3a. 蘇州号に乗ってみた その2

Profile
darklogosmall

評論同人誌サークル「暗黒通信団」の雑文書き。
貧乏ノマド独身。英語は苦手。好きな地域は中東の砂漠。元コミケスタッフ。コテコテの理系。自称高等遊民。
詳しくは http://ankokudan.org/d/d.htm?member-j.html

 
前回はこちら


あけて2日目は10時まで爆睡。洋上で快眠なんて初めてだ。そろそろ傷みかけてきて糸を引いてる「スーパー玉出」の148円ドライカレー(原材料に「レタス、調味料、pH調整剤」としか書かれていない。これでドライカレーを錬成できるとは、大阪の錬金術師は凄いな)を食べつつ本稿を書く。二等船室では中国人夫妻がしょっちゅう「クチャクチャ」と音を立てながら謎の漬物を食べているので、同室のスイス人が音に耐えられず、すぐにどこかへ逃げ出してしまう。これが世界第二位の経済大国だ。おかげで同室6人のあいだでは会話すらない。
ドライカレーがライスなしで作られている現実
ドライカレーがライスなしで作られている現実

外は五島列島。行程の1/3を半日で着てしまったのならちょっと早すぎるのではないかと思うのだが、まもなく謎が解けた。この船、時々停船するのである。相変わらず案内は一切ない。JRだって駅以外で停まったら何かアナウンスするだろうに。

中国人だか日本人だか分からない少年2人組が跳ねまわっていて未使用毛布の束を突き崩していたりした。後で互いに「お前どこ住んでるの?」とか言っていたあたり初対面だったらしい。「大阪おもろいな、また来たいな」「梅田とか泊まってみたいな」と日本語で言っていたので、これから帰るところなのらしい。典型的な国際結婚の申し子だが、何か複雑な家庭なのかもしれないとも思う。

エアコンが効いた前方ラウンジ(利用者自分だけ)で、流れる海を眺めなら、仕事の文書やらコミケのコピー誌やらボランティアの雑誌記事やら、諸々の原稿を書きながら時を過ごす。ネットなどつながらない至福の週末である。なんだか貴族になったかのような気分だ。
まぁラウンジは悪くない…誰も使ってないけど
といっても夜になると係員がやってきてラウンジのカーテンが閉められてしまった。
夕食
スーパー玉出のハムだのベーコンだのペヤングだのがあるので、夕食もそれで済ませてしまい、一等民専用の展望風呂を不法占拠して下着を洗う。気分上々で階段を下りると、あまりに客が来ないバーではスタッフ自身が中国語で歌っていた。なかなか上手い。毎航海でこんなことをしていれば上手くもなろう。

ソファーを見ると、セルビア人たち欧州系乗客がたまって何やらダベっていた。バックパッカー的にはこういうのには参加しなければいけない。メンツはセルビア人(前述。45歳と判明)、スイス人(中央アジアや東南アジアを巡ってる26歳パッカー)、イングランド人(いつもニコニコ典型的英国紳士。日本に8年いて翻訳業。67歳)、上海の大学生女子(英語堪能。専攻不明。成都出身)、日本人かと思っていたら中国人だった山東省の大学教員(英語苦手。日本語OK。経営学)である。こんな瑣末をここで書いても仕方ないが、まぁ混載感が出てると思う。欧米系はおそらくロシア人家族3人を除けば、これで全員だ。小規模即売会なみに全員を把握できるムラ社会というのもどうかとは思う。
セルビア人さん
セルビア人さん

話題も多岐にわたり、「日本人の顔年齢はわからんよね」(セルビア人)とか「俺の妹が9月に結婚するから各国語でお祝いメッセ録画頼む」(スイス人)とか、「スコットランドのお金がイングランドで使えなくてマジ困りました」(自分)とかである。聞けばイングランド銀行以外にスコットランドにも独自の通貨発行機関があって、法律上はイングランドでもそれを受け取らないといけないのだが、イングランド人は誰もそれを知らないので受け取らないのだそうである。「スコットランドとイングランドの間にはむかし、万里の長城みたいな壁が作られたんだよ」と言うほどに、彼らの独立機運は根深いらしい。スイス人に「イギリスはあの状況だが、日本はいっぱい島があって独立運動は起きないのか?」と聞かれて「沖縄と群馬以外は大丈夫ですよ」というと、ガチで理由を問われて、やたら混乱した話になった。英語で説明しにくいネタを仕掛けるもんじゃない。

山東省の中国人先生様は実に鼻の高いお方で、フフンと笑って欧米人の英会話をいちいち日本語に要約してくれるのだが、流石にそれくらいは分かるからいいよ……とは言わずに、わざとオーバーに嬉しがって煽るのは日本人の悪い癖かもしれない。英国紳士はウィンク。この人分かってる。

通常こうした旅の会話で政治の話は出さないものだが、その先生様は実にデリカシーない方で、セルビア人に「あんたはセルビアのほうがいいと思ってるのか、ユーゴスラビアが良かったと思ってるのか」とかズケズケ聞く。意見を聞かれたら誤魔化さず答えるのが欧米人であり「俺はセルビアのほうがいいよ」から始まって、旧ユーゴスラビアのなかなか激しい歴史を聞く羽目になった。「ヨーロッパの火薬庫」とか「あのへんはどうせみんなスラブ人だろ」くらいの認識しかなかったところだが、彼的にはセルビア人というのは人種ではなくてヒトラーが進攻して来たときに「ナチスに抵抗した」というところにアイデンティティがあるものらしい。チトーが社会主義国としてユーゴスラビアを作ったとき、セルビアの領土は再分割されてしまった。それでもクロアチアなどが独立してユーゴが解体されたとき、セルビア人は賛成だったという。そののちミロシェビッチがチトー時代に分割されてしまったセルビア領土を取り戻そうとして侵攻し、米国様の怒りに触れてNATOに空爆されることとなった…と、そんなところか。実は英語ダメなので詳細は理解できない(だから質問がピントずれてる)けど興味津々の山東先生様、英語はいいけど明らかに生存時代が違いすぎてついていけない平成生まれ大学生女子、そもそも世界史とボードゲームを勉強したことがないので地名と人名がキツい無教養の日本人(自分)、西欧(NATO)の行動を面と向かって否定されて苦々しげのスイス人。……そしてすべてを聞きつつ終始笑顔の英国紳士。イギリス人まじ怖い。

そんなこんなで0時過ぎ。議論の尽きない彼らを尻目に自分は寝ることにした。眠いし。

あけて朝8時に起きてびっくり。海が茶色いのだ。子連れの中国人女性3人組が日本語で「もうすぐだね」と子供に言っている。工業廃液ではなくて揚子江だかの河口だかららしい。ボロい船が行き交い、遠くには原発らしきものも見える。大量に船の行き交う揚子江の支流を上っていくので、進行は非常にゆっくりだ。朝シャワーをあびて13時半。下船タイムとなった。ぞろぞろとタラップを降りるとボーディングカードなるプラスチックを渡され、バスで入管へ。32人しかいないせいで、入国はすぐに終わった。11人だったらSFになったのに。路上でワンダーしているセルビア人を見つけ、一緒になんとなく地下鉄駅まで歩き、お別れ。あとはそのまま宿を目指す。

イケイケ上海のビル群
以上、短いながらも蘇州号乗船記であった。爆買団が去ったあと、どう考えてもこのままでは廃止になるしかない蘇州号を応援すべく書いてみた。穴場感がすごくてオススメである。サラリーマンでも金曜だけ休みを取れば日曜の夕方に上海から飛行機で戻る素敵な週末を楽しめるだろう。

3a. 蘇州号に乗ってみた その2


3a. 蘇州号に乗ってみた その2

Profile
darklogosmall

評論同人誌サークル「暗黒通信団」の雑文書き。
貧乏ノマド独身。英語は苦手。好きな地域は中東の砂漠。元コミケスタッフ。コテコテの理系。自称高等遊民。
詳しくは http://ankokudan.org/d/d.htm?member-j.html

 
前回はこちら


あけて2日目は10時まで爆睡。洋上で快眠なんて初めてだ。そろそろ傷みかけてきて糸を引いてる「スーパー玉出」の148円ドライカレー(原材料に「レタス、調味料、pH調整剤」としか書かれていない。これでドライカレーを錬成できるとは、大阪の錬金術師は凄いな)を食べつつ本稿を書く。二等船室では中国人夫妻がしょっちゅう「クチャクチャ」と音を立てながら謎の漬物を食べているので、同室のスイス人が音に耐えられず、すぐにどこかへ逃げ出してしまう。これが世界第二位の経済大国だ。おかげで同室6人のあいだでは会話すらない。
ドライカレーがライスなしで作られている現実
ドライカレーがライスなしで作られている現実

外は五島列島。行程の1/3を半日で着てしまったのならちょっと早すぎるのではないかと思うのだが、まもなく謎が解けた。この船、時々停船するのである。相変わらず案内は一切ない。JRだって駅以外で停まったら何かアナウンスするだろうに。

中国人だか日本人だか分からない少年2人組が跳ねまわっていて未使用毛布の束を突き崩していたりした。後で互いに「お前どこ住んでるの?」とか言っていたあたり初対面だったらしい。「大阪おもろいな、また来たいな」「梅田とか泊まってみたいな」と日本語で言っていたので、これから帰るところなのらしい。典型的な国際結婚の申し子だが、何か複雑な家庭なのかもしれないとも思う。

エアコンが効いた前方ラウンジ(利用者自分だけ)で、流れる海を眺めなら、仕事の文書やらコミケのコピー誌やらボランティアの雑誌記事やら、諸々の原稿を書きながら時を過ごす。ネットなどつながらない至福の週末である。なんだか貴族になったかのような気分だ。
まぁラウンジは悪くない…誰も使ってないけど
といっても夜になると係員がやってきてラウンジのカーテンが閉められてしまった。
夕食
スーパー玉出のハムだのベーコンだのペヤングだのがあるので、夕食もそれで済ませてしまい、一等民専用の展望風呂を不法占拠して下着を洗う。気分上々で階段を下りると、あまりに客が来ないバーではスタッフ自身が中国語で歌っていた。なかなか上手い。毎航海でこんなことをしていれば上手くもなろう。

ソファーを見ると、セルビア人たち欧州系乗客がたまって何やらダベっていた。バックパッカー的にはこういうのには参加しなければいけない。メンツはセルビア人(前述。45歳と判明)、スイス人(中央アジアや東南アジアを巡ってる26歳パッカー)、イングランド人(いつもニコニコ典型的英国紳士。日本に8年いて翻訳業。67歳)、上海の大学生女子(英語堪能。専攻不明。成都出身)、日本人かと思っていたら中国人だった山東省の大学教員(英語苦手。日本語OK。経営学)である。こんな瑣末をここで書いても仕方ないが、まぁ混載感が出てると思う。欧米系はおそらくロシア人家族3人を除けば、これで全員だ。小規模即売会なみに全員を把握できるムラ社会というのもどうかとは思う。
セルビア人さん
セルビア人さん

話題も多岐にわたり、「日本人の顔年齢はわからんよね」(セルビア人)とか「俺の妹が9月に結婚するから各国語でお祝いメッセ録画頼む」(スイス人)とか、「スコットランドのお金がイングランドで使えなくてマジ困りました」(自分)とかである。聞けばイングランド銀行以外にスコットランドにも独自の通貨発行機関があって、法律上はイングランドでもそれを受け取らないといけないのだが、イングランド人は誰もそれを知らないので受け取らないのだそうである。「スコットランドとイングランドの間にはむかし、万里の長城みたいな壁が作られたんだよ」と言うほどに、彼らの独立機運は根深いらしい。スイス人に「イギリスはあの状況だが、日本はいっぱい島があって独立運動は起きないのか?」と聞かれて「沖縄と群馬以外は大丈夫ですよ」というと、ガチで理由を問われて、やたら混乱した話になった。英語で説明しにくいネタを仕掛けるもんじゃない。

山東省の中国人先生様は実に鼻の高いお方で、フフンと笑って欧米人の英会話をいちいち日本語に要約してくれるのだが、流石にそれくらいは分かるからいいよ……とは言わずに、わざとオーバーに嬉しがって煽るのは日本人の悪い癖かもしれない。英国紳士はウィンク。この人分かってる。

通常こうした旅の会話で政治の話は出さないものだが、その先生様は実にデリカシーない方で、セルビア人に「あんたはセルビアのほうがいいと思ってるのか、ユーゴスラビアが良かったと思ってるのか」とかズケズケ聞く。意見を聞かれたら誤魔化さず答えるのが欧米人であり「俺はセルビアのほうがいいよ」から始まって、旧ユーゴスラビアのなかなか激しい歴史を聞く羽目になった。「ヨーロッパの火薬庫」とか「あのへんはどうせみんなスラブ人だろ」くらいの認識しかなかったところだが、彼的にはセルビア人というのは人種ではなくてヒトラーが進攻して来たときに「ナチスに抵抗した」というところにアイデンティティがあるものらしい。チトーが社会主義国としてユーゴスラビアを作ったとき、セルビアの領土は再分割されてしまった。それでもクロアチアなどが独立してユーゴが解体されたとき、セルビア人は賛成だったという。そののちミロシェビッチがチトー時代に分割されてしまったセルビア領土を取り戻そうとして侵攻し、米国様の怒りに触れてNATOに空爆されることとなった…と、そんなところか。実は英語ダメなので詳細は理解できない(だから質問がピントずれてる)けど興味津々の山東先生様、英語はいいけど明らかに生存時代が違いすぎてついていけない平成生まれ大学生女子、そもそも世界史とボードゲームを勉強したことがないので地名と人名がキツい無教養の日本人(自分)、西欧(NATO)の行動を面と向かって否定されて苦々しげのスイス人。……そしてすべてを聞きつつ終始笑顔の英国紳士。イギリス人まじ怖い。

そんなこんなで0時過ぎ。議論の尽きない彼らを尻目に自分は寝ることにした。眠いし。

あけて朝8時に起きてびっくり。海が茶色いのだ。子連れの中国人女性3人組が日本語で「もうすぐだね」と子供に言っている。工業廃液ではなくて揚子江だかの河口だかららしい。ボロい船が行き交い、遠くには原発らしきものも見える。大量に船の行き交う揚子江の支流を上っていくので、進行は非常にゆっくりだ。朝シャワーをあびて13時半。下船タイムとなった。ぞろぞろとタラップを降りるとボーディングカードなるプラスチックを渡され、バスで入管へ。32人しかいないせいで、入国はすぐに終わった。11人だったらSFになったのに。路上でワンダーしているセルビア人を見つけ、一緒になんとなく地下鉄駅まで歩き、お別れ。あとはそのまま宿を目指す。

イケイケ上海のビル群
以上、短いながらも蘇州号乗船記であった。爆買団が去ったあと、どう考えてもこのままでは廃止になるしかない蘇州号を応援すべく書いてみた。穴場感がすごくてオススメである。サラリーマンでも金曜だけ休みを取れば日曜の夕方に上海から飛行機で戻る素敵な週末を楽しめるだろう。