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3c. 台湾南北縦断 その2


3c. 台湾南北縦断  その2

 
tabinoteタグチだ。

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台湾大陸縦断の旅、初日は台北から高雄まで南下したが、3日目からは北に戻る形になる。

4月5日 高雄>台南

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高雄から台南までの移動は電車で、もちろん新幹線ではなくローカル線だ。

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1時間強で台南到着。台湾の駅舎はレトロでいい感じのものが多い。日本統治時代の建築も結構残っているらしい。
ガラガラカート引っ張って宿まで歩く。暑かった。
3000円くらいの安宿だったんだけどぜんぜん快適。しばらく昼寝。

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tabinoteワタベに「なんかうまいものない?」と聞いたら「台南はタウナギ!」と帰ってきたのでGoogle検索。
徒歩圏にタウナギ専門店があったので期待して向かう
ちなみにタウナギとは鰻とはまったく関係ない黒くてかなりグロい魚
画像検索(微グロ)

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で、出てきたのがこれ。あんかけ麺みたいな感じで見た目はおいしそうなんだけど、、、
タウナギはともかく味付けが酸っぱいウスターソースみたいな感じでかなり微妙であった。
進福炒鱔魚專家

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そのまま徒歩で大東夜市へ。
夜市には食べ物屋台はもちろんだけど、こういう子供向けのゲームなんかもたくさんあって本当に夏祭りの縁日みたい。

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ここは道沿いではなくちょっと広めの広場みたいなところが会場。幟がいっぱい上がってて景気よかったなあ。

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ステーキ屋さんでは岡本太郎先生デザインの旧バファローズシンボルが使用されていてちょっと感動した。

4月6日 台南

台南2日目はちょっと疲れたので昼まで宿でダラダラすごす

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日本統治時代に山口県出身の実業家である林方一氏が創った台南初の百貨店という林百貨店。敗戦により長らく使われていなかった建物をリノベーションし2014年に台湾発の様々な商品をラインナップするショップとしてリニューアルされた。
まあ、おしゃれで高いものばっかりだったからなんにも買わなかったけど。

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昭和の街並み感あって歩いてるととても落ち着く。

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きのうのタウナギのリベンジじゃないけど、検索したら鰻屋が見つかったので入る。
鰻丼作

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鰻丼も肝焼きもおいしゅうございました。鰻丼1500円くらいだったかな。

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どこも同じ弁護士の看板。

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夕食は羊料理の店に

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スープがうまかった。

4月7日 台南>台中

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お昼に台南駅へ。台中までの移動はバスにしてみた。
台湾のバスはだいたい3列シートでとても快適。3時間ほどで台中到着。

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台中の宿はちょっと張り込んでお高いところに。
HOTEL ONE

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高層階で窓からの景色も最高。

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もちろん行くところは夜市に決まっている。
逢甲夜市は逢甲大学の近く。ほんと台湾の夜市はそれぞれ個性があって楽しい。

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魯肉飯はじめ台湾料理を台湾ビールと共に食い散らかす。

4月7日 台中

この日も昼までホテルで怠惰に過ごす。

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台湾の古建築リノベーションブームの火付け役となった有名な宮原眼科へ。

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吹き抜けを活かしたオシャレ空間が見事。

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柄にもなくアフタヌーンティーをキメる。

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旧市街はかなり荒廃しており、このような味のある廃墟もたくさん。

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赤レンガの台中駅舎を散策。駅はいい。

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自衛官募集中。

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バスの中でイチャるカップル。

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本日の目的地。

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台中インターコンチネンタル野球場

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台湾のプロ野球にはずっと興味をもっていて一度行きたいと思っていたのだ。

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が、場内は閑古鳥が鳴く残念な入り。

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とは言え応援団はなかなか賑やか、なによりチアガールがかわいく楽しめた。

4月8日 台中>桃園飛行場>チェンマイ

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というわけで最終日はバスで直接桃園国際空港へ向かいVエア直行便でチェンマイへ。6日間の台湾の旅は終了だ。
今回はじめて台北以外をまわってみたのだがとにかくどの街も個性があり夜市も楽しい、今回は偵察的な感じだったがまたあらためて何度も行ってみたいと思った。

3a. 御柱祭のついでに長野の私鉄に乗ってきた ~4日目「御柱祭>長野電鉄」~


3a. 御柱祭のついでに長野の私鉄に乗ってきた ~4日目「御柱祭>長野電鉄」~

好評、ハードコア音鉄(おとてつ)車内走行音派の黒田基介氏による、長野県私鉄走行音録音紀行レポート。3日目となるこの日は上諏訪の御柱祭を見物に行かれたようですが、それだけで帰るはずもなく……。
(注:本事例は2016年4月時点の予約可能なプランおよび費用にもとづいています。また、一部図版がサイズの関係で判読しづらい場合があります。後日PC用サイトにアップされるバックナンバーには原寸の図版を掲載する予定です。メルマガ版では雰囲気だけでもお楽しみください)

Profile
黒田基介

黒田基介

黒田基介(くろだ・もとすけ)
1975年東京都世田谷区生まれ。音鉄車内走行音派。



2016/04/09



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本日の予定

4:30 長野
起床。起床できてよかった。余裕も充分ある。駅まで徒歩7分なのでゆったりしていたら、突然の下痢。疲労か?トイレにこもっていたら間に合わない時間になってしまったので上田線の最初のサイクルをあきらめることにする。事前調査ではこの日2回採る1000系の一本目なのでそれほどダメージないはず。あと、4/7に長野電鉄長野線の普通車両二種の録音は終わっているので今日はプランBでゆく。

5:59 長野
あっぶない!横になったら寝てた。再びトイレに。トイレで計画を立て直し、6:42長野発に変更することにする。上田で32分の乗り換え時間があるのでよさそう。少し落ち着いてきたので昨日の夜にヨーグルト買っておいたのを思い出して飲む。部屋の片付けをして出よう。ちょっと夜食を食べ過ぎたかもしれない。

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6:33 長野(しなの鉄道線)
10分前入線。発車前に色々やることがあるので余裕があるのはありがたい。西武新宿線は入線即発車だったのを思い出す。

7:33 長野(しなの鉄道線)
思ったのと逆方向に発車する。クハに乗ってしまった。仕方がないのでモハに乗り換えて録音テストに切り替える。古い車両だし乗客が少ないので録音レベルを下げてみる。
LS-11 lo3bin
しなの鉄道はドアを手でこじ開けるスタイル。車内のモニターでしなの鉄道の1日乗車券の存在を知る。HPに書いてなかったけどあるじゃねーか!そして、この列車はそもそも録音しない予定だったのを思い出す。

7:37 上田(しなの鉄道線)
寝ぼけて西上田で降りかけた。さすがに眠い。上田で下車してフリーきっぷを買う。

7:38 上田(上田電鉄)
改札付近にゴツいカメラを持った鉄がいる。どうしようもないが注意が必要だ。録音中にカシャカシャされたらたまったものではない。

7:46 上田<>別所温泉
到着した電車は…おかしい1000系だ。6000系が来るはずだった。

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(画像:黒田;上田電鉄上田駅)
大失敗!なぜか車種別運行表を見間違えてた。なぜか、というか今回は見間違えが多い。見間違えたが予定通り来れてれば問題なかったのだが、朝の4運行の6000系に乗れないことになった。別所温泉往復しつつ今後の予定をおおまかに改変する。今日は上田電鉄往復を一本減らすことにした。このまま1000系を何本も録音しても仕方ないからだ。結果当初予定から2本減らした。余裕持って宿に戻り早く寝ることにする。今現在眠気がひどく、イビキかきがちだからだ。明日は直江津に出るのを諦めてもう一度上田へ向かおうと思う。とにかく上田電鉄を終わらせないと。また旅程の大改造しなければならなくなった。うまくゆかないのは折り込み済みのはずだが、これはいくらなんでもひどい。ひどいが、方針が決まれば行動するのみだ。とにかく淡々と今日の予定をこなして明日の予定は今晩立てることにしよう。
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9:46 長野
長野に戻って駅の立ち食いそば屋へ。カレーうどん頼む。後で、長野だし蕎麦を食べるべきだったと後悔。
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(画像:黒田;JR長野駅)
10:44 長野<>小諸
淡々と乗り換えてしなの電鉄線をこなす。それなりに乗客が多く、席取りを優先しなければならないので先頭車両の写真などなかなか撮影が難しい。今日は咳が出そうになる。一回咳をしてしまった。
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(画像:黒田;しなの鉄道長野駅)
14:10 長野
イビキかきまくりながら長野到着。疲れが・・・。
今日の長野日報の一面が全面御柱の写真で、僕らも写っているという連絡が来たので、長野日報を探して駅ビルの書店へ。書店て新聞売ってないのかあ。結局見つからず。どうやら諏訪の新聞だったようだ。外は暑い。初夏か?エアコンがつかないことを祈るばかり。

14:33 長野
乗り換え一時間でまだ余裕があるので駅ナカのBeck’sへ。色々と敗因に思いを巡らせてしまう。四月頭は時刻改正で失敗しがちだ。荷物少なくて済むので楽なんだが。いや、考えるのをやめなければ。淡々と録音をこなしたい。しかし上田は遠い。

15:14 再度上田へと移動

16:19 上田電鉄7200
観光客が多くざわざわしている。できれば乗客のいない状態で純粋に列車の音を録音したいが、うまくゆかないことの方が多い。イライラしても仕方がないのでそういう場合は、「旅情編」として楽しむことにしている。地元の人たちの方言まじりの会話は記録しておく価値もあるだろう。しかし観光客は・・・。家にテレビが無いので知らなかったけど、上田は今アツいみたいだ。それにしても暑い。来週にはもうエアコンが入りそうだ。タイミング的には丁度よかった。
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(画像:黒田;上田電鉄上田駅)

16:44 上田電鉄7200帰り
写真を撮っている間に進行方向左側のいい位置を女性二人連れに取られていた。車両には乗客6人。その横に座るわけにはいかなかった・・・。

16:46 上田電鉄7200帰り
八木沢。ゴツいカメラを持った鉄が四人乗り込んできた。警戒。

17:37 しなの鉄道線(上田>長野)
腰が痛いかも。そして、ついにエアコンのスイッチが入った。

18:12 しなの鉄道線(上田>長野)
もうクタクタだ。北しなの線にエアコン入ってたら休憩しようと思ったが、入ってなかった。乗り換え割とタイトだったのであまり良い位置が取れず。手足がひどくむくんでいる。この往復を我慢したらさっさと宿に戻って明日の準備して寝よう。疲れると40分とか20分がすごく長い。

19:06 北しなの線(長野>妙高高原)
さあ今日最後の一本開始。時間があるし他にもやろうかと思ったが体力的に限界。早く長野戻りたい。腹減った。長野で何食べよう。明日の朝の体調について考えると慎重にならざるをえない。長野を出る時はエアコン冷房の心配をしていたのにさすがに「高原」とあるだけに、ここは寒い。しかし長野の人は薄着だ。寒くないのかこれで。日中晴れてる時と日没後の寒暖差が激しい。
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(画像:黒田;しなの電鉄妙高高原駅)
19:47 長野
今日の最後の一本終了。疲れ果てた。最後は冷えて鼻水との戦いだった。腹減ったし冷えたし。暖かい蕎麦でも食べよう。長野だしな!

20:05 長野
パン屋で夜食を買う。ビニール袋に入れてもらう時に、あ!録音中にガサガサいったらやばい!ヒヤッとするが、今日はもう録音しないからいいのだった。

20:06 長野
駅前戸隠という蕎麦屋へ。あつとろ950円。客は僕一人。別に美味しくもないが、身体は温まった。

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(画像:黒田;手打ちそば処 戸隠)
23:30 宿
今日も予定外のことばかりであったが、宿に到着。
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23:35 長野
宿に戻って翌日のよていw、上田に行く予定を立てる。松本まできれいにはまった。上諏訪で急いで写真に撮った時刻表が役に立った。

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0:03 長野
どうせ長野>松本やらないなら、篠ノ井で乗り換えてもいいな。わざわざ長野まで戻ることもあるまい。とは思いつつ始発<>終点のダイヤじゃないと気持ち悪いというか特に変更の必要性を感じない、習性。だがこの疲れた状態ではできるだけ早く松本につきたい。また予定を組みなおす。

0:08 長野
篠ノ井もうまくはまった。松本で多少余裕ができた。トイレも安心。はよ寝なきゃ。
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本日の録音成果
https://www.youtube.com/playlist?list=PL8nC7KdUeuaLEUuTnQDrMEA8mgiDJdXJJ

3c. 台湾南北縦断 その1


3c. 台湾南北縦断  その1

 
tabinoteタグチだ。
今年の4月にチェンマイ(タイ)に定住する妻と2人で台湾に行ってきた。台湾は何度も訪れているがほとんど台北中心だったので、今回は台北以外の都市を中心にまわってみることにした。

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台湾本島は九州とほぼ同じ面積なので、国内の移動も飛行機ではなくバスや電車で十分可能だ。せっかくなのでどっちも利用してみよう。

4月3日 チェンマイ>桃園空港>台北>高雄

チェンマイから台北へは台湾のLCC、V-Airの直行便が出ている。正確には出ていたのだが、残念なことに先日経営破綻のため運行休止になってしまった……。
ともあれ前日20時にチェンマイ国際空港を離陸したV-AirのA320は、4時間ほどのフライトで台北の桃園国際空港に到着した。
速攻で入国をすませバスで台北市内に出る。
台北駅にに着いたのはなんだかんだで3時すぎ。この時間からホテルにチェックインするのもなんだかもったいないので、このまま深夜バスに乗ってその日のうちに台湾南部の高雄まで行ってみようという計画だ。

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台北バスステーションは駅のすぐ近くの新しいビル。

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だがここで誤算が。すぐに出るバスはすべて売り切れており、一番早いバスでも3時間後の6時発車だったのだ。
ちなみに運賃は715元(約2200円)。VIPバスにしたので普通のバスならもう少し安いはずだ。

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ベンチで仮眠。4月だけど結構寒かった。

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ようやく乗車。VIPシートはファーストクラス並の社長椅子だ。
これは最高の旅になるなとテンション上がったが、実際は揺れがすごくて乗り心地はいまいちであった。とは言えほとんど寝てたんだが。

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午前11時半頃、高雄駅に到着。いやあ疲れたあ、、、

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今回利用したのはALOHAバス。台湾には大手高速バス業者が4つくらいありしのぎを削っている。ALOHAは高級感で売ってるみたい。車両は多少古いような気もしたけど確かに大名気分ではありました。

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とりあえずお腹が空いたので駅の売店で駅弁を購入、ベンチで食べる。しばらくタイ料理ばかりだったので日本に近いこの味付けがうれしかった。

タクシーでホテルにチェックイン。

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ホテルの前にあった「駁二芸術特区」という、高雄港の倉庫街を改装し若いアーティストに開放した施設に行ってみた。

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フリマなどもやっており、高感度な若者が集まるおしゃれスポットであった。

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ここに限らず最近の建築業界は古い建物を活かしたリノベーションが本当に上手だ。いいことだと思う。

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携帯のキャリアショップを探し、プリペイドSIMを購入。昔はいろいろ下調べする必要あったんだが、最近はどこでも適当に現地で調達できる感じがある。

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台湾といえばやはり夜市だろう。高雄でいちばん賑やかと言われる「六合夜市」に繰り出す。
アジアのマーケットというと、バッタ衣料やいらない土産物などの屋台が多く歩いていても実はそんなに楽しくないことも多いのだが、台湾の夜市はほとんどが食べ物屋台でとても楽しい。

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白身魚のから揚げが載ったとろみのある麺。

4月4日 高雄

前日の移動で疲れたので本日午前中はホテルで怠惰に過ごす。

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コンビニ飯もうめー

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一部で有名な高雄捷運(地下鉄)の萌えキャラ「前進吧!高捷少女(進め!高捷(たかめ)少女!)」と記念撮影。

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台湾では賭博は禁止されているはずだが、カジノらしきものを発見。中をのぞくと日本製のパチンコ・パチスロがずらりと並んでいた。
換金できるかどうかは確認できなかったが恐らくできる感じだった。

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By Photo by CEphoto, Uwe Aranas, CC 表示-継承 3.0, Link
オレの趣味の一つに高層ビル巡りがあるのだが、台湾の高層ビルというと台北の「台北101」があまりにも有名だが、2004年まで台湾でいちばん高かったのはこの「高雄85ビル」だったのだ。
「台北101」に負けない変態デザインはあまりに大きすぎて、夜ということもありうまくカメラに収められなかったのが残念。

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75階の展望台まで43秒で登るちょっパヤのエレベーターで屋上へ。
きれいな夜景だった。

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適当な海鮮レストランで夕食。シャコと思って頼んだウチワエビがたいそううまかった。

(続く)

3b. ウズベキスタン 極限のソ連宿


3b. ウズベキスタン 極限のソ連宿

初めて書かせて頂けることになったシと申す者である。不惑を越えて独身を突き進む理系で、ふだんは暗黒通信団という同人誌サークルで雑文を書いている。大学卒業がバブル崩壊に重なり、就活を諦め海外流浪しはじめて、はや20年。先進国以外をフラフラするのが趣味のオッサンだ。特技は激貧。苦手科目は英語と恋愛。要するにダメなやつである。今回は挨拶がてら、海外ダメ宿の体験を記してみたい。といってもこれは6年も前の話だからいま通用するかどうかはわからないし、書かれている地域はイスラム圏だから、真似して行ってみようとは思わないほうがいい。ISISは怖いのだ。あなたが戦場カメラマンや在外公館職員ならば、仕事なので仕方ないとしても、趣味で行くには危険すぎる。だから本稿は「うわぁ凄い」と深夜のテレフォンショッピングみたいに驚くだけにし、テレフォンショッピング同様、さっさと忘れるのが良いと思う。それではしばしお付き合い願いたい。

Profile
darklogosmall

評論同人誌サークル「暗黒通信団」の雑文書き。
彼女いない歴=年齢を毎年更新中の不惑独身男。英語力は堂々の偏差値20台。生活保護受給者が見かねて食べ物をおごってくれるほどの高雅な生活レベルを維持している。学生期の終わりが就職氷河期に当たり、就職を諦めて、世界を放浪し始めた。好きな地域は中東の砂漠。お気に入りはアフガニスタンとソマリランドのビザ。残念ながら、まだ反米テロリストに知り合いがいない。最近は歳もとったしISが怖いから無難な国内旅ばかりだ。元コミケスタッフ。理系。自称高等遊民。
詳しくは http://ankokudan.org/d.htm?member-j.html

ヌクス -アラル海のお膝元-

なんといっても特技が貧乏というくらいだから、どこに行くにしても宿は最低ランクだ。中には一泊300円とか、日本では考えられないような価格帯もある。もちろん、その国の物価にも依るし、安いからといって必ずしもダメな宿というわけではないが、常識的に言えばダメ宿のヒット率は高くなろう。最近はBooking.comなどで事前に宿の詳細を見ることができるから、ガイドブックだけを頼りに彷徨う時代よりはマシになったが、そのぶんダメ宿に当たる可能性も低くなってしまって少し残念だ。

今までの流浪で極めつけだったのはウズベキスタンだ。どこだそれ? 中国のちょっと西くらいだ。といってもカシュガルから陸路行こうなんて思わないほうがいい。途中にはフェルガナ盆地というテロの巣がある。直行便が出ているから素直に飛行機だ。ウズベキスタンはソ連(ソヴィエト社会主義共和国連邦)の解体とともにできた新興国で、古代にはシルクロードの要衝だった地域だ。直行便があるせいか、たくさんのパッケージツアーが入っていて、言葉もろくに通じない割に、日本人旅団であふれかえっている。だいたい、サマルカンドなど実際はショボいのに、名前だけで売れてる感が無くもない。ブハラのアルク城も登ってみると小規模だし、ヒヴァの城壁まで行かないとホラズム的迫力は楽しめないだろう。

しかし、そんなことはどうでもいい。貧乏国家ウズベキスタンの真実を体験したいなら、観光地以外に行くべきだ。少しでも辺鄙なところに入れば、そこには依然として旧ソ連衛星国家の文化が根付いている。

地図がある人は地図を見てほしいが、ヌクスという街がある。首都タシケントの西北。干からびるアラル海に近いところで、まぁ観光物件は何もない。本当はブハラからウルゲンチに抜けようと思っていたのだが、何を血迷ったか、ヌクス行きのバスに乗ってしまった。それは本当に「魔がさした」ようにふと思いついて乗ってしまったのであり、しかも僕の場合そういうことがよくある。ヌクスというのはウルゲンチよりも遙か北方にある街で、何が僕を引きつけたのかはいまだにわからない。

顛末は次のような感じだ。ブハラのバス乗り場は街の中心から少し外れた市場の裏にある。市場は朝にぎわうが、一通り取引が終わったら長距離用のバス乗り場になるわけだ。ウズベキスタンの連中はロシア語しか話さないから、ほとんど意思疎通できない。で、僕がいつものように「ウルゲンチ、バス、ウルゲンチ、バス」とロボットのように繰り返していたところ、何匹かの現地人様からジェスチャー80%で「ウルゲンチ行きのバスはもうないよ」という回答を頂いた。これがタクシー屋なら信じないところだが、だいたいウズベク人は嘘をつかないうえ、夕方だったせいか、実際バスなどちらほらしか見あたらないのだ。まぁ、信じざる得ない。イスラム圏の皆さんは、朝5時からアザーンで起こされるから、何でも朝早いのだ。巨大な荷物を曳いて市場まで来たのに、バスがないからといってこのまま宿に退散するのもシャクだから、なんか代わりのバスはないかとウロウロしていたところ「ヌクス行き」が出現したというわけだ。この種のバスは、観光用ではないから現地人しか乗らない。で、言葉が通じないので詳細が分からない。それでも、いいかげん面倒になっていたのと、今までろくにネタらしいネタもなかったので、まぁとにかく北に向かってくれればいいや、という後先考えないアグレッシブ(=馬鹿)さで乗り込んでしまった。

イスラム圏の長距離バスというものは、実に人情に溢れている。最初は「なんだこの日本人?」という眼差しで遠巻きにされるが、20人もいれば一人くらいは疑似英語を語る個体もいるから、なんか適当に意思疎通ができてしまう。で、カタコトの会話を繰り返していれば、何となくうち解けてくるのだ。というか、電源のとれない長距離バスなんて会話くらいしかすることがないので、必然的にそうなる。ウズベキスタンは極限的ジリ貧でも先進国でもない偏差値40くらいの国家だから、あまり常軌を逸した価値観の人もいない。例によって「お前は結婚してないのか」とか、お決まりの質問を華麗にスルーして会話が進む。

首都タシケントからサマルカンド、ブハラまでもバスだったが、そこまでの距離感覚からすると、ヌクスにつくのは真夜中か翌朝という感じだった。なんせウズベキスタンは道が悪い。共産主義の国はビシっと整備された巨大道路が売りじゃなかったのか。イエメンのような極限的ジリ貧国家ですら道路は整備されているというのに、ソ連様の舗装事情は全く心許ない。トイレもないボロバスに揺られて6時間。そろそろ夜中になったと思ったら、全員が街道沿いでおろされた。夕食である。その頃までには乗客団はすっかりうち解けて、街道沿いのいかにも木賃宿みたいなところでパーティになった。不思議なことに、たまたまバスに同乗したコミュニティであるにもかかわらず、年配者を中心としたヒエラルキが形成されている。あるいはいつも同じ路線を使ってる顔見知りなのかもしれないが。とにかく、年配者様が異人たる僕を接待してくれる、というような図式になるわけだ。そうなると異人としては逆らえないから、なすがままに宴会の輪に加わる。面白いのは酒が出ることだ。それもかなり強烈なジンである。イスラムというが、中央アジアあたりじゃ酒も全くOKで、皆さんガバ呑みだ。長く共産圏だったせいかもしれないが、女性も顔を隠してたりしないし、イスラムぽいのは朝のアザーンくらいだ。ちなみに彼らはウォッカといっていたが、なんか正統なウォッカとはだいぶ味が違う。飲み食い騒ぎと三拍子揃って、結果は激安の割り勘会計。これぞ個人旅行の醍醐味だ。バスは夜の10時くらいにメシ処を出発し、また北に向かった。

夜中の2時も過ぎて、ウトウトしていたら、後ろに座っていた男が起こしてくれた。いわく「宿は決まっているのか?」と。もちろん決まってるわけがない。だいたい着くのは朝だろうと思っていたのだが、「もうすぐ着くから、宿を探してやる」といって、運転席にいってなにやら交渉を始めた。こんな時間に街について、どうしろというのか。とりあえず、もうなすがままにお任せする。

それから30分もしないうちに、バスは大きなビルの前で泊まり、僕を吐き出した。親切な男は、極寒の中、ビルの中に入っていって、女主人を叩き起こし、なにやら会話。時刻は午前2時半。気温は体感零下。もうひたすら感謝するしかない。こんなの一人だったら凍え死ぬに決まっている。やがて一通りの話がついたらしく、男性は「達者でな、日本人」と言ったかどうか、手を振って去っていった。バスに戻って、街の中心か自分の家へ向かうのらしい。

当時の「地球の歩き方」によれば、ヌクスには安宿が二つあった。ヌクスホテルとタシケントホテルという。このホテルの名前はタシケントホテルのほうらしかった。ちなみに現在、このホテルはBooking.comにすら掲載されていない。
タシケントホテル

宿の主人は僕の荷物を旧式のエレベータに乗せ、部屋へと案内した。で、問題はこの宿である。お値段シングル一泊8ドル。個室が二つもあり、掃除もされてて、一見するととても豪華なのだが、まもなく僕はその実態に気づいた。

ベッドが虫だらけなのである。この寒いのに、蚊のような(でも蚊ではないだろう)昆虫が多数部屋の中を飛んでいて、ブンブンうるさい。何か食べ物の残骸でもあるんだろうかとベッドの下をめくると、多数の蟻が塚を作っていた。よく見ると、ベッドの柱が蟻の通り道になっている。午前二時で非常に疲れているものの、このベッドじゃ眠れんわ、と思い、隣の部屋で寝ることを考えた。たしか案内されたときにはソファーがあったはず。だが僕はそこで、もっと怖ろしいことを知ってしまったのだ。なんと部屋の電気をつけようとすると、ビィーンジジジジジという、何だか高電圧実験でもしてるような音がする。そして、白熱灯のふもとから、バシッ、バシッと不規則に火花が飛ぶのだ。焦げ臭い。僕はたまげた。明かりをつけたら火事になるぞ。そう、実質使える部屋がない宿だったのである。

ここでまっとうな日本人ならフロントを呼び出して文句をつけるだろう。もちろん僕もそうしようとした。しかし、宿の女主人は呼べど叫べど起きてこない。散々努力したあげく、結局は諦めるほかない。そもそも現地人が明らかに親切心でとってくれた宿だということで、文句がいいにくい。彼らにとってはこれが当然なのだ。おそらく他の部屋もどっこいどっこいで、いたずらに話を大きくしても、どうせ似たような部屋に回されるのだろう。今まで観光地の宿ばかりだったから気づかなかったが、これが本来のウズベキスタンクォリティなのだ。

もちろんというか、シャワーのお湯なんて出ない。それどころか、蛇口をひねると割れたホースから水が漏れてくる。体感零下の世界で泣く泣く水シャワー。一応ユニットバスの形状をしているが、便器は水だめのフタがとれていて、まともに水が流れないどころか下水管が詰まっていて、出すものを出しても放置するしかない。あけた瞬間に驚愕の光景が広がっていて、とても写真を撮る勇気が出ない。せめてもの、フタを閉めて臭いをごまかすしかないから、とりあえずトイレットペーパー(もちろん僕が持参したものだ)を便器とフタの間に詰めて疑似パッキンにし、上から椅子を逆さまに置いて封じた。これで漏れてくる臭いはだいぶ防げるだろう。
タシケントホテルのトイレ

しかし、実際問題どうやって眠るのか。火花小屋じゃ危なくて眠れないし、結局は昆虫ベッドを使うしかない。電灯をつけたままにすれば、蚊はライトに集まり、比較的僕の体からは離れるだろう。アイマスクでも使えば明るさはどうにかなる。蟻のほうはとりあえず、火花小屋に備え付けられていた洗面器のようなものを塚にかぶせ、それでも蟻が漏れてくる部分はトイレットペーパーで封じた。トイレットペーパー様大活躍。ベッドの足にいた蟻は服で振り払い、残りは無視する。軍隊アリじゃないんだから殺されることはあるまい(幸いなことに僕はアマゾンで実際に軍隊アリに遭遇したので、その識別は容易だ)。それにしても、なんだって夜中の三時に逞しさを発揮してるんだか。

こうしてとりあえず寝ることは寝たが、よく見ると厚いカーテンが存在しなかったので、翌朝は七時からお目覚めだった。実質四時間に満たない睡眠で、早々と宿から脱出する。脱出というより脱獄。郷においては云々、というが、頑張れば慣れるものなのだろうか。慣れた自分を想像したくない宿だったことは確かだ。

タシケント -虫のお宿-

ヌクスも凄かったが、現時点で僕が知る限り一番激しい宿は、首都タシケントにあった。「ハドゥラ」という、地球の歩き方にも「いかにも旧ソ連的な安宿」というコメントが載っていた。ちなみにこちらも現在Booking.comには載っていない。
ネットには旅行記のようなものがあって、やっぱりコケおろされているので、僕の感覚は間違っていないと信じている。

普通は宿を決めるとき、値段と安全を両方とも考慮するのだが、夜行列車で朝にタシケントについて、ポワぁンとする頭でセレクトするともうダメだ。面倒になってしまって、安ければとりあえずいいでしょ、という投げやりモードになってしまう。

地下鉄を降りてロータリーを折り返し、徒歩30分。サーカス場の向かい。それは外観からしてヤバかった。どこかしら雰囲気が「廃墟」なのである。まるでシムシティで電気が来なくなったときの真っ黒のコンクリ。実際は黒いわけではないが、黒いオーラが出ている。これはヤバそうだと思うが、大きな荷物を引いているせいか、他の宿を探す気がしない。アラブ圏とかだと、安宿というのは安宿エリアにかたまっているから、ある宿がダメそうだったら近くの似たようなレベルの宿に入ればいいだけだ。ところが、ハドゥラの近くにはそんなものはない。そもそもソ連の計画経済で建てられているので、安宿街みたいな自然発生的概念は許されない。ハドゥラは完全に孤立した安宿だった(実は探せばいくつかあったのだが、それを見つけるのは翌日の話である)。とはいえ、メインストリート沿いで、近くにはカフェのようなものが並んでおり、食べ物には困らなさそうだから、まぁいいだろうと入ったのが運の尽き。

一階の事務机にウズベク人が座っていたので聞いてみると、コピー室を示された。まずはパスポートのコピーをとれ、というわけだ。ウズベキスタンでは外国人は「まともな」宿に泊まらなくてはならず、宿泊の証明として、発行された紙切れを出国時にチェックされる。このあたりはソ連ぽい感じがする。で、宿はそのためにパスポート情報を把握する必要があり、確かにコピーをとれという宿はたまにあるのだ。

コピーをとると4階の事務室に行く。この廃墟のエレベータは凄かった。なんとエレベータの呼び出しボタンが30度くらい斜めに取り付けられているのだ。わざわざ壁に斜めの穴が開けられて、そこに取り付けられている。設計思想が理解しがたい。美術館にあったら立派な前衛芸術だが、ここにあるとただの手抜きに違いない。それにしても、なにを考えてわざわざコンクリに、斜めにきっちり長方形の穴を開けるのか? さすが「まともな」宿だな。エレベータ自体も加速度処理を全く考えていないオンオフだけのスイッチ制御である。4階のボタンは若干押しにくかった。正拳突きで三回くらい連打するとランプがつき、やっとボタンが認識される。とりあえず動くことは動くが、日本じゃアウトだろう。シンドラーなんてソ連製に比べればまだまだ甘い。

事務室はエレベータをおりてすぐのところにあるが、朝10時の時点では鍵が閉まっていた。まぁ、人手の足りないボロ宿ではそういうこともあるから、黙って待つことにする。ほどなく、若い女性がエレベータで到着した。僕と同じく宿泊希望なのだろう。しばらく無言で待つ。モスクワは待つことを厭わない人々の集団だったが、衛星国家でも同様らしかった。やがて20分もして、宿泊希望者は二人三人と増えてきたが、事務室に人が戻ってくる気配はない。僕は片言の英語で女性に聞いた。「この宿はどうなってるんですか?」女性に英語は通じず、なぜかその後ろに並んでいた男性から「No good, but cheap(良くない宿だよ。だが安い)」という中学生の構文みたいな答えを頂いた。それは確かだろう。シングル一泊6ドルだもの。現地人に良くないと断言される宿ってどんなものか。常識的にはこの時点でさっさと逃げるべきだが、夜行列車の徹夜あけでは行動力が足りない。

やがて1時間もしてから、腰回り2メートルもありそうな事務婆が、えっちらおっちらとやってきて、軽い振動音とともに椅子に着陸し、受付を開始した。そして僕のパスポートコピーを受け取り、台帳のようなものを出してきて何事か書きつけた。「日本人と同室だよ」というような意味の現地語(ロシア語ですらなかったような)が発せられ、6階の部屋番号を書いた紙が渡された。鍵をくれとゴネたが、鍵はそもそもないらしい。仕方なく僕はエレベータに乗ろうとする。

エレベーターボタン
…エレベータのボタンは壊れていた。1階から4階に行くことはできるが、4階のボタンが壊れているので呼べない。とはいえど、大きな荷物を抱えて階段をのぼりたくはない。さてどうするか? 制限時間は5秒。

他の人が4階に上がってくるのを待つ、というのは一つの正解だ。しかし当分来そうにない。そこで、大きな荷物を抱えて「降りる」ことにした。のぼりはきつくても降りるなら何とかなるさ。3階と2階のボタンのうちどちらかが生きていれば、そこから6階に上がれるわけだ。最悪1階まで戻ればいい。まるでパズルゲームだ。もしもあなたが学生で、親や先生にゲームなんて意味がないといわれたら、ぜひこの体験談を引用してほしい。

結果として、3階のボタンは生きていた。とりあえず1階分だけ降りてエレベータを呼び無事に6階にゴール。ちなみにあとで調査したところによると、ボタンが生きているのは1階と3階と5階で、しかもエレベータの中のボタンは2階と5階が壊れていて押せない。脳トレに使えそうなエレベータである。

だが、これはほんの始まりでしかなかった。6階の指定された部屋に行くと、中からのっそりと日本人が出てきた。「こんにちは」「あ、この部屋に一緒することになりました、シといいます。よろしくお願いします」。青年は小柄な学生ぽい感じで、なぜか一心不乱にPSP(プレイステーションポータブル。当時流行っていた携帯用ゲーム機)でゲームをしていた。聞けば真性のニートで、中国から陸路ここまできたが、帰るお金がないのでこの宿に泊まったままだという。今後どうするのかと聞くと、イスタンブールまで行けば親戚のおじさんが住んでますから、という、希望に満ちた答えをもらった。が、ウズベキスタンからイスタンブールの間には、やたらビザのとりにくいトルクメニスタンと、陸路入国拒否のイラン様が控えている。バックパッカーが知らないはずもあるまい。大丈夫なんだろうか。

「一つお願いしていいですか?」と彼は切り出した。「夜も電気を消さないでほしいんです」「え?」わけをきくと、電気を消すとゴキブリが出るんだそうだ。ヌクスでは蚊と蟻だったが、こっちはGか。壁はヒビだらけであちこち穴が開いているし、電灯は切れかかっていて、紫外線でも出てる感じだ。期せずして日焼けエステの効果が得られそう。そもそも電線自体が壁のドリル穴から配線されている。客室に電ドリで穴を開けるなんて、たいした根性だ。ちなみに皮膜が腐っていて、いつ漏電しても不思議じゃない。もうはっきり言って、昆虫くらいでは全然問題にならない。シーツなどシミどころか、あちこち虫食い穴が開いているし、部屋中に異様な臭いが立ちこめている。彼が飲んだあとと思われるセブンアップとコーラのペットボトルには、何だかよく分からない6本脚のインセクターが群れていた。日本じゃ監獄でもここまでひどくはあるまいよ。

徹夜あけでフラフラではあるが、宿がこの有り様だし、とにかく昼間は活動しないと損した気分になるからと、頑張って街の観光に出た。そして夕刻帰ってきて、僕は更なる驚愕の事態を目にした。…トイレである。この先、食事中の人は読まない方がよい。

「ここのトイレは使えないですよ」とニート青年はPSPから目を離さず、さらっと言ってのけた。といっても汚いだけのトイレなんていくらでも経験してきたから、まぁ何とかなるさと思って、トイレットペーパー片手に行ってみる。…それはもはやトイレの機能を有していなかった。まず、扉がちゃんと閉まらない。たてつけが悪い上に鍵が壊れているのだ。そして、便器が割れている。当然ながら水が出ない。で、干からびた「ブツ」が何層にも積み重なって、巨大な原生動物のように居座っていた。これで用をたすくらいなら外に出ていって衆人環視の中でやったほうがマシだ。僕はもう見なかったことにして、慌てて退散。青年は「どうでした?」と素っ気なく聞いた。「無理ですね」と僕は素っ気なく答えた。この分だとシャワーも凄いことになっていそうだから、それも聞いてみたら「シャワーは大丈夫ですよ。お湯は出ませんが、水は出ますから」という素敵なコメントをもらった。そして付け加えられた。「シャワーは5階だけ使えます」…果たしてその通りであった。6階のシャワーは詰まっていて水も出ない。5階はかろうじて生きていた。これ、同室が日本人じゃなかったらどうやって情報入手するんだろう。夜行列車で風呂なしのあと、水シャワー。つくづくレベル高い国である。

翌朝、僕はさっさと荷物をまとめ、5階まで降りてエレベータに乗ったのだった。ニートの彼はプリングルスを食いながら、始終悠々とPSPで遊んでいた。その後、彼の消息は知らない。

3a. 御柱祭のついでに長野の私鉄に乗ってきた ~3日目「御柱祭>長野電鉄」~


3a. 御柱祭のついでに長野の私鉄に乗ってきた ~3日目「御柱祭>長野電鉄」~

好評、ハードコア音鉄(おとてつ)車内走行音派の黒田基介氏による、長野県私鉄走行音録音紀行レポート。3日目となるこの日は上諏訪の御柱祭を見物に行かれたようですが、それだけで帰るはずもなく……。
(注:本事例は2016年4月時点の予約可能なプランおよび費用にもとづいています。また、一部図版がサイズの関係で判読しづらい場合があります。後日PC用サイトにアップされるバックナンバーには原寸の図版を掲載する予定です。メルマガ版では雰囲気だけでもお楽しみください)

Profile
黒田基介

黒田基介

黒田基介(くろだ・もとすけ)
1975年東京都世田谷区生まれ。音鉄車内走行音派。

2016/04/07



01
本日の予定

19:00 上諏訪(片倉館)
御柱祭は氏子の友人の計らいで、柱を引かせてもらった!そしてすごいとこから柱を見ることができた!アニミズム的上位システムの存在を感じざるを得なかった。神道以前からの祭礼。
体の汚れを流しに片倉館へ。サッパリできたが、一日中引っ張って歩いていた疲れがどっと出る。昨日は一日トラブル続きだったので、さっさと風呂から上がりネットで時刻表を調べる。とりあえず終電を調べると、20:50上諏訪発があった。

19:20 上諏訪
スーパーあずさで新宿に帰る他の友人たちを見送って駅近くのラーメン屋「宮坂商店」へ。うまし。特にラーメン好きではないのでラーメンの描写は省く。

02
(画像:黒田;宮坂商店)

20:45 上諏訪
駅へ向かう。電光掲示板に20:50の表示がない。20:50は21:50の見間違えだったと気付き、再検索する。寒さと疲れで頭が回っていない。
上諏訪発21:05 – 21:42松本着
松本発21:49 – 22:39長野着
で行くことにする。が、なんと列車遅延情報が電光掲示板に表示されている。駅員に聞くと5分の遅れなので乗り換えに支障はないとのこと。遅延分を考えて、松本では2分の乗り換えで多分トイレに行って録音機をセッティングして・・・難しいができないこともない。駅備え付けのJR時刻表4月版をiPhoneで撮影。友人としばし談笑して21:05発に乗る。

03

22:09 松本
21:49の列車は出た後だった。次の列車は22:47発。待ちますとも。長野の宿は確保しているので割と気楽。今日の最悪のパターンは長野に到着できないこと。到着できる列車があるならゆっくり待てる。寒いけど。またもや一本ロスだけど。
★後で確認すると21:49発は特急「ワイドビューしなの」で松本発ではなかったのでどっちにしろ録音できなかった。疲れてた。

04

22:11 松本
今回はバックパックに固定した録音機を網棚に乗せる計画だ。疲れているし膝に乗せた録音機を落としてしまいそうだし、運良くボックスシートの窓際に置けたとしても寝てる間に他の乗客とのトラブルが起きる可能性がある。バックパックに録音機を固定して待機・・・。一日目の松本乗り換えでトイレの数が少なくて困ったことを思い出し、22:38着のスーパーあずさ前にもう一度トイレに行っておく。

22:56 松本発車
先頭車両の位置で待ってた。JRの車両はモーター車は大抵二両目ってわかってるはずだ。疲れてるなあ。先頭車両を撮影して、急いで二両目に向かう。録音機は床から遠い網棚に置くのでLS-14はmid50で攻めてみる。途中モニタリングはできない。

0:32 松本>長野
長野到着前から多動が出た。ひとけのなくなった車内で、ドア脇の二人がけに始発からずっと同じ女性と隣り合って座っている。歩き回りたい衝動が体を駆け巡るが、怪しすぎるので下手に動けない。緊急用に持ってきたハッカパイプは録音機をくくりつけたカバンの中だ。取り出せるはずがない。耐える。熱い座席が多動に拍車をかける。祈るような体勢で目を閉じる。
気がつくと寝ていた。起きると長野に到着していた。あわてて降りる。停車してからちゃんと録音マージン取れていたかもわからない。とにかく疲れた。うまくいっていることを祈るだけだ。

0:38 長野
コンビニで食べ物を調達。領収書をもらうのを忘れる。疲れて頭が回らない。長野の深夜は寒い。
コンビニで暖かい飲み物を買い忘れたので、自販機でロイヤルミルクティー購入。コールドだった。参った。

0:40 宿着
二泊で予約したので明日は荷物の大半を置いて出かけられる。一つでもストレスの元が消えると気分が随分楽になる。しかも安いけどツインの部屋でのびのび。いい感じに昭和感。就寝。明日は5時台の列車からスタート。

05
(画像:黒田;日興ホテル)

06
本日の記録

本日の録音物はありません。

3b. tabinote旅行記 コペンハーゲンとクリスチャニア その2


3b. tabinote旅行記 コペンハーゲンとクリスチャニア その2

 
tabinoteワタベです。
今年の3月に仕事でデンマークのコペンハーゲンに滞在しました。その旅行記を2回に渡って記します。
コペンハーゲンといてば世界3大がっかりの人魚姫像や美しい街並みという程度の印象しかありませんでしたが、ヒッピータウンのクリスチャニア探索というおまけもあり、なかなか面白かったです。

第1回はこちら


さて、コペンハーゲン滞在の合間、クリスチャニアに向かいました。
クリスチャニアは市内南部のクリスチャンハウンの一区画をフェンスと塀で区切ったエリアで、独自のルールにもとづく内部自治、自由都市を標榜しています。
ルールとはクルマの乗り入れ禁止や暴力禁止、ハードドラッグ禁止など。ということはソフトドラッグはOKで…。

海外のガイドブックではコペンハーゲン観光のほぼ筆頭に載っている一大観光地ですが、日本語のガイドではコラム程度の取り上げられ方です。治安の問題があるためおおっぴらに勧めていないという感じですが、海外ガイドではもっと平和な紹介のされ方になっています。
このクリスチャニア、もともと軍の居留地だった場所に70年代頃からヒッピーが住みつき自治コミュニティとなったそうで、一時はコペンハーゲン市も実験的試みとして半公認状態だったようですが、内部では麻薬が横行…。近年は犯罪の温床として当局の締め付けもきつくなっている、らしいです(もろもろネット知識より)。
面積はおよそ34ヘクタール(東京ドーム7個分)、建物は1000軒にのぼります。内部にはレストラン、ライブハウス、ギャラリー、おみやげ屋やグッズ売り場、そしてバーなどがあり、独自の経済がまわっています。観光客や物資調達目当ての地元民も訪れますが、もちろん内部に住んでいる人も居ます。

この子供を乗せられる自転車用の荷台はクリスチャニアから世界に広まりました。その名もずばりクリスチャニアバイクといいます。
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というわけで、ストロイエから運河に架かる橋を越え、徒歩で向かいます。
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クリスチャニアの地名は、この教会にちなんでいます。巨大な尖塔。
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塀が見えてきました。独特の雰囲気です。
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こちらがゲートです。早速入ります。
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うろつきます。
写真を撮っていいのかどうかわからないのですが、とりあえずこの辺は大丈夫っぽいです。
明らかに観光客と思われる人たちもおり、危険な雰囲気はありません。
一見すると中国人観光客が多めです。
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内部にはおみやげ屋(Tシャツが多い)や食品店がぽちぽちあり、普通の一軒家風の建物、集合住宅、手作りっぽい小屋、沢山の緑、音楽ステージ、広場や公園、酒場などがあります。車道がないことと落書きの多さが普通の街との違いです。
赤地に黄色いマルが3つ並ぶのがクリスチャニアの旗のマーク。
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これはギャラリー兼自治会事務所?
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先に進むと、写真撮影禁止のエリアに出ました。
ここはガイドブックでも触れられている「プッシャー・ストリート」、通称「売人通り」。
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露天のように小さな商店がいくつか並んでおり、目出し帽の男達が立っています。
マジメな話、1人残らず目出し帽。皆ガタイも良く、周囲を睥睨しています。
写真が撮れないので、絵に描いてみました。こんな感じです。
鋭い目つきで、全員闇金ウシジマ君の登場人物のようです。
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ここまでは子供も居たりして平和な雰囲気すら感じなくもなかったクリスチャニア、この通りだけは小さな緊張感が漂います。


酒場があり、笑い声でにぎわっています。
内部は視界が真っ白になるほど煙がただよってます。全員ピースフルな雰囲気です。
私はビールを1本だけ買いました。
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酒場の前には結構年季の入った猛者が数人転がっていました。
とにかくモックモク。
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趨勢として、欧米では大麻を部分的に解禁していくような動きがあることは聞いていましたが、そこかしこにいる成れの果て的な状態の人たちを見ていると大丈夫かいなという感じが…。

ビールを飲みながらステージのような場所でくつろぎます。
遠くで音楽がなり、緑が多くて、なんとも平和な雰囲気です。
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そろそろ出ることにします。
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1ブロックも歩くと、運河と趣ある建物ののどかな街並みがはじまります。
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冒頭に書きました通り危険な文脈で紹介されることも多い場所ですが、実際には多くの人が訪れる観光地となっています。
このような場所を市内の便利な場所に許容するデンマークという国の懐の深さ、考えさせられるものがありました。
許可を受けたガイドによる現地ツアーもあるようですので、一人で入るのが不安な方はそういうのを利用するのも手です。

3a. 御柱祭のついでに長野の私鉄に乗ってきた ~2日目「長野電鉄」~


3a. 御柱祭のついでに長野の私鉄に乗ってきた ~2日目「長野電鉄」~

好評、ハードコア音鉄(おとてつ)車内走行音派の黒田基介氏による、長野県私鉄走行音録音紀行レポート。今回は2日目「長野電鉄」編であります。
(注:本事例は2016年4月時点の予約可能なプランおよび費用にもとづいています。また、一部図版がサイズの関係で判読しづらい場合があります。後日PC用サイトにアップされるバックナンバーには原寸の図版を掲載する予定です。メルマガ版では雰囲気だけでもお楽しみください)

Profile
黒田基介

黒田基介

黒田基介(くろだ・もとすけ)
1975年東京都世田谷区生まれ。音鉄車内走行音派。

2016/04/07



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本日の予定

6:40 塩尻駅
雨。鼻の調子が悪く鼻水だらだら。睡眠予定時間4時間だったため緊張してあまり眠れなかった。
無事おはようライナーに乗車。ライナー券が必要だとか券売機で初めて知った。万全を期しているようで抜けがある。危なかった。ライナー券を刺しておく場所がシートにあるが、これ果たしてみんな使うものなのだろうか。地元の人はもしかしたら使わないのかもしれない。録音機材丸出しなので目立ちたくない。「プププあいつあれ使ってるぜ」的な。
今回初のバイノーラルをセッティング。耳にマイクを入れる!久々。1時間10分は少々長い。まだ疲れていないので多動は出ないと思うが、今日1日の長さを考えるとあまりストレスは溜めたくない。ライナー券を前の座席の背もたれに挿して、(マイクが耳にあるので)頭が動かない姿勢をとって寝る体勢に入る。
10分前のアナウンス。女性車掌さんの眠たげな声を採れなかった。残念。2回目以降は普通になってしまった。これだから早めに録音を開始するべきなのだ。

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(画像:黒田;JR塩尻駅)

8:10 長野駅
長野着。寝て起きると、ライナー券は消えていた。
乗り換え19分で、一升瓶をコインロッカーに入れて、長野電鉄の一日フリーきっぷを購入し、長野電鉄の列車の写真を撮って、理想の位置に座って録音を開始しなければならない。
コインロッカーが少し大きかったので、思いついてバックパックも中に入れてしまう。突発的に事故が起こらないかぎり、夜までバックパックに入れた荷物は必要ないはずだ。財布だけ撮影機材用のブレッドバッグに入れる。

8:40 長野電鉄長野駅
長電1本目。車種が表示されていないので、ぱっと見で何系かわからんのがつらい。記憶力が低い鉄はこういう時に苦労する。車種がわからないとモーター車の判別ができないので、乗るべき場所がわからないのだ。iPhoneから車種メモ写真を開いて確認する。8500系。

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(画像:黒田;長野電鉄長野駅)

9:10
寒い。寒いが、最近だいぶ暖かいのでエアコンがついてしまうのが心配。エアコンの音は暖房に比べて大きすぎて録音ができなくなるのだ。凍えるよりも録音が失敗することの方が最悪。

9:24 信州中野駅
やっちまったー!録音ボタン二度押ししないと録音開始しないの忘れてた!いきなり一本ロス。録音機によくあるこの仕様はどうにかならないものか・・・。過去にこれで何本もロスしている。
信州中野で折り返しの電車が1分後だったからてっきり同じ車両がそのまま戻ると予想していたので、一本待って別の車種の録音をしようと思っていたのだが、次の列車は隣のホームからすぐ出る。しかも3500系じゃないか!予定を変更して乗り込む。あわてて車両右側に乗ってしまう。車両右側は列車のすれ違いの際に、窓ガラスがバタバタと音を立てて録音機がピークを超えてしまうので、一番避けなければならないポジション。この場合、頭を強く窓に押し付けて窓が震えるのを防止する。ただし、左右の窓も震えるので、効果は五分五分といったところ。

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(画像:黒田;長野電鉄信州中野駅)
前面まで配置されたコルゲートの美しさを堪能する。

9:28
予定と違う列車に乗ったので、昼食の予定を変更する可能性がある。ダイヤ上ハブ駅になっている信州中野は何もなさそうだったが、旅程再設定して信州中野で昼を過ごさなければならなくなった場合、厳しいことになりそうだ。

10:00
予定より一本早い電車に乗って長野に戻るので、今後の予定を変更しなければならない可能性が高い。長野到着前だが、長野到着後に失敗した8500のリカバリーも含めてスケジュールを立て直すための心の準備をする。気持ちは急くが、今乗っている列車の録音に集中しないと元も子もない。特に、駅到着後の機材の取り回しに失敗すると、落としたり忘れたりしてしまう。到着、構内アナウンスまで収録、ホームに乗客が並んでいた場合には少なくともマージンで5秒はシートから動かない、降車後に2つの録音機の録音停止、カバンに収納、耳に付けたマイクのコードを引っ張らないように細心の注意を払う。脳内で到着後の一挙手一投足を繰り返す。

10:04 長野駅
長野到着。iPhoneの電源が心もとないのとLS-14は使わなそうなので、一度コインロッカーを開けてバッテリー取り出してLS-14をしまう。LS-14はバックアップ用に使いたいところだが、久々すぎて膝上に録音機材を置いての録音がためらわれるのと、長野駅付近では案外乗客が多いため目立ちたくない。録音はしたいが、他の乗客に見つかって嫌な思いをさせたくない。つまり、やはり朝あわてて入れたコインロッカーは開けなければならなかった。

10:35 長野駅
駅ビルの喫煙所で作戦立て直し。信州中野で54分の乗り換え時間がほぼそのまま長野での乗り換え時間になったので、昼までに一往復できるかどうかが鍵となる。結果、10:45の湯田中直通に乗り、13:27長野に戻る。長野に戻ってから昼にしてもいいが、一本目のリカバリーのために須坂まで(おそらく)8500系に乗ることにした。須坂では1:10の乗り換え時間。昼食を食べる場所も見つける。とにかく、あと10分後には乗るべき列車が発車する!

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10:50 長野駅
騙されたー。pdfの時刻表で10:45長野発湯田中行きに乗ったら、信州中野行きだというアナウンスで慌てて降りる。時刻表の改正があったのか?
改札を出て張り出してあった時刻表を見ると、信州中野で湯田中行きと接続と書いてある・・・。わかりにくいよ!
つまりこういうことだ。pdfの時刻表では、信州中野できれいに接続する場合はまるで一本のダイヤのように記載してある。よく見ると、信州中野からは別の編成番号が記載されている。この旅はのっけからすったもんだある。改札前のベンチで再度旅程の立て直しを図る。
「湯田中往復>須坂往復」の順にしようと思っていたがいきなり失敗したので、須坂往復を先にやることにする。湯田中往復を先にやる場合に予定していた須坂の「駅前食堂」とやらがきになるが、当初予定の長野の食堂「千石屋」に行ける。

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11:09 長野駅<>須坂
須坂往復開始。

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(画像:黒田;長野電鉄長野駅)

12:14 長野駅
長野に戻ってきた。3500系はあと信州中野から湯田中だけ。昼のあと信州中野まで8500系やったら銭湯いこー。
長野電鉄は駅で野菜なんかを売ってる。よくある駅構内の珍味販売的なものかと思ったら、会計は駅改札で駅員に払うシステム。

12:31 長野駅
昼休憩。予定していた千石食堂が潰れていた…。外はかなりの雨。音鉄中は傘を持てないので雨の中あまり移動できないためずぶ濡れで歩き回る。途中で見かけた喫茶店に入る。「INDIA・ザ・すぱいす」380円からのランチ…。580円のハッシュドオムライスに、200円でコーヒーとデザートをつける。長野だとこれで普通?ハッシュドオムライスはちとシャバシャバ。

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(画像:黒田;INDIA・ザ・すぱいす)

11:33 長野駅<>湯田中
湯田中往復開始。朝のおはようライナーとさっきの須坂往復で結構寝たので寝不足は収まった。既にだいぶ疲れている。車内で眠れなくなるとすぐに多動が出てしまう状況だ。湯田中往復は厳しくなるかも。

14:24 信州中野駅
信州中野で乗り換えて湯田中行きに無事乗車。須坂あたりから尿意が我慢できないレベルに達した。信州中野の乗り換えは2分だが、トイレに行かないとどうにもならない。録音機も止めずに目の前のトイレに駆け込んでしまい、排尿音も録音してしまった。

iPhoneに時刻表を入れてGoogleDriveに予定表を入れておくのすごくいい。トラブルからの立て直しがうまくゆくし、今まではトラブル後に乗った列車が時刻表上どれにあたるのか曖昧になることが多かった。

14:31
どうにか予定の列車に乗れたので余裕が出てきた。車内でデジカメをいじる。ホームで列車を撮影する際に、明るい空に露出が合ってしまい列車が暗くなってしまう問題が解決した。プログラムオートにしておくと露出の変更を電源切っても保持しておける。次回からは必ずそのようにしよう。しかし持ち方の問題かプログラム選択ダイヤルを思わず回してしまう事故が多発。

14:38 信州中野>湯田中
信州中野>湯田中。線路がいいのか走行音は静かなのに扉開閉音が大きい。こういうの録音しづらい。鉄道録音の難しさは録音レベルの調整にある。停車時の木々のさざめきまで聞こえる状態から、何トンもの鉄の塊がぶつかり合う音量まで音量の幅が広い。できるだけレベルを上げつつ、一発本番で大きな音でもピークを超えないように調整しなければならない。R-09を使っていた時は、ピーク時のクリック音が入りやすく苦労した。LS-11はなかなかいい機材だ。とはいえ、ちょっと大きな音がすると、すぐにインジケーターをチェックしてしまう。耳にマイクを入れているし、録音機を顔の前まで上げると他の乗客に目立ってしまうので、目をすごく下の方に向けなければならない。疲れる。このままではきれいな録音を何本採れるかわからない。あまりクヨクヨ考えてると気が散るのであきらめる。今回はlo4bin基本で固定としよう。あと処理で音量上げよう。

14:40 信州中野>湯田中
信州中野>湯田中。最初の信州中野の復路ですぐに予定変更して長野に戻ったのが効いてる。今回のロスは信州中野の往路だけかも。だが、まだ気は抜けない。

14:54 湯田中駅
10分の乗り換えの後、湯田中>信州中野に乗車。

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(画像:黒田;松本電鉄湯田中駅)

15:24 湯田中>長野
信州中野到着。疲れたので一服したいが、喫煙所なし。待合室は地元高校生の溜まり場。寒い。仕方なく喫煙席のないミスドへ。尿意が怖いのでダブルチョコドーナツだけを注文。雨は小降りになってきた。

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(画像:黒田;信州中野駅)

15:46 湯田中>長野
信州中野>長野。車両前方にしか乗客がおらず、そこに座るのは不自然なので後方に乗車。できればモーター直上の前方に乗りたかったが仕方ない。
しかし信州中野付近はなんでこう車内が寒いのか。長野に近づくと暖かくなる。

15:49 湯田中>長野
あぶねー!また録音ボタン開始しないでいるところだった!発車直前に確認してよかった。5分前アナウンスは録音できなかったけど致し方なし。

16:08 湯田中>長野
途中の須坂。妙に塀の高い敷地の広い建物があると思ったら、刑務所。
中学生の下校にぶちあたる。僕の左右に一人分ずつ二人分の空きがある。三人の女子中学生がどっちかに避けてくれないかなー、という感じで前に立っている。が。すまん。きみらが横に来ると声が大きいから座らせたくない!どかない。彼女たちは別の場所に席を探しに行った。最悪なのは左右に座られて構わずおしゃべりされることだ。北海道では高校生の赤裸々な性体験ストーリーを録音してしまい、いたたまれずに録音を止めてしまわなければならなかった。しかし長野の学生はあまり大騒ぎしないな。比較的静か。

16:35 湯田中>長野
長野到着。タリーズで一休み。駅中とは違って地方都市は案外喫煙者に厳しいのか喫煙席ルームは三人掛けの小部屋。長野出発までの予定を確認する。
・インターネットカフェの予約
・しなの鉄道のフリーきっぷの確認
・銭湯(ここでは着替えないこと)
・コインロッカーから荷物のピックアップ
上諏訪に向かう列車までの猶予は2時間。行動を開始する。

17:19 長野駅
インターネットカフェ茶里茶里。予約できない。

17:23 長野駅
プラネットも予約できない。最悪明日は泊まるところがない。
両店舗とも、予約はできないと言われたが席の空きはあるはずだと言っていたのでそれに賭けることにする。

18:17 長野駅 アルプス温泉
長野アルプス温泉。フツーの銭湯でよかったが時間潰せる感じではなかった。雀の行水派なので湯船でゆっくりすることもできず、早々に外に出た。まだ小雨。すぐに身体は冷えるが予定の列車まではまだ一時間近くある。仕方がないので駅から離れたタリーズへ。やった。喫煙席多い。明日の夜は最悪2.9km離れた快活クラブに行くしかないかも。過去にはそのくらい歩いて宿泊したこともあるので可能ではあるはずだ。体力勝負だ。

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(画像:黒田;アルプス温泉)

19:12 長野駅
長野駅。あらーー!長野駅についてみたら19:07発茅野行き??が今発車!?19:15発車の予定だったが・・・時刻表の改正があったようだ・・・時間的にもう選択の余地はない。19:50小淵沢行きで録音なしで行く。むーまた一本ロス。茅野からの一駅のみの折り返しはかなりイカしてたんだが。無念。鉄なら3月末の改正に気づけよ!

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19:36 小淵沢行乗車中
上諏訪着いたら集合時間までに駅の時刻表でこの後の予定を確かめなきゃやばい。今iPhoneに入っている時刻表は3月のものだ。

20:16 小淵沢行乗車中
明日以降の宿泊が心配で仕方ないので旅慣れた友達に相談。安めの宿をさがしてくれた。どうにか長野駅近くの宿を予約。急に気持ちが楽になった。当初予定の2倍の宿泊費だが録音に集中するためには致し方ない。

1:11 御柱祭でお世話になる友人の家に到着。就寝。

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本日の記録

https://www.youtube.com/playlist?list=PL8nC7KdUeuaLaLJZmJXOxGDsNeAHxZ9F2
本日の録音物

3b. tabinote旅行記 コペンハーゲンとクリスチャニア その1


3b. tabinote旅行記 コペンハーゲンとクリスチャニア その1

 
tabinoteワタベです。
今年の3月に仕事でデンマークのコペンハーゲンに滞在しました。その旅行記を2回に渡って記します。
コペンハーゲンといてば世界3大がっかりの人魚姫像や美しい街並みという程度の印象しかありませんでしたが、ヒッピータウンのクリスチャニア探索というおまけもあり、なかなか面白かったです。


前日まで滞在していたロンドンから空路、スカンジナビア航空でコペンハーゲンのカストラップ国際空港へ。
空港はコンパクトながらさすが北欧という感じの洗練されたつくりです。
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冬のどんよりした夕方、デンマーク国鉄でコペンハーゲン市街に向かいます。連結部むき出し、スリーナインの車掌さんのような顔の怖い車両。
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中央駅に着いてSIMを入手しました。
あちこちにセブンイレブンがあるのはありがたいです。
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今回、私の用向きはコペンハーゲンから数百キロ離れた地方都市で開催される展示会への参加でした。
展示会行きの直行バスが出るのが駅近くの公共スポーツ施設(プール)前となっており、なんとその施設にホテルもついていたので、迷わず予約。駅から高架を渡り施設の方へ向かいます。
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ちなみに、ガイドブックによるとコペンハーゲン駅の西側がホテル街、東側が大通りや繁華街となっており、もちろん東側にもホテルは点在しています。駅の西側は薄暗くひったくりが横行するなど治安も悪いのでおすすめできない的な記述がありました。西を裏通り、東を表通りとしているガイドもあります。要するにあんま西は行くなと。
さて、その公共スポーツ施設の所在地はばっちり西側。倉庫街のような殺伐とした通りで、緊張が高まります。
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ホントにプールだ…。うっすらと塩素の匂いがします。
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ロケーションの問題はともかく、部屋は簡素ながら広く、ホテル代の高いコペンハーゲンにおいてなかなかリーズナブルな価格。
そして、他に宿泊客がいない。たぶんこの日は私だけかと思うほど。
何より駅から近いのでよかったです。ヒマになったら泳げるし。
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夜は遠くに酔っ払いの声。危険というほどではなくとも、何かあったらめんどくさそうな感じです。
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さて、翌日はまだ夜明け前からバスに乗り、往復8時間くらいかけて展示会に参加。疲れて何もしませんでした。
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さらにその翌日。今日は自由日です。街を散策することにします。
ホテルはビュッフェ形式でした。外食すると高いのでここでできるだけ補給しておくことにします。
デンマーク名物はスモーブローというオープンサンド。とにかくコールドミートというんでしょうか、ハムとマリネっぽいシーフード、そしてチーズばかりです。
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これは展示会で食べた典型的なスモーブロー。
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さて、駅の西側はポルノショップの看板があちこちに見え、壁は落書き路上はゴミという噂通りの荒れっぷり。高架橋を渡って東側に向かいます。
ちなみに、駅自体もあまり治安が良くないとされています。ホームレスと酔っ払い、そして目つきの鋭い男だらけで、緊張を解くことができませんでした。
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コペンハーゲンは世界有数の自転車都市。通勤時間には多くの自転車が行き交います。
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ジョギングで市街を一回りしても10km程度というコンパクトさ。東京でいうと渋谷と原宿くらいの範囲に官庁街と繁華街と皇居と住宅街が集まっているようなイメージです。坂もほとんどなく、自転車がちょうどいいのでしょう。
一度Uberを利用しましたが、「コペンハーゲンはぜんぜん儲からねえ!(みんな自転車乗るから)」と吐き捨てるようにつぶやいていたのが印象的でした。

こちらは1843年オープンと世界最初の遊園地とされるチボリ公園。コペンハーゲン最大の観光名所の1つですが、残念ながら冬は閉館しています。
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市街の東、海沿いのカステレット要塞に向かいます。かつて港湾都市コペンハーゲンを守っていた砦の跡で、五稜郭のような星型。現在では公園のように整備されています。
上空から観るとこんな形だそうです。
Sortedams Sø   Google マップ

この要塞の名物は、風車とつつましくたたずんでいるという人魚姫の像。
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意外に雰囲気あるじゃん、と思いきや…
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遠景を入れるとかなりがっかり感が…。
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市街の北の方には、東西6kmほどの長さにわたってお堀のような湖があり、この湖と湖面に映る街並みが一種の観光スポットとなっています。湖の周りを走っている人も多いです。
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奥にあるのはかつての王宮跡、クリスチャンスボー城(たぶん)。
割と地味な印象です。
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こちらはアメリエンボー宮殿。現在でも女王が暮らしているとされ(デンマークは立憲君主制で、国王が居ます)、衛兵の交代式があります。
一般にはクリスチャンスボーよりもさらに地味とされていますが、なかなか雰囲気がありました。
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コペンハーゲンらしい光景と言えば、このカラフルな住宅が並ぶニューハウン。
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到着日の夜に行ってみたところ、こんな感じでした。陽が落ちてもそれなりに趣があります。
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さて、繁華街に向かいます。駅からえんえん1kmほど続くのは北欧最大規模とされるショッピング通り、ストロイエ。
歩行者天国となっています。石畳とクラシックな建築の組み合わせで、いかにもヨーロッパという感じです。
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写真には写っていませんが、ストロイエにはホームレスが沢山居ます。若いきれいな女性のホームレスもいれば、いかにもというおっさんも居ます。
私が訪れたのは冬でしたが、夏のハイシーズンにはヨーロッパ中から窃盗団がこの通りを目指して集まるという話もあるそうです。

本家本元のフライングタイガーです。商品は日本と同じですね。
ドアには「スリに注意」の張り紙。
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~この後、クリスチャニアに向かいました~


クリスチャニアから戻り、再度ストロイエを散策。日が暮れてきたので宿に戻ることにします。
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湾の向こうに浮かぶ建物はオペラハウスです。
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次回は欧州でも最大規模のヒッピータウン、自由都市クリスチャニアへの潜入期を記します。

ちなみにこれはチボリ公園前の通り。ふつうにおっさんが大麻を吸っています(右手注目)。
もちろんデンマークでも違法です…。
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3a. 御柱祭のついでに長野の私鉄に乗ってきた ~1日目「塩尻へ」~


3a. 御柱祭のついでに長野の私鉄に乗ってきた ~1日目「塩尻へ」~

好評、ハードコア音鉄(おとてつ)車内走行音派の黒田基介氏による、長野県私鉄走行音録音紀行レポートは2回の準備編を経てようやく出発です。
(注:本事例は2016年4月時点の予約可能なプランおよび費用にもとづいています。また、一部図版がサイズの関係で判読しづらい場合があります。後日PC用サイトにアップされるバックナンバーには原寸の図版を掲載する予定です。メルマガ版では雰囲気だけでもお楽しみください)

Profile
黒田基介

黒田基介

黒田基介(くろだ・もとすけ)
1975年東京都世田谷区生まれ。音鉄車内走行音派。

2016/4/5 – 前日

20:35 準備
機材の充電祭りを行う。とは言ってもカメラとシータだけで、録音機材は電池の交換。単3二本で20時間近く録音できるとは楽になったものだ。数年前までは増槽を自作して単3を8本でどうにか15時間くらいだった。残っていたデータの退避も行う。そろそろ録音しっぱなしで放おっておくクセをやめたい。

今回は時刻表を持って行くのを止めた。御柱祭のための荷物があるためだ。必要な部分は写真に撮りアルバムにまとめ、各私鉄の時刻表はpdfで落としてiBooksへ。これでだいぶ荷物が減った。

部屋の掃除をする。ヘトヘトで帰ってきてシャワーを浴びて気持ちよく寝るためだ。そろそろ強行軍は身体にこたえる。
洗濯物は干しっぱなしで行く。旅行中の下着を用意したら帰って着替えるものがなくなってしまったための処置。

2016/4/6 – 1日目「塩尻へ」

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10:33 テスト録音
通勤中の世田谷線でテスト録音
あら?LS-14て録音レベル三段階しかないの?
LS-11
バイノーラル使用時 lo4
バイノーラル不使用 lo4
LS-14はマニュアルモードで左右ボタンで録音レベルかあ!わかりにく!LS-14はまた後でやりなおし。

18:31 就業中
上田電鉄の運用表が更新されていたので予定の立て直し。そういえば、御柱祭装備がコンパクトになったのでコインロッカーに入れるのをやめた。

18:59
退社。嫌な予感がして確認したところ、スーパーあずさの席が右側だと気付いた。新宿駅で変更手続きが必要。
荷物が三つある。メインのバックパック、録音機材用のブレッドバッグ、お土産の一升瓶を入れたトートバッグ。忘れないようにしないといけない。乗り換えや買い物をする前に、必ず三つの荷物を持つようにイメージトレーニングをしてから行動をする。気疲れ。

19:19
LS-14 田園都市線でのテストではmid45。トンネル移動中でかなり音が大きかったので、大抵の場合この録音レベルで大丈夫そう。

19:50 新宿駅
新宿西口のみどりの窓口激混み。こういう時に鉄のカンが働く。南口の改札内の当日用窓口へ行くと誰も並んでいない。成功だ。荷物を三つ持っていると心の中で反芻しながら手続きをする。
13A -> 14D
変更に成功。よし。

20:00 新宿駅
出発

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(画像:黒田;JR新宿駅)

20:01 新宿駅
録音機材配置できる窓枠がなかったので、肘掛けにそーっと配置。窓枠の幅まで事前調査するのは困難だ。車両に乗り込んだら毎回アドリブ。途中で落ちないでくれー!左側に寄れないという縛りで多動が心配。
松本から録音機材のテストをする予定。

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(画像:黒田;スーパーあずさ33号車内)

20:36 八王子通過
八王子。鼻水が出てくる。花粉症の季節はギリギリ終わったが、ふいに出てくる。鼻水をすすった時点で録音はアウトなので、慎重に顔を上の方に向けて我慢する。
窓と垂直方向に置いたが、座席の向きと違うので次回あれば気をつける。
14Dは動輪上で理想的。座席スペースの自動ドアも静かで良い。

21:30
上諏訪で泊まらせてもらう家が風呂が使えないという連絡。あわててiPhoneで現地調査。こういう時スマホは便利だ。上諏訪温泉というのがあったが、到着時刻が閉店時間に合わないのでそのまま長野駅周辺を調査。長野アルプス温泉に急いで入ることにする。

22:50 松本駅
松本到着
27分乗り換えなので駅員に喫煙所があるか聞く。ありますか、と聞くと不思議な顔をする。あー場所を聞いてるのねといった風に、ホームの端にあるから、と答える。喫煙所は当然ある!ホームは何本もあるが端に行けばある!いいとこだ。しかも暖房つき!

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(画像:黒田;JR松本駅)

22:55 松本駅
わー!乗ってきたスーパーあずさ!回送時にホーン鳴らした!迂闊だった!

23:15 篠ノ井線上諏訪行き
松本発篠ノ井線上諏訪行きで録音機テスト。田園都市線で一応テストしてあるが、
大音量時
LS-11 lo4 bin
LS-14 mid45
中音量時
LS-11 lo4.5 bin
LS-14 mid50

23:19 篠ノ井線上諏訪行き
お土産のお酒を持って降りるのを忘れない
お土産のお酒を持って降りるのを忘れない
ふと、お土産のお酒をわざと忘れて終点の上諏訪で保管しておいてもらうのはどうだろうか
と頭をよぎる。いかんいかん鉄道会社の人に迷惑をかけては鉄の名折れ。

23:27 塩尻駅 
塩尻着。しまったースイカで出てしまった!返金処理に15分くらいかかる。本日泊まるホテルはチェックイン0時までと書いてあったのであせる。

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(画像:黒田;JR塩尻駅)

0:29 塩尻駅・ホテル中村屋
ホテル中村屋チェックイン。シャワーを浴びて、一服して寝る。

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(画像:黒田;ホテル中村屋)


それではお聞きください!

3b. tabinote社員旅行 in ソウル ~3日目最終日


3b. tabinote社員旅行 in ソウル ~3日目

1日目の様子はこちら
2日目の様子はこちら

6/5:午前

tabinoteワタベである。
朝、ソウル駅のコインロッカーに荷物を預ける。
この日は戦争記念館に行くことにした。メンバーを誘ったが誰も来ないという。なぜ…。

この記念館、10万平方メートルという超弩級のスケールで、朝鮮戦争時の実物兵器を大々的に展示しているらしい。
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メトロ三角地駅から歩くと巨大なモニュメントが現れる。
これは朝鮮戦争時に兄弟が南北に分かれ、戦場で再会したという逸話にもとづくらしい。
なんと入場無料、最高である。
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入り口を入ると巨大な吹き抜け。旧ソ連から鹵獲したT34戦車やミグ15など朝鮮戦争の兵器が展示されている。
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これは金日成のリムジン。
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地下に降りると古朝鮮時代。亀甲船がお出迎えである。
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実物展示と並んで映像表現に力を入れており、あちこちに巨大なモニターやスクリーンが置かれている。雄々しい音楽とナレーション、映画並みのクオリティで撮影された歴史劇がそこかしこで流れる。CGもバリバリである。
秀吉の出兵、文禄・慶長の役も展示されている。
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1階から上は時代がとんで朝鮮戦争以降となる。
ちなみにこの施設には日本軍のことやゲリラ活動、独立運動についての展示はあまりない。植民地時代に朝鮮半島では戦争が起こっていないためである。
したがって「日本人いたたまれない感」は余りないが、油断していると独島の展示があったりして気が抜けないのである。
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さて、朝鮮戦争の展示はこの施設のハイライト。
1950年の北朝鮮侵略、逆転の仁川上陸作戦、戦線膠着と停戦までが時系列で並べられている。とにかく膨大な展示である。
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彼女連れの兵士やボーイスカウト/ガールスカウト、小学生たちも多く来ている。
そして白人も多い。国連軍の代表としてアメリカはじめ各国の兵士が半島でたくさん死んでいるのである。この施設もほぼ1フロアを丸々使ってそれらの国への謝意を示している。
中国人観光客も多いが、…しかし当時敵国側であった彼らはどんな気持で見ているのか?
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DMZ(非武装地帯)でもこの施設でも感じたのは、一見のどかな韓国という国の裏側にある北朝鮮という国の存在感である。子供にも、共産主義と戦って戦って戦って、ようやくこの国ができあがったんだぜということを執拗に教えている感じである。アメリカでどこに行っても退役者軍人の施設があるのと同じ感じである。

これはDMZで起きた北朝鮮兵士による米兵殺傷事件(斧事件)のジオラマ。
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最後は現在進行形の、北の挑発一覧と核実験の展示で終了。
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最上階の併設カフェでも入ろうかと思ったところでこだま、ハマから昼の誘いである。
急いで施設の外にでると、そこは兵器の宝石箱であった。足早に写真を撮りまくる。
圧巻の展示を堪能し満足。この施設100億円くらいかかったんじゃないの?とにかく歴史&ミリタリー好きならたまらない場所である。
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駅までの道すがら、米軍のTHAADミサイル配備に反対する集団のデモがあった。本当いろいろ大変ですねと思った次第である。
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tabinote田口だ。
仕事も片付いたので当然カジノに行くのである。
ソウル市内のカジノはウォーカーヒルとセブンラック(ヒルトン、カンナム)の3か所。
どこも訪問済み、ウォーカーヒルが一番好き(=勝った経験あり)なのだが、少し遠いところもあり至近距離にあるヒルトンに行くことにし、荷物をまとめてタクシー。
カジノのクロークで荷物を預け、カジノ内へ。
諸般の事情で今回は軍資金が甚だ心もとない。日本円7万円をキャッシャーにて韓国ウォンに。78万₩くらいだっけな。いつもながらいきなり大金持ちになったかと錯覚する。
とはいえ日曜ということもあり朝から混雑しており、なかなか安いレート(ミニマム10000₩)のブラックジャックテーブルが空かない。とは言えあせって高いテーブルや慣れないバカラテーブルに行っても勝てるわけがないので、周囲を観察しながら待つ。


tabinoteハマDAYONE。
起きたらすでに田口はカジノへ出勤していた。
ワタベの戦争博物館は丁重にお断りし、コダマくんと観光に行こうという話になり、宿を出ようとしたらチェックアウトが斜め上で爆笑する
KEY BOX

ソウル駅に荷物を置き(ロッカーが面白かった)、駅のフードコートでキンパ(海苔巻き)を食べた後、コダマくんと景福宮へ。恥ずかしながら、韓国ではいつも買い物/サウナ/食事くらいしかしたことがなく観光らしい事を1つくらいしてみようと思ったのだ。
まあ…とにかく広大で煌びやかであった。
ついた瞬間から「こりゃさわりしか観れねえわ」という事になり、入り口で猛暑の中微動だに出来ないイケメンの横でふざける写真(雑コラ)を撮って終了。
雑コラ


tabinoteこだまです。

今日もいい天気。ハマと観光らしいことしようぜーとガイドブックを開いて適当に選んだ先は景福宮。
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広い敷地をぱーっと歩き回って写真撮ってまわった。そしてこれは我々の2ショット(嘘)。
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6/5:午後

tabinoteワタベである。
東大門駅で降り、呼び出されたタッカンマリ屋に入る。
最高である。
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今回のソウル滞在で一度も焼肉を食べていないことに気づき、なんとか夜は焼肉…と考えるが、満腹である。
夜のことは夜に考えるとして、再び個別行動である。


tabinote田口だ。
30分ほどして、ようやくブラックジャック(BJ)テーブルに空きが1席できたのですかさず着席
BJテーブルは通常5~7人が定員となっている。本来であれば3人くらい(理想は1人)のテーブルでゆったり打ちたいものであるが、ソウルでそれはほぼ不可能なためしょうがない。ゲームをやりたいという気持ちの方が勝る。
場内は中国人4割、日本人4割、残り2割という感じか。
韓国のカジノは韓国人は入場不可なのだが、なぜか韓国語を流暢に話す人が多い。どのようなカラクリになっているかはわからない。
持ち金全部をチップに交換し、ミニマムベット(10000₩≒900円)で様子をうかがう。

率直に言って調子が悪い、じわりじわりと持ち金が減っていく。
BJに限らずテーブルゲームのほとんどは勝率が決まっている。もちろん長時間やれば必ず負けるようになっている。
なのでギャンブラーが勝つための方法はただひとつ。掛け金を上下させ、多く賭けたときに勝ち、少なく賭けたときに負けることである。
もちろんそんなにうまくはいかないし、そもそも軍資金が心もとないため掛け金アップも満足にできない。
夕方には7万円が3万円くらいに目減りしていた。


tabinoteハマDAYONE。
昨日ちょっとだけひやかした、東大門に出来たばかりの現代シティアウトレットでどうしても気になるサンダルがあったのでコダマくんを連れて東大門へ。
なんとなくの印象としては、上の階は概ね高くて用がないっすね…
地下1階に少しローカルファストファッション店があって、女の欲が軽めにヒートアップした【戦利品:サンダル、ブラウス】

この後、以前食べてめちゃくちゃ気に入ったタッカンマリがどうしても食べたかったので、入り組んだ通りの有名店にワタベくんを呼び出してみる。
店があった場所に行ってみると、全然違う場所から店のオモニが「コッチだよ!コッチだよ!」と飛び出してきた。
わぁ…いろいろ笑えない…
火災の為移転の看板

タッカンマリは最&高でした。ほんと韓国料理の中で一番好きかもしんないわコレ
タッカンマリ最高


tabinoteハマDAYONE。
昼食のあとは一人で明洞〜南大門へ行き、女の買い物が小爆発した【戦利品:Tシャツ、ワンピース、おみやげ等】
余談だが韓国旅行ではいつも必ず服を買いあさるので、着替えを下着靴下以外まったく持ってきておらず、ここでやっと買ったTシャツに着替えた。
寝る時含めてまる3日同じ服だったYONE


tabinoteこだまです。

昼メシは、ハマと絶対行こうぜーと決めていた東大門のタッカンマリ屋。
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ワタベも合流して、昼間っからビールキメた。これほんと最高!
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解散してそのまま午後はずっと東大門を散策。自分の服を見たり、東大門デザインプラザ(ザハ・ハディッドの作品!)を見て回る。
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tabinoteワタベである。
昼食の後は、とある場所に向かっていたのであるが、この後のtabinote旅行記のネタにしたいのでその話は書けないのである。
あえていえば、また山に行っていたのである。ただし山登りではないのである。観光客が絶対行かない山である。
詳しくは次号以降で載せたいのでお楽しみにとしか言えないのであるが、ヒントを言えばカンナム地区のこの山である。
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6/5:夜〜帰国

tabinote田口だ。

2016-06-05 02.47.15
とりあえず心落ち着かせるため、カジノのただ飯を食らう。
帰りの飛行機に乗るためにはあと3時間で出なければならない。
プラスは無理としてもなんとか一矢報いたいものだ。
だが、相変わらず流れは訪れず、一時は残り2万円(-5万円)まで落ち込む。
自慢ではないが過去にはこの20倍くらい負けたこともある。だがやはり負けは嫌だ、とにかく悪い波を最低ベットで凌ぎ切っていい波を待つ。BJとはペイシャンスのゲームとはよく言ったものである。
そしてタイムリミット1時間前にようやく波が訪れる。ベットアップを連発しかなり盛り返す。
本日最大の見せ場は、10万₩ベットしておれの手「10」、ディーラー「6」。当然ダブルダウンし「10」を引きオレ「20」。ガッツポーズである。ディーラーが「21」を作り上げない限り20万₩が帰ってくる。
ディーラーの2枚目は「10」。ほぼ勝ったも同然、13枚のカードのうち「4」を引いたらドロー、「5」を引いたら負け、「1,2,3,6,7,8,9,10,J,Q,K」を引いたら勝ちである

ディーラー最後の1枚は???

はい、「5」でした、、、、。

というわけで最後まで運を引き寄せず最終的に2万円の負け。まあ許容範囲内である。
気持ちを切り替えシャトルバスで空港へ。


山から戻ったtabinoteワタベである。
コインロッカーから荷物を出す。ソウル駅周辺には店がとぼしいので、急いで焼肉屋がありそうなところへ。
タクシーで南大門市場に行く。
この日は閉まっている店舗が多かったが、一軒の焼き肉屋が営業していた。
昼のダッカンマリでやや満腹気味だったので、慎重に注文する。
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クソ最高である。焼肉と言うよりも一口大のステーキが次から次へと口に運ばれていく感じである。これがホントのいきなりステーキ!である。
猛スピードで食べ、勘定をすませ、高速鉄道で空港に向かったのである。


tabinoteハマDAYONE。
南大門駅からソウル駅に戻りワタベ&コダマと合流。
コインロッカーから荷物を出した後、どうしても焼き肉を食べたい2人に押し切られ南大門へ(また戻るのかという)。
高級そうな焼き肉屋で、ステーキ然とした焼き肉をわんこそば級の早さで食らう。超うまし。
すぐにソウル駅に戻り、高速鉄道で空港へ。
前日に購入したマークのバッグもここで引き取り、私の物欲まみれの旅行が終わった(かに思えたが、羽田着が夜中2時だった為、そのまま平和島温泉へ向かい翌朝の10時までガン寝。4日目の服を着込んで帰宅した)

戦利品↓
戦利品


tabinoteこだまです。

最後に焼肉食おうと適当に入った焼き肉屋がまあうまいのなんの。さすがいいお値段する韓牛。薦められるサイドメニューをすべて断り、肉を、肉だけを全力で喰った。
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ふたたびソウル駅に戻り、空港まではAREXで移動。東京でいえば京成スカイライナー的なポジションだろうか。乗り心地よし。
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のんびりするまもなく復路のフライトへ。終電後の羽田空港からはリムジンバス深夜便で帰宅した。
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最後に

tabinoteワタベである。
もともとソウルには特に関心はなかったのである。ソウル旅行といえば韓流スターやKポップ、ショッピングにエステなどおっさんにはわけのわからない女子旅っぽい話ばかりで、日本に近すぎるという印象もあり、あまり旅先として考えたことがなかったのである。
そこで、今回は冒険とスリルの味わえる「漢の旅」をコンセプトに目的を決めてみたのである。結果としては、すばらしい体験ができたのではないかと思うのである。特に、DMZツアーは今後いつまでも行けるとは限らない。ぜひ皆さんにもチャレンジしてほしいものである。


tabinote田口である。
訪韓はたぶん5回め。正直カジノ以外に魅力を感じていなかったが、今回DMZ観光は興奮したし、サウナ(チムジルバン)の素晴らしさに目覚めたので、トランジットなど機会があればまた行ってみたいと思ったしたぶん行くであろう。


tabinoteハマDAYONE。
まあいつも通りの女子旅(?)が終わった。K-POPにまるで興味がない為、もう少し行ける場所がないものかなあという点だけが残念。
以前、嵐カフェを紹介したけれど、ああいうJに精通してる人や場所があれば目の色変わるんだけどねェ…


tabinoteこだまです。
ここ最近、LCC利用の格安弾丸ツアーにすっかりハマっておりまして、今回もそのノリで楽しんできましたが、0泊弾丸に比べたら高々2泊3日でもすごく長く感じるんですよね(笑)。