3b. 世界一周ノート 青木大地
仕事をやめ、2013年10月から1年間の予定で世界一周の旅に出ました。
青木大地(あおき・だいち)
1986年生まれ。日本大学 芸術学部 卒業。
卒業後、大手レンタルビデオメーカーに勤務。店舗、営業を経て世界旅行のため退社。
念願のフリーライターとしてとりあえず1年は過ごせそうです。
同名義のFacebookもよければ見てください。
第25回:トルコ
トルコはアジアとヨーロッパの境目として旅人にとっては感慨深い場所だと思う。アジアから向かう人にとっては貧乏旅の終わりであり、ヨーロッパから入る人にとっては物価が下がる安心感と衛生面の不安が首をもたげる場所だ。
僕もそんな気持ちでトルコへと足を踏み入れた。イスタンブールの街は美しく、モスクやハラル料理、親日的な客引きやそうでない客引きと、勧められるチャイ、全てが期待通りのトルコがそこにあった。
ただ、僕はトルコが境目だとは思わなかった。それはトラムやメトロ、長距離バスに如実に現れていた。トルコは完全にヨーロッパだった。
整っていた。トラムやメトロは時間通り往来し、長距離バスにはWiFiが完備されていた。それはアジアでは考えられない、ヨーロッパ水準だった。
では、何故皆がトルコを境目と言うのか?それは物価なのだと思う。旅人にとってこれだけの整った環境に対して、物価はアジア水準で計算できた。ケバブは200円でお釣りがくるし、ジュースやお菓子も安かった。
親日という話も嘘ではなく、カッパドキアで泊まった安宿のオーナーは日本人がオスマントルコ帝国を救ってくれた話をしながら涙を流していた。
豊富な観光資源に有り難い物価、人、環境。居心地は良く、僕は女子旅もバックパッカーも観光客も、全ての人にトルコはハマると感じた。
そしてこんなことにとっくに気付いているのが韓国人で、トルコには多くの韓国人観光客が押し寄せていた。僕はトルコからはフェリーでギリシャへと渡ったのだけれど、エーゲ海沿いのボドラムという港町はバカンスを楽しむ西欧人で溢れ返っていた。西から東から、トルコの快適さを求めて人が集まっていた。
僕もお金がないなりにトルコを楽しんだ。地元民向けのハマム(垢擦り付きの蒸し風呂)ではあまりの垢の多さに担当のおじさんに嘔吐かれ、長距離バスを値切り続けていたらバス会社から追い出された。ボドラムでも公園で野宿していたら警官に囲まれて起こされた。こうやって僕は徐々にアジアからの脱皮を余儀なくされた。イスタンブール→カッパドキア→パムッカレ→ボドラムというかなり端折ったルートではあったけれど、僕はトルコには良い思い出しかなかった。
旅が快適だとあまり事件も起きない。そしてそれはヨーロッパを抜けるまで続いてしまった。だから僕にとってヨーロッパは単なる移動と観光地獄の始まりだった。如何にして夜行移動で宿泊費を浮かすか、それが知恵の絞り所で、僕はそれに全てを賭けた。なので次回からは、そういった工夫を記していこうと思う。それなりに名だたる世界遺産をつまみ食いしてきたけれど、ただ何かが美しかったという話はあまりにくだらないので。
今回のルートでは、トルコからフェリーでギリシャへ抜けた部分がポイントだった。港町ボドラムからコス島(ギリシャ)を経由してアテネへ入るフェリーが最も安かった。サントリーニ島やロードス島という経由便もあったけれど、僕は安価な、そして船上泊が可能なものを選んだ。コス島では半日待たされるため、海に湧く温泉に行ったりして暇を潰した。この温泉(海?)にはトイレがなく、少し厄介になった。
ボドラムからは島を経由し、イタリアに入るものもあるようだった。エーゲ海では赤い夕日とイルカが泳いでいるのが見えた。
次回はギリシャ、東欧諸国の魅力 を記します。
とりあえずの予定コース:上海→杭州→南寧→ハノイ→ホーチミン→シェムリアプ→チェンマイ→ルアンパバーン→バンコク→パンガン島→ペナン島→マラッカ→スマトラ島→ジャワ島→マニラ→シンガポール→ジョホールバル→シドニー→チェンナイ→ムンバイ→アグラ→デリー→バラナシ→ブッダガヤ→コルカタ→ダージリン→ポカラ→ルンビニ→ガヤ→カトマンズ→ポカラ→トルコ・・・以降ヨーロッパ、アフリカ、アメリカ、南米と巡る予定