3b. 世界一周ノート 青木大地

仕事をやめ、2013年10月から1年間の予定で世界一周の旅に出ました。

Profile
aoki_s

青木大地(あおき・だいち)

1986年生まれ。日本大学 芸術学部 卒業。
卒業後、大手レンタルビデオメーカーに勤務。店舗、営業を経て世界旅行のため退社。
念願のフリーライターとしてとりあえず1年は過ごせそうです。
同名義のFacebookもよければ見てください。

Facebook

第24回:カトマンズ~ポカラ

ダージリンからトイトレイン、乗り合いジープと乗り継いで、僕はチェンナイ空港でとったアライバルビザの30日間ギリギリでネパールへとインドから出国した。
wEVxqK75n-WjdLCSWcPciW_1yCQvhfwPRvh1L_mpfg0

ネパールに入ると、カトマンズ行きのバスの客引きと両替商がすぐに集まってきた。レートの良い両替商はバス停のすぐ近くに居て、その人たちを信用して僕はポカラ行きの安いバスのチケットも買った。とにかく夜行バスはファーストクラスだと聞いていた。モモというネパール餃子(ネパール滞在中はこれが主食だった。ポカラではバッファロー肉を使ったモモがよくある)を食べながらバスを待って、ついに1時間遅れでやって来たボロバスの後方座席はパイナップルでいっぱいだった。
cmdPkqEOl6c3iStzYbjOpjEpl4Rrpvq-VFCOspG2G5s

それでもインドとは違う殺伐としていない感じがそこにはあった。
そして湖畔の町ポカラはもっとのんびりしていて、まさに沈没地としての鏡のようだった。ホテルのルーフトップから湖を眺める、それだけで何日も無為に過ごせる、そんな場所だった。
ここで出会った沈没さんは、世界一周のつもりがポカラに来てストップし、抜け出せず、最終的にはホテルのボランティアスタッフへと昇華する荒技を繰り出していた。
やはり観光地としての魅力的な場所と旅人としての魅力的な場所には大きな差異があって、ポカラは後者にあたる。見所はないけれど、ただ過ごすには申し分ない、世界有数の沈没地がポカラだった。
SwWvbLh0a6D3X1JoxYJjrV0szM-l7WwxToXbLEq2ODw

ydd-y03qfeKkiYCRWpOXdkD2w2CK1B1FpWuyhLghHUI

ポカラでの沈没に後ろ髪を引かれながらも、僕はブッダが生誕したルンビニへと立寄った。
ルンビニでは口コミで食事が美味しいと言われる韓国寺に宿泊した。朝夕2食付きで、ロビーではwi-fiも使えた。ただ、ルンビニエリアは停電が頻発し夜は必然的に早く寝ることになってお寺暮らしが捗った。
各国の寺院が並ぶ園内は丹下健三が設計をしたらしい。ただ、無駄に広い敷地と工事中ばかりのお寺たち、そして手入れが行き届かなくて生い茂る草木などを見ると、丹下健三がイメージしていたものとはだいぶ違った感じになっているんだろうなと、少し不憫になった。
R0RyeTBSg1UvQJYqCpK3YnAAu7UJTzZmksthzfa71dI

何となくブッダの面影を追いたくなって、インドではガヤ、そしてルンビニと訪れた僕は悟りとは程遠い煩悩まみれの状態でカトマンズへと抜けた。
カトマンズではヒマラヤ連峰へのトレッキングの準備期間を過ごす人やドラッグ系パッカーが散見された。街には安価な偽物アウトドアグッズショップが並び、客引きがしつこく声をかけてきた。
ポカラのペンギンゲストハウス・カトマンズのチェリーゲストハウスの日本人宿はその手のパッカーの溜まり場として名高く、僕が少し覗いたチェリーでは、屋上で温かい会合が開かれていた。リーダー格の男の鋭い目と、それに従事するかのようなこじらせまくりの女の子の姿が印象的だった。
知らない人が買ったのを見せてもらったのだけれど、ハシシは写真のサイズで500円だった。これが相場なのかは不明だけれど、それなりに消化するには時間がかかりそうだった。
P6mWzuDtIkH_CKVu_8d0Rca-fDQZllF7pIGiLlAt6mg
qbP1HNf6Wr8fybtaXEXO5rUcBw-jK5C9muMMUVzF-Zo

ネパールは、登山[自分への挑戦]とドラッグ[自分を堕とす作業]という旅行者が織りなす二面性を持っていた。真逆の志を持った人たちが各々の目的のために混沌を形成していた。
それでもネパールのモモは美味しいし、朝のチャイは誰にでも平等に甘かった。
bRyVOtsySOwxDTYO_VskTmXYfTlrduPzZnf5ygSPrzA

カトマンズの小さな国際空港からトルコへ。いよいよ僕のアジアが終わってしまった。
整っていないことへのストレスはもう味わうことがなくなると思うと、嬉しいようでやっぱり寂しかった。旅の難易度も急激に下がることが目に見えていた。
急に目的意識というか、修行感のようなものが失われてしまった気がしていたけれど、ただひとまず一区切り、僕はヨーロッパへと向かうことにした。

次回からはヨーロッパ突入編、トルコって素晴らしいを記します。


世界一周ノート
とりあえずの予定コース:上海→杭州→南寧→ハノイ→ホーチミン→シェムリアプ→チェンマイ→ルアンパバーン→バンコク→パンガン島→ペナン島→マラッカ→スマトラ島→ジャワ島→マニラ→シンガポール→ジョホールバル→シドニー→チェンナイ→ムンバイ→アグラ→デリー→バラナシ→ブッダガヤ→コルカタ→ダージリン→ポカラ→ルンビニ→ガヤ→カトマンズ・・・。以降ネパール、トルコ、ヨーロッパ、アフリカ、アメリカ、南米と巡る予定

3b. 世界一周ノート 第24回:カトマンズ~ポカラ


3b. 世界一周ノート 青木大地

仕事をやめ、2013年10月から1年間の予定で世界一周の旅に出ました。

Profile
aoki_s

青木大地(あおき・だいち)

1986年生まれ。日本大学 芸術学部 卒業。
卒業後、大手レンタルビデオメーカーに勤務。店舗、営業を経て世界旅行のため退社。
念願のフリーライターとしてとりあえず1年は過ごせそうです。
同名義のFacebookもよければ見てください。

Facebook

第24回:カトマンズ~ポカラ

ダージリンからトイトレイン、乗り合いジープと乗り継いで、僕はチェンナイ空港でとったアライバルビザの30日間ギリギリでネパールへとインドから出国した。
wEVxqK75n-WjdLCSWcPciW_1yCQvhfwPRvh1L_mpfg0

ネパールに入ると、カトマンズ行きのバスの客引きと両替商がすぐに集まってきた。レートの良い両替商はバス停のすぐ近くに居て、その人たちを信用して僕はポカラ行きの安いバスのチケットも買った。とにかく夜行バスはファーストクラスだと聞いていた。モモというネパール餃子(ネパール滞在中はこれが主食だった。ポカラではバッファロー肉を使ったモモがよくある)を食べながらバスを待って、ついに1時間遅れでやって来たボロバスの後方座席はパイナップルでいっぱいだった。
cmdPkqEOl6c3iStzYbjOpjEpl4Rrpvq-VFCOspG2G5s

それでもインドとは違う殺伐としていない感じがそこにはあった。
そして湖畔の町ポカラはもっとのんびりしていて、まさに沈没地としての鏡のようだった。ホテルのルーフトップから湖を眺める、それだけで何日も無為に過ごせる、そんな場所だった。
ここで出会った沈没さんは、世界一周のつもりがポカラに来てストップし、抜け出せず、最終的にはホテルのボランティアスタッフへと昇華する荒技を繰り出していた。
やはり観光地としての魅力的な場所と旅人としての魅力的な場所には大きな差異があって、ポカラは後者にあたる。見所はないけれど、ただ過ごすには申し分ない、世界有数の沈没地がポカラだった。
SwWvbLh0a6D3X1JoxYJjrV0szM-l7WwxToXbLEq2ODw

ydd-y03qfeKkiYCRWpOXdkD2w2CK1B1FpWuyhLghHUI

ポカラでの沈没に後ろ髪を引かれながらも、僕はブッダが生誕したルンビニへと立寄った。
ルンビニでは口コミで食事が美味しいと言われる韓国寺に宿泊した。朝夕2食付きで、ロビーではwi-fiも使えた。ただ、ルンビニエリアは停電が頻発し夜は必然的に早く寝ることになってお寺暮らしが捗った。
各国の寺院が並ぶ園内は丹下健三が設計をしたらしい。ただ、無駄に広い敷地と工事中ばかりのお寺たち、そして手入れが行き届かなくて生い茂る草木などを見ると、丹下健三がイメージしていたものとはだいぶ違った感じになっているんだろうなと、少し不憫になった。
R0RyeTBSg1UvQJYqCpK3YnAAu7UJTzZmksthzfa71dI

何となくブッダの面影を追いたくなって、インドではガヤ、そしてルンビニと訪れた僕は悟りとは程遠い煩悩まみれの状態でカトマンズへと抜けた。
カトマンズではヒマラヤ連峰へのトレッキングの準備期間を過ごす人やドラッグ系パッカーが散見された。街には安価な偽物アウトドアグッズショップが並び、客引きがしつこく声をかけてきた。
ポカラのペンギンゲストハウス・カトマンズのチェリーゲストハウスの日本人宿はその手のパッカーの溜まり場として名高く、僕が少し覗いたチェリーでは、屋上で温かい会合が開かれていた。リーダー格の男の鋭い目と、それに従事するかのようなこじらせまくりの女の子の姿が印象的だった。
知らない人が買ったのを見せてもらったのだけれど、ハシシは写真のサイズで500円だった。これが相場なのかは不明だけれど、それなりに消化するには時間がかかりそうだった。
P6mWzuDtIkH_CKVu_8d0Rca-fDQZllF7pIGiLlAt6mg
qbP1HNf6Wr8fybtaXEXO5rUcBw-jK5C9muMMUVzF-Zo

ネパールは、登山[自分への挑戦]とドラッグ[自分を堕とす作業]という旅行者が織りなす二面性を持っていた。真逆の志を持った人たちが各々の目的のために混沌を形成していた。
それでもネパールのモモは美味しいし、朝のチャイは誰にでも平等に甘かった。
bRyVOtsySOwxDTYO_VskTmXYfTlrduPzZnf5ygSPrzA

カトマンズの小さな国際空港からトルコへ。いよいよ僕のアジアが終わってしまった。
整っていないことへのストレスはもう味わうことがなくなると思うと、嬉しいようでやっぱり寂しかった。旅の難易度も急激に下がることが目に見えていた。
急に目的意識というか、修行感のようなものが失われてしまった気がしていたけれど、ただひとまず一区切り、僕はヨーロッパへと向かうことにした。

次回からはヨーロッパ突入編、トルコって素晴らしいを記します。


世界一周ノート
とりあえずの予定コース:上海→杭州→南寧→ハノイ→ホーチミン→シェムリアプ→チェンマイ→ルアンパバーン→バンコク→パンガン島→ペナン島→マラッカ→スマトラ島→ジャワ島→マニラ→シンガポール→ジョホールバル→シドニー→チェンナイ→ムンバイ→アグラ→デリー→バラナシ→ブッダガヤ→コルカタ→ダージリン→ポカラ→ルンビニ→ガヤ→カトマンズ・・・。以降ネパール、トルコ、ヨーロッパ、アフリカ、アメリカ、南米と巡る予定