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3a. バルカン半島訪問記4 -ドブロブニク-


3a. バルカン半島訪問記4 -ドブロブニク-

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評論同人誌サークル「暗黒通信団」の雑文書き。
貧乏ノマド独身。英語は苦手。好きな地域は中東の砂漠。元コミケスタッフ。コテコテの理系。自称高等遊民。
詳しくは http://ankokudan.org/d/d.htm?member-j.html

 
シさんによるバルカン半島旅行記の第4弾です。
第1弾第2弾第3弾


高い。旧ユーゴスラビアのくせに、とにかく物が高い。
市バスは1回12クローネ(18倍で日本円になるので216円)。日本のバスと変わらない。
トイレなんてもっとひどい。そもそも有料という時点でアレだが、一回10クローネ(180円)だ。
アイス一つ12クローネ(216円)とか、すべてがそんな調子である。

クロアチアという国、確かに嫌な予感はした。
モンテネグロから陸路で入るときの国境荷物検査がやたら厳しかったのだ。
物価差があるからに決まってる。物価の安い国で商品を買い付けて物価の高い国に持って行けば高く売れるじゃないか。
そういう輩が多ければ国境検問は厳しくなるだろう。
ということで、クロアチアは隣国モンテネグロより物が格段に高いのだ。

中でもとびっきりがドブロブニクだ。
アドリア海東岸の中で最も有名な観光地であり、旧市街は世界遺産で、『紅の豚』や『魔女の宅急便』のモデルと言われてて、パックツアーの日本人観光客もうじゃうじゃいる。

どこか紅の豚的な風景

実はドブロブニクカードという、観光を安くあげるためのパスがあるのだが、これは丸一日ガッツリ観光する人向けだ。
丸一日観光ということは街に泊まるということなのだが、これがまた驚異的なお値段で、自分が見たときは一泊10000円以下の宿がなかった(なお前回のコトルの宿は一泊10ユーロである。普通そんなもん)。

泊まれないならサッと見るしかなく、長距離バス停に荷物を預けて、豪華客船を横目に市内バスで旧市街へ。

旧市街図

ついた瞬間から全力ダッシュの観光開始だ。
バス時刻を調べれば旧市街の滞在時間など2時間くらいしかないのである。
見どころはたくさんあるが、教会はほとんどが入場料をとるし、そろそろ飽きてるので概ねスルー。

この旧市街で絶対に外せないのは、街を取り囲む全長2キロの城壁だ。
100クローネくらいの入場料を払えば、ビシっと整備された城壁の上を歩ける。

城壁を歩く

入場料については腹をくくるしかない。
クレジットカードを出したら日本語で「サインクダサイ」と言われるあたり、ほんとうにどれだけ日本人が来ているんだろうか。
……とはいえ城壁の上から眺めるアドリア海は値段以上に素晴らしかった。
なるほど宮崎監督が惚れるだけのことはある。
いくつか写真も載せておくが、年賀状に使った写真もここの風景だったくらいにはインパクトがあった。

翌年の年賀状に使った写真

読者の中でドブロブニクを訪れる人がいるなら城壁は絶対に登るべし。テストに出る!

断崖

断崖2

海の見える窓

ジブリ大好きな中年が多いかと思えば、意外にも日本人の還暦ツアー団がいっぱい来ていて、シニアらしい開けっぴろげな会話を振りまいている。
「おーい、**さん、何をグズグズしてるんだ、置いて行かれんよ」
「そんなァ言われても、こっちゃ高齢者なんだよ、んしょ。あぁ暑い」
「前期高齢者にそんな言われたら後期高齢者の立場がねェわ、わははは」
……とまぁ、まったくカルチャースクールのノリそのまま。
城壁に対しても「誰だこんな面倒な壁作ったの」「取っぱらってパーッとやったらええんゃ」と存在を全否定。
わざわざ飛行機で来ておいてそこまで言われる世界遺産がかわいそう。
かと思えば「自動販売機とかないんかねぇ、暑くてかなわんよ」「海でも見たら涼しくなるやろ、ほれ、歩く歩く」とズンズン進んでいく。
そのうちこちらに気づき「あんちゃん日本の人?一人?偉いねぇ」とか言ってくる。
別に好きで独り身なのではないが、とりあえず偉いらしい。
そして続けて「ちょっとコレ撮ってもらえる?」とスマホを渡された。
お年寄りが元気なのは結構なことだが……元気すぎやしないか?
これだったら爆買い大陸の人たちとも対等に渡り合えてしまうよ。

還暦旅団のせいで異国さがあまり感じられない中、赤い屋根を見ながら、絞りたてオレンジジュースを飲み、色々なアングルから風景写真を撮った。

赤い屋根

オレンジジュース絞り器

道中に一回くらいは(年賀状やパソコンの壁紙に使うために)真面目に写真を撮るようにしている。
9月のシルバーウィークだというのに、実際すごく暑い。あの人たちタフだなーと思う。
だらだら散策しつつ、14時半くらいにタイムリミット。市内バスでバスターミナルへ行く。

前回、tabinoteの編集者に「あまりひどい目にあっていないのが少し不満」と書かれてしまったのだが、大丈夫、これからちゃんとひどい目に遭う。
……なんと都市間バスが満席だったのだ。
15時過ぎから20時過ぎにスプリトの街につくまで、素晴らしいアドリア海の海を横目に立ちっぱなし。

夕日

5時間といえば東京から博多まで立ちっぱなしってことだ。
「物価が高すぎて泊まれない」と考える人が多いのに路線バスは多くないという、需給のアンバランスをもろに食らったわけだ。
しかもこのバスが終バス。
本来なら載せてくれないところを、凄いゴリ押しで無理やりねじ込んだのだから大きな顔もできない。
ちなみに途中経由地プロチェ(Ploce)でバスが休憩したとき、フリーWifiがとんでいたのでベンチに座って喜々としてメールを見ていたら、間違えて違うバスに乗りそうになって他の乗客から笑われた。
色々と苦行レベルが高い。

謎の水道口

バスは時刻通りにスプリトの街についた。なんと誤差3分。
ここも世界遺産の街で、クロアチア第二の都市なのだが、バス停も宿も駅もフェリーターミナルも市街地の真ん中にあるから、お宿まで徒歩10分。
市民の皆様が酒をのんでワイワイやってる夜の港町を、でかい荷物を曳き、棒になった脚で歩いて行くのだった。

3b. 緊急寄稿! 本場・中国の四川省でパンダに溺れよう!


3b. 緊急寄稿! 本場・中国の四川省でパンダに溺れよう!

 
tabinoteワタベです。
ご存じの方も多いと思いますが、さる2017年6月12日、東京の上野動物園で5年ぶりとなるパンダの赤ちゃんが生まれました。
上野動物園のジャイアントパンダ情報サイト「UENO-PANDA.JP」

連日パンダのニュースが報道され、まるでやんごとなき方の動静のように赤ちゃんパンダの一挙手一投足が注目されるこのご時世。仕方ないですね、やっぱパンダってかわいいですからね。


さて、筋金入りのパンダ好きから最近の報道でにわかファンになってしまった方々まで、思う存分飽きるほどパンダを見ることのできるスポットをご紹介します。
中国は四川省の省港・成都の郊外にある「成都ジャイアントパンダ繁育研究基地」がその施設。
成都ジャイアントパンダ繁育研究基地

中国固有の希少動物であるジャイアントパンダの生態研究と保護・繁殖のためのれっきとした国家機関ですが、有料のエサやり体験や抱っこしての2ショット撮影など観光客を意識した仕掛けもばっちり。もちろん成都観光の目玉ともなっています。

私が向かったのは6月の平日昼間。成都の市街から車で1時間ほどとのことで、タクシーを拾いました。
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(イメージ画像)

タクシー料金はすこぶる安く、1000円しなかったと思います。公共交通機関の場合はバスがありますが、市街からは乗り換えもあって多少面倒です。素直にタクシー利用がいいと思います。帰りも入り口前に数台停まっているので困ることはありません。
成都ジャイアントパンダ繁育研究基地 交通案内


さて、入り口では巨大なパンダ像がお出迎えです。
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前日に成都の広場で見た巨大な毛沢東主席像に劣らぬそのスケール。当地でのパンダの地位の高さを感じます。
入り口付近はミュージアムショップっぽくパンダグッズが売られていますが、出来はかなり残念。上野のぬいぐるみのクオリティを見習ってほしいものです。

内部はほとんど森というか山そのまま。敷地は36.5ヘクタールと、上野動物園の2倍以上の広さ。
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歩行路は整備されていますが、その両脇は網やフェンスもなく、自然そのままがひろがっています。

しばらく歩いて行くと….居ました!ジャイアントパンダの群れ!
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ありがたみが薄れるほど、ホントにゴロゴロいます。
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寝転がって竹を食って…いい身分です。うらやましくなってきました。
日本ではお馴染みのタイヤはありません。
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やばい、かわいい。
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超かわいい。
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クソかわいい。
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じーっと見ていると、死体かと思うほど微動だにしない個体もいれば、落ち着きのない個体も居ます。
中にはフーッ!と荒い息を吐いて小突き合っている群れも。そのどう猛さに、パンダも野生動物なのだなという当たり前のことを実感します。
コブラクローで仲間を押さえつける個体を激写。
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しばらく歩いて行くとレッサーパンダのブースがありますが、誰も見向きもしません。少々哀れではあります。
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広い中にジャイアントパンダのブースが点在し、どこも似たような景色なので方向感覚が曖昧になり、結構歩かされます。


前述の通り、この施設の目玉はパンダを抱っこしての2ショット撮影
私が行った時点の費用は…、なんと1000元!当時のレートで1万7千円くらい?というとんでもない価格で、試す勇気はありませんでした。

現在はサイト上にも全く情報がありません。最終的に費用は1800元(およそ3万円!)にまで高騰したようです。
公式な情報ではありませんが、パンダが人に怪我を負わせたために禁止されたというタレコミを見つけました。「熊猫伤人的事故了」だそうで….。やはり野生動物を舐めてはいけないということでしょうか。
https://www.zhihu.com/question/38213918

野生のクジャクが歩道に現れますが、ここではパンダが王様。誰も見向きもしません。
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たっぷりと歩いて園の外へ。6月の四川は気温30度近く。汗がにじんできます。
この後は市街に戻り、四川料理を食べて残りの汗を流しました。
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というわけで、パンダファンなら一度は見ておきたい成都のジャイアントパンダ繁育研究基地。
四川省はANAの直行便もあり、食もおいしく人は暖かく実にいいところでした。次の旅先候補として、いかがでしょうか。

3a. バルカン半島訪問記3 -ティラナ~コトル-


3a. バルカン半島訪問記3 -ティラナ~コトル-

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評論同人誌サークル「暗黒通信団」の雑文書き。
貧乏ノマド独身。英語は苦手。好きな地域は中東の砂漠。元コミケスタッフ。コテコテの理系。自称高等遊民。
詳しくは http://ankokudan.org/d/d.htm?member-j.html

 
シさんによるバルカン半島旅行記の第3弾です。
第1弾第2弾


■アルバニアという国はギリシャの左上にある。面白いのは自国を「アルバニア」とは呼ばず「Shqiperise」と呼んでいる点だ。
読み方が分からないけど郵便局にもそう書いてある。
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まぁ日本だって「Japan」と「Nippon」っていうぜんぜん違う読み方があるし、自国民はむしろ「Nippon」って呼んでるわけだから、そんなものなのだ。
イスラム教信者が多い国だが信仰はいいかげんで、バーに行けばお酒もどんどん出てくる。「地球の歩き方」に載ってる首都ティラナのバー(Sky Club Cafe)はお勧めだ。ソフトドリンク一杯で回転展望台から時間無制限の夜景を楽しめる。フリーwifiつき。周囲がカップルばかりで孤独感が深まる以外は最高だ。
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日本ではなかなか見られない不思議なオブジェを眺めつつ、明日のバス移動に少々アンニュイな感じだった。というのは、ネットの旅行記を見る限り、ティラナからモンテネグロ共和国へ抜ける方法が悲惨らしいのだ。「アルバニア モンテネグロ バス」で検索すると「超面倒」とか書かれていて、シュコダルという湖畔の街で降りて乗り換えたり、国境越え区間はタクシーだとか、ついたら真夜中だとか、泣きそうになりながら行くものだという。うわぁ面倒なフレンズですね。

この手の情報はバックパッカー宿のスタッフに聞くのがよいということで聞いてみると意外にもコトル(Kotor)行きの直通バスがあるらしい。本当なら楽勝だ。スーパーに買い出しに行き、現地人に大人気のピザを食べて鋭気を養う。道を歩いていると見知らぬ人から「へい兄ちゃん、一緒に飲んでいかないかい」みたいに声をかけられる。なかなかのノリだ。

■さて、その翌日。朝一番にノートパソコンでネットを見た瞬間に「Windows Update」にやられた。これをくらうとACにつないでおかないとバッテリ消耗するのだ。旅先でやられると本当に困る。勘弁してくれデビルゲイツ。宿を出るべき時刻になっても終わらず「電源を消さないでください」とか書いてあるので、怖いが残りはバッテリで処理するしかない。とりあえず宿を出てティラナの目抜き通りであるZoguI通りをダッシュで北上。コトル行きの直通バスを扱う旅行社は二軒あるらしいが、今回はOzumi tourを利用した。運賃25ユーロでチケットが買えたから、本当にコトルまで行けるのだろうと信じる。8時半出発で8時20分にマイクロバスが迎えにくるという。40分時間が空いたので両替してチキンバーガーを食ってみる。ちなみにこのチキンは本気だった。分厚いチキンをちゃんとグリルで10分焼いてバーガーにしている。Fast foodとはいえないが、これはこれで素晴らしい。
予定時刻になっても迎えが来ないので旅行会社に文句を言いに行こうとしたら、ビルの中から係員がすっ飛んできて、一緒に待ってくれた。係員は携帯電話であれこれ悪態をついていたが、結局迎えは来ないで、バスそのものがやってきた。荷物は別料金で2ユーロ。運行会社ははOld city tour社という。あとで調べたら堂々とWebに案内が出ている。
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さてこの国境越え超便利バスであるが、宣伝不足で乗客は5人しかない。これじゃ廃止になってしまうぞ? 道中は例の湖畔都市シュコダルとかモンテネグロの首都やブドヴァやティヴァト空港のすぐ下を通ったりして、なかなかスリルがあった。至近距離を飛行機がゴウゴウいいながら飛んでいくので「かっくいー」といってカメラを出すが、バスの車内からじゃブレて写真が撮れない。乗客は常連ばかりらしく、全く動じていないから、写真が撮れないなら、自分もさも動じてないふうにツンとしておく。
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予定より少し早く14時過ぎに無事コトル着。アドリア海の湾の奥にある世界遺産の街だ。バス停は旧市街から徒歩10分未満なのだが、タクシー屋が「タクシータクシー」と連呼していて、宿の客引きもいる。おお、初めての観光地。
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■アドリア海東側には有名な観光都市が二つある。このコトルとドブロブニクという。どちらも世界遺産だが、個人的にはコトルがかなりお勧めなので、細かく書いておこう。
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この街の見所は旧市街とその背後の山にに作られた城壁である。午後も早いので、とりあえず宿に荷物をおいてからすぐに城壁攻略だ。イージーコースとハードコースがあるが当然ハードコースを狙う。上を見上げればげんなりするが、上から下を見れば道が整備されていることが分かる。総じてさほど歩きにくくはない。途中、降りてくる外人女性とたくさんすれ違うのだが、どの個体もまったく汗をかいていないのが不思議だ。何か特殊な技でもあるのだろうか。それとも人外の何かか。山の上から見下ろすコトル旧市街は、入場料3ユーロ(モンテネグロの貨幣はユーロだ)くらいの価値は十分ある。冷たい風が心地よい。
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城壁を堪能してから麓におりて、今度は旧市街を見て回る。教会がいくつかあるのだが、聖トリファン(トリプン)大聖堂は大きいし必見だ。トリファンさんという偉い聖人をまつったカトリック教会である。教会というと結婚式をやるような白く明るいイメージがあるが、本来の教会は薄暗くて怖いイコンが睨んでて、旧世界の壁がむき出しになっていて、歩くとギシギシいうような、ダンジョンじみた建造物である。
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この教会も再建したとはいえ、一階は概ねそんな感じだ。なお二階には謎の銀製の腕とか脚とか彫刻とか金細工や赤い布や色々なものが展示してある。
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外に出れば夜だ。振り返れば山はオレンジにライトアップされてまるで魔の山みたいになってるし、城壁に彫られた動物はキメラとしか言いようがない。
どこまでもファンタジーじみた街である。
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最後にコトルの食事情を書いておこう。旧市街には「RESTORAN」という(中学生の間違った英語みたいな)綴りの飲食店がたくさんあるが、概して観光地価格で高い。どうするかというと実は川を渡って旧市街を北に出る。そこには現地人御用達の大きなスーパーがあるのだ。適当にトマトとか色々買い込めば夕食くらいは安く調達できる。その情報はどうやって得るかというと……Googlemap検索である。身も蓋もない。13

3b. 世界の街を走ってみる~その3 パリ


3b. 世界の街を走ってみる~その3 パリ

 
tabinoteワタベです。
不定期連載として、世界のいろんな観光都市でのランニング体験を紹介します。
第3回はロンドンポートランドに引き続きフランスのパリです。


カタール航空でパリに降り立ったのは2016年の10月の半ば。
この渡航は全般的に日程もつまっており、バタバタしていました。怒濤の勢いで用事を済ませ、走りながら街を巡ってみようと思い至れたのは帰国前日。曇りや雨の多かったこの滞在の中で、天気もまずまず保ってくれそうな予報でした。
ちなみにこの滞在中、ちらっと市場に寄って撮った写真は先般刊行された「世界の美しい市場」にも使われています。

さて、正直フランスにもパリにもあまりランニングのイメージはありませんでした。山岳レースや自転車は盛んな印象でしたが、ロードランニングでフランス系の名選手ってのはにわかに思い浮かびません。あまり走る人なんていないのでは、と思っていました。
ところが、パリはそんな印象を覆すガチ・ランニング都市だったのです。


やはりランニングコースといえば川沿いが王道。
私が宿を取っていたのはパリ右岸と呼ばれる東側11区。ここからセーヌ川沿いをエッフェル塔あたりまで行って戻るコースをざっと計画しました。

毎度毎度悩むお金問題。クレカ一枚とユーロ札を何枚かビニール袋でくるみ、ポケットにつっこみます。
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セーヌ川を目指す前に行ってみたいところがありました。
宿からも程近いバタクラン劇場、パリ同時多発テロの現場です。
2015年11月13日、ロックバンドのイーグルス・オブ・デス・メタルの公演中にテロリストが乱入し自動小銃を乱射。89名が亡くなり、一連のテロでも最大の被害現場となりました。
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私が訪れたのはまた一周忌前で、閉鎖されていました。その後、16年に11月にスティングのライブで復活したそうです。

この周辺は、カフェやカンボジア料理店、ベトナム料理屋などの移民レストランが並ぶこなれた雰囲気のエリアでした。


さて、セーヌ川へ向かうため、バスティーユ方面に向かいます。
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平日の昼でしたが、ちらほら走っている人も見かけるように。
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セーヌ川へ出ました。
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川沿いにはいかにも歴史ある、石畳の歩行者路が整備されています。
この石畳が、とにかく粗くてデコボコ。お世辞にも走りやすいとはいえません。そんなコースでも結構走っている人がいます。
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シテ島に到達。腕時計のタイマーを止めて少し見物します。
そびえ立つノートルダム大聖堂。
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ふもとには小鳥市が出ていましたが、少し散漫な印象。
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こちらはパリで一番のステンドグラスと呼ばれるサントシャペル教会。長蛇の列ができていました(写真は別の機会に行った時のもの)。
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さすがにこのあたりはパリでもきっての観光スポット。どこもかしこも旅行者だらけです。


黙々と川沿いを進むと石畳の道も拓けてきて、沢山ランナーを見かけるようになりました。
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自分を棚に上げて、平日の昼間からこの人たち何してるんだろう、という疑問がわき上がってきます。
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走る人やけに多くないすか…。
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そして、どのランナーも速い!
健康のためとかフィットネスとか、そういうゆるい感じはありません。女性でも足場の悪い石畳の道を5分/kmくらいのペースで走っています。マジかよ!と思いました。
別に競争ではないのでいいのですが、どんどん抜かれる私。

急にペースアップしたので、いつの間にかエッフェル塔のあたりまで来ました。
塔のふもとは謎のお土産屋だらけ。やりすごしてエッフェル塔の展望スポット、シャイヨ宮に向かいます。
シャイヨ宮は結構ガラガラ。ウェディングドレス姿の中国系カップルが1組、バシャバシャ写真を撮っていました。
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エッフェル塔の麓に伸びるシャンドゥマルス公園に入り、きびすを返して宿の方向に向かいます。ここからも結構長い。

既に秋の気配漂うパリ。木漏れ日に落ち葉が映える落ち着いた雰囲気の公園ですが、ランナーがザクザク葉っぱを踏んで駆けていきます。
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190センチくらいのレスラーみたいなおっさんが猛スピードで私を抜いていきます。
なんだこのガチ度の高さ?
私のこれまでの旅先ランニング経験の中でも、もっとも平均スピードの速い都市です。

こちらはアンヴァリッド廃兵院。見物時間ゼロ。
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商店街を抜けます。
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このあたりにマルシェが出ていました。買い物しても持って帰れないので…、写真だけで。
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カルチェ・ラタンのコンビニで一息つきます。東京の御茶ノ水は日本のカルチェ・ラタンと呼ばれているそうですが、確かに御茶ノ水同様、坂が多い。
ここまで来ると午後の仕事が始まったのか、ランナーも見かけなくなりました。

ソルボンヌ大学。
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ガラス張りのモダンな建物と聞いていたアラブ世界研究所。結構薄汚れていました。
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ここからリヨンを経てベルシーへ。
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ベルシー・ヴィラージュという複合商業施設ができたそうで、どうせならそこまで行ってみようかなと。
途中のスタジアム付近、酔っ払いの嬌声がひびき微妙な治安感でしたが、生身で走っていれば問題ありません。
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ベルシー・ヴィラージュは路面型の高級ショッピングモールでした。ワイン倉の跡をリノベーションした施設らしく、皆昼からガッツリとワインを楽しんでいます。
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私はジュースを飲んで、だらだら宿に戻ります。


今回の道のりはこんな感じでした。
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思いがけず熱いランナーの多い都市だったパリ。
今回は行きませんでしたが、北の方とかちょっと猥雑なエリアもランニングならいろいろ探検できそうです。次回訪れる機会があれば試してみたいと思います。

パリには旅行者も利用できるVelibというコミュニティサイクルがあるので、それを使って移動してみるのもオススメです。

3a. tabinote旅行記 ミャンマー音楽紀行2017 その2


3a. ミャンマー音楽紀行2017 その2

昨年に引き続き2号にわたってミュージシャン村上巨樹さんのミャンマー旅行記を連載します。
(注:本事例は2017年2月時点の予約可能なプランおよび費用にもとづいています。)

Profile
村上巨樹

村上巨樹

岩手県在住。ギター奏者/作曲家/イベントオーガナイザー。自身のリーダーバンドte_riは今年活動10周年を迎える。日本の放浪芸とミャンマー音楽を研究中。

7日目(2月28日)


 朝7時に起床。外からかすかに音楽が聞こえるので飛び起きる。ホテルの外に出ると、遠くの方から歌謡曲が聞こえる。ホテルの人に聞くと「祭りだよ。もう始まってて9時か10時には終わるよ」。

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 慌てて朝食食べて、バイクタクシーに乗って音の聞こえる方へ。
 着いた村では生演奏ではなく音源だけが流れていた。聞くと祭りは明日だと言う。これは行ってみよう。
ホテルに戻ろうとすると、バイクタクシーの兄ちゃんが「俺の村で今日結婚式あるよ。見にくる?近いよ」と。是非是非!

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 着くとちょうど練り歩きをやってた。

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 なんだこの山車は!スピーカー紐でくくってる。

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 後ろには打楽器。

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 山車の1つ後ろには発電機。これで音響設備やマイクに電気を供給。

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 荷台に座ってる赤い帽子のおじさんがキーボードを弾く。歌手は曲ごとに入れ替わる。

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 おっちゃん!

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 花嫁さん。華やかな水牛と共に。

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 打楽器奏者も練り歩く。

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 結婚式会場。

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 音響機材に書かれてるミャンマー文字のデザインが秀逸。

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 風船売り。

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 別の山車。

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ラジオ?

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踊りもある。
 会場のおじさんに聞いたら「式は2時から」。かなり時間あるので、一旦バガンを散策することに。

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宿でeバイクをレンタル。1日8000チャット(約800円)。最大時速40キロでほぼスクーター。

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バガンの地図。

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このエリアは右上のニャウンウー、左上のオールドバガン、左下のニューバガンの3つに分けられる。俺のホテルはニューバガン。

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 ニューバガン〜オールドバガンはeバイクで15分ほど。

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 広大なエリアに、雨後のたけのこのように仏塔遺跡が点在する。eバイク使わないと無理。観光客向けの馬車があるけど、風情楽しみたい人向けかな。

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 まだ時間あるのでニャウンウーまで足を延ばす。静かな観光客向けのオールドバガンとは違い、賑わっている。

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 適当なレストランで食事。付け合わせがめっちゃ辛かった。
 昼食を食べ終え14時に村を再訪。すると楽器を片付け始めていた。え、どういうこと!?おっちゃんに聞くと「もう終わったよ」えー!マジで?うなだれたまま宿に戻る。

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 夜はニャウンウーにある観光客向けのレストランへ。目的は人形劇。
 食事はカレー、紅茶、コーヒーで計8500チャット(約850円)。

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 マンダレーと同じく、サインワインの劇伴あり。終演後、プレイヤーの方々少し話すことができた。伝統楽器の作り方や日本の楽器との共通項など。日本から来たと言うと、なんとスキヤキを演奏してくれた。

8日目(3月1日)

 朝7時起床。若干腹の調子が悪い。なんか悪いもの食べたかな。屋上で朝食を取っていると、どこからか音楽が聞こえる。昨日教えられた村祭りだろうか?宿の人に行くと「いえ、あれは近所の寺が寄付を募ってるんです」。音楽の使われ方も色々なんだな。受付でeバイクを手配してもらい、早速昨日の村に出発。

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村へはバイクで5分ほど。隠れている白い建物は寺。

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スピーカーを積んだ山車。まだ準備中。祭りは9時から。

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 昨日と同じく、後部に打楽器。

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 遊ぶちびっこ。
 寺の裏側からも音楽が聞こえて来た。

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 行ってみると会場が設営されていた。どうやら寺の表が行列のスタート地点で、裏のここがゴールらしい。

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 受付で寄付を納めると、朝食を振る舞ってくれた。

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祭りスタート。行列についていく。

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 行列は村内の路地を練り歩く。

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 近所の人たちも一目見ようと集まって来た。

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 山車はみんなで押す。
 やがてゴールの会場に到着。参加者やその家族が記念写真を撮っていた。山車から楽器が取り外されたので、祭りはこれで終わりのよう。eバイクに乗ってホテルに帰る。
 やばい、腹の調子がおかしい。胃もたれっぽいから油にやられたかな。正露丸飲んで1時間ほど仮眠する。当初はタクシーをチャーターして少し離れた村に行こうと思ったけど、大事をとって取りやめることに。正午にチェックアウト。

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 バガンで昼食。油ものはできるだけ食べたくないけど仕方ない。ハンバーガー3000チャット(約300円)、レモンティー2000チャット(約200円)。生野菜だけ食べたい。
 eバイクに乗ってニャウンウーを散策。すると遠くの方から音楽が聞こえてきた。なんだろう。気になって音の鳴る方へ。

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 音が鳴っていたのはここ。お寺…なのか?しかし大音量。

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 サインワインが生演奏やってる!一気にテンション上がる。どうやら今夜村祭りで、今はリハーサル中。

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 若いプレイヤー。ドラムセットも演奏するそう。

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 鈴とカスタネットでテンポを司る役目。楽団のリーダー。

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 ミャンマーの伝統楽器、フネー。日本でいうところのチャルメラ。

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 円環状に並ぶ金属打楽器、チーワイン。
 写真を撮ってると、会場にいたおばあちゃんに声かけられた。「あんたどこから来たんだ」「日本から。ミャンマーの音楽が好きで調べてるんです」「ヨクキタ!」えっ、おばあちゃん日本語しゃべれるの!?

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 日本語喋るおばあちゃん・モモさんとお孫さん。お孫さんが化粧してるのは、今夜の祭りに出るから。モモさんとても親切で、カタコトの日本語でサインワインを解説してくれた。18時に本番だそうで、一旦離れる。

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 ニャウンウーの端にある川。これはマンダレーと繋がっているそうで、船旅が盛んなよう。

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 ビーチバレーのコート発見。
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 気付くと日没間際。絶景。

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 18時、祭りの会場を再訪。が、まだ準備中。

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 照明の準備中。
 モモさんに聞いたら「19時からぼちぼち始まるよ」とのこと。今夜バスに乗らなきゃ行けないのでその時間だと見れないな。残念だけど本番見ずに宿へ戻る。
 eバイクを返却し、フロントに預けていた荷物を受け取る。そうこうしてるうちにピックアップのバスが来た。今夜は深夜バスに乗りヤンゴンへ移動。

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 今回利用したのは高級バス会社JJエクスプレス。バガン〜ヤンゴン間が19ドル(約2100円)。予約はJJエクスプレスのフェイスブックページで可能。

109
 ミネラルウォーターと軽食のサービスあり。

110
 車内は3列シート。冷房地獄なので上着必須。

111
 途中寄ったサービスエリアのような場所。相変わらず腹痛なので何も食べず。

9日目(3月2日)


 朝6時ヤンゴン中央駅到着。適当なタクシーを捕まえて宿へ。チェックインは14時からだったけど体力が限界だったのでどうにかアーリーチェックイン可能か聞いてみた。結果NG。でも「屋上にデッキがあるので、そこなら休んでていいですよ」。ありがたい。

112
 宿に別料金支払い、朝食を食べる。最高の眺めなんだけど、スイカとオレンジジュースしか喉を通らない。あとこの景色を見ると、いかにヤンゴンが都会かがわかる。

113
 フロントで見つけたヒップホップイベントのチラシ。船上イベント。受付の兄ちゃんに聞いたら「ヤンゴンのクラブシーンは、クラブでやるか船でやるかの2択」だそう。面白いな。

114
 「地球の歩き方」に乗っていたマッサージ店・ゲンキーに行ってみる。睡眠不足と旅疲れを回復。90分13000チャット(約1300円)。日本人が関係しているそう。ロビーに日本経済新聞あった。

115
 大型書店へ。あれ?閉まってる。

116
 ボージョーアウンサンマーケットも閉まってる。聞いたら今日は祝日だそう。失敗した。ミャンマー最終日だから買い物しようと思ったのに。

117
 昼食は寿司。その名も「オイシイスシ」。

118
 見えにくいけど、寿司職人のゆるキャラが「はい、おいしいよ!」と言ってる。

119
 久々の日本食。味噌汁が体にしみる。酢飯ではないのでおにぎりっぽさはある。

120
 午後イチでカセットを再訪。頼んでいたCDやカセットを購入。おばあちゃんに「明日日本に帰ります。また来年来ます」と言ったら「じゃあせっかくだから、今夜夕食一緒にどう?ご馳走するよ」。せっかくのご好意なのでいただくことにする。
 一旦宿に戻ってチェックイン。

121
ダウンタウンの中心にあるスーレーパヤーへ。

122
せっかくなのでお参り。

123
18時、カセット屋のご家族と寿司屋へ。

124
寿司以外のメニューもある。

125
記念写真。ごちそうさまでした!
20時過ぎに宿に戻り、帰国に備え荷物を整理。さっさと寝る。

10日目(3月3日)

 5時半起床。昨日頼んであったタクシーに乗り、6時に宿を発つ。空港まで8000チャット(約800円)。

126
 復路はエアアジア。チェックイン、出国審査、手荷物検査をさっさと済ませる。ここでジャケットを受託手荷物に入れたのが大失敗。

127
 両替所で余ったチャットをドルに替える。早朝7時だけど空いてる窓口あり。

128
 ゲートに向かうエスカレーター。ヤンゴン国際空港、本当に綺麗になったな。
 8時半、定刻離陸。

129
 12時45分、クアラルンプール国際空港に到着。ここでトランジット。
 先日事件があっただけに空港内はものものしい。手荷物検査、X線検査を計4回受けた。相変わらず腹痛がひどいので、昼食はマクドナルドのアイスクリームのみ。

130
 14時40分、離陸。ここでエアアジアの冷房地獄にやられる。ジャケットを預けてしまったので、腹痛のまま冷房に耐える。機内食でどうにか暖をとり、ひたすら到着を待つ。
 22時半、羽田空港到着。さっさと入国審査と税関を抜け、無事帰国。
 今回はなかなか長丁場だったけど、そのおかげで地方都市にも行けたしじっくり聞き込み調査も行えた。新たに知り合えた人もいるし、また来年行きたい。とりあえず、買ってきた音源が未開封なのでそこから始めよう。

3b. バルカン半島訪問記2 -コソボ-


3b. バルカン半島訪問記2 -コソボ-

Profile
darklogosmall

評論同人誌サークル「暗黒通信団」の雑文書き。
貧乏ノマド独身。英語は苦手。好きな地域は中東の砂漠。元コミケスタッフ。コテコテの理系。自称高等遊民。
詳しくは http://ankokudan.org/d/d.htm?member-j.html

 
シさんによるバルカン半島旅行記の第2弾です。第1弾はこちらをご覧下さい。なお、この旅では撮影済みのデータを破損してしまったとのことで、編集部によりイメージ写真を適宜加えております。


コソボという国の認知は微妙である。聞いたことないか、または空爆や戦争しか思いつかない。その昔セルビアから独立宣言をして、今や多くの国が独立を認めているのだが、当のセルビアが独立を認めていないので、外国からコソボに入るとコソボからセルビアへ抜けられない。セルビア側としては「セルビアの入国印が押してないじゃないか、不正入国者だ」という扱いになるからだ。なおセルビアからコソボに入るぶんには問題ない。ただ今回は経路設計の都合、ベオグラードからいったんマケドニアへ抜けてから(セルビア的に言えば)再入国することにした。ビザいらないからってやりたい放題。11時発13時着予定の国際マイクロバスでスコピエ(マケドニア首都)からプリスティナ(コソボ首都)へ向かう。お値段320ディナール(700円)で国境検問は陸路のくせに簡単にスルーだった。

※戦時下のコソボ
640px-War_in_the_balkans_kosovo_1999_3
(Author : marietta amarcord from italy, 紛争により破壊された建物. 廃墟と化したコソボ。1999年.)

プリスティナは意外にも綺麗な街だ。空爆ぽさはない。バス停も新しく、人の数の割にガランとしている。「世界遺産の教会に行きたいんですけど」と窓口で聞いたら、窓口嬢が、さも「観光物件なんてそれくらいしかないもんね」と言いたげに「4番レーンだよ。ハウリアップ(急げ)!」と言われた。でも急いでいったら運ちゃんが「満員だ、ここで次のバス待て」といって乗せてくれない。そしてバスは悠々と行ってしまった。ただ待っているのもしゃくだから、昼飯として2ユーロ(コソボの通貨はユーロである。ATMからユーロが出てくるのは感動だ)でやたら大きな肉+パンの昼飯を食った。なんか見た目1kgほどもあり、これ一個で1日OKみたいな大きさである。確実にぱんちょの大盛りスパゲッティより多い。ちなみに次のバスは僕が食べ終わるのを待っていてくれて、肉塊をなんとか口に押し込んだら即発車した。市内バスは頻発しているものらしい。

※プリシュティナ市街
640px-Prishtina_perspektivë_nga_Radio_Kosova_5
(Author: Arbenllapashtica, Prishtina perspektivë nga Radio Kosova 5)

とりあえず世界遺産の教会へ行くのである。観光物件はそれくらいしかないから。だいたいこの辺だよね、と直観でバスを降り、5分ほど歩くと確かにその教会は見つかった。が、なんというかしょぼかった。単なる教会ですね、という感じで、入場料もないし、修復中だし、観光客も誰もいないし、なんでこれで世界遺産なのかは分からない。教会なので内部の写真撮影は不可。まぁ、世界遺産といってもピンキリだから、どこか旅行にいくときに、すべての世界遺産がペトラとかピラミッドとかエルサレムみたいだと思ってたら不幸になるだけだ。

※世界遺産(ついでに危機遺産)のデチャニ修道院。コソボは世界遺産条約を締約しておらず、セルビアの世界遺産に分類されている。
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(The Decani Monastery; UNESCO)

仕方ないから外側の写真だけ撮って帰るかと思ったところ、帰りのバスが見つからない。降りたところまでえっちらおっちら戻っても、そこはバス停ではないらしく、タクシー屋がニヤニヤしながら「バス停は1キロ先だよ、ミスター」とか言ってくる。少しはタクシーに乗ろうかと思っていたのに、そうまで言われたら是が非でもバスで帰るしかないので、人に聞きまくって無理やりバス停の位置を絞り出し、本当に1キロ歩き倒した。現地のマダム2人がバスを待っていたところ、ほどなく見るからに路線バスな車両が到来。しかし乗ると10分もたたずに途中で降ろされ「終点だ。このチケットを見せれば次のバスに乗れるから」といって去っていってしまった。現地人も心外らしく、あれやこれや抗議をするが聞き入れてもらえない。「おたく観光客?ひどいねぇ」と(かなり)怪しげな英語で云われ、そうだそうだと同調する。友情というのはともに困難を克服することで生まれるんだって、少年ジャンプで習っただろ。

※コソボのバス
640px-Bus_in_Pristina_-_10
(Author : Andy Mabbett, A bus in Pristina, Kosovo.)

仕方ないから、その次のバスに乗ると、郊外の謎の山の頂上に連れて行かれ、現地人2人組とまたも抗議をすると、結局市内までそのまま乗せてくれることになった。抗議内容は現地語なので意味はわからない。そもそもここ、ほとんど英語が通じない。周辺諸国に比べてキリル文字がなくて読みやすいのだけど、英語はベオグラードのほうがよほど通じた。なんかロシア語とも違う感じの謎の言語で困惑したから、あとで宿の人に聞いたらアルバニア語の一種らしい。でもイエス・ノーはダーとニェなので、そこはロシア語ぽい。大丈夫、言葉が通じないくらい、冒険者にとって何の問題でもない。ドラクエの勇者だって通訳なしで全世界を旅してるじゃないか。

結局バスはバスターミナルではなく、予約していた宿から50mのところまで、0.5ユーロで連れて行ってくれた。結果オーライで良しとする。本来はバスターミナルから市の中心まではタクシー2ユーロがかかるのだ。

宿はビルの4F。エレベータもないので、でかい荷物を荷物満載の働きアリみたいに運ぶ。宿のスタッフは、僕を日本人だと認識すると、途端に目を輝かせ「この曲を知っているか」とBluetoothでアニソンを流し始めた。「ルパン三世ですね。日本人なら誰でも知ってます(キリッ)」という。話せばかなりの日本アニメ好きで、ワンピースやナルト的なものから手塚治虫まで幅広く押さえているギークなのであった。「Parasyte…なんだっけ」といわれたので「イブ?」と聞けば、「No, right hand!」とかいうので、「寄生獣?」「That’s!」となる。そんな会話が延々1時間続いた。寄生獣の英語版タイトルなんて知りませんがな。そもそも、コソボは(英語がろくに通じないくせに)ネットは速くて、日本にあるWindowsのリモートデスクトップがサクサク動いたりする。国内向けのwifiより速いのではないか。

15時くらいには宿についたので、郵便局からいくらかの知人宛てに手紙を出して、街をだらだらした。コソボなんて凄くヤバそうな感じのところから手紙を出したらインパクトあるじゃん。でも実際には極めて平和な街である。不謹慎にも爆撃の跡などを期待するのだが、ベオグラードと違って、そういうものは見当たらず、活気もあるし、なんだか新しい植民惑星の街みたいだった。通貨がユーロでネットが速くきれいな街。文句ない。

あけて翌日は雨だった。
AccuWeatherの天気予報では曇りとかいっていたが、実際は土砂降りスコールだ。使えない天気予報だな。朝食は8時からだと昨晩スタッフは言っていたが、朝8時にキッチンにいても明かりすらついておらず、誰もいなく、何もなかった。眠そうなスタッフに「朝ごはんって此処?」と聞くと、「今からマーケットに行って何か買ってくるから5分待って」といって買い出しにでかけていった。ドン引きだよ。30分くらいしてまたキッチンに行ったら、テーブルの上にパンが置いてあって外人たちがバターを塗って食べていた、パン、牛乳、ストロベリーティーだけの簡素な朝飯をご一緒させてもらう。会話なし。

プリスティナの街をよく見てから旅立とうと思ったが、雨がひどくて無理である。特に凄い必見物件があるわけではないし、見るだけなら昨日見たからいいやと、いきなりタクシーを呼んでもらってバス停へ。ちょうどプリズレン行きのバスが発車するところだったので飛び乗った。途中で晴れてくる。道が悪いのか事実上の一車線のためか、バスはゆっくりだ。

コソボには首都プリスティナの他にいくつか世界遺産を擁する街があって、その一つがプリズレンである。ティラナ(アルバニア首都)行きの経路上にあるので観光経路として無駄がない。ネット掲載の旅行記ではティラナ行きのバスは朝7時台しかないことになっているが、宿のオタクによるとプリスティナ発ティラナ行きのバスはそれ以外にもたくさんあるらしい。14時、14時半、15時発あたりが良いとのこと。

そしてそのプリズレン。長距離バス停は街のすぐ外れにあり、中心までは歩いていける距離である。ちなみにそのバス停のトイレはアラブ式であり、プリズレンにはたくさんのモスクがある。オスマントルコの時代のものだそうだ。ティラナ行き国際バスの時刻を聞くと15時発と17時半発を示された。それしかないらしい。しかし15時の便は高速道路上のバス停に停まるのでそこまではタクシーで行けとか、いやバス会社が15時にバス停から高速道路まで運んでくれるので、そこのカフェテリア前で待てとか説明が二転三転する。もともと言語に不自由するところだし、15時に高速道路なのに15時にカフェテリアで待ってたら論理的に間に合うわけがないので、最初に確かめるべく、そのカフェテリア前に行くと、「ティラナ!ティラナ!」とタクシー屋が吠えていた。これはあかん。諸外国のタクシー屋って、どこでも凄くクズ感を出している。

まぁ何とかなるだろうと冒険者然としたおおらかさでとりあえず観光に出る。なんせティラナ行きのバスまで3時間以上あるのだ。プリズレンは小さな町なので観光は全て徒歩でなんとかなる。しかし、どれもしょぼい。城壁は遠目に素晴らしいが、荷物が重いので登れない。というか、見るからに登る気を削ぐ高さである。その山の中腹に教会が立っていたりして、アフガニスタンあたりの山岳民族かよといいたくなる。

※プリズベン城壁からの夜景
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(Author : Arben Llapashtica, Kalaja e Prizrenit)

とりあえず話を聞くべくして入ったツーリストインフォメーションでは逆にやたら気合の入ったアンケートを食らった。観光物件が延々と列挙され、見たかどうかに始まり、今後観光客を増やすにはどうしたらいいかまで、まるでミステリーショッパーですかというくらいに詳細なコメント欄が並んでいる。ついていけないので全部にExcellentをつけていく自分はアンケートの誤差要因かもしれない。

世界遺産の生神女教会はしまっていたが、あとできくと9時から14時だけ空いているらしい。「地球の歩き方」にはジョージ教会で鍵を預かってるとか書いてあるが、そのジョージ教会に行ったら「知らん」と門前払いされた。歩き方の偽情報にいちいち腹を立ててはいけないよ、そういう本なんだから達観したまえ。文句があるなら素直にロンプラを読むことだ。なおツーリストインフォメーション様によれば、しまってる場合は向かいの警官詰め所に頼んで鍵開け人を召喚するのが正しいらしい。結局よくわからないが、たまたま鍵があいていたので猫のように滑り込んだら、一応中を見ることはできた。たしかに古くてカッコいい教会なのだけど、内装はボロボロで保存状態は良くない。これを見て感動しろというのは少し無理かも。14時に定時で教会を追い出され、そのままバス停に向かう。果たして15時過ぎにバス会社の乗用車が高速道路の脇にある雑貨屋のようなところまで運んでくれた。バスはその雑貨屋にだいたい20分遅れで来た。大陸時間バンザイ。

※世界遺産の正神女教会
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(Author: Graciela Gonzalez Brigas, The church of the Holy Virgin of Ljevisa)

コソボは出国手続きが存在しなく、アルバニアの入国手続だけが存在した。しかもスタンプすら押してくれない(入国も出国も!)。さすがは国民全部がねずみ講に引っかかった国というか。なおアルバニア語のトイレはVC GRA(女性用)とVC BURRA(男性用)と表記されている。間違えると怖いアルバニア人のオバサンに怒られる。しっかり覚えよう。

3a. tabinote旅行記 ミャンマー音楽紀行2017 その1


3a. ミャンマー音楽紀行2017 その1

昨年に引き続き2号にわたってミュージシャン村上巨樹さんのミャンマー旅行記を連載します。
(注:本事例は2017年2月時点の予約可能なプランおよび費用にもとづいています。)

Profile
村上巨樹

村上巨樹

岩手県在住。ギター奏者/作曲家/イベントオーガナイザー。自身のリーダーバンドte_riは今年活動10周年を迎える。日本の放浪芸とミャンマー音楽を研究中。

 2017年2月22日〜3月3日にかけてミャンマーへ一人旅に行ってきた。目的は音楽調査で、去年1月の渡航に続き2度目。前回は4泊5日でヤンゴンのみだったけど、今回は10泊11日で地方にも行く。
 引き続きミャンマー音楽の複雑怪奇な美しさに魅了されっぱなし。例えばコレ。違和感バリバリだけど、とにかく美しい。この謎にどこまで迫れるか。
https://youtu.be/S6yFOTxe_OQ

1日目(2月22日)


 19時頃、羽田空港到着。今回は往路は香港エクスプレス、往路はエアアジアを利用。本当は揃えたかったけど、この選択肢だと1日長く滞在が可能なので。

01
 早々にチェックイン。今回の荷物はリュック7キロとノートパソコンの2つを機内持ち込み。「サイズや重量、何かつっこまれるかな」と若干不安だったが、結局リュックの重さを計られただけ。サイズのチェックは無し。
 係員に言われたので復路のイーチケット、パスポート、ビザを見せる。最後「一度計ったのです、後で何か増やさないでくださいね」と念押される。
 保安検査~出国審査を済ませ搭乗ゲートへ向かう。ゲート周辺の座席にはコンセントが充実しており、今のうちにスマホを充電しておく。

02
 座席はこんな感じ。LCCならこんなもんかな。
 23時55分離陸予定だったが0時15分離陸。

2日目(2月23日)


 午前5時20分、香港国際空港に到着。ここでトランジット。香港エクスプレスはトランジットチェックインが必要。

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 羽田空港でもらった、トランジットデスクの案内図。

04
 しかしカウンターに着いたが、係員が誰もいない。案内所に聞いたら「時間早すぎ。待ってて」と言われる。やること無いので空港内のコンビニでサンドイッチを買い朝食。1時間くらいしたら係員が来た。

05
 トランジットデスクの一覧表。
 係員にパスポート、イーチケット、ビザを見せてチェックイン終了。搭乗ゲートへ移動し次の飛行機を待つ。午前7時15分離陸。
 機内では爆睡していたので、気付いたらミャンマー上空。滑走路が渋滞していたんだろうか、1時間くらい旋回していた。午前10時、ヤンゴン国際空港に到着。

06 
 1年ぶりのヤンゴン国際空港、その新しさに驚く。なんだこれ、めっちゃキレイになってる!去年来た時には古めかしいターミナル1棟のみだったが、今では新ターミナルが2棟稼働しており、計3棟だそう。

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 高級ホテルのような内装、英語やピクトグラムが併記された案内板、ピカピカのトイレ、ケンタッキーフライドチキンもある。(ミャンマーには外国企業がほとんど無い)
 入国審査場手前にある机で入国カードと税関申告書を記入する。すると入国カードを書き終えたタイミングで空港職人のおっちゃんに「そっちは書かなくてもいいから!早く列に並んで!」と急かされる。え!税関申告書も書かなくじゃダメだろ!?結局おっちゃんに言われるまま入国審査の列に並ぶ事に。えーいいのかなぁ、これで入国拒否されたらどうするんだろう。
 結果、税関申告書未記入でも問題無し。これでいいの!?もちろん他の書類やパスポートチェックはしっかりされたけど。

08
 到着ロビーを抜けて両替。ミャンマー国内では円から現地通貨であるチャットへの両替はほぼ不可能。あらかじめ日本でドルへ両替しておく必要がある。とりあえず400ドルをチャットに両替。
 タクシー案内所で1台手配してもらう。ダウンタウンにある宿まで9000チャット(約900円)。タクシーの運ちゃんに「どこから来たんだ?」と聞かれたので「日本から。ミャンマーの音楽が好きで調べてるんだよね」と言うと、運ちゃん音楽好きだと判明。話に花が咲く。幸先いいな!

09
 助手席にあったのは有名なミュージシャン・ミャンマーピーテインタンのVCD。

 宿に到着し、チェックイン。そして通訳とガイドをお願いしているウィンさんに「すみません。到着が遅れて今宿に着きました」と連絡。もうどこでもwi-fi必須。

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 ロビーにあったDJイベントのポスター。会場はなんと船。凄く気になる。

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 ウィンさん到着。ウィンさんは以前日本に住んでらっしゃったそうで日本語ペラペラ。頼もしい。近所のレストランで昼食を食べる。大量のパクチーを食べながら「あぁ、ミャンマーに来たんだなぁ」としみじみ。

 食事を済ませ、今日の目的地であるギタメイトに移動。ギタメイトとはヤンゴン唯一の私立音楽学校。前回渡航時に訪問したが、その時は誰とも会えなかった。その後メールでやり取りさせてもらい、念願叶って伺えることに。

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 ギタメイトに到着。ヴォーカル課の先生と校長先生に会い、ご挨拶を。今回の旅はまだまだ長いけど、まずはここに来れて良かった。この日は新校舎完成を記念し、ナップェーをやっていた。ナッは精霊の意で、プェーは祭り。精霊に扮した芸能者が歌や踊りを披露する儀式。日本で言うところの上棟式?

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 全ての儀式はサインワインとともに行われる。サインワインとはミャンマーの民族楽器を使ったアンサンブル。ようやく生で見れて感動。

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 サインワインを横から見た図。楽器はどれもアコースティック楽器だが音響設備あり。この音量増幅により、元来の陶酔感が倍増する。
 ナップェーも無事終わり、再び先生とあれこれ話す。実はギタメイトには明後日もう一度来るけど、それはまた2日後の日記で。タクシーに乗り宿へと帰る。

3日目(2月24日)


 午前10時、宿でウィンさんと合流。タクシーに乗り、今日の最初の目的地であるミャンマー音楽協会へ。ミャンマー音楽を研究している者としては、どうにか専門家の方にインタビューをしたいと思っていた。

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 作曲家の方々とお会いでき、インタビューをすることができた。細かい音楽用語やニュアンスをウィンさんがバシバシ訳してくれる。
 日本から持ってきた映像をパソコンで見ながら、あれこれ質問。ミャンマー音楽の謎がまた1つ解析できた。

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 インタビューの最後に記念写真を。お二方、貴重なお時間ありがとうございました!
 タクシーに乗り、カセットテープ屋へ。ここは前回渡航時に訪問済みで、その際かなり仲良しになったお店。

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 1年振りの再会。お二人ともお変わりなく元気そう。お土産のキモノロンジーを渡す。キモノロンジーとは鶴や桜をあしらった和柄の生地で、東南アジアの人に人気のお土産。売っているのは日暮里のミハマクロス。
 カセットやCDなど、資料になりそうなものやオススメを購入。幾つか店頭に無いものがあり、それは旅行最終日に再訪し受け取ることにした。

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 ウィンさんと昼食を食べ、午後は楽器屋、CD屋、カセット屋をハシゴ。(上の写真はカセット屋)日本から持ってきたパソコン映像を店員さんに見てもらいながら、欲しいブツをひたすら探す。

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 日が沈みかけた頃、タクシーに乗りシュエダゴンパヤーへ。去年は午前中に来たが、友人から「夜のほうが幻想的でキレイだよ」とアドバイスもらったので今回は夜に。結論から言うと、夜来たの正解!

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 ライトアップされたパヤーは幻想的だし、通路が熱くない(昼は直射日光のせいでホットプレート状態)。お祈りをしていたら、どこからともなく僧侶の読経が聞こえてきた。たまらない瞬間。

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 夕食は宿近くの路上レストランでチャーハンみたいなのを適当に頼む。この量で1200チャット(約120円)。

4日目(2月25日)


 この日は正午から動く。ウィンさんとホテルで合流し、とある人に会いに行く。知人から「ミャンマーレコードの研究本があるらしい」と噂を聞いていて、今から会うのはその発行者。

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 この本、かなり重い。1.5キロあり辞書レベル。中のほとんどはミャンマー語で読めないが、レコードジャケット一覧や蓄音機の新聞広告を眺めているだけで胸が熱くなる。

23
 どんな音だったんだろう。

 次はレコードを扱っている店を訪問。店員に在庫見せてもらって品定め。が、去年より値上がりしている。ディスカウント交渉したがいまいち。これだったら同じ金額分カセット買ったほうがいいな。というわけで1枚も買わず。

24
 去年も来たカセット屋へ。大量に陳列されている極彩色のカセット。見ているだけでテンションが高くなる。店主のおばちゃんにオススメ聞きながら品定め。「あんた去年も来たわよね」と言われてビックリ。「え!?そうです。覚えてらっしゃるんですか?」「だってウチに来る日本人はあんた含め3人しかいない」。他の2人の名前を聞いたら、そのうち1人は知人でした。狭いな。

25
 タクシーでギタメイトを再訪。おとといはナップェーだったが、この日は新校舎完成記念のコンサート。おめでたい日なのでごった返している。生徒もご近所さんも多数。

26
 ヴォーカル課の先生と記念写真。

27
 ギタメイトマンダレー校の先生と記念写真。CDをいくつかプレゼント。写真のは小川美潮の名盤「4to3」。

28
 この日は新校舎完成記念のコンサートは、ノルウェーの弦楽四重奏とギタメイトの生徒とのジョイント。本編終盤に歌われたのはルイ・アームストロングの「この素晴らしき世界」。いつもならスルーする曲だけど、この日は重く心に響いた。
 終演前にウィンさんとお別れ。3日間ありがとうございました!帰りはタクシーに乗って宿へ。明日朝が早いので早々に寝る。

5日目(2月26日)


 朝6時に宿を出る。手配してもらったタクシーに乗り、ヤンゴン国際空港へ。料金は10000チャット(約1000円)。
若干高いな。

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 国内線カウンターでチェックイン。評判良さげな航空会社はどこか事前に調べ、適当にエアKBZを選んでみた。ヤンゴン〜マンダレー間が114ドル。
 手荷物検査時に「そのリュック開けて」と言われた。大人しく開けると中から大量のCDが。検査官が物珍しそうに「マーマーエ(ミャンマーでは有名な古い歌手)とか聞くの?」と言ってきた。イエスと言うと「あっそう」だって。いいじゃんか別に。

30
バスに乗り機体へ。

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日本車だ。

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国内線なので小型。

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4列シート。若干狭い印象。

34
座席はこんな感じ。香港エクスプレスに比べ若干圧迫感あり。
8時15分、定刻離陸。

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機内食はサンドイッチ、甘味、チョコ、飲み物。まぁ朝食にはこれくらいが適量か。
1時間ちょっとでマンダレー国際空港に到着。あっという間。

36
 バゲージクレームで荷物をピックアップ。手荷物検査を抜けてタクシー乗り場へ。マンダレー国際空港はダウンタウンからかなり離れている。タクシー料金も、1人での利用なら12000チャット(約1200円)となかなか。シェアタクシーだと1人4000チャット(約400円)。少しでも節約したいので、シェアタクシーを選ぶ。

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 シェアタクシー(という名のバン)に乗ったら、フランス人女性のバックパッカーが乗ってた。出発まであれこれ会話。が、なかなか出発しない。どうやら満席にならないと出発しないらしい。現状乗客はうちら2人のみ。
 彼女から「2人でシェアして普通のタクシーに乗らない?」と提案されたのでイエス。値段交渉して俺は7500チャット(約750円)、彼女は7000チャット(約700円)。が、彼女は細かい紙幣も持ってなかった。ドライバーが「お釣り無いよ」と言って揉めてる。結局俺が細かい紙幣少し持ってたので仲裁。

38
俺の方が先にホテルに到着。チェックインして速攻タクシーに乗ってカセット屋に行く。

39
 1軒目。ずっと探してたライブ映像集が見つかり歓喜。

40
 2軒目。若者に人気のあるアーティストのVCDを購入。
 バイクタクシーに乗って宿に戻る。ヤンゴンでタクシーと言えば車だが、ここマンダレーではバイクが主流。同じ距離でもバイクだと半額になるし、そもそも車のタクシーはそんなに走っていない。

41
 この旅2度目の両替。宿の近くにあって便利。

42
 夜は人形劇の劇場へ。ミャンマーの人形劇はヨウッテー・ポエーと言い、国が保護している伝統芸能だ。去年ヤンゴンの劇場で見たが、その時はBGMがカラオケでがっくし。この劇場はサインワインの生演奏がちゃんとある。

43
 ステージの前方にサインワインがある。てっきり人形劇だけだと思ってたけど、蓋を開けてみたら伝統舞踊とサウンガウ(竪琴)の演奏も見ることができた。ラッキー。

44
 終演後、打楽器奏者と少し話すことができた。ミャンマー音楽のキーワードを1つ教えてもらう。喫茶店でジュース飲んで、宿戻って就寝。

6日目(2月27日)


 朝7時起床。ホテルが王宮のすぐ近くなので散歩してみる。

45
 マンダレーの中心に鎮座する王宮。外郭を歩くがとにかくでかい。外郭は正方形で、その一片を歩くと30分かかる。

46
 体操用の遊具が点在している。利用率は高い。
 せっかく散歩に出たので、この先にある朝市まで歩いてみる。

47
 売り手と買い手でごった返している。

48
 雑然とした雰囲気、客寄せの声、バイクのクラクション。それらが混然一体となっている。

49
 小腹が空いたのでモヒンガーを食べる。そうめんに近いミャンマーの国民食。400チャット(約40円)。

50
 ごちそうさまでした。
 バイクタクシーに乗り、宿へ戻る。
 宿の近くに昨日の人形劇シアターがあるので行ってみる。すると人形使いのおじさんが表にいて、インタビューできた。

51
 おじさん、5回も来日したそう。
 宿に戻りチェックアウト。フロントで荷物を預かってもらい、また外出。
 午後イチで昨日のカセット屋を再訪し、追加であれこれ買う。それぞれの店でラインナップは大きく異なるので、見つけたら即買うのが良い。
 「地球の歩き方」に書いてあったYMCA日本語学校に行ってみる。ボランティアで日本語を教えてらっしゃる初老の男性と会うことができた。「この先にシュエターチャウン運河があって、そこを越えると一気に景色が変わりますよ」と教えてもらった。せっかくなので行ってみる。

52
 運河(というか川)にかかる橋。ここを越えると雑然度合いが一気に増す。舗装されていない道路、舞う砂煙、バラックで作られた住居。川が貧富の差を線引きしているように思える。

53
 電話帳で見つけたCD屋。収穫なし。

54
 たまたま見つけたVCD屋。ここも収穫なし。
 夕方、バイクタクシーに乗り宿へ戻る。フロントの係員が「シャワー浴びますか?」と気を使ってくれた。断ったが素晴らしい。更にマンダレーでの音楽情報をあれこれ教えてもらえた。次回行きたい。ありがとう!
 17時、ピックアップトラックが迎えに来てくれた。今からバスに乗り、遺跡の町バガンへ移動。

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 トラックが市内のホテルを巡り乗客をピックアップする。今回利用したのはネットで評判の良かったOKバス。店員20人弱の小型バス。おしぼりと水のサービスあり。
 17時40分、出発。バガンまでの道はかなり悪路だが、アトラクションのようで面白い。街灯の無い道路を疾走する様は飽きない。
 途中ガソリンスタンドに立ち寄る。でもエンジン止めずに給油。いいのか?

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 営業所に立ち寄り、トイレ休憩。車内は冷房きついので上着必須。
 22時、バガンのホテルに到着しチェックイン。荷物降ろして近所のレストランでようやく夕食。

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 フィッシュカレー3000チャット(約300円)、ライス500チャット(約50円)、スプライト1000チャット(約100円)。豆は勝手に出されたけど手をつけなかった。

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 レストランの真向かいにあった仏塔。ライトアップがクリスマスツリーみたい。

3b. 世界の街を走ってみる~その2 ポートランド


3b. 世界の街を走ってみる~その2 ポートランド

tabinoteワタベです。
不定期連載として、世界のいろんな観光都市のランニング体験を紹介します。
第2回は前回のロンドンに引き続き、アメリカのポートランドです。


ポートランドは西海岸の北側、オレゴン州の州都です。
全米一住みやすい町、環境先進地域などとして知られ、日本人の渡航者も急増中です。
アメリカの都市には珍しい、クルマに頼らない公共交通機関(トラム)を使ったコンパクトな都市計画が評価され、日本のお役人さんも視察に来ます。
日本からはデルタの直行便がありますが、ロサンゼルスやシアトルからも容易に行くことができます。
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しかし、なんといっても日本でよく取り上げられるのは、カフェとかアウトドアとか、そのあたりのゆるいカルチャーの聖地みたいなイメージではないでしょうか。実際そこかしこにコーヒー屋や尖った店がたくさんあります。
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「ポートランド 聖地」で検索するとでるわでるわ…、まちづくりの聖地、コーヒーの聖地、クラフトビールの聖地、アウトドアの聖地、自転車の聖地、DIYの聖地…、どんだけ聖いんだよ!
キラキラとポートランドの魅力を語る人の発言を読んでいると、なにやら人を惹きつける魔力がうずまいていることは確かでしょう。

そして、なぜかというか当然のようにというか、ランニングの聖地という声もあります。
Wikipediaによると、ポートランドではランニングが盛んで、ポートランドマラソンや世界最大のリレーイベント(フッド・トゥ・コースト・リレー)が行われているとのこと。ナイキとアディダスアメリカのお膝元でもあるようです。
聖地と呼ばれるからには、それだけではないでしょう。何か秘密があるはずです。

私がポートランドに行ったのは8月の始め。
ポートランドの名物は曇り空、というくらいに雨が多い土地柄だそうですが、夏は晴れの日が多いベストシーズン。気温も30度にとどかず、湿度も低めという理想的なコンディションでした。
さて、ウワサ通りの聖地なのかどうか、秘密をあばいてみることにしました。


私が宿をとっていたのはダウンタウンの中心部。まずは観光名所であるワシントン・パークに向かい、そこから適当に市街を貫くウィラメット川沿いを走ってみようと思いました。ワシントン・パークには動物園やバラ園、本格的な枯山水をそなえた日本庭園などがあるそうです。
市街の見取り図はこんな感じですね。
Pioneer Courthouse Square to 501 SE Hawthorne Blvd  Portland  OR 97214  USA   Google Maps
(画像:Google)

日本ならふだん私はSUICA一択なのですが、海外ではお金をどうやって持つかが悩みです。
ポートランドにはコンビニっぽい店はありませんが、そこかしこにセーフウェイやホールフーズといったスーパーはあるので、クレカが一枚あればなんとかなるだろうと考えました。道に迷ったらスマホでUberを呼べば帰れます。

いくら快適な気温といってもやはり夏。涼しい朝のうち、6時台に宿を出ます。
宿からバーンサイド通りという東西に伸びる道に入り、そのまま西のワシントン・パーク方面に向かいました。道は…、正直そんなに走りやすいわけでもありません。歩道は凸凹していて広くもせまくもなく、まあ、普通です。
写真のような自転車専用道はすばらしく充実していますが、さすがにそこは走れません。
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西に向かうにしたがい、だんだん道が坂になっていきます。
そう、実はワシントン・パークは最高標高265mというちょっとした山。眼前に伸びる急坂を見て多少ひるみます。あれ、聖地だけどそんな走りやすくないぞ…。
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途中にZupan’sという高級スーパーがあったのでひやかしに入ります。同じ道を戻ってきたらここで水分補給ができそうです。
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ひーこらしながら登り、ワシントン・パーク到着!
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案内板を頼りに進みますが…日本庭園は開園前。
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仮に開いていても、クレカが使えなければ入れません。こだわらず先に進み…、なんとかバラ園っぽいところに滑り込みました。
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ホロコーストメモリアルという案内に惹かれて向かってみると…、
どうやら、強制収容所で亡くなったポートランド出身者の慰霊碑?
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朝からヘビーな気持に。

この日は日曜日。しかし、朝早すぎたのでしょうか?ランナーはおろか犬を散歩させる人すら見かけません。やや拍子抜けであります。

こうして空を見ると、まるで山の中ですね。
遠くに見えるのはポートランドのシンボル、マウント・フッドです。
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さて、今度は坂を駆け下り、再びダウンタウンの南側を通って川沿いへ。
川沿いには遊歩道が整備されており、やっとランナーを見かけるようになりました。
しかし結構体格のよい方が多く、ペースもむちゃくちゃゆっくりです。

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ヨーロッパでも日本でも、ランニングする人ってのはもうちょっとガチ走りの人が多い感じです。好意的に考えれば、真面目な人しか走ってない他の都市とは異なり、ポートランドではランニングが体力レベルに関係なく日常に浸透している、と考えられないこともありません。むりやりですが…。

川沿いを北上し、橋を渡ってみました。
自転車ラクそう…。
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いいかげん疲れてきたので宿に戻ります。
途中にファーマーズマーケットを発見しましたが、現金がないので何も買えず。
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しかし、おそろしいことにまったくノドが乾かず、無給水でした。いくら朝とはいえ真夏のランニング、東京ではとても考えられません。湿度が低いだけでこんなに違うのかと新たな発見でした。

こんな感じで中心部をぐるっと巡りました。
Garmin portland

全般的な印象ですが、川沿いや丘陵などバラエティに富んだコース、穏やかな気候は魅力的です。ただし、道が走りやすいとは思わず、ランナーもあまり見かけませんでした。一度だけではそれほど印象が強くなかったのが正直なところ。
これはもう一度行って確かめるしかないな!と思わせてしまうあたり、私も既にポートランドの魔力にはまってしまっているのかもしれません…。

3a. バルカン半島訪問記1 -ベオグラード-


3a. バルカン半島訪問記1 -ベオグラード-

Profile
darklogosmall

評論同人誌サークル「暗黒通信団」の雑文書き。
貧乏ノマド独身。英語は苦手。好きな地域は中東の砂漠。元コミケスタッフ。コテコテの理系。自称高等遊民。
詳しくは http://ankokudan.org/d/d.htm?member-j.html


蘇州号に乗ったとき、たまたま船の中で一緒になったセルビア人が「ベオグラードは物価安いよ」と言っていたのが気になって気になって、夜もぐっすり安眠だった。そんなわけで数回に分けてバルカン半島の話を書いていきたいと思う。第一回はそのベオグラード。アルファベットでの綴りに2パターンがあって(Beograde, Belgrade)検索するとき困っちゃう街だ。

何だかロシアの街みたいな名前だが、セルビア共和国の首都である。ブルガリアとルーマニアの西、ハンガリーの南くらい。ブルガリアやルーマニアよりも西欧に近いのだから、もっと発展してるだろうと思うのだが、それは微妙かもしれない。本誌の読者層がどんな年代かは全く分からないが、30代以上くらいなら「コソボ紛争」を覚えているかもしれない。その舞台となったのが旧ユーゴスラビア連邦共和国である。スラビアというくらいなのでスラブ人たちの領土であり、つまりキリル文字が踊っている地域だ。セルビア共和国はユーゴスラビア連邦共和国の成れの果てである。

ベオグラードの空港はニコラ・テスラ空港という。この名前を知らない理系はモグリだ。エジソンと同時代の人で、交流電気に関する様々な発明をした人である。テスラコイルが一番有名だろうか。現在では当地の紙幣にもなっている。科学者が空港の名前になってるなんて素敵な国だと思う筆者は理系である。ときは9月後半。乗客が入れ墨だらけで楽しかったが、この空港、なかなかシュールでよかった。空港なので写真を撮れないが、手荷物レーンの口が自動車の後部になっていて(何かの広告らしい)拾われなかった荷物はクルマの荷台に吸収されていく。微妙にダサくて笑える。

いつものことだが、お仕事の合間にちょっと寄り道しているので、滞在時間が厳しい。ベオグラードに許された滞在時間はわずか数時間だ。ATMで現地通貨をおろし、空港を出ると爽やかな風が通り抜けた。「ああ、いい街だな」と思う。外に出れば車が溢れ、人は公園でくつろぎ、子どもたちは跳ね回っている。空爆ばかり有名だが、現在は全く問題ない平和な首都に見える。日曜だからか、謎の音楽フェスタや結婚式もやっていた。字は読めない(一応アルファベットと対応させられるので全く無理というわけではないが、脳に変な負荷がかかるのは確か)が、英語は通じるらしい。
ベオグラード中央駅

ベオグラードで外せない観光物件は「ニコラ・テスラ博物館」である。空港に名を冠されてる有名人の博物館はマスト。空港から市内へ向かうバスは、中心部の長距離バス停と鉄道駅を越えて坂をのぼり、終点の広場についた。キリル文字で読めない地名をなんとかねじ伏せ、「地球の歩き方」とにらめっこして場所を把握。なんせスマホなんて便利なモノは持っていない。旅の大きな荷物をひいて坂を登っていけば、ほとんど回り道もなくすんなり博物館についた。

この博物館は実演展示が素晴らしいので紹介しておこう。テスラ氏は交流電気の研究者だったが、交流というのはだいたい電圧が高い。発電所から50万ボルトとかの超高圧送電線を通ってくるのが交流だ。そんなものを実演展示するのはさすがに危険だから、見学もツアー形式になっていて、係員氏が英語で解説しながら、まるでマッドサイエンティストの実験みたいな放電バリバリを淡々と演示してゆく。
ニコラ・テスラ博物館説明員

単なる演示にとどまらず、参観者に蛍光管を持たせて「はいスイッチ入れますよー」といって全員の蛍光管が光るさまは、スリルもあって圧巻だ。日本でも大学の文化祭とかでやっているネタだが、本場テスラ博物館でやられると(スケールと)インパクトが違う。なんせ係員氏が準備の電源を入れると館内全体にガゴォンという音が響いてどこかで巨大モーターがまわりだし、徐々に音が高くなっていく。いかにも旧世界の巨大兵器を起動しているみたいで半端なくかっこいい。そしてエネルギー充填120%になって発射準備完了ともなれば、全員が配られた蛍光管を、各人まるで三銃士が誓いをたてるみたいに上に突き出す。するとあら不思議、色とりどりに光るのだ。
レーザーブレード!

他にもワクワク感いっぱいの博物館だが、交流展示の説明はちゃんとやると複素数とかが出てきて面倒なのでパスしたい。博物館を一通り堪能して、空港バスの広場に戻り、坂を下って次は長距離バス停に向かう。何といってもチケット買わなきゃ。

この坂の途中に、有名なNATOの空爆跡ビルなんかがある。時の政権がコソボに侵攻(といっても自国領内なんだけど)した罰としてNATO様に爆撃されたわけだが、いまだに根に持っているらしく、わざわざそのままにして観光物件にしているわけだ。道端にあるし、ガイドブックにも載ってるし、入場料もないから、みんなバシャバシャ撮ってるかと思ったら、そもそも道を歩く外国人は自分しかいなかった。
NATO空爆跡

何というか欧米人は自己否定されるのがよほど嫌なのか、こういう嫌がらせを敢えて甘受する根性はないらしい。通りには観光客の代わりに治安部隊様が溜まっていて、カメラを出すと「なんだおまえ?」みたいに怪訝そうに見られる。治安部隊様だから治安はばっちりだが、居心地は悪い。NATOの空爆跡を後生大事に見せているあたり、相当アメリカが嫌いなのかと思っていたが、実はマックも繁盛しているし、クレジットカードも使える。そのあたりはガチ反米ではないらしい。ただしこのマック、生ユーロは使えず現地のディナール通貨しか受け付けない。ついでに物価だが、ミネラルウォーターが1.5Lで60円くらい。アラブほどではないが安い。隣国との関係で言えばギリギリユーロ圏ギリシャの半分くらいか。

長距離バス停まで来たものの、当初予定していたバスはないと言われて困惑した。あとの予定が狂うのだが、何とかなるだろうと楽観視して2時間後のバスを予約。ちなみにこのあたりの長距離バスはネットでだいたいの時刻表を検索できる。仕方ないので観光の続き。ベオグラード市中心部の主要交通機関はトラムだ。なかなか風情ある路面電車だが、運賃の払い方が分からない。どうもトークンのようなものがあるらしいのだが、買い方すら分からないまま無賃乗車を繰り返すことになった。それでも、いいよいいよと意に介さない運転手はなかなかの好人物たちである(ヨイショ)。
トラム

ベオグラードの有名観光物件は城塞公園だ。トラムを降りて石畳をあがっていけば、北の丸公園みたいに、城塞の中にテニスコートとかの施設がある。
城塞公園入口

オモチャみたいな戦車も飾ってあったりしてややカオス気味。
謎の戦車

通路が石畳でアップダウンがひどいから、大きな国際仕様の荷物をひきずっているとヘトヘトになる。だいたい普通はこういうのは宿に荷物をおいてやることだ。城塞公園には午後の光を浴びてリラックスする現地の猫的ピープルが多数くつろいでいて、犬と一緒に寝ていたりする。ジョン・ロックのいう自然状態とはこういうものであるのかと感慨深い。自分も概ね猫的であるが、犬と寝る趣味はないので、そのまま城塞から降りていくと、聖水をくれるという教会があった。
聖水をくれる教会

面白そうだと思うので行ったらちょうど結婚式をやっていたので、笑顔全開で写真を撮ってみる。
教会の入口ではバイトらしきシスターたちが町内会のイベントみたいに和気あいあいと水をペットボトルに詰めていた。そしてなんとそれが例の聖水であった。ありがたみないなーと思うが、とりあえずくれと言ったらくれたので良しとしよう。寄付を要求されたので20円相当の硬貨をプレゼント。ちなみに半年たったがまだ開けていない。モンスターに襲われたらぶっかけようと思っている。隣国ルーマニアにはドラキュラ城もあるから、そちらに向かう人には必須アイテムだ。
これが現代の聖水

そんなこんなで自然状態を満喫しすぎ、長距離バス停には全速ダッシュで戻る羽目になったのだった。

3b. 世界の街を走ってみる~その1 ロンドン


3b. 世界の街を走ってみる~その1 ロンドン

 
tabinoteワタベです。
海外に限らず、旅行に行くときはランニングができる準備を一通りしていきます。
ケッ、意識高えな、という呟きが聞こえそうですが、何とでも言いやがれ。

以前、作家の角田光代さんがどこかに書いていた文章を読みました。
彼女は海外旅行が趣味らしいのですが、いかにもランニング、って格好で街を走るとなぜか危ないエリアに行っても平気だし、パスポート持たなくてもいいので気軽なんだそうです(パスポートは持ってた方がいいんだろうけど、持たなくてもいいような気がしてくるらしい)。

わざわざ旅先で走らなくても、と思っていた私ですが、それを読んで興味を持ちました。実際に走ってみると確かにいいことだらけで、いろんな見どころを短時間で巡れるし、公共交通機関より速かったりするし、もちろんじっくり見たければ見てもいいし、確かに危険なエリアにもなんとなく立ち入りやすいし、徒歩やタクシーや公共交通機関とは違った目線で街を見れたりして、すっかりハマってしまいました。
途中で出くわした博物館に汗だくで入ったこともありますが、館内には同じようにスポーツウェアの人も多く、意外に平気だなという実感もありました。

というわけで、私の限られた経験内ではありますが、世界のいろんな観光都市でのランニングを紹介します。
第1回はイギリスの首都ロンドンです。


ロンドンに行ったのは2016年の3月初め。
気温は東京と同じか、やや寒い時期です。
この時はあまり滞在日程がなかったので、市街をぐるっと回ってみようと思いました。

ワールドメジャーマラソンの1つロンドンマラソンが開催される都市でもあり、ランニングが盛んな土地といっていいでしょう。
ランニングルートも豊富です。検索すると、テムズ川沿いのコース、ハイドパーク、リージェンツパークなどがおすすめとして出てきます。

Six in the city: London’s best running routes
RUNNER’S GUIDE TO LONDON : ROUTES

私はシティのあたりに宿をとっていたので、西側に行きたいなと思い、適当にコースを設定しました。ハイドパークまで行って、テムズ川沿いを通って戻る20kmくらいのコース。
ルート設定の際には、道を間違えないようになるべく大きな通り・メジャーそうな通りを選ぶことにしました。

実際に走ったルートはこんな感じになりました。
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お金をどのくらい持つかに悩みました。
日本の場合、SUICA付きのクレカを一枚持って出ればコンビニで飲み物も買えますし、道に迷ったら電車やタクシーで帰れます。
ロンドンの場合、オイスターカードという交通機関で使えるSUICAのようなプリペイドカードがあります。これと普通のクレカ、それにポンド札をビニール袋に入れて小さくたたみ、ランパンの後ろにつっこみました。これで道に迷っても帰れるでしょう。

ロンドン留学センター:Oyster Card / オイスターカードについて


それではランニング開始。
宿を出て西に向かいます。
オールドストリートからソーホーの方に。
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平日なのですが通りは人だらけ。コース設定失敗したかなと感じます。

そこからオックスフォードサーカス、マーブルアーチと西に移動。ハイドパークに入りました。
のどかな公園で、走っている人が沢山います。ここでは走ったり歩いたり。
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公園の中心、サーペンタイン湖の周囲は平和な雰囲気です。
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だらだらバッキンガム宮殿を見ながら東に戻ります。
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途中のスーパー(テスコ)で飲み物を補給しました。
ビック・ベンのふもと、ウェストミンスター駅から橋を渡り、テムズ川を超えます。ここからはロンドンを象徴するようなテムズ川沿いの光景が楽しめます。
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川沿いのランニングコースは大変走りやすく整備されています。工事だらけで全然通れない隅田川も見習ってほしいものです。
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この日は平日。夕方になったからなのか、場所柄なのか、このあたりではソーホー界隈で全く見かけなかったランナーにすれ違うことが多くなってきました。
しかも、なんか異常に速い!女性やレスラーのような体格のいいランナー、皆、息を弾ませてガンガン走っています。4月にロンドン・マラソンがあるので、その追い込み練習でしょうか。
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ロンドン橋を超えてタワーブリッジを渡り、シティに戻ってきました。
バックパックを背負った、おそらく帰宅ランのビジネスマンを見かけます。この人たちも速い!のんびりジョギングを楽しむという空気がまるでありません。

私もペースを速めてゴール。トータル20kmちょっとでした。休んでばかりでしたが…。
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印象では東京よりもはるかに走っている人が多く、ランニングが盛んな雰囲気を感じました。若い人が多めですね(東京は年配のランナーが多い印象)。テムズ川沿いはとても走りやすく、景色もザ・ロンドンという感じですばらしいものがありました。