、僕はそんな恐怖の館で年越しをしていた。
写真は敷地内の湖畔。宿の子どもたちはそこでシャワー、トイレ、歯磨き全てをこなす。
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■ パーティー毛唐の差別宿 ブタペスト

あえて名前は伏せるけれど、西洋諸国でたまに受ける差別が厳しかった宿。とにかく毎晩パーティーが行われ、爆音が鳴り続けているのはよしとするも、客の態度やスタッフまで、基本的にはアジア人を無視する傾向があった。近くに居た韓国人も話してはいないけれど、同様の目にあっていた。チェックイン時の説明もアジア人には全くなし、聞いてもポスターを指差されて終わるというのが常だった。共有スペースでゆっくりしているとニヤニヤ顔で近寄ってきて、ヒソヒソ話であざ笑う。決して被害妄想ではない「現実」がこのホテルにはあった。ホテル予約サイトなどでパーティー感溢れる宿は、時々こういう所があるので注意。
buddapest

■ インドの安宿
もうこれは単純に、僕が失禁を繰り返したりした食事のせいなのかもしれないけれど、ムンバイのSalvationArmyのベッドやバンガロールのAishwaryaComfortのトイレはトラウマになっている。
salvationarmy

Aishwarya

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旅が長くなると、幾つもの悪宿に出会うことができる。他にも謎に追い出しをくらったり、不当なチャージをとられたり、Wifiの不調を訴えると「This is India!!!」の一言で片付けられたりと、思い出はどんどん増えていく。
ただ、宿は悪ければ悪いほどに記憶に残る。

3b. 世界一周ノート 第45回:世界の安宿


3b. 世界一周ノート 青木大地

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3b. 世界一周ノート 第45回:世界の安宿

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(バリの安宿)

低予算の旅行者は安宿を転々として旅を紡いでいくのだけれど、やっぱりこれもよく聞かれることが多い。どんな宿に泊まるの?幾らくらいなの?と。
金額的にざっくりと相場をまとめると・・・

アジア各国_200円~1000円
ヨーロッパ各国_900円~2500円
アフリカ各国_900円~3800円
アメリカ_2500円~4000円
南米各国_350円~2800円
僕が自腹で泊まったところだと、ざっとこんな感じだった。

やっぱりアジアは安く、衛生面さえ無視すれば2$で泊まれるところもあった。基本的に僕は街に着くと何件か安宿で値段を聞いて、一番安いところに泊まっていた。時には1時間以上安い場所を求めて彷徨うこともあった。最安は共同部屋、風呂トイレ共同、セキュリティー度外視というのが基本で、他に蚊だったりネズミだったり悪臭だったり水シャワーだったりのオプションがついている。
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(ベトナム・フエ)

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(マニラ)

ヨーロッパでは安宿サイトをよく利用した。HostelworldやBooking.comあたりが多かった。各サイトの口コミはかなり信憑性があって、騒音やサービスに関する情報は入念にチェックし、コスパの良いところを選ぶのが間違いない選択だという結論に達した。ヨーロッパでは共同部屋は基本だけれど、共有キッチンがある所が多いので自炊がはかどってたすかった。

アフリカはほとんどヨーロッパと変わらない印象だった。観光客の少ないエリアでは少し値段が高く、治安との兼ね合いもあるためヨハネスブルグでは3800円のホテルに泊まる屈辱も味わった。

アメリカでは日本人経営の変な共同部屋が穴場かもしれない。ルームメイト募集サイトなんかで1泊から泊まれ、ホテルではない非合法感溢れる一室で快適に過ごすことができる。意外にも立地がよく、NYならマンハッタンでこの手の部屋を見つけることができる。観光客からロングステイの謎のビザ切れ留学生まで、日本人と交流できるのも面白かった。

南米はピンキリで、僻地に行くと掘り出し物の安宿に恵まれることもあった。人気のウユニでも1泊400円の安宿があったりと、選ばなければ安い場所はある。南米全体では日本人宿が最安という傾向があって、僕はよくお世話になった。


幾つか印象的だった宿を記すと・・・
・カンボジア シェムリアップ「クロマヤマト」
ここは日本人宿でレストランも併設。とにかく安く、2$の共同部屋があった。しかも会計がざるなので何泊したかは自己申告性。ただ衛生面が心配で、謎のベッドバグ襲われ、まだ傷跡が残っている。
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・タイ バンコク「Sitdhi」
1ヶ月沈没した良宿。150バーツでシングルに泊まれ、Wifiも完備。寺裏エリアに位置し、日本人も少なめ。中毒者・瘋癲からゲイまで多種多様な客と触れ合える素敵な場所。部屋に甘いものを置いておくと大量の蟻が発生するのが難点。
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・ブルガリア ソフィア「10coins hostel」
口コミ評価も高い宿。安い、清潔、宿の親父が世話焼きで親切。洗濯機も無料で1回貸してくれる。近くにある中華料理が秀逸で、ソフィアという何もない街で長居を決意させてくれるある意味で罠的な場所。
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・ボリビア コパカバーナ「Hostal Frorencia」
チチカカ湖を臨むロケーション抜群の安宿。値段も350円と格安。Wifiはないけれど、オーナーも親切で客はほとんどいない。天守閣みたいな屋上にある部屋でのんびりと過ごすと、1日が終わっていく。徒歩5分の市場での食事がおすすめ。
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安宿を渡り歩く生活は非常にストレスが溜まり、慣れてくると出会いとかもどうでもよくなる。そんな中で時々当たりの安宿が見つかる。きっと旅人はそんなことを繰り返しているのだと思う。

次回は世界の悪宿を記します。

3b. 世界一周ノート 第44回:世界旅行とお金の話


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3b. 世界一周ノート 第44回:世界旅行とお金の話

僕が「長期の旅行に出たことがある」と誰かに言うと、必ず聞かれることがある。それは「いったい幾らかかったのか?」ということだ。お金の話は皆知りたがるし、やっぱり単純に興味のそそられる議題なのだと思う。だから僕なりに1年の予算を洗い出してみたいと思う。

出国当時、僕の予算は130万円程度だった。これは多いのか少ないのかわからないけれど、ある程度の貧乏旅を覚悟せざる得ない金額だとは思う。旅は中国、アジアと巡る旅程から始まったので最初はほとんどお金がかからなかった。1ヶ月バンコクで沈没したことを考慮しても、月に10万円かからないくらいで過ごすことができた。もちろん、移動費も含めての金額だ。移動は飛行機は使わず基本的に公共交通機関を乗り継いで節約していた。安宿を渡り歩いて、だいたい一泊500円程度が目安だった。
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(ラオス川下り)

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(カンボジアの鉄道)

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(屋台)

ただ、ここでの3ヶ月あまりで僕はこの後ヨーロッパー・アフリカ・アメリカ南米・・・と考えた時に到底今の金額では世界一周旅行に足りていないことに気がついた。アジアの中でならいくらでも過ごせるとは思ったけれど、今後の飛行機代や生活費が明らかに足りないと感じた。そこで、オーストラリアへのワーホリを決行し、3ヶ月お金を稼ぐことにした。結果としてこれは成功で、30万円程を貯金することができた。この金額はオーストラリアでの国内周遊や書けないあれやこれやの温かい話の差し引きも含むので、まずまずといった内容だったと思う。
オーストラリアのお金2
(オーストラリアのお金)

この後インド・トルコまでは順調に過ごすことができ、僕はあまりお金のことは考えなくなってヨーロッパを巡った。半ば早歩きでもやはり飛行機は使わずバスやフェリーで旅を続けていた。
転機が訪れたのはアフリカで、強引に旅程を進めるために飛行機を4度利用してしまった。更に強盗に遭ってだいぶお金を失ってしまった。損失の現金は2万円くらいで済んだけれど、パズポートを奪われたので、NY行きのチケット15万円程が吹っ飛んだ。
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(フェリー)

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(飛行機)

なんとか諦めずNYでは知り合いの家に居候をさせてもらい、またもやアルバイトで10万円程を貯めることができた。そして最後は南米を巡り、アルゼンチンから帰国という流れになった。南米では米ドルが強く、ここでの10万円はかなり重宝した。


さて、日本に帰ってきての残金はと言うと・・・もう何も残っていなかった。それどころか親や恋人に南アフリカで往生している間に買ってもらった航空券代金などの支払いも済んでいなかった。
ここまでの話をトータルすると、居候などのラッキーはあるにせよ、資金が130万円+オーストラリアの30万円+NYの10万円=170万円。そしてそれらは全て使い切って、残った借金がだいたい70万円くらいだった。
ただ、僕は旅行中も律儀に国民保険・年金・生命保険を支払っていたので、それが1年で70万円くらいだった。
以上を鑑みると、僕の世界一周の純粋な総費用は概算で170万円くらいだということがわかった。

だから僕はいつも「色々あって170万円くらいかな?」と答えるようにしている。
高いか安いかは価値観によるけれど、僕は少し高かったなと感じている。主な出費の原因は交通費で、ヒッチハイカーやチャリダーに転身すればあと1年くらいは旅を続けられたように思う。ワーホリや不法就労を利用すればそれこそ無限に旅は続けられたようにも思う。

次に多い質問は「自分探しの旅は終わったのか?」という手の内容だ。これに対しては即答で、「170万円使って、借金まで背負った割には見つからない」と言うようにしている。


次回は世界の安宿事情を記します。

3b. 世界一周ノート 第43回:南米 その5~帰国 【最終回】


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3b. 世界一周ノート 第43回:南米 その5~帰国【最終回】

ブエノスアイレスでは日本人宿に泊まり、帰国までの数日を過ごした。
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ヨーロッパ調の街並は美しく、旧劇場を書店として改築した建物でお茶をしたり、フラメンコを観にいったりして過ごした。そして夜は決まって、スーパーで買った格安の牛肉ステーキと赤ワインだった。
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泊まった日本人宿はなかなかパンチが効いていて、1ヶ月くらいの宿代を踏み倒して逃げた男のパスポートのコピーを貼り出していたり、その記事(恐らくオーナーが事件を大事にしたために取材が来たと思われる)が貼ってあったりした。宿泊客も個性的で、フラメンコ留学と称して毎晩酒場(クラブのような場所でフラメンコを踊り明かす社交場)に出かける女性や、日本での危険ドラッグ生活に嫌気がさして南米旅行をする男性など・・・。

その男性からはアマゾンで儀式をしながら楽しめるドラッグ三昧の話を聞いた。また、僕の隣のベッドにやって来た宿泊客は、旅の前に働いていたお店のお客さんだった。
ありきたりだけれども、僕が思っている以上に世界には知らないことがたくさんあって、僕がおもっている以上に世界は狭い。


帰国の日、僕は空港までを市営バスで向かうことにした。直通バスで30分で済むところを、2時間かけで移動することにした。お金にも余裕はあったけれどなんとなくそうした。
思えば膨大な時間の無駄だった僕の旅は、最後まで一貫できたようだった。
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帰国の便はスムーズに、トルコ乗り換えを経て成田へと着いた。出国手続きも、強盗によるパスポート番号の変更があった割には何事もなくいった。そして成田から自宅までの時間も呆気なく過ぎた。
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約1年1ヶ月、僕の旅はこうして終わった。
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後記
2年以上の長い連載、本当にありがとうございました。脱サラ→世界旅行を実際にしてみたリアルな1年が綴れたと思います。また機会があれば旅行記など投稿させていただきます。帰国後の僕ですが、NYで出会った人からの紹介で社会人として日本でまた働き始めています。流行のセカシューです。多くの刺激で満たされた旅人たちが社会復帰できるのか、実験してみます。


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東京→茨城→上海→杭州→南寧→ハノイ→ホーチミン→シェムリアプ→チェンマイ→ルアンパバーン→バンコク→パンガン島→ペナン島→マラッカ→スマトラ島→ジャワ島→マニラ→シンガポール→ジョホールバル→シドニー→チェンナイ→ムンバイ→アグラ→デリー→バラナシ→ブッダガヤ→コルカタ→ダージリン→ポカラ→ルンビニ→ガヤ→カトマンズ→ポカラ→イスタンブール→カッパドキア→パムッカレ→ボドラム→ギアテネ→メテオラ→ソフィア→ブタペスト→ザコパネ→クラクフ→サラエヴォ→ザグレブ→ヴェネチア→ローマ→ミラノ→バルセロナ→タンジェ→フェズ→マラケシュ→カサブランカ→カイロ→ギザ→アジスアベベ→ヨハネスブルグ→ケープタウン→ドバイ→ニューヨーク→リマ→ナスカ→マチュピチュ→ウユニ→ラパス→コパカバーナ→サンタクルス→アスンシオン→イグアス→ブエノスアイレス→東京!

3b. 世界一周ノート 第42回:南米 その4


3b. 世界一周ノート 青木大地

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青木大地(あおき・だいち)

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念願のフリーライターとしてとりあえず1年は過ごせそうです。
同名義のFacebookもよければ見てください。

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3b. 世界一周ノート 第42回:南米 その4

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南米のバスを乗り継いで、僕はイグアスの地へと辿り着いた。イグアスといっても、アルゼンチン側からの観光となった。ブラジルへの入国ビザは手続きが面倒で、残された時間からブラジルへの入国は諦めることになった。ブラジル国境のバスターミナルでは闇両替人の多さに驚いたりして、ますます興味が湧く中での断念だった。
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それでもブラジル・パラグアイ・アルゼンチンの三国国境地点に立って、なんとなく眺めた濁った川の色は長閑で、僕が繰り返してきた麻薬検閲のことなんてすっかり忘れてしまう気がした。
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世界三大瀑布制覇、なんとなく定めた目標の終着地点で僕はイグアスの滝を見た。名所、悪魔の喉笛は洪水のせいで立ち入り禁止となっていたものの、その濁流・広大な眺めには圧倒された。途中、大きなトカゲに園内で遭遇したりするなど、南米ジャングルを心ゆくまで味わうことができた。見てしまうとどうでもいいような景色だったけれど、そこが憧れの地であったということはこの旅で何度も起きた。名だたる観光地を経て、際立っていく無関心が写真を撮る手にも伝わっているような気がした。
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イグアスの滝に2日間滞在し、僕はバスで最後の目的地「ブエノスアイレス」へと向かった。値引きのきかないバス料金は日本なみに高く、快適な旅になるとはいえガラガラのバスで過ごす20時間は少し物足りない気がした。車窓から見渡すジャングルやスコール、湿地で輝く大量の蛍も寂しかった。
朝、目覚めると市内に入るバスは大渋滞で全く動かなくなっていた。どうやら市内で行われているストが原因らしい。僕はスペイン語がわからず、多分電力供給に対する不満が募ってどうのこうの・・・という内容だろうと察してバスの中で待っていた。2時間たっても完全にバスは動かず、乗客たちはバスを降り始めた。皆、荷物を受け取って大渋滞の隙間を縫って歩き出したのだ。僕も例に漏れずそうすることにした。
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しばらく歩くとストをしている住民たちが居た。ドラム缶で火を起こしてプラカードを持って歩いていた。僕はついてないなと思いながら、30分ほど歩いてなんとか市内へと着くことができた。街並は美しく、ヨーロッパさながらの落ち着いた雰囲気があった。きれいな街だなと思った。
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ホテルの料金はやはり日本人宿が一番安く、僕は有名な日本人宿に腰をおろした。オーナーに今日の出来事(バスが止まった)を伝えると、そこが最も治安の悪い場所だったことがわかった。言われてみれば汚い人が多かったけれど、何も感じはしなかった・・・。治安の悪い場所というものに免疫が完全になくなっている僕は、ヨハネスブルクで体内危険察知能力を完全に失ってしまっているようだった。
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とにかく安い牛肉をスーパーで買いまくって、赤ワインを飲んで過ごす最後の日々が始まった。そこが最後の場所だとは到底自覚がなく、この自堕落な生活がいつまでも続く気がしていた。気付けば残金も残り僅か、米ドルも数えるほどになっていた。日記を書くことも面倒で、「帰国」という二文字だけがなんとなーく、ドミトリーの暗闇の中を浮遊していた。

次回最終回、ブエノスの街、帰国を記します。


世界一周ノート_R
上海→杭州→南寧→ハノイ→ホーチミン→シェムリアプ→チェンマイ→ルアンパバーン→バンコク→パンガン島→ペナン島→マラッカ→スマトラ島→ジャワ島→マニラ→シンガポール→ジョホールバル→シドニー→チェンナイ→ムンバイ→アグラ→デリー→バラナシ→ブッダガヤ→コルカタ→ダージリン→ポカラ→ルンビニ→ガヤ→カトマンズ→ポカラ→イスタンブール→カッパドキア→パムッカレ→ボドラム→ギアテネ→メテオラ→ソフィア→ブタペスト→ザコパネ→クラクフ→サラエヴォ→ザグレブ→ヴェネチア→ローマ→ミラノ→バルセロナ→タンジェ→フェズ→マラケシュ→カサブランカ→カイロ→ギザ→アジスアベベ→ヨハネスブルグ→ケープタウン→ドバイ→ニューヨーク→リマ→ナスカ→マチュピチュ→ウユニ→ラパス→コパカバーナ→サンタクルス→アスンシオン→イグアス→ブエノスアイレス・・・

3b. 世界一周ノート 第41回:南米 その3


3b. 世界一周ノート 青木大地

仕事をやめ、2013年10月から1年間の予定で世界一周の旅に出ました。

Profile
aoki_s

青木大地(あおき・だいち)

1986年生まれ。日本大学 芸術学部 卒業。
卒業後、大手レンタルビデオメーカーに勤務。店舗、営業を経て世界旅行のため退社。
念願のフリーライターとしてとりあえず1年は過ごせそうです。
同名義のFacebookもよければ見てください。

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3b. 世界一周ノート 第41回:南米 その3

バス_R

南米のバスは長いと、僕は色々な旅人から聞いていた。ボリビアの首都ラパスからサンタクルスへ、僕は覚悟してバスに乗った。
深夜バスは快適で、車内食も出た。まずは10時間ほどのバス移動は何事もなくクリアできた。バスターミナルでは次の目的地、パラグアイのアスンシオンへは40時間とも50時間とも言われた。それでも他に選択肢のない僕はチケットを買わざるをえなかった。南米一の悪路と言われる路線は憂鬱で楽しみだった。そして、インドネシア・スマトラ島と似た感覚に襲われた僕はやってきたバスを見て少し拍子抜けしてしまった。バスのスペックが高かったからだ。南米はバスの値段が高いので、納得と言えば納得なのだけれど僕はそれを見て今回のバスはだいぶ楽になるなと思った。
乗り込んでもその予想は裏切られることなく、少し蒸すかなといった程度の快適なバスの旅が待っていた。

車内食_R

問題は両替だった。僕は残り僅かな米ドルと大量のボリビアボリ(日本円両替の場所がなく仕方なく大量投資)で今後をどのようにやりくりするか悩んでいた。恐らく国境を跨ぐのは深夜、僕は両替をせずにいたことを後悔していた。深夜の国境での両替は絶望的でどうせ翌朝に連れて行かれる両替所なんてレートが悪いに決まっていることが目に見えていたからだ。

パラグアイ入国_R

深夜3時、僕はイミグレに到着した揺れで目が覚めた。イミグレは驚く程小さいほったて小屋で、異常に暗かった。順番に名前が呼ばれ、スタンプを押してバスに乗り込もうとした時に異様な光景が目に入ってきた。老婆がお土産を売っていたのだ。そして、その薄汚いテーブルの上に並ぶ土産物と一緒に$マークの貼り紙があった。闇両替がイミグレの敷地内で営業を行っていたのだ。僕は興味本位でレートを聞くと、想像を絶するくらい何故かレートがよかった。僕は舞い上がって全ボリビアボリを老婆に差し出した。日本円両替で損した分の半分を取り返せたことに僕は感嘆し、起き抜けに清々しい表情を浮かべていた。
何か得をした気分も束の間、パラグアイへのイミグレを越えてから、物々しい雰囲気が流れ始めた。そう、執拗な検閲だった。バスは30分に一度くらいのペースで停車させられ、中には警官が入ってきて数名の乗客を指差して外に連行した。そしてその乗客のスーツケースをくまなく調べるということが何回も続いた。麻薬密売の大動脈というだけのことはある厳重っぷりだった。そしてパラグアイへの入国審査で緊張のピークが訪れた。全員一列に並ばされ、警官の前で荷物を全てチェックされるという大規模な検査が行われた。背後には大型犬が2匹、常にうろうろと乗客たちの匂いを嗅いでいた。幸い、逮捕者は出なかった。検閲の後、乗客たちは緊張感とストレスから解放され妙な一体感で包まれていた。朝焼けに包まれながら、僕たちはついにボリビアを出国した。

犬_R

朝焼け_R

パラグアイのアスンシオンまで36時間、バスの故障や食料不足(バスが遅れて水と食料がなくなり、何もない荒野を走り続けて乗客たちのプチストが起きた)を乗り越えてついにたどりついたその地でも、僕はまだ大動脈の上にいた。イグアスへの乗り継ぎバスを待つ間、マテ茶をすする僕に一人の男が話しかけてきた。その男は片言の英語で僕に「これをやる。おまえは日本人だろ?日本人はチェックが甘い。だからこれを。俺はこの後ボリビアに向かうから持っていられない」と言った。まさかと思ったけれど、そのまさかだった。掌くらいの小さなお菓子箱には大量の大麻が詰まっていた。僕はもちろんそれをことわると、男はわざと僕の見える場所にその箱を捨てて去っていった。オーストラリアドルに換算したらいったいいくらなんだ!?なんてことを考えながら僕はその箱を眺めていた。捨てる程あるということか、僕がたまたま頭のおかしい男に出会ったのかはわからないけれど、確かにその箱には大量の大麻が独特の匂いを放って詰まっていた。

バスの故障_R

例のぶつ_R
(例のぶつ)

僕は更に治安の悪いと言われているブラジル国境方面へのバスへと乗り込んだ。

次回はイグアスの滝で世界三大瀑布制覇!を記します。


世界一周ノート
上海→杭州→南寧→ハノイ→ホーチミン→シェムリアプ→チェンマイ→ルアンパバーン→バンコク→パンガン島→ペナン島→マラッカ→スマトラ島→ジャワ島→マニラ→シンガポール→ジョホールバル→シドニー→チェンナイ→ムンバイ→アグラ→デリー→バラナシ→ブッダガヤ→コルカタ→ダージリン→ポカラ→ルンビニ→ガヤ→カトマンズ→ポカラ→イスタンブール→カッパドキア→パムッカレ→ボドラム→ギアテネ→メテオラ→ソフィア→ブタペスト→ザコパネ→クラクフ→サラエヴォ→ザグレブ→ヴェネチア→ローマ→ミラノ→バルセロナ→タンジェ→フェズ→マラケシュ→カサブランカ→カイロ→ギザ→アジスアベベ→ヨハネスブルグ→ケープタウン→ドバイ→ニューヨーク→リマ→ナスカ→マチュピチュ→ウユニ→ラパス→コパカバーナ→サンタクルス→アスンシオン・・・

3b. 世界一周ノート 休載


3b. 世界一周ノート 青木大地

仕事をやめ、2013年10月から1年間の予定で世界一周の旅に出ました。

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aoki_s

青木大地(あおき・だいち)

1986年生まれ。日本大学 芸術学部 卒業。
卒業後、大手レンタルビデオメーカーに勤務。店舗、営業を経て世界旅行のため退社。
念願のフリーライターとしてとりあえず1年は過ごせそうです。
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※※編集部より※※
 今号の「世界一周ノート」は原稿が間に合わなかったため休載とさせていただきます。
 次号をお楽しみに。
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