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3a. チェンマイ非グルメ記録


3a. チェンマイ非グルメ記録

 
今年から本格的にチェンマイに拠点を移すことになったのだが、いろいろ所用がありつい3日前に日本に戻って、あまりの寒さに慄いているtabinote田口です。

さて、今回はチェンマイの食事情について。
観光ではなく長期滞在なので毎日ごちそうを食べているわけではないのだが、タイは外食が極端に安く、むしろ自炊のほうが高くつくため、ほぼ9割は外に食べに行っている。
オレは辛いものやスパイス類があまり得意ではなく、そもそも日本食以外はラーメンくらいしか好きなものがないフード保守なのだが、それでも毎日タイ料理を食べているとだんだんお気に入りのメニューもできてきたので、いくつか写真入りで紹介してみる。暗い場所で撮影しているものが多いので写りがいまいちなものも多くて申し訳ない。

・まず紹介するのはレストラン「Rod Sabiang」。
庶民的レストランよりは少しだけ価格設定が高いが、料理のクオリティは高いし、なにより家から徒歩1分ということもあり週のうち3回くらいは利用している。

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お気に入りメニューは「パイナップルチャーハン」
パイナップルとカシューナッツをカレー粉で炒めた、まさにオレのような子供舌向け料理。
上にかかってるフワフワした牛肉フレークみたいなものもおいしい。

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空芯菜かと思ったらCHAYOTE(ハヤトウリ)の芽だそうで。まあなんにせよオイスターソースとニンニクで炒めたらなんでもうまいに決まっている。

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レストランの主。

・ナイトバザーの近くにある、どちらかというと地元民向けの野外フードマーケット。

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屋台で買ったものを適当に椅子に座って食べるスタイル。完全セルフサービス。持ち帰りにする人も多い。

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海鮮と野菜の鍋的なものを注文したが、いまいちおいしくなかった。いや、まずかった。

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ソムタム(パパイヤサラダ)。辛くて酸っぱくてうまい。塩玉子もたまらない。

・タイ料理に飽きると「Lapin」というイタリアンレストランに行く。

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唐辛子が存在感を主張するペペロンチーノ。

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チキンのソテー。バジル風味でうまいそうだ(オレは食べていない)。

・毎週やっているオーガニック野菜などを扱うマーケット。チェンマイにはこういう意識の高いものが多い。

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オーガニックな食材が並ぶ。客層はタイ人外国人が半々くらいかな。

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英語は通じるし、看板もタイ語と英語が併記されている。

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その場で挽いてドリップしてくれるコーヒーめっちゃおいしい。

・道路脇のカオマンガイ屋台

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上が普通のカオマンガイ、下はクイティアオガイ。カオマンガイには血を固めたものが付け合せとして乗っている。
どちらも40バーツ(現在1バーツ約3.2円)。

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カオマンガイ・トートという、鶏肉を揚げたものもある。

・店名忘れたけど近くの食堂

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スッキー(スキー)という料理。すき焼き由来らしいけどタイスキとは違う料理。鶏、豚などの肉を白菜と春雨なんかでいためたもの。汁ありと汁なしがある。どちらもうまい。本当はかなり辛いらしいけど「マイ・ペッ(辛くしないで)」と言えばだいじょうぶ。

・Ploen Ruedee Night Market
ナイトバザーの近くに最近できた野外フードコート。とにかく外装に凝ったシャレた店が多い。タイ料理はもちろん世界中の料理の屋台がたくさんあり賑わっている。値段はかなり高め。

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センターにはライブステージも。

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肉プレートをいただく。もちろんうまい。が、サラダにかかったマヨネーズはちょっといただけない。アメリカなんかでもでてくる例のあまったるいやつだ。マヨネーズは日本製に限る。

・「三姉妹の店」と勝手に呼んでる近所のレストラン
ここに関しては全メニュー制覇したことを個人ブログに書いたのでよかったら見てほしい。

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この三姉妹が切り盛りする居心地のよい食堂。ランチはほぼ毎日ここで食べる。ほとんどの料理は一律40バーツ。

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タイ北部の郷土料理「ラープ」。ひき肉を香草といためたもの。オレは苦手。

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ゲーンチュウというあっさり野菜スープがうまい。

・お寺の境内みたいなところでやってるオーガニックマーケットにも行ってみた。

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なにやら五平餅のようなものが売ってたので食べてみると。

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なんと味噌の代わりに卵黄を塗っていたのだった。あまりうまくなかった。

・Street Pizza & The Wine House
チェンマイでいちばんうまいと評判のピザ屋

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確かにうまかった。厨房のぞいたら石窯じゃなかったけど関係ないね。

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アペタイザーのズッキーニフライもうまかった。

・うまくて号泣ラーメン
長くいるとやはり日本食が恋しくなってくる。号泣させてもらおうじゃないの。

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だが店内にはひとっこひとりおらず、、猛烈に嫌な予感が。

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うーん……。
味玉とチャーシューはまあまあうまかったけど後は、、

・口直しに大型郊外モール、セントラルフェスティバルの中にある「大戸屋」へ

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ちなみにここには「吉野家」、「やよい軒」、「8番らーめん」なんかも出店している。

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「母さん煮」うまうま。

・マコーミック病院隣りの「ราดหน้าข้างแมคคอร์มิค(読み方わからず)」は、最近見つけたお気に入り食堂。

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遅くまで混んでいるのはおいしい証拠。

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厨房も忙しそうだ。タイの食堂は厨房丸見えのところが多くて楽しい。

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見た目はひどいが癖になる味の「イェンタフォー」。この料理に関してはもうすこし深掘りして改めてここに書くつもりだ。

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ニガウリにひき肉詰めたものがゴロっと入ったスープもうまかった。

ということでまた溜まったら書きます。

3b. 韓国のタルトンネ訪問記 ~釜山・甘川文化村


3b. 韓国のタルトンネ訪問記 ~釜山・甘川文化村

 
tabinoteワタベです。
前号に引き続き、今回は昨年12月に訪れた釜山のタルトンネこと甘川文化村について書きます。

年末、とある別件で釜山を訪れていた私。今回も帰国当日ギリギリになってようやく時間がとれ、釜山の観光地になりつつあるという甘川文化村を訪れることにしました。

前号で触れた通り、韓国にはいくつか高台に細民街が残されており、タルトンネと呼ばれています。
6月に訪れたソウルの九龍村はその中でも極めつけの1つと言っていいでしょう。
いくつかのタルトンネはレトロな雰囲気やアーティストを呼んで壁画を描かせるなど観光地化しており、今回の甘川文化村はその中でも有名なものの1つ。2009年から町おこしとして街中をアートスペースにする試みが進んでおり、こんな感じでカラフルな家並みが斜面を覆っています。
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高台にびっしりと建物が集まる様は誰が呼んだか「釜山のマチュピチュ」…。

ちなみに、これは本物のマチュピチュ。
Early morning in wonderful Machu Picchu
(Wikipedia; Early morning in wonderful Machu Picchu; Photo By Pedro Szekely)

ちょっと盛り過ぎな気がします。「釜山のファベーラ」と呼んだ方がいいのでは…。
これは本場リオのファベーラ。
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(Wikipedia; Inside Rocinha favela, Rio de Janeiro, Brazil, 2010; Photo By chensiyuan)


さて、この日は昼から別の予定があり、午前中しか見学できません。
前回のソウルの経験をふまえると1時間あれば見て回れそう…と思っていたのが甘かった。甘川だけに。

ガイドブックを見るとよく出てくるのがマウルバスという小型バスでの行き方。私は今回Googleマップの指示に従い、チャガルチ駅から普通の市バスで向かいました。タクシーで向かう人も多いようです。
ここでバス情報などを書いてもいいのですが、どうせ現地の出発場所と出発時間によって最適ルートはバラバラ、しかもハングル表記なのでここで日本語情報を書いても役立ちません。韓国ではGoogleマップのナビ機能に頼るのがいいと思います。
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さて、バスを降りるととんでもない急坂。神戸や長崎でもあまり見ないようなエグい角度です。ショボイ原付だと登れないのでは…。
写真ではたいしたことないように思えますが、実際登るとほとんど壁です。
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この坂を登って向かいます。さすがは月のように高い街、タルトンネ。
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しばらく登ると看板があります。駐車場と出入りする観光バス、案内所。どうやら入り口に着いたようです。
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商店街のような通りがあり、カフェや見学スペース、ギャラリーなどが細い路地に向かって伸びています。
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ほとんどの観光客はおばさま方。日本語もそこかしこから聞こえてきます。


入り口付近でたむろって帰る人が多いようですが、私は一巡りしてみようと思いました。

猫が多いのは坂の街、港町の特徴。
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いきなり見晴らしがいい。急斜面にカラフルな家が並ぶガイドブックそのままの景色がひろがっています。
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とにかく家、家、家。
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急坂ばかりで息が切れてきます。
入り口から離れてきました。1時間ほどと見込んでいた見学予定時間ですが、とても戻れそうにありません。早足で進みます。
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入り口から30分も歩くと、ほとんど観光客に会わなくなります。
それでも、そこかしこにギャラリーなどが点在しています。
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カラフルさに目を奪われますが、1つ1つの建物は小さく、老朽化も進んでいます。
雨が降ったら水もそこかしこに溜まりそうです。インフラも電気は通じているようですが、水道、特に下水道はどうなんだろう。
坂のキツさとあいまって、やはり住みやすいとは言えないでしょう
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一周しようと思うととにかく広いです。
スタートが山の上だったので、途中からとんでもない下り坂。そして入り口に戻るにはまた坂を登らなければなりません。エッシャーの永久階段か!

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ラストは時間がなさ過ぎて小走り状態。
入り口の反対側、山側を見上げる角度はあまりガイドブックにないアングル。
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やっと一周しました。
ゴール地点の小学校。カラフルです。
こんな所に住んでたら足腰半端なく強い子供に育ちそうです。
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さて、甘川文化村の見学を終え、帰路に遭遇したこの看板。
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これは「峨嵋碑石文化村」という別の観光地で、なんと日本統治時代の墓石を石垣や階段などの基礎として利用しているという一角。
このゆるキャラっぽいのは墓石…。
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墓石を基礎建材として利用するのは別にいいと思うのですが、それが観光地化するというのはかなり謎な感覚です。
現在はあまり墓石が残っていないようですが、いくつか痕跡を見つけることができました。
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動画を撮ってみました。一帯はこんな感じの路地が続いています。

https://youtu.be/_zUX7oWZjv8

さて、もう本当に時間が無いので坂道をダッシュで下ります。
バスに乗り込んだ時は、12月にもかかわらずほんのり汗ばんでいました。
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以上、昨年6月のソウルと12月の釜山、2つのタルトンネを巡ってきました。
街歩きが好きな人ならきっと楽しめると思います。

3a. 恐怖!謎の白骨洞穴発見!!宮古島の密林に古代人の墓は実在した!!


3a. 恐怖!謎の白骨洞穴発見!!宮古島の密林に古代人の墓は実在した!!

Profile
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評論同人誌サークル「暗黒通信団」の雑文書き。
貧乏ノマド独身。英語は苦手。好きな地域は中東の砂漠。元コミケスタッフ。コテコテの理系。自称高等遊民。
詳しくは http://ankokudan.org/d/d.htm?member-j.html


数千年から続く墳墓には我々の想像を絶する多くの謎が隠されている。その謎を解くためには、厳しい自然と命がけで闘わねばならない。
呪われた古代人の墓とはいかなるモノなのか。
それは果たして存在するのか?
そこに隠された謎とは何か。
我々(実際は独りですが自称探検隊なので一人称は”我々”です。反論不可)は沖縄県宮古島を緊急取材。ついにその謎に包まれた遺跡の場所を明らかにしたのである。

(CM)

■今回の訪問先は「長墓(ながぱか)遺跡」という。Wikipediaの記載によれば遺跡の最下層は4200年前。その当時、海は目前に迫り、人々は海から吹き上げる風によって死者の霊魂が乗って天へ還ると考え、遺体をその遺跡に放置したという。すなわち、もはや日本ではほとんど見ることのできない「風葬」が行われていたというのだ。
我々は筑波大学先史学調査班(マーク・ハドソンら)にコンタクトを試みた。だがメールはSPAM扱いされたらしく、返事は得られなかった。その場所はかのWikipediaにも「沖縄県宮古島市島尻集落」とだけしか書かれず、具体的な場所がどこかまでは言及されていない。我々tabinote取材班(何度もいいますが独りです。反論不可)は、その謎を解こうと、東京からのべ2000kmを飛び、いままさに宮古島の奥地へと進んでいる。
宮古島には博物館がある。宮古島市総合博物館という。そこには確かに長墓遺跡の名はあるが、やはり詳細な場所は書かれていない。何か秘密にしなければいけない理由があるのだろうか。我々は古代人の怨念をそれとなく感じながら、島尻集落へと向かった。島の空港から北へ向かって徒歩2時間半。島尻集落は漁港のある小さな集落である。宮古島は台湾の台北より南に位置し、とても暖かい。

「道悪いです」
「臭すぎ」
「また牛糞だ…」
「島尻集落ってこの辺のはずだけどなぁ…」
探検隊(何度も書きますが隊員は1名)に疲労の色は隠せない。北へ抜ける道路から脇にそれて20分ほど、昼でも人影は全くない。過疎とはこのようなことをいうのか…

と、そのとき、運良く集落の人があらわれた。
「あ、すみませーん、ちょっといいですか」
「あン?」
「この辺に、長墓っていう遺跡があるって聞いたんですが」
「しらねえなぁ、今きた道戻って、300mくらいいったら横に入る農道がアっから、そこ進んでいったら家があるんで、そこで聞いてみて」
「は、はい、ありがとうございます」

とぼとぼと徒歩で戻る。脇道は農道である。邪悪な臭気漂う魔境は目前だ。
牛糞まみれの道を歩くこと十分。なるほど、牛飼いがいた。
「すみませーん!長墓っていう遺跡を探してるんですがー」
へんじがない。
「すみませーん!長墓っていう遺跡を探してるんですがー」
「アー?」
「この辺にあるっていう長墓遺跡!」
「アー、知らねェなあ。昔の墓なら、そこまっすぐ行ったとこだよ。俺は行ったことねェけど」
知らねェはずないでしょ。あなた地元でしょ!

そうしてまっすぐ行く。
小さな空き地に出た。駐車場のようなところで、よく見ると奥に小さな石碑が立っている。

空き地

空き地。目の前に広がる森の中に目指す遺跡がある。しかしどこから入ったらいいのか分からない

よく見ないと分からないくらいだ。入口らしきものは、ない。

石碑

石碑。道なんてないが、ここから入れと解釈するしかない。


「道なんてないですね」
「もう少し先ですかね」
「とりあえずもう少し歩いてみますか」
さらに五分歩くと、別の牛舎が現れた。

「すいませーん!」
シーン
「すいませーん!」
シーン
「誰かいませんかー!」
「ンー」
奥から露骨に怪訝そうな顔をした島人が出てきた。いかにも「おまえ、俺の土地でなにしてやがる?」という不審者をみる目つきだ。
「すみません、長墓っていう遺跡を探してるんですが…」
「ここじゃねぇよ、あっちだ」
といって今来た道を示された。すごく不快そうだ。本当かよ?
ともかくも、先ほどの空き地以外候補らしいところもないので、そうなのらしい。碑のあたりが怪しいが、すぐ裏は崖になっていて、道らしきものはなかった。

だがよく見ると地蔵の横にはかすかに崖に登る獣道らしきものがあった。
「…これ?」
「本気?これを登るの?」
案内看板など一切なく、RPGのごとく町の人に聞きまくらないと分からない場所。トレッキングとかしてるような人でないと気づかないような入口。

山中を強行突破。この写真はかなりひらけているところで撮ったが、実際はもっと密林。

山中を強行突破。この写真はかなりひらけているところで撮ったが、実際はもっと密林。


眼前には膝まで伸びた雑草と、生い茂るアロエのようなトゲトゲ植物。そして謎のインセクター。我々(略)は意を決して突入した。

わけいること五分。唐突に視界が開けた。

骸骨さん激写。野ざらしになっている。

骸骨さん激写。野ざらしになっている。


そこにあったのは眼前いっぱいに散乱する人骨の山であった。その数ゆうに五十体以上。発掘隊がわざとそのままにしたのかどうか、現状維持ぽくされている。解説も柵も一切なく、いきなり頭蓋骨が並ぶ様は文句なしの一級品である。ちなみにその場所はGPSトレーサによれば、北緯24.868825, 東経125.293218であった。Google Mapであれば、 https://www.google.com/maps/place/@24.868825,125.293218,18z/ である。

「隊長!やりましたね」
「ああ、遺跡は本当にあったんだ…!」

土地の人たちがかたくなに「自分は行ってないけど」と付け加える遺跡。本当は行ったことあるに違いない。だがそれはタブーなのだ。行っていないと言わなくてはいけないのだ。

崖の下に人骨が散乱する。

崖の下に人骨が散乱する。

我々は沈みゆく太陽に向かって、太古の人々の思いに馳せた。

■風葬という。琉球は中国とやり取りしてたが、それ以前の風習である。古代において、長墓遺跡は海岸沿いであった。海から吹く上昇気流によって死者の魂は天に昇ると考えられた。風葬とはそういう概念である。この地よりやや北に大神島という島があり、その北にある岩の群れにはも風葬が行われてきた島がある。現在、宮古島で知られる風葬はすべて北部に集中しており、現地人の話では大神島、狩俣、島尻の三カ所である。

3b. 韓国のタルトンネ訪問記 ~ソウル九龍村


3b. 韓国のタルトンネ訪問記 ~ソウル九龍村

tabinoteワタベです。
昨年の6月にtabinoteの4名でソウルに行った件はすでに過去の旅行記でお伝えしました。
その3日目、私は戦争博物館に行った後、「とある山に向かった」と書きましたが、その話をします。


ソウルの見どころ&珍スポといったキーワードで検索すると引っかかってきたのが、ソウル市街に点在するという細民街、いわゆるスラムです。
韓国では多くのスラムが山の斜面や高台にあることから、タルトンネ(タルは月、トンネは街で、月がよく見えるほど高い)と呼ばれているとのこと。
ひっかかってきた情報を総合すると、タルトンネは韓国で特段タブーではないようです。
よくドラマや映画の舞台にもなっているようですし、ノスタルジーをかき立てる風景なのかもしれません。日本で言うと泪橋のジョーとかじゃりン子チエみたいな感じかなと。
韓国も豊かになり、再開発などもあって数は減っているようですが、近年は「アート村」としてリノベーションし観光名所にしようという動きまであるようです。もちろんタルトンネにも住民はおり、治安が悪いわけでもないとのこと。
そういった観光地化されたタルトンネの場合、カフェなどもあって観光客が普通に訪れるそうです。


最も有名なのはこちらのソウル北部にある梨花洞(イファドン)。2006年から「梨花壁画村」という名前で、リノベーションが始まり、街を壁画や芸術作品が彩っています。

(トリップアドバイザー提供)

 「梨花洞「路上美術館」(街歩きプラン)」
 http://www.konest.com/contents/area_hot_report_detail.html?id=8521
 (記事:韓国旅行情報「コネスト」)

こちらも同じくソウル北西部、弘済洞にあるアリ村(ケミマウル)。
 「ケミマウル」
 http://www.seoulnavi.com/miru/2386/
 (記事:ソウルナビ 2014/07/03)

ソウルだけではありません。こちらは中部の清州市寿洞スドン。
「タルトンネも名所にしてしまう‘映画の力’」
 http://japan.hani.co.kr/arti/politics/11505.html
 (記事:ハンギョレ新聞 2012/05/15)


さてさて前置きが長くなりましたが、そんなソウルに今も残る数少ない昔ながらのタルトンネがあると聞いて行ってきました。
よくネットで目にするのは「ソウル最後のタルトンネ」と呼ばれる白砂村・ペクサマウル(中渓洞104番地)です。しかし、ここは中途半端に壁画などもあって観光地化の兆しがあり、あまり食指が進みませんでした。
もう1つは通称「九龍村」と呼ばれる集落。村の名前も通称でしょうか。江南地区の九龍駅が最寄りというこの集落。ネットにある写真を見ると全く観光地化されていない感じです。厳密には高台にあるわけではないっぽいのでタルトンネではないのか?
とにかく、今回はこちらに向かうことにしました。
何事も自分の目で見てみることが大事です。

tabinoteメンバーとタッカンマリを食った後、Googleマップを見ながら向かいます。
盆唐線の九龍駅で下車。平日なので構内ガラガラです。
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駅の周辺は普通の街という感じです。
南の方角に結構な時間歩き、幹線道の「良才大路」を越えます。6月のソウルは蒸し暑く、汗がにじみます。
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緑が深いエリアに入りました。この辺っぽいです。
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どんどん進みます。
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たまにザックを背負いトレッキングポールをもった登山者を見かけ…、え?
ここトレッキングルートなのかよ!
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集落自体は高台ではありません。一般的なタルトンネとは異なり、山裾にひろがっている感じです。
お店もあります。
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建物の素材はコンクリやトタンなど。家々はザ・バラックという見かけで、確かに全く観光地化されてません。
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江南の高層ビル群が見えます。
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全く街灯っぽいものがないので、夜は真っ暗じゃないでしょうか。
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韓国だけに教会は多いです。この日はスピーカー(拡声器?)で何か演説を流していました。
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路地に入ります。
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建物は一層スゴい感じになってきますが、不潔な感じは不思議とありません。ゴミが散乱しているような感じもなく、ほどよく生活の感じというか、手入れがなされている印象です。気温が高いのに異臭などもありません。
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恐らく幅1メートルもない、すごい路地です。
住民と目が合ったので、ド笑顔で乗り切りました。
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たまに、ブ厚いフェルト地のような布(?)で天井を葺いている家屋があります。これは雨とか大丈夫なんでしょうか。なかなかインパクトあります。
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一巡りしたので、そろそろ離れることにします。
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この時、早くも16時半。フライトは22時。
余裕を持って夕飯を食うため、急いで市街に戻りました。
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確かに建物のインパクトはすごかったですが、ネガティブな空気もあまりなく、クルマなんかもあったりして案外普通の村という感じでしょうか。
何事も自分の目で見てみることが大事です。

次回は、昨年12月に向かった釜山のタルトンネについて書きます。
(続く)


おまけ。今回取り上げたタルトンネの位置関係はこんな感じ。一番南が九龍村です。
104 Junggye dong Seoul South Korea から 九龍駅 Google マップ

3c. Peachのセールで3都市満喫の旅 ~台湾編~


3c. Peachのセールで3都市満喫の旅

tabinoteハマです。
前回、沖縄に行った後、台湾へ飛んだ小旅行記です。

台湾編

2日という日程でも沖縄を満喫したなぁと実感した3日目の朝。
私は8時台、連れは午後便で成田へ向かう為、寝ている人をそのままに沖縄をあとにした。

Peach機体

Peach機体まで歩く

桃園空港へ到着し、空港内でWi-fiを借りたらさっそく空港バスで台北駅へ。
頼まれていたICカードを見に行く(そういやこのお土産、まだ頼まれた友人に渡せてないのを今思い出した)

台湾のICカードはキャラクターVer.がある

台湾のICカードはキャラクターVer.がある

ICのチャージの仕方。日本語で表示されるので分かりやすい

ICのチャージの仕方。日本語で表示されるので分かりやすい

チャージ

ほんとにコレで入るのかと思うけど入るんすよ

さっそくICをつかってMRTに乗り、蘆洲線「中山國小」駅で下車。
まずはいつも通りコインロッカーから。駅直結の「統一飯店」に荷物をがっつりしまって身軽になる。

統一飯店で荷物を置く

毎度おなじみコインロッカー。統一飯店の地下1階だったかな

時間はちょうど昼。とはいえ平日だったので30分並ぶだけで済んだ。

鼎泰豊

鼎泰豊。30分くらい並ぶ

小籠包

小籠包頼みすぎた

小籠包からの~

台北101展望台

台北101展望台から市内を見下ろす。バカなので高いところに登るのが好き

四四南村入口

四四南村入口

四四南村はどこを撮っても絵になる

四四南村はどこを撮っても絵になる

中山エリアを堪能した後、荷物を出してホテルへ。
突然の豪雨と昼食べ過ぎた事により、夕飯はコンビニ飯で終了。

ホテルのフロント

めっちゃきれいにリノベーションされているホテルのフロント(部屋は超せまい)

台湾2日目

天気予報では全日程豪雨だったが、起きたら晴れ。
じゃあ台中行ったろーかな、と有名な台北駅の駅弁を買って新幹線乗り場へ。

台鐵便當本舖1號店

台鐵便當本舖1號店

新幹線の切符売場

新幹線の切符売場。カードでの買い方が分からなかったのが残念

朝からハイカロリーな弁当を食す。

台鐵便當本舖1號店の排骨弁当

台鐵便當本舖1號店の排骨弁当

ローカル線に乗り継ぎ、台中駅へ。

台中駅。ローカルでひなびた駅

台中駅。ローカルでひなびた駅

駅から徒歩3分のところに宮原眼科はあります。

宮原眼科外観

宮原眼科外観

あまりに欲しいものが多すぎて、2時間以上悩んで大量にお茶やマグカップをゲット。

宮原眼科。夢のようにきれいなお菓子・お茶屋さん

宮原眼科。夢のようにきれいなお菓子・お茶屋さん

土産を買いすぎたので一回駅に戻ってコインロッカーに入れる。

台中駅コインロッカー

台中駅コインロッカー。駅出て右手にあります

そしてメイン。わざわざ台中に来たのは「彩虹眷村」に行ってみたかったから。
行き方も、わかりにくいバスかタクシーしかないとの事で、筆談用のメモを用意して連れてってもらう。

彩虹眷村への行き方を、タクシーの人に筆談で伝えてみる

彩虹眷村の住所を、タクシーのおじいに見せる

多くは語るまい。動画でみてください。

彩虹眷村を作ったおじい

彩虹眷村を作ったおじい

写真で見る限りはまがまがしい雰囲気を想像していたが、
実際行ってみると牧歌的でピースフルでSNS映えする写真が撮れる、若者に大人気の観光地になっていた。
ともあれエネルギーを吸い取られ、ここで撮った自撮りはなかなかのグロッキー感があった。

行きたかった場所に来れ、充電が切れた。
駅前に戻ってうどんをすすり、また新幹線で台北に戻る。

ぐったりしていたが、まだ行きたいところがあった。
台北之家というカフェと雑貨が併設している映画館である。

映画館外観。建物がきれい

映画館外観。建物がきれい

本当はここの時光というカフェでおしゃんなひと時を過ごしたかったが、あいにく改装中であったので、雑貨屋を楽しむ。

台北の妖怪。お土産で買いました

台北の妖怪。お土産で買いました

疲れ切って適当な食堂でるーろーはんと青菜の炒めを食べながら、明日泊まる場所をagodaで予約し1日が終了した。

ビールのあて

ビールのあて

台湾3日目

今日は温泉巡りと決めていた。行く先にロッカーがあるか不安だったので、一旦台北駅で荷物を預ける。

台北駅のコインロッカー。大きいところだとこれくらいの規模である

台北駅のコインロッカー。大きいところだとこれくらいの規模である

身軽になったところで朝食を。麺線だけ食べに西門まで行く。

阿宗麺線外観

阿宗麺線外観

淡水信義線に乗り換え、新北投駅まで約40分くらい。MRTの発達のおかげで電車が本当にわかりやすい。

新北投駅

新北投駅

まずは、100年以上の歴史を持つ老舗温泉、瀧乃湯。
先客のおばさまの熱血指導(身体の洗い方や入り方、熱すぎる湯への対応を身振り手振りで伝えてくる)にへきえきしつつ、小一時間堪能。

100年以上の歴史を持つ老舗温泉、瀧乃湯

歴史的な建物と施設は一度体験をおすすめしたい

ビールを飲みながらプラプラと近場の観光地、地熱谷をめぐる。
地熱谷は通称地獄谷ともいわれ、転落したら完璧に溶けてなくなるのだろうな、という恐ろしさと凶悪な臭いに満ちていた。

地熱谷。硫黄の臭いがたちこめる

地熱谷。硫黄の臭いがたちこめる

地熱谷は通称地獄谷ともいわれる

地熱谷は通称地獄谷ともいわれる

温泉2軒目は混浴温泉だ。このために数十年選手のスク水を持ってきていた私だ。
平日昼間なのにじじばばでごったがえすのは、日本のスーパー銭湯と同様である。

千禧湯の外観

千禧湯の外観

北投温泉親水公園露天風呂。男女混浴である

北投温泉親水公園露天風呂。男女混浴である

アイスおいしかった(その後腹こわした)

アイスおいしかった(その後腹こわした)

そして淡水信義線の最終地点、淡水まで行く。観光地だなあ。(淡水駅にロッカーがあって舌打ちした)

淡水の猟奇博物館

淡水の猟奇博物館

淡水の通り。アメ横みたい

淡水の通りはアメ横のよう。なぜかここに存在したビルケンでサンダルを買う、現地らしい土産を探さない人。

淡水の運河

淡水の運河

運河の夕暮れ。超きれい

運河の夕暮れ。超きれい

夕暮れを数時間ぼんやりみながら、屋台で買った胡椒餅(激ウマ)とビールを飲んでいたらとっぷりと暮れてしまった。
面倒だが一旦台北駅に戻って荷物を取り出し、またしても新北投駅まで戻って、昨夜予約したホテル水美温泉会館へ。
agodaで直前で予約したこともあり、部屋がめっちゃ広く、温泉・スパ付でかなり安かった記憶。すごく満足したのでまたここに泊まりたいくらいである。

水美温泉会館

水美温泉会館

台湾4日目

さて早くも最終日だ。
台北駅に戻ってロッカーに荷物を入れ、準備万端である。
転職先についての祈願をしに、まずは行天宮に足をのばし・・

行天宮。商売の神

行天宮。商売の神

行天宮でくれたおまもり

行天宮でくれたおまもり。財布に入れてます

東門で何か変わったもの食べようかなと、適当にメニューから選んだものはまったく食べたいものと違い・・

台湾めし。何か魚の頭が甘辛く煮込まれていて意気消沈

台湾めし。何か魚の頭が煮込まれていた

口直しにマンゴーアイスをほおばり・・

8%ice冰淇淋專門店

8%ice冰淇淋專門店

激ウマなネギもちを買うも、胃のキャパを超えていた為、次は昼前に食べようと誓う。

台湾めし。だおぴんとか言ったかな・・ネギもちです

台湾めし。だおぴんとか言ったかな・・ネギもちです

むちゃくちゃうまい

むちゃくちゃうまい

腹ごなしに西門付近を駆け足で観光。

西門

西門

と、まあ、またしても買い物だらけで終了。
そして転職先では・・まあまあうまくやっているので、行天宮へお礼参りにそのうちまた行こうと思う。

収穫の数々

収穫の数々

3a. 蘇州号に乗ってみた その2


3a. 蘇州号に乗ってみた その2

Profile
darklogosmall

評論同人誌サークル「暗黒通信団」の雑文書き。
貧乏ノマド独身。英語は苦手。好きな地域は中東の砂漠。元コミケスタッフ。コテコテの理系。自称高等遊民。
詳しくは http://ankokudan.org/d/d.htm?member-j.html

 
前回はこちら


あけて2日目は10時まで爆睡。洋上で快眠なんて初めてだ。そろそろ傷みかけてきて糸を引いてる「スーパー玉出」の148円ドライカレー(原材料に「レタス、調味料、pH調整剤」としか書かれていない。これでドライカレーを錬成できるとは、大阪の錬金術師は凄いな)を食べつつ本稿を書く。二等船室では中国人夫妻がしょっちゅう「クチャクチャ」と音を立てながら謎の漬物を食べているので、同室のスイス人が音に耐えられず、すぐにどこかへ逃げ出してしまう。これが世界第二位の経済大国だ。おかげで同室6人のあいだでは会話すらない。
ドライカレーがライスなしで作られている現実
ドライカレーがライスなしで作られている現実

外は五島列島。行程の1/3を半日で着てしまったのならちょっと早すぎるのではないかと思うのだが、まもなく謎が解けた。この船、時々停船するのである。相変わらず案内は一切ない。JRだって駅以外で停まったら何かアナウンスするだろうに。

中国人だか日本人だか分からない少年2人組が跳ねまわっていて未使用毛布の束を突き崩していたりした。後で互いに「お前どこ住んでるの?」とか言っていたあたり初対面だったらしい。「大阪おもろいな、また来たいな」「梅田とか泊まってみたいな」と日本語で言っていたので、これから帰るところなのらしい。典型的な国際結婚の申し子だが、何か複雑な家庭なのかもしれないとも思う。

エアコンが効いた前方ラウンジ(利用者自分だけ)で、流れる海を眺めなら、仕事の文書やらコミケのコピー誌やらボランティアの雑誌記事やら、諸々の原稿を書きながら時を過ごす。ネットなどつながらない至福の週末である。なんだか貴族になったかのような気分だ。
まぁラウンジは悪くない…誰も使ってないけど
といっても夜になると係員がやってきてラウンジのカーテンが閉められてしまった。
夕食
スーパー玉出のハムだのベーコンだのペヤングだのがあるので、夕食もそれで済ませてしまい、一等民専用の展望風呂を不法占拠して下着を洗う。気分上々で階段を下りると、あまりに客が来ないバーではスタッフ自身が中国語で歌っていた。なかなか上手い。毎航海でこんなことをしていれば上手くもなろう。

ソファーを見ると、セルビア人たち欧州系乗客がたまって何やらダベっていた。バックパッカー的にはこういうのには参加しなければいけない。メンツはセルビア人(前述。45歳と判明)、スイス人(中央アジアや東南アジアを巡ってる26歳パッカー)、イングランド人(いつもニコニコ典型的英国紳士。日本に8年いて翻訳業。67歳)、上海の大学生女子(英語堪能。専攻不明。成都出身)、日本人かと思っていたら中国人だった山東省の大学教員(英語苦手。日本語OK。経営学)である。こんな瑣末をここで書いても仕方ないが、まぁ混載感が出てると思う。欧米系はおそらくロシア人家族3人を除けば、これで全員だ。小規模即売会なみに全員を把握できるムラ社会というのもどうかとは思う。
セルビア人さん
セルビア人さん

話題も多岐にわたり、「日本人の顔年齢はわからんよね」(セルビア人)とか「俺の妹が9月に結婚するから各国語でお祝いメッセ録画頼む」(スイス人)とか、「スコットランドのお金がイングランドで使えなくてマジ困りました」(自分)とかである。聞けばイングランド銀行以外にスコットランドにも独自の通貨発行機関があって、法律上はイングランドでもそれを受け取らないといけないのだが、イングランド人は誰もそれを知らないので受け取らないのだそうである。「スコットランドとイングランドの間にはむかし、万里の長城みたいな壁が作られたんだよ」と言うほどに、彼らの独立機運は根深いらしい。スイス人に「イギリスはあの状況だが、日本はいっぱい島があって独立運動は起きないのか?」と聞かれて「沖縄と群馬以外は大丈夫ですよ」というと、ガチで理由を問われて、やたら混乱した話になった。英語で説明しにくいネタを仕掛けるもんじゃない。

山東省の中国人先生様は実に鼻の高いお方で、フフンと笑って欧米人の英会話をいちいち日本語に要約してくれるのだが、流石にそれくらいは分かるからいいよ……とは言わずに、わざとオーバーに嬉しがって煽るのは日本人の悪い癖かもしれない。英国紳士はウィンク。この人分かってる。

通常こうした旅の会話で政治の話は出さないものだが、その先生様は実にデリカシーない方で、セルビア人に「あんたはセルビアのほうがいいと思ってるのか、ユーゴスラビアが良かったと思ってるのか」とかズケズケ聞く。意見を聞かれたら誤魔化さず答えるのが欧米人であり「俺はセルビアのほうがいいよ」から始まって、旧ユーゴスラビアのなかなか激しい歴史を聞く羽目になった。「ヨーロッパの火薬庫」とか「あのへんはどうせみんなスラブ人だろ」くらいの認識しかなかったところだが、彼的にはセルビア人というのは人種ではなくてヒトラーが進攻して来たときに「ナチスに抵抗した」というところにアイデンティティがあるものらしい。チトーが社会主義国としてユーゴスラビアを作ったとき、セルビアの領土は再分割されてしまった。それでもクロアチアなどが独立してユーゴが解体されたとき、セルビア人は賛成だったという。そののちミロシェビッチがチトー時代に分割されてしまったセルビア領土を取り戻そうとして侵攻し、米国様の怒りに触れてNATOに空爆されることとなった…と、そんなところか。実は英語ダメなので詳細は理解できない(だから質問がピントずれてる)けど興味津々の山東先生様、英語はいいけど明らかに生存時代が違いすぎてついていけない平成生まれ大学生女子、そもそも世界史とボードゲームを勉強したことがないので地名と人名がキツい無教養の日本人(自分)、西欧(NATO)の行動を面と向かって否定されて苦々しげのスイス人。……そしてすべてを聞きつつ終始笑顔の英国紳士。イギリス人まじ怖い。

そんなこんなで0時過ぎ。議論の尽きない彼らを尻目に自分は寝ることにした。眠いし。

あけて朝8時に起きてびっくり。海が茶色いのだ。子連れの中国人女性3人組が日本語で「もうすぐだね」と子供に言っている。工業廃液ではなくて揚子江だかの河口だかららしい。ボロい船が行き交い、遠くには原発らしきものも見える。大量に船の行き交う揚子江の支流を上っていくので、進行は非常にゆっくりだ。朝シャワーをあびて13時半。下船タイムとなった。ぞろぞろとタラップを降りるとボーディングカードなるプラスチックを渡され、バスで入管へ。32人しかいないせいで、入国はすぐに終わった。11人だったらSFになったのに。路上でワンダーしているセルビア人を見つけ、一緒になんとなく地下鉄駅まで歩き、お別れ。あとはそのまま宿を目指す。

イケイケ上海のビル群
以上、短いながらも蘇州号乗船記であった。爆買団が去ったあと、どう考えてもこのままでは廃止になるしかない蘇州号を応援すべく書いてみた。穴場感がすごくてオススメである。サラリーマンでも金曜だけ休みを取れば日曜の夕方に上海から飛行機で戻る素敵な週末を楽しめるだろう。

3b. ベルリンの屋根付きマーケット


3b. ベルリンの屋根付きマーケット

 
tabinoteワタベです。
旅先での市場巡りが楽しみという方も多いのではないでしょうか。
今回は2016年2月に訪れたベルリンの屋根付き市場・マルクトハレをご紹介します。
もともとベルリンには14の公設市場があったそうですが、2度の大戦によって大きな被害を被りました。戦後になって再建され、近年ではリノベーションのお陰もあって人気スポットとなっています。

マレクトハレ・ノイン(Markthalle IX)

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1891年開設という由緒ある市場で、9番目であることから”ノイン”と名づけられました。2011年に古い建物をリノベーションするかたちで再オープン。以来あらゆるガイドブックで取り上げられるようになり、たちまち人気観光地の仲間入りをしました。

倉庫のように天井の高いかつての屋内市場の中には、ハム、チーズ、パンなどの食材や調理雑貨からお総菜までさまざまな店が入っています。
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日本人旅行者からすると意識高め感があちこちにただようベルリンにおいても、この市場の高次元意識はかなりのもので、ほとんど宇宙人クラス。店舗もパッケージも売り子もまことにスタイリッシュであります。
ハンドメイド、地産地消、ファームトゥテーブル、ノンGMO(遺伝子組み換えなし)、オーガニック(ビオ)、グルテンフリー、エコロジー…、この辺のめくるめくキラキラワードにあふれかえっています。
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日本食の屋台でつまみを買い、クラフトビールでも飲んでいるとつい詩でも吟じたくなるような気分に…。
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と思ったら結構ダサいスーパーが奥にあったりして、ほっこりします。

周囲はトルコ系住民の多いクロイツベルグエリア。周囲には面白い店も沢山ならんでいます。

営業時間は10時~18時頃(カフェはもうちょっと閉店が早い)。木曜の夕方は「ストリートフードデイ」となり、多くの屋台が並びます。
https://markthalleneun.de/

マールハイネッケ・マルクトハレ(Marheineke Markthalle)

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マールハイネッケ・マルクトハレは2007年にオープン。
肉、シーフード、チーズ、デリなどなどが整然とならび、高級スーパーかデパ地下かといった感じ。
マレクトハレ・ノインよりもオシャレ度は若干低い感じですが、食材のバリエーションや華やかさ、そしてハイソ度はこちらが上かなというグレード感。
まあ、安くはないです。宿の近くにあった安スーパーの相場感からすると2倍・3倍、それどころか…というレベル。
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レストランや飲み屋も沢山あります。混みあっていて入りませんでしたが…。

2階には菜食主義者御用達のヴィーガンスーパーがあります。
この店の品揃えがすごい。シリアル、飲料、お菓子なんかは当たり前として、ウインナー、七面鳥の丸焼き、そしてペットフードまで、動物性原料を使わず脅威の再現!好きだからヴィーガンを続けているのかなと思ったのですが、結構ガマンしてる人もいるんですね…。
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サンドイッチなんかのテイクアウト屋もありました。

営業時間は9時~20時。わりと遅くまで開いているので便利です。

http://meine-markthalle.de/en/

以上、ベルリンの屋根付き市場をご紹介しました。
次回は青空市や蚤の市などもハシゴしてみたいと思います。それでは。

3c. Peachのセールで3都市満喫の旅 ~沖縄編~


3c. Peachのセールで3都市満喫の旅

tabinoteハマです。
今回は、沖縄をハブにして(沖縄だけに)台湾へ飛んだ小旅行記です。

沖縄編

6年超勤めた会社を辞める事が決まり、次の会社へ転職する合間が1週間空く事が分かった5月末。
ちょうどPeachのセールが始まったのでぼんやり見ていて、どうせなら南国経由南国ってのもアリかな・・と気づき、
沖縄経由台北行き、余力があれば台中も、というスケジュールを立てる気になった。

沖縄まではほぼ旦那(以下、連れ)と行き、台湾はせっかくなので一人旅にする事にした。

そして当日。成田まではいつも通り発車オ〜ライネットで東京シャトルを予約し、すみやかに向かう。

Peach機体

心象風景を表したかのような青空に映えるPeach機体

LCCあるあるだが、無駄に空港内移動が多く、やたらに疲れた移動日であった。
ちなみに安宿を事前にagodaで取ったのだが、風呂場が真っ赤で完全に元ラブホであった(が、何事もなく1日が終了)。

オリオンビール

命水(いのちみず)

そして2日目。
天気がよければ離島に行ってみるつもりで、フェリー乗り場(とまりん)の近くにホテルを取っていたが、
前日まで豪雨だった為、早めに乗り場に行ってみた。
幸い運行状況は良好であった。

離島航路船舶運航状況

フェリー運航状況

連れ共々船酔いしやすい体質の為、離島でも出来るだけ近いところを選びたい・・そんな訳で小1時間で着く渡嘉敷島へのフェリーを選ぶ事に。

渡嘉敷島へのフェリー

渡嘉敷島へのフェリー

沖縄が初めての我々。多くを語る必要もない程天国を大満喫。
今まで割にバカにしてやってこなかったマリンアクティビティであるバナナボートまでヒャッホウ乗りこなしてただひたすらにアホになる楽しさを味わう。
むちゃくちゃ海が澄んでいるように見えたけど、前日までの豪雨で濁りまくっていたそうで。
次は離島泊まりたいなぁ。

天国

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遊んだ後のソーキそば(と命水が)沁みる。

ソーキそば

ソーキそばと命水

必死に吐き気を我慢しながらのフェリー帰路。気づいたら那覇までガン寝していた。
観光地だしな、と繰り出してみる国際通りであるが、この旅行後に見た「怒り」という映画でこの先の道ですずちゃんが・・・と思って今はいろいろと複雑な思いに。

夕方から夜にかけて賑わいだす

夕方から夜にかけて賑わいだす国際通り

なんという事もない居酒屋で食べたサラダすら激うますぎてしろめ・・そりゃ中年が移住とか言出すのわかるわ・・

地産地消

地産地消

という事でざっくりですが、次号、台湾編に続きます。

3a. 御柱祭のついでに長野の私鉄に乗ってきた ~5日目「御柱祭>長野電鉄」~


3a. 御柱祭のついでに長野の私鉄に乗ってきた ~5日目「御柱祭>長野電鉄」~

好評、ハードコア音鉄(おとてつ)車内走行音派の黒田基介氏による、長野県私鉄走行音録音紀行レポートもいよいよ最終回。最後までハードなスケジュールで読んでるこちらまで下腹部が痛くなってきます……。
(注:本事例は2016年4月時点の予約可能なプランおよび費用にもとづいています。また、一部図版がサイズの関係で判読しづらい場合があります。後日PC用サイトにアップされるバックナンバーには原寸の図版を掲載する予定です。メルマガ版では雰囲気だけでもお楽しみください)

Profile
黒田基介

黒田基介

黒田基介(くろだ・もとすけ)
1975年東京都世田谷区生まれ。音鉄車内走行音派。



2016/04/10



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本日の予定

6:29 長野
朝はちゃんと起きれた。夜の間部屋が乾燥していて喉が痛いが、尿意が怖いのでスポーツ飲料をひとくちだけ飲む。

6:42 長野>上田
駅に着くと予定の列車より一本前に乗れるようなのでそれで行く。乗り換えタイトであきらめていた上田駅の撮影と松本までの切符の購入時間ができた。トイレに行き、一休み。

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(画像:黒田;JR上田駅)

7:55 長野電鉄6000系
車内で一本詰めた旅程の訂正と、松本での予定もついでに一本早める。鼻水収まらないものか。気温が上がってきて、松本電鉄やるあたりのエアコンが心配になってくる。
上田電鉄6000系は東急1000系中間車からの改造らしいが、形が全くテンション上がらないなあ・・・。直江津行った方がよかったかも。多少後悔。

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(画像:黒田;上田電鉄上田駅)

8:55 上田電鉄終了

乗り換え3分なので急いでしなの電鉄へ。先に切符を買っておいてよかった。おやつのチョコを食べようとしたら溶けてた。

9:43 篠ノ井>松本

高校生二人のおしゃべりがノンストップ一時間・・・。耳栓をくれ・・・。

10:56 松本
松本電鉄の一日乗車券を買おうと窓口を探す。駅の中には窓口が見当たらない。結局売っているのは駅外の道路を渡ったバスターミナルだった。乗り換え時間タイトだったら相当やばかった。割と涼しくなってきた。エアコンの心配はなくなったかな。
長野でも思ったんだが駅ビルMI DO RIのカリングのバランスが気持ち悪い。

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(画像:黒田;JR松本駅)

11:28 松本電鉄3000系
しまったー。入線してきた方へ戻って行くと思ったらそのまま出て行く!クハに乗ってしまった・・・。事前調査で新島々側がモハだとわかっていたんだが、てっきり新島々から戻ってきた列車だと思ってしまった。乗り込んで、点検ハッチが無くてもモハなのかークハだけどハッチがあるのかー、などと呑気に考えてた。二往復の予定でうまくいったら一往復でいいやと思ってたけど、二往復せねばならんじゃないか。気温との勝負だ。
録音中なので撮影できないが、このあたりも屋根の枚数多いやつが偉い文化だ。いずれ集めたい。
録音レベル低いかも次回はlo4binでやる。
鼻水ダバダバ。上の方を向いてしのぐ。

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(画像:黒田;松本電鉄松本駅)

12:36 長野
爆睡しててリクルートスーツの女の子に起こされた。優しい。

12:44 松本電鉄3000系 二回目
さっきは爆睡してイビキ入れてしまったと思うので気合いで起きてた。
新島々に近づくと車内には僕ともう一人の鉄だけ。見た目乗り鉄だったので安心する。乗り鉄はおとなしい人が多い。

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(画像:黒田;松本電鉄松本駅)

13:14 新島々
松本電鉄3000系は京王3000系の譲渡車だが、長野周辺の地方私鉄はラッピングされているものが多く、しかもなぜか萌え系のキャラクターばかりだ。せっかくの京王3000系の素敵コルゲートが台無しじゃないか…

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(画像:黒田;松本電鉄新島々駅)

13:26 松本電鉄最後
気合で起きてます。

13:55 松本
帰りの「はまかいじ」まで一時間半の乗り換えで昼飯とお土産買うのハードル高いので駅の蕎麦屋に入る。松本唐揚げセンターも気になったが並んでいて断念・・・。松本名物イカの唐揚げって!海ない県。

14:25 松本
蕎麦こない。お土産買う時間なくなってしまうのでやきもきする。やっときた蕎麦は、長野で食べてよかった。美味しい蕎麦だ。駅の下の蕎麦屋に入ったが正解。滞在中にもっと蕎麦食べればよかった。

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(画像:黒田;JR松本駅榑木野駅舎店)

15:02 松本
「はまかいじ」まであと20分。駅でお土産を買う。事前に調査して面白そうだった長野土産、いなローメンを買おうとしたら、「それは南信、南の長野のお土産です。ここは北信、北ですよ」と丁寧にジェスチャー付きで教えてもらった。わさびチョコを買った。お土産のビニール袋を持って、荷物三つ目どれかを忘れそう。そして、ビニール袋だ。ガサガサいわないか心配だ。たまには駅弁でも食べようかと思ったが、さっきの蕎麦でおなかいっぱいになっていたのでやめる。どうせ食べるにしても席では食べられず立ち食いだ。

15:21 はまかいじ
はまかいじガラガラではないか!特急で指定席を取ると、実は自由席の方が空いていたというのはよくある。確実に窓際とりたい旅以外は自由席でいいな。はまかいじの窓下は広々してるので楽に録音機置けた。国鉄車両は設備がノンビリ旅仕様で良い。

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(画像:黒田;JR松本駅)

16:59 はまかいじ
どんどん人が乗ってきて録音は完全に旅情編。観光旅行向けの列車なのか、買ってきた酒を飲んで大騒ぎだ。手を叩くのとビニール袋をいつまでもガサガサやるのだけはやめて頂きたい。

17:55 八王子
着いた途端に花粉が・・・。花粉症装備を全く持っていないのでマスクもティッシュもない。鼻水は、流れるままに。隣に座っていたお姉さんが橋本で降りたので助かった。それよりも山歩き帰りのじーさんばーさんがうるさすぎて旅情編というにもつらい状況。京王線で帰りたい。とにかく横浜ついたら真っ先にマスクとティッシュを買うぞ。後ろはうるさいし、花粉はひどいし、そもそも疲れてるし、全く楽しめない。スルメ臭い。

18:41 横浜
上機嫌な山好きのおっさんおばさんとのトークと、とめどない鼻水とともにフィニッシュであります。終わったがここから渋谷区まで帰らなければならない。ティッシュは買った。

18:46 横浜
横浜から湘南新宿ラインへ。ホームで編成の長さにビビる。そして東京の駅は喫煙できない。とにかくコーヒーとタバコで一息つきたい。新宿南口にさえたどりつければ・・・。新宿に向かいつつ、南口のドトールがもし全面禁煙になってたらどうしよう、と気が気でない。そもそも都心の巨大な駅のコンコースでタバコを吸えるのが不自然だ。

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(画像:黒田;JR横浜駅)

19:45 新宿
南口のドトールで一息ついた。帰ろう。

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(画像:黒田;ドトールコーヒーショップ 新宿駅構内ルミネ店)

20:24 帰宅
時間あるし根岸線をなんて考えてたこともありました。なんとか終えた。つかれた。シャワーを浴びて、きれいに掃除された部屋で就寝。

本日の録音成果
https://www.youtube.com/playlist?list=PL8nC7KdUeuaIr3QDlLHhHzZENg3Vi-CGG

3b. 蘇州号に乗ってみた その1


3b. 蘇州号に乗ってみた その1

Profile
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評論同人誌サークル「暗黒通信団」の雑文書き。
貧乏ノマド独身。英語は苦手。好きな地域は中東の砂漠。元コミケスタッフ。コテコテの理系。自称高等遊民。
詳しくは http://ankokudan.org/d/d.htm?member-j.html

 
夏コミの2週間前。原稿あけ放心状態のまま大阪出張。色々と心労が重なり、ふらっと旅をしたくなった。外国に行きたいけどISが怖いから(大好きな)イスラム圏に近づけない。そもそも急すぎる。関空発色々の値段を見て卒倒した。無理、絶対無理。そこで某氏の一言を思い出す。「船は、いいぞ」と。調べてみると実にベストなものがあった。金曜発日曜着の「蘇州号」である。大阪から上海を50時間で結び、お値段は二等室Bで22000円。値段は上海行き飛行機の最安より少し高いくらいなのだが、カードの利用枠が残っていたので(=また借金が増えるのだけど)ネタも兼ねて乗ってみることにした。
船

天気晴朗なる梅雨明け後の金曜朝。大阪市営地下鉄中央線の終点「コスモスクエア」で降りた。本当は暗黒通信団の本を多数扱ってくれている大阪市立中央図書館にも見学に行きたかったのだが、遅れるとまずそうなので10時には駅についた。両手には「スーパー玉出」(大阪名物激安スーパー)で買った激安品をフル装備している。エスカレータで地上に出ると、いかにもな中国人風家族と欧米人がバスを待っていた。フェリーがでるときだけ運行される無料バスである。このバスで5分ほど揺られると「国際フェリーターミナル」につく。ターミナルでお金を払ってチケットを入手すると、待合でまてと言われた。出国審査は10時半から。国際フェリーターミナルは実にガラガラで、コンビニもATMもない。苫小牧行きのフェリーが出る大洗(ガルパンで有名ですね)港のほうが遥かに規模がでかい。まったく市内で物資を買っておかねば初戦完敗なのであった。なお搭乗締め切りは11時という説と11時半という説があって、公式ページの記述の中でさえ矛盾している。そのあたりは中国である。
ちょっとありえない合成写真

乗船というか、出国審査の段階で「あまりに少ない客」に驚いた。待合に並んでいるのはせいぜい10人。50時間耐久の380人乗りフェリーにしては少なすぎる。だいたい飛行機だったら中国行きなど限界ギリギリまで紙おむつと家電製品(笑)を詰め込もうとして頑張るものだろう。ならば船などそれはもう、太平洋戦争の引き揚げ船かインド北部の列車みたいな状況になっていなければいけない。なのになんだこの閑散感は。

出国審査は確かに10時半に始まったが、女性審査官が一人でさばいて10分ほどで終わってしまった。出国審査を抜ければ、土産屋も何もなく乗船口へ直結である。このレベルの簡素さはイエメンの空港を思い出す(サウジアラビアの空爆で今は使えなくなった)。なお出国スタンプ自体は成田と変わらないもので価値はない。EUみたいに乗り物によってスタンプを分ければプレミア感も出ようものに。

中国人に言わせると上海フェリー(株)の本社は上海にあって、大阪には事務所があるだけだというが、ホームページには「大阪本社」と書いてある。どちらの国の船かを問うのはナンセンスである。船の中では日本円が公式通貨でレストランも円払いであるが、船員といえば、ほとんどが日本語を解しない大陸民で、船内の公用語は中国語と英語である。船内案内も、中国語→日本語→英語という、乗客数の順になっている。船内を駆けまわってる少年たちは基本的に日本語で話しているのだが、中国語も理解するらしく「発音変だね」「普通の中国語だろ」とか軽やかに言ってる。天然バイリンガルという感じだ。ちなみに英語も解するらしい。
中国語ではこう発音

乗船してもまったくガラガラであるので、「今日の客は何人乗っているんですか」と日本語で聞けば、女性クルーは「は?」という感じで「シェシェ」(ありがとう)とか言われてしまった。自分の理解できる中国語なんて「シェシェ」と「ニーハオ」と「メイヨー」くらいなんだよ。とりあえず英語で絞り出すと、乗客数なんと32人。一等船室も全部合わせてそれである。脱北船並だ。最大316人乗りというから1割しか乗っていない。穴場といえば穴場だが、どう見ても赤字。燃料代も出ないのではないか。
がらんとした二等船室。これなら二等でも快適
がらんとした二等船室。これなら二等でも快適

22000円(運賃20000円+サーチャージ2000円)というのは男性用二等船室(雑魚寝)の運賃であり、当然一番混んでいるだろうところである。実際、雑魚寝部屋で良い位置を取りたいがために30分前に並んだのだ。ところがこの広大な二等船室に乗客はわずか6人。セルビア人と日本人(自分)とスイス人が各1人、中国人3人である。電源が2箇所にあり、とりあえず速攻でその一つを押さえた。どんな場所でもまず確保するのは電源。そうすればパソコンで作業ができて、50時間でもへっちゃらだ。しかし勝利感は全く無い。中国人らは実に彼らのメンタル全開で、廊下の電源にスマホをつないで優雅に充電している。32人じゃ、乗ってる全員よりもコンセントのほうが多いだろう。

本来この船の出港は12時なのだが、11時半過ぎには出発していた。案内は一切なく、汽笛を鳴らしたのかどうかすらわからない。まるでヨーロッパあたりの鉄道である。航路は大阪港から瀬戸内海を抜けて関門海峡をぬけて外洋に出る。瀬戸内海には瀬戸大橋というものが3本かかっていて、その下を抜けるのが1日目のハイライトである。なお2日目は海しかないのでハイライトはない。第一の瀬戸大橋は明石海峡大橋であり、これが公式案内ページでは13時通過予定。といっても30分前に出港したのでは30分前に通過するかもしれないから気が抜けない。7月末の暑い中、スプリンクラーが水を撒いている(そのせいで滑って仕方ない)甲板で張っていると、二等船室のセルビア人がやってきた。彼はもちろん英語しかしゃべらない。適当に話し相手をしているとなかなかハードな旅をしているらしく、ベオグラード(セルビア首都)からモスクワに入り、シベリア鉄道でウラジオストックに行って、船でソウル、釜山から船で福岡、駅寝と車中泊を繰り返して広島、京都、東京を観光し、いま大阪から上海に向かっているとのこと。「無職なう」らしい。「お前のサラリーはいくらだ? 俺は月5万円だった」とか謎の貧乏自慢が始まったので、日本人ワーカーの過労死寸前の働きっぷりをガシガシと教え込んだ。まぁ出張のあと、ふらっと外国に行ってしまう脱北者じみたやつの説得力はなかったかもしれないが。

そうこうしているうちに巨大な橋が見えてきた。そしてなぜかこのとき、一眼カメラが壊れた。ピントが合わないのだ。このソニー製はタイマー内臓であるから実にいいタイミングで壊れるのである。動画は諦め、念のため持ってきた二台目のカメラ(リコーのGR-IV)でとりあえず写真を撮りつつ、通過時刻はぴったり13時(誤差30秒)。キャプテンはなかなかいい腕しているらしい。なお、出発時同様、ハイライト通過の船内案内は一切ない。
瀬戸大橋をくぐり抜ける10秒前

船内設備を紹介しよう。公式ページの案内が貧弱すぎるのでネットで旅行記をあさるのが正しいのだが、基本的に船は最上級とはいえないものの、ネットで言われているほどボロくもないと思う。まず電源だが、ネット情報だと一等船室のものは使えないようだったが二等大部屋の電源2箇所は生きていた。掃除をするときに使うのだろう。この電源は夜10時から翌朝8時までは消灯とともに使えなくなる。充電は10時までにしておくことが必須である。シャワールーム(2階、24時間)と展望風呂(4階)があって、展望風呂は一等船室(4階)の人しか使えないことになっている。しかし実際には誰も監視などしていない(監視カメラが2台あるが、よく見るとUSBケーブルが抜けていてなんの意味もない)ので入り放題である。お湯も綺麗だ。展望風呂にはシャワー室にはないボディシャンプーもある。ちなみに公式ページには24時間入れると書いてあるが、実際には夜10時までしか入れない。デッキの構造上、階段がインフォメーション付近にしかないため、4階の展望風呂で優雅に過ごしてそのまま2階の二等船室に降りると、髪を濡らしてインフォメーションの前を通過することになって「お前、二等民のくせに展望風呂に入っただろう」と拿捕される可能性がある。乗客は32人しかいないのだから、よほどでないと全員顔を覚えられていると思っていい。そういうわけで、展望風呂のあとは甲板に出て海風にあたり、独りタイタニックを演じる。実際これがかなり至福である。髪をある程度乾かしてから2階に下りるとインフォメーションの監視網も難なく通過だ。廊下には二等民がシャワールームで洗濯したと思われる衣類が電線カラスのごとく並んで干してあり、さすが中国というか、中にはブラジャーまで揺れている。
無造作に干されているアレ
全く萌えない。
なお、トイレのほうは洋式で紙もあって特筆すべきことはない。中華大陸の奥地にあるという男女混載青空便所を期待する人は、蘇州号ではなくウィグル方面を目指そう。

インフォメーション前には無料の100円ロッカー(ただし小さい)があって貴重品を入れられる。水とお湯とお茶はサーバーがあって入れ放題。紙コップ(と酔い止め薬)はインフォメーションでくれる。カップ麺を持ってきた者勝ちだ。なおカップ麺は自販機でも240円で売っている。飲料自販機はキリン。ビールとたばこと牛乳の自販機もある。インフォメーションでは船内用のWifiパスワードも売っていて、これが1500円。この時期、元と円のレートは1元が15円なのに50元でもOKらしい。交換レートは崩壊している。洋上とはいえ日本のワンデーパスワードよりも格段に高いので今回はパスだ。ただしこの手の外国アカウントは匿名で何かしたいときに便利である(詳細不問)。日本の格安Wifiは大阪湾では安定して使えたが、岡山県あたりから断続的に不通になり、広島あたりでまた使えるようになったりと、なかなか不安定であった。なお2日目はすべて圏外。

他の設備としては誰も使っていない麻雀室とか喫煙所がある。人口が少なすぎて売店も開店休業状態だから、店員も暇で暇で仕方ないらしく、レジの前で寝ていたり、ラウンジで囲碁をやったりしていた。出入り口付近のテレビはWii対応(有料)で、家族連れが大型テレビの前で踊っているのを見ると楽しい。レストランについては特筆すべき点がある。朝昼夕があって、だいたい定食のお値段が500円なのだが、食器のレベルが学食である点を除けば味は悪くない。潜在需要が32人じゃスケールメリットもあったものではないが、上海出身のコックが作ったという広東料理は、学食はもちろん、人民広場の裏路地で食べる現地感全開のお粥よりも美味しいと思う。

船内の空調は効いている。面白いのは(おそらく扉をきっちり閉じるためだろうと思うが)陰圧になっていることで、デッキの外に出ようとすると結構な力で押さないといけない(扉は避難時を考慮して外に向かって押すような構造になっている)。この陰圧効果というのは身体的にも結構効き、出港時に扉が閉まって陰圧効果が出ると、急激に眠くなってくるのだ。二等船室の連中が真っ昼間なのにバタバタ寝てしまうのは面白かった。自分も寝たが。

この船を勧めたい理由の一つに「酔わない」というのがある。小笠原行きの船などに乗ったことがある人は分かるかもしれないが、外洋は波が高くて酔う。優雅どころじゃない話になる。北海道行きのフェリーでも太平洋を北上するから結構酔うものだ。しかし蘇州号は経路の1/3は瀬戸内海なので波が緩やかだ。関門海峡から東シナ海に出るのは2日目の午前2時で、外洋に出たあとも基本的に大きな揺れがこない。酔うという感じがしないのである。船は酔うからイヤ、という人には蘇州号がいいと思う。

第二の瀬戸大橋は鉄道が通っているもので、その昔18切符で通過したことがある。通過予定時刻は16時半。これも張っていたら、こんどは16時15分に通過した。相変わらずソニー製はタイマーだけ優秀でピントがずれており、リコーが活躍。第三の瀬戸大橋はいわゆるしまなみ海道で、自転車で通ったことがあるが、こちらは定刻通り19時10分頃に通過した。22時前に消灯。バー以外のサービスが停止する。このバーは22時半までやっているが、少し覗くと日本人のオバサンがギャラリーが一人もいない中で「津軽海峡冬景色」を歌っていて、なかなか寒い感じが出ていた。部屋の電源も切られてしまうのでバッテリで耐えつつ作業するが、だんだん眠くなったので諦める。午前2時に関門海峡を通過するまで起きてようと思ったが無理だった。

(続く)