3b. 世界一周ノート 青木大地

仕事をやめ、2013年10月から1年間の予定で世界一周の旅に出ました。

Profile
aoki_s

青木大地(あおき・だいち)

1986年生まれ。日本大学 芸術学部 卒業。
卒業後、大手レンタルビデオメーカーに勤務。店舗、営業を経て世界旅行のため退社。
念願のフリーライターとしてとりあえず1年は過ごせそうです。
同名義のFacebookもよければ見てください。

Facebook

第16回:マニラ・デング熱-2

(編集部注:第8回バンコク第9回シドニーの間をつなぐ、シドニー移動前のエピソードです)

デング熱にかかった僕は旅行保険を使って2日間、40度を越える高熱と激しい頭痛、冷や汗と悪寒に耐えて過ごした。便通はなく、食事は一切とることができなかった。
3日目にしてようやく熱が38度まで下がり、僕はパイナップルジュースや食事に手をつけることができるようになった。そしてそこからはゆっくりと症状が改善され、僕自身も回復していった。
シャワーにも入れるようになって、毎日の同じ様な食事にも飽きて、病院の中を散歩したりして1週間以上が経った。そうして退院の許可が降りたのはフィリピンを出るフライトの朝だった。
市内散策もパラワン諸島への旅行も何も出来ず、僕は念のため入院証明書を発行してもらい(無料)、その晩シンガポールへと旅立った・・・
photo1

シンガポールから先は旅の資金稼ぎのため、オーストラリアでのワーキングホリデービザを取得していて、フライトは5日後だった。
病み上がりで訪れたシンガポールは物価が高く、僕はここでは長く滞在できないと踏んで、チャンギ国際空港から一度も寄り道をすることなくマレーシア・ジョホールバルへと向かった。地下鉄と国境を跨ぐバスを使うと400円弱で辿り着くことができた。
中国・インド・イスラム文化の混じったマレーシアの食事は美味しく、1食200円もしない食堂の値段も懐かしく、自分がどこまでもアジア主義の旅人なのだと強く感じた。
photo3

ジョホールバルでの滞在では、少し足を伸ばして日帰りでバトゥ・パハを訪れた(バスで往復750円)。放浪詩人、金子光晴が大昔に長居した日本人クラブを眺めやって、ワンタン麺をすすって、さてシンガポールに戻って蟹でも食べようかと気取ってみては、そんな贅沢をするお金が僕にはないとわかって、それでも何だか嬉しくて、僕はデング熱のことなんてすっかり忘れてしまっていた。
photo2

再びシンガポールに戻って1人で見上げたマレーナベイサンズの夜景は少し虚しくて、マーライオンの横に腰掛ける僕は偉く貧相で場違いな感じがした。
photo5

目指すは世界一物価の高いオーストラリア・シドニー。金策へのあてはないけれど、旅疲れからくる一定の生活への渇望が、4ヶ月を過ごすことになるその大都会へ僕をゆっくりと突き動かしていた。

次回はオーストラリア、ワーキングホリデー事情詳細を記します。


補足:今回、僕が入っていた旅行保険は損保ジャパンの1年契約の保険でした。費用は12万円弱で、先のワーキングホリデー下でも有効のものです。キャッシュレス対応の病院を電話の段階で薦めてくれるので、自己負担は0円でした。保険会社によって病室のグレードが変わるとのことで、僕は運良くスウィートに入れました。フィリピンの入院食は蒸した鶏、米、果物の連続でした。デング熱は東南アジアで流行中で、最近ではシンガポールでの集団発症もありました。予防方法は虫除けのみですが、かかるとせっかくの旅程が狂ってしまうので、特に人里離れたエリアへ行く際はご注意下さい。辛いです。


世界一周ノート
とりあえずの予定コース:上海→杭州→南寧→ベトナム→ハノイ→ホーチミン→カンボジア→チェンマイ→ラオス→バンコク→パンガン島→ペナン島→マラッカ→スマトラ島→ジャワ島→マニラ→シンガポール→ジョホールバル→シドニー…、以降インド、トルコ、ヨーロッパ、アフリカ、アメリカ、南米と巡る予定

3b. 世界一周ノート 第16回:マニラ・デング熱-2


3b. 世界一周ノート 青木大地

仕事をやめ、2013年10月から1年間の予定で世界一周の旅に出ました。

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青木大地(あおき・だいち)

1986年生まれ。日本大学 芸術学部 卒業。
卒業後、大手レンタルビデオメーカーに勤務。店舗、営業を経て世界旅行のため退社。
念願のフリーライターとしてとりあえず1年は過ごせそうです。
同名義のFacebookもよければ見てください。

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第16回:マニラ・デング熱-2

(編集部注:第8回バンコク第9回シドニーの間をつなぐ、シドニー移動前のエピソードです)

デング熱にかかった僕は旅行保険を使って2日間、40度を越える高熱と激しい頭痛、冷や汗と悪寒に耐えて過ごした。便通はなく、食事は一切とることができなかった。
3日目にしてようやく熱が38度まで下がり、僕はパイナップルジュースや食事に手をつけることができるようになった。そしてそこからはゆっくりと症状が改善され、僕自身も回復していった。
シャワーにも入れるようになって、毎日の同じ様な食事にも飽きて、病院の中を散歩したりして1週間以上が経った。そうして退院の許可が降りたのはフィリピンを出るフライトの朝だった。
市内散策もパラワン諸島への旅行も何も出来ず、僕は念のため入院証明書を発行してもらい(無料)、その晩シンガポールへと旅立った・・・
photo1

シンガポールから先は旅の資金稼ぎのため、オーストラリアでのワーキングホリデービザを取得していて、フライトは5日後だった。
病み上がりで訪れたシンガポールは物価が高く、僕はここでは長く滞在できないと踏んで、チャンギ国際空港から一度も寄り道をすることなくマレーシア・ジョホールバルへと向かった。地下鉄と国境を跨ぐバスを使うと400円弱で辿り着くことができた。
中国・インド・イスラム文化の混じったマレーシアの食事は美味しく、1食200円もしない食堂の値段も懐かしく、自分がどこまでもアジア主義の旅人なのだと強く感じた。
photo3

ジョホールバルでの滞在では、少し足を伸ばして日帰りでバトゥ・パハを訪れた(バスで往復750円)。放浪詩人、金子光晴が大昔に長居した日本人クラブを眺めやって、ワンタン麺をすすって、さてシンガポールに戻って蟹でも食べようかと気取ってみては、そんな贅沢をするお金が僕にはないとわかって、それでも何だか嬉しくて、僕はデング熱のことなんてすっかり忘れてしまっていた。
photo2

再びシンガポールに戻って1人で見上げたマレーナベイサンズの夜景は少し虚しくて、マーライオンの横に腰掛ける僕は偉く貧相で場違いな感じがした。
photo5

目指すは世界一物価の高いオーストラリア・シドニー。金策へのあてはないけれど、旅疲れからくる一定の生活への渇望が、4ヶ月を過ごすことになるその大都会へ僕をゆっくりと突き動かしていた。

次回はオーストラリア、ワーキングホリデー事情詳細を記します。


補足:今回、僕が入っていた旅行保険は損保ジャパンの1年契約の保険でした。費用は12万円弱で、先のワーキングホリデー下でも有効のものです。キャッシュレス対応の病院を電話の段階で薦めてくれるので、自己負担は0円でした。保険会社によって病室のグレードが変わるとのことで、僕は運良くスウィートに入れました。フィリピンの入院食は蒸した鶏、米、果物の連続でした。デング熱は東南アジアで流行中で、最近ではシンガポールでの集団発症もありました。予防方法は虫除けのみですが、かかるとせっかくの旅程が狂ってしまうので、特に人里離れたエリアへ行く際はご注意下さい。辛いです。


世界一周ノート
とりあえずの予定コース:上海→杭州→南寧→ベトナム→ハノイ→ホーチミン→カンボジア→チェンマイ→ラオス→バンコク→パンガン島→ペナン島→マラッカ→スマトラ島→ジャワ島→マニラ→シンガポール→ジョホールバル→シドニー…、以降インド、トルコ、ヨーロッパ、アフリカ、アメリカ、南米と巡る予定