3b. 世界一周ノート 青木大地

仕事をやめ、2013年10月から1年間の予定で世界一周の旅に出ました。

Profile
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青木大地(あおき・だいち)

1986年生まれ。日本大学 芸術学部 卒業。
卒業後、大手レンタルビデオメーカーに勤務。店舗、営業を経て世界旅行のため退社。
念願のフリーライターとしてとりあえず1年は過ごせそうです。
同名義のFacebookもよければ見てください。

Facebook

第23回:インド コルカタ、ダージリン

バラナシ、ブッダガヤと聖地を梯子して、罪を完全に流した様な気になって、僕はカルカッタへと辿り着いた。

サダルストリートにはバックパッカーが集まり、安宿やレストラン、怪し過ぎる客引きが密集していた。
それでも路地を抜けると汚い市場や、泥水で体を洗えるオープンな公衆浴場などが姿を現した。ショッピングモールや日用品店も目にし、都会的な面も併せ持ったその街は深夜特急で僕が抱いていたイメージとはだいぶ異なった。カオサンも、ホーチミンのデタム通りもそうだったように、時代は当たり前のように変わっていた。悲しいくらい「比較的便利」になってしまっていた。
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だからこそ、三島由紀夫が豊穣の海で描いたカーリー寺院の儀式だけは見ておきたかった。殺戮の女神への生け贄で差し出される山羊の断頭の儀式を。
寺院に朝8時に着いて、いつ行われるかわからない儀式をひたすら待った。ある人は9時からと言い、ある人は10時、ある人は今からやると言い、またある人は今日はやらないと教えてくれた。僕は寺院の中で数人の物乞いの横に腰掛けてとにかく儀式が行われるのを待った。
物乞いの皆さんとも一体感が生まれつつあった10時、山羊が次々と運ばれてきて、遂に断頭の儀式が始まった。
山羊の首はよく研がれた刃で落とされ、人々は僧侶からその血を額に授かり祈りを捧げていた。僕にはそういった性趣向はないけれど、その瞬間だけは興奮した。それは、予想を裏切らない光景だったからかもしれない。
旅を続けて、観光地を次々巡るうちにその感動は薄れる。旅が日常として成立してしまった以上、その感覚は宿命的なのだけれど、時々この様な陶酔感覚に陥ることがある。それはきっと現実が想像を越えた時なのだと思う。
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また、カルカッタにはイスラム教徒の居住区があって、そこで牛肉の入ったカレーを食べることができた。インドに入ってから毎日粗悪な鶏肉ばかり食べていたので、久しぶりの牛肉は美味しく、もしかしたら山羊の断頭くらい僕は興奮した。
たった3週間ぶりの肉にこの感動なら、ビーガンにステーキを食べさせたらどうなってしまうんだろう?なんてくだらないことを考えながら僕はカルカッタを後にした。

ダージリンには鉄道とジープを乗り継いで辿り着いた。ダージリンは世界三位の高峰カンチェンジュンガが見渡せる、紅茶が有名な避暑地だった。登山に興味のない僕の目的はトイトレインと呼ばれる山岳鉄道だった。
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ダージリンはシーズンオフで毎日雨が降り、カンチェンジュンガが見渡せるタイガーヒルのご来光ツアーは催行されていなかった。それでも僕は散歩をするだけで満足だった。落ち着いた町を見下ろす小高い丘でチャイを飲むだけで、満たされた。ダージリンはネパール、シッキム、チベットの血が混ざるため、人の顔がインドと変わり、それだけで僕は何だか安心していた。食事はネパール料理の影響が大きく、美味しかった。
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ダージリンでインドの30日間を終えて、僕は結局インドに翻弄されて終わってしまった。ただインドを離れられるということだけがこの時は嬉しかった。
結局、僕はインドを好きになるでも嫌いになるでも、行ったことで人生観が変わる人間でもなかった。インドは大きくて、カーストを巡る宗教国で、剥き出しの人間たちがいて、たまに美しくて、捉え所がない。だから僕がインドについて言えるのは、本当にインドを理解するにはシングルビザでは足りないよ、ということだけかもしれない。
そして、もしもう一度インドに行くとすれば、僕は観光客という立場を放棄して何れかのカーストに属してみたいと思った。どんなに貧しくても下位カーストの者に恵みを与える感覚はどんなだろうと、身勝手でろくに喜捨もできない僕は考えている。

次回はネパール、ポカラという沈没地・聖地ルンビニ・カトマンズのハシシと日本人について記します。


世界一周ノート
とりあえずの予定コース:上海→杭州→南寧→ハノイ→ホーチミン→シェムリアプ→チェンマイ→ルアンパバーン→バンコク→パンガン島→ペナン島→マラッカ→スマトラ島→ジャワ島→マニラ→シンガポール→ジョホールバル→シドニー→チェンナイ→ムンバイ→アグラ→デリー→バラナシ→ブッダガヤ→コルカタ→ダージリン・・・。以降ネパール、トルコ、ヨーロッパ、アフリカ、アメリカ、南米と巡る予定

3b. 世界一周ノート 第23回:インド コルカタ、ダージリン


3b. 世界一周ノート 青木大地

仕事をやめ、2013年10月から1年間の予定で世界一周の旅に出ました。

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青木大地(あおき・だいち)

1986年生まれ。日本大学 芸術学部 卒業。
卒業後、大手レンタルビデオメーカーに勤務。店舗、営業を経て世界旅行のため退社。
念願のフリーライターとしてとりあえず1年は過ごせそうです。
同名義のFacebookもよければ見てください。

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第23回:インド コルカタ、ダージリン

バラナシ、ブッダガヤと聖地を梯子して、罪を完全に流した様な気になって、僕はカルカッタへと辿り着いた。

サダルストリートにはバックパッカーが集まり、安宿やレストラン、怪し過ぎる客引きが密集していた。
それでも路地を抜けると汚い市場や、泥水で体を洗えるオープンな公衆浴場などが姿を現した。ショッピングモールや日用品店も目にし、都会的な面も併せ持ったその街は深夜特急で僕が抱いていたイメージとはだいぶ異なった。カオサンも、ホーチミンのデタム通りもそうだったように、時代は当たり前のように変わっていた。悲しいくらい「比較的便利」になってしまっていた。
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だからこそ、三島由紀夫が豊穣の海で描いたカーリー寺院の儀式だけは見ておきたかった。殺戮の女神への生け贄で差し出される山羊の断頭の儀式を。
寺院に朝8時に着いて、いつ行われるかわからない儀式をひたすら待った。ある人は9時からと言い、ある人は10時、ある人は今からやると言い、またある人は今日はやらないと教えてくれた。僕は寺院の中で数人の物乞いの横に腰掛けてとにかく儀式が行われるのを待った。
物乞いの皆さんとも一体感が生まれつつあった10時、山羊が次々と運ばれてきて、遂に断頭の儀式が始まった。
山羊の首はよく研がれた刃で落とされ、人々は僧侶からその血を額に授かり祈りを捧げていた。僕にはそういった性趣向はないけれど、その瞬間だけは興奮した。それは、予想を裏切らない光景だったからかもしれない。
旅を続けて、観光地を次々巡るうちにその感動は薄れる。旅が日常として成立してしまった以上、その感覚は宿命的なのだけれど、時々この様な陶酔感覚に陥ることがある。それはきっと現実が想像を越えた時なのだと思う。
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また、カルカッタにはイスラム教徒の居住区があって、そこで牛肉の入ったカレーを食べることができた。インドに入ってから毎日粗悪な鶏肉ばかり食べていたので、久しぶりの牛肉は美味しく、もしかしたら山羊の断頭くらい僕は興奮した。
たった3週間ぶりの肉にこの感動なら、ビーガンにステーキを食べさせたらどうなってしまうんだろう?なんてくだらないことを考えながら僕はカルカッタを後にした。

ダージリンには鉄道とジープを乗り継いで辿り着いた。ダージリンは世界三位の高峰カンチェンジュンガが見渡せる、紅茶が有名な避暑地だった。登山に興味のない僕の目的はトイトレインと呼ばれる山岳鉄道だった。
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ダージリンはシーズンオフで毎日雨が降り、カンチェンジュンガが見渡せるタイガーヒルのご来光ツアーは催行されていなかった。それでも僕は散歩をするだけで満足だった。落ち着いた町を見下ろす小高い丘でチャイを飲むだけで、満たされた。ダージリンはネパール、シッキム、チベットの血が混ざるため、人の顔がインドと変わり、それだけで僕は何だか安心していた。食事はネパール料理の影響が大きく、美味しかった。
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ダージリンでインドの30日間を終えて、僕は結局インドに翻弄されて終わってしまった。ただインドを離れられるということだけがこの時は嬉しかった。
結局、僕はインドを好きになるでも嫌いになるでも、行ったことで人生観が変わる人間でもなかった。インドは大きくて、カーストを巡る宗教国で、剥き出しの人間たちがいて、たまに美しくて、捉え所がない。だから僕がインドについて言えるのは、本当にインドを理解するにはシングルビザでは足りないよ、ということだけかもしれない。
そして、もしもう一度インドに行くとすれば、僕は観光客という立場を放棄して何れかのカーストに属してみたいと思った。どんなに貧しくても下位カーストの者に恵みを与える感覚はどんなだろうと、身勝手でろくに喜捨もできない僕は考えている。

次回はネパール、ポカラという沈没地・聖地ルンビニ・カトマンズのハシシと日本人について記します。


世界一周ノート
とりあえずの予定コース:上海→杭州→南寧→ハノイ→ホーチミン→シェムリアプ→チェンマイ→ルアンパバーン→バンコク→パンガン島→ペナン島→マラッカ→スマトラ島→ジャワ島→マニラ→シンガポール→ジョホールバル→シドニー→チェンナイ→ムンバイ→アグラ→デリー→バラナシ→ブッダガヤ→コルカタ→ダージリン・・・。以降ネパール、トルコ、ヨーロッパ、アフリカ、アメリカ、南米と巡る予定