カテゴリー別アーカイブ: 2b.連載:吉田友和

2b. 連載:「旅のしりとりエッセイ」 吉田友和  2016/7/12号 Vol.075


2b.「旅のしりとりエッセイ」 吉田友和

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プロフィール

吉田友和(よしだともかず)

1976年千葉県生まれ。出版社勤務を経て、2002年、初海外旅行にして夫婦で世界一周旅行を敢行。旅の過程を一冊にまとめた『世界一周デート』で、2005年に旅行作家としてデビュー。「週末海外」というライフスタイルを提唱。国内外を旅しながら、執筆活動を続けている。その他、『スマートフォン時代のインテリジェント旅行術』(講談社)、『自分を探さない旅』(平凡社)、『LCCで行く! アジア新自由旅行』(幻冬舎)、『めざせプチ秘境!』(角川書店)、『3日もあれば海外旅行』(光文社)など著書多数。
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しりとりで旅する 第60回 吉田友和

る ルートビア

 パプアニューギニアへ来ている。秘境のイメージが強い同国だが、成田から直行便が出ており案外近いなあという感想だ。ただ、今回は首都ポートモレスビーから国内線に乗り継ぎ、ニューブリテン島という離島へ飛んだ。さらには空港から1時間以上陸路で移動してようやく辿り着いた、キンベという街に滞在している。さすがにここまで来ると、ずいぶん遠いところまでやってきたなあという手応えを覚える。
 初めて訪れる国は発見が多くて飽きない。今日は朝からダウンタウンのマーケットを散策し、その後プランテーションを見学しつつ、ホットリバーに浸かってきた。40度ぐらいの高温の水が流れる川があって、さながら天然の温泉のようになっている。火山島なのだ。
 そこまで行く道はとにかく悪路で、久々にクルマに乗っているだけで疲れた。お昼過ぎに宿に戻ってきて、ランチを食べたら眠気に襲われた。気温は高く、湿度もたっぷりだが、コテージのまわりに生い茂る南国の植物が目に優しく、海風が心地良い。誘われるまま惰眠を貪り、目を覚ましてヨロヨロと起きてきて、いまコレを書いている。
 隣の席では、オージーのカップルがビール片手に談笑していて、ほんの少し羨ましい。最近はずっとそうだが、今回も一人旅だ。立地的に近距離のせいか、パプアニューギニアでは旅行者といえばオージーが大多数を占めるようだ。一方で、日本人旅行者も意外といることに驚かされる。キンベは知る人ぞ知るダイビングのメッカだそうで、多くは海を目的とした旅行者たちだ。よくもまあこんな辺鄙なところまで……と感心させられるのだが、お互い様だろうなあ。
 いま泊まっている宿にも日本人がいて、食事などでしばしばご一緒させていただいている。こういう辺境の地で出会う日本人の旅人は、いい意味でどこか突き抜けたようなタイプが多い。たとえば、「どちらからいらしてるんですか?」などという当たり障りのない、お決まりの質問をぶつけただけでもう、型破りな答えが返ってきてオヤッとなったりする。
「家は福岡なんだけど、いまは沖縄に仮住まいしているんです」
 見たところ、僕より一回り以上は年上と思しき男性はそう答えた。
「おおっ! 沖縄、ですか!」
 と、僕はつい前のめりで反応してしまう。旅好きには沖縄好きが少なくないが、移住までしてしまうからにはきっとよほどのフリークに違いない。まさかこんなところまで来て沖縄の人に出会うとは……。
 この連載でも書いたが、僕も今年の冬はしばらく沖縄に滞在していたのだ。那覇に2ヶ月、宮古島に1ヶ月。束の間ではあるものの、一家全員でのプチ移住だったから、いつもの沖縄旅行とはまったく違った密度の濃い日々を送ることになった。これまでの人生を振り返ってみても、1年半をかけて世界一周したとき以来のインパクトの大きな体験だった。
「沖縄は意外と天気が悪いんですよね。とくに冬は晴れの日がホント少なくて……」
「そうそう、風が強くてびっくりですわ」
 沖縄トークに花を咲かせるうちに、懐かしい気持ちに駆られてしまった。居酒屋で聞いた三線の音色が頭の中でリフレインし、真っ青な海の映像が再生される。いまいる宿のテラスからは目前に大海原が広がっているのだが、私見では沖縄の海の方が綺麗ではないかと思える。さらにはナントカカントカしましょうね、という沖縄方言(します、の意)や、ほとんど毎日のように食卓に上がったハンダマという沖縄野菜のことなどなど、次々と沖縄の思い出が蘇ってくる。
「ああ、ルートビアが飲みたいなあ」
 沖縄について考え出すと、遂にはそんな欲求に駆られてしまうのもいつものことだ。沖縄滞在中、僕は隙を見つけてはA&Wへ通っていた。米国発のファストフードチェーン店だが、他県ではまったく見かけないし、個人的には沖縄ローカルのファストフードという認識でいたりもする。沖縄の人たちは「エンダー」と略すのだとも聞いた。
 ともあれ、そのA&Wの名物と言える炭酸飲料が「ルートビア」である。ビアとあるが、ビールではなくソフトドリンクなのでアルコールは入っていない。賛否両論別れがちな飲み物であり、人によっては薬品のような味がして苦手という声もよく耳にするが、僕はこれが大好物なのである。
 沖縄ではコンビニやスーパーでも缶に入ったルートビアが売られている。けれど、缶よりも、A&Wの実店舗へ行って味わう方がやはりずっと美味い。缶ビールと、店で飲む生ビールの違いのようなものである。ソフトドリンクなのに、店ではビールジョッキのような大ぶりなグラスで出てくる。暑さにへこたれそうになったときに、これをグビグビッとすると途端に生き返った心地になる。
 何より嬉しいのが、A&Wではルートビアは飲み放題となっていることだ。グビグビ飲んで空になったグラスをカウンターへ持っていくと、継ぎ足してくれる。幹線道路に面した店舗だとドライブインを併設していたりもするが、クルマで通りかかった場合でもなるべく入店して飲むようにしている。ドライブインだとお代わりができないからだ。その日の気分によってはアイスクリームが乗ったルートビア・フロートを頼んだりもする。これまた至高の味わいである。フロートの場合でも、もちろんお代わりは可能だ、念のため。
 書いているうちに、飲みたい欲求が抑えられなくなってきたが、なにせパプアニューギニアである。ルートビアなんてあるわけもなく、とりあえずいまバーカウンターでコーラを頼んでそれで我慢することにしたのだった。
 この連載は今回でいったん休止することになった。「しりとり」という決まり事だけを設けて、あとは好き勝手に書いてきた。もしかしたら、そのうち気まぐれで再開するかもしれないので、最後はとりあえず「あ」に戻しておきましょうね。ではまた!

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【新刊情報】
筆者の新刊『ハノイ発夜行バス、南下してホーチミン』(幻冬舎文庫)が6月10日に発売になりました。

ハノイ発夜行バス、南下してホーチミン

※吉田友和さんの連載「旅のしりとりエッセイ」は今号をもって終了とさせていただきます。
吉田さんの次回原稿をお楽しみに。(編集部)

2b. 連載:「旅のしりとりエッセイ」 吉田友和  2016/6/14号 Vol.073


2b.「旅のしりとりエッセイ」 吉田友和

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吉田友和(よしだともかず)

1976年千葉県生まれ。出版社勤務を経て、2002年、初海外旅行にして夫婦で世界一周旅行を敢行。旅の過程を一冊にまとめた『世界一周デート』で、2005年に旅行作家としてデビュー。「週末海外」というライフスタイルを提唱。国内外を旅しながら、執筆活動を続けている。その他、『スマートフォン時代のインテリジェント旅行術』(講談社)、『自分を探さない旅』(平凡社)、『LCCで行く! アジア新自由旅行』(幻冬舎)、『めざせプチ秘境!』(角川書店)、『3日もあれば海外旅行』(光文社)など著書多数。
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しりとりで旅する 第59回 吉田友和

ら ラルー

 今年もビールの美味しい季節がやってきた。これを書いているいまは夕方の4時過ぎなのだが、これぐらいの時間帯になるともうソワソワして仕事が手につかなくなる。今晩もキリッと冷えた一杯をグビッとしたい。
 年に一回、長編の新作旅行記を書き下ろして刊行するのが恒例化している。自分としては冷たいビールに加え、これまたこの時期ならではのお約束と言える。かれこれもう5年目になるのだが、今年のテーマは「ベトナム縦断」だ。ハノイからスタートして、フエ、ホイアン、ニャチャン、ダラット、ホーチミンと南下していった。距離にするとだいたい1800キロぐらい。10年以上前にも一度、僕はベトナムを縦断している。当時より道やバスのクオリティはグッと良くなっているのだが、それでもやはり陸路の旅はそれなりに時間がかかる。道中は珍エピソードもたっぷりで、それらを一冊にまとめたというわけだ。
 ベトナムへは比較的よく訪れているが、いつもはハノイやホーチミンを単純往復するだけである。陸路縦断というじっくり型の旅だからこそ、普段の短期旅行では気がつかないような発見も色々あった。たとえば、地域ごとに飲まれているビールの銘柄が結構違う、というのはそのひとつだ。移動続きの旅の中で、毎晩のように違う街で夕食を取ったが、毎晩のように違う種類のビールで乾杯した。ご当地ビールが幅を効かせているのだ。
 ベトナムのビールといえば、「333」と書いて「バーバーバー」と読む銘柄が恐らく最も有名だろう。日本でベトナム料理屋へ行くと、大概は333が出てくる。ところが、現地を旅していると333を飲む機会はそれほど多くない。店によっては置いていないことも普通にある。代わりに出てくるのがローカルブランドのビールというわけだ。
 ベトナムのビールは、その地の地名を冠したものが多い。「ビア・ハノイ」や「サイゴン・ビア」など、そのものズバリといった感じのネーミングで愛着が湧く。フエで飲んだのは「フダ」というビールだった。フエ、そしてフダ。同じではないが、これまた微妙に似ている。フエではフダ以外に「フェスティバ」という銘柄も見かけたが、名前的にはフダの方が覚えやすくていい。
 個人的に最も印象に残っているのは、「ラルー」というビールだ。中部の大都市ダナンを代表する銘柄なのだが、僕は今回初めて飲んだ。ラベルのデザインがどこかで見たような絵柄で、初めて目にしたときにはハッとなった。青地に虎が描かれている。せっかくなので写真も掲載しておくが、アジア好きならば一目瞭然だろう。そう、シンガポールのタイガービールに似ているのだ。
 1800キロを縦断する今回の旅で、ハイライトとなったのはホイアンだった。かつて日本人街があった古い街並みが残り、世界遺産にも登録されている。ダナンからは目と鼻の先の距離に位置するため、旅行者からしてみれば、ダナンとホイアンはほとんど同一のエリアと言えるのだが、ホイアンでもビールというとラルー一色という感じだった。街のあちこちで、特徴的な虎マークのロゴを見かけた。ホイアンでは南国らしい強い陽射しが照りつけ、とにかく暑かったから、このロゴを目にしただけでもうソワソワしてしまった。
 名前に地名を冠していない点は、ほかのベトナムの地ビールと一味違う。なぜ「ビア・ダナン」ではなく、「ラルー」なのか。調べてみると、どうやらフランス人のラルーさんが作ったからなのだと分かった。地名ではなく、人名が由来なのだ。もしかしたらベトナム語で「虎」を意味するのかしら……などと密かに想像していたのだが、まったくの見当違いであった。ベトナム語どころか、フランス語ではないか。
 ラルーのラベルには、「1909」と西暦を表す数字が表示されている。100年以上もの長い歴史を持つビールらしい。ところが東京に在住する知人のベトナム人にこの「ラルー」について訊いてみたら、なんと知らないという。彼はハノイの出身である。同じ国でも、地域が違うと飲むビールも異なるようだ。
 東南アジアの国々はどこもビールが美味しいが、ベトナムほど種類が多様な国は珍しい。いままでノーマークだったが、実はご当地ビール大国と知り改めて興味が募った。というわけで、書いているうちにますますソワソワしてきたので、今回はこのへんで。

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【新刊情報】
本文でも紹介した筆者の新刊『ハノイ発夜行バス、南下してホーチミン』(幻冬舎文庫)が6月10日に発売になりました。

ハノイ発夜行バス、南下してホーチミン

※ラルー→次回は「る」がつく旅の話です!

2b. 連載:「旅のしりとりエッセイ」 吉田友和  2016/5/17号 Vol.071


2b.「旅のしりとりエッセイ」 吉田友和

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吉田友和(よしだともかず)

1976年千葉県生まれ。出版社勤務を経て、2002年、初海外旅行にして夫婦で世界一周旅行を敢行。旅の過程を一冊にまとめた『世界一周デート』で、2005年に旅行作家としてデビュー。「週末海外」というライフスタイルを提唱。国内外を旅しながら、執筆活動を続けている。その他、『スマートフォン時代のインテリジェント旅行術』(講談社)、『自分を探さない旅』(平凡社)、『LCCで行く! アジア新自由旅行』(幻冬舎)、『めざせプチ秘境!』(角川書店)、『3日もあれば海外旅行』(光文社)など著書多数。
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しりとりで旅する 第58回 吉田友和

さ 真田幸村

 初めての海外旅行が世界一周だったわけだが、そういえば国内旅行のデビュー戦はいつだったのだろうかとフト気になった。
 というわけで、改めて記憶を繙いてみる。子どもの頃に親に連れられて出かけた旅や、学校の修学旅行はまず除外した方がいいだろう。あくまでも自主的に志した旅に限定したい。さらには自分で稼いだ金で実現した旅という条件も設定してみる。すると、いよいよ絞り込まれた。高校生のときに、バイト先の同僚と出かけた小旅行である。かれこれもう二十年以上も前の話になる。
 あれは目的がはっきりした旅だった。行き先は長野県の上田市。ずばり、真田巡りの旅である。真田というのは、戦国の名将・真田幸村(信繁)のことだ。ちょうどいまNHKで『真田丸』が放映中だが、まさに大河ドラマの主人公がその人である。上田市は真田氏の居城があったところで、周辺にはゆかりのスポットが点在している。それらを見て回るのが、その旅の目的だったというわけだ。
 いまにして思えば、高校生にしてはいささか地味というか、おじさんくさいテーマだよなあと正直思う。歴史好きが高じて思い立った旅だった。当時の僕は戦国時代にドハマリしていたのだ。学校の図書館で時代小説を借りてきては、それを読みながら通学電車に揺られるのが日課になっていた。
 中でも好きだったのが池波正太郎の『真田太平記』である。幸村は関ヶ原の合戦で西軍に属し、大坂の陣で華々しい最期を飾った。夏の陣では敗戦濃厚な中でも一歩も引かず猛攻を続け、徳川家康の本陣まであと少しのところまで迫った。その獅子奮迅ぶりから「日本一の兵(ひのもといちのつわもの)」と讃えられることになる。
 戦国時代のエピソードというのはいずれも男子的なロマンに溢れているが、幸村の武勇伝は僕にとって別格で、すっかり魅了されてしまった。なにせ、バイトして稼いだ金でゆかりの地巡りまでしているぐらいだ。当時は単車を乗り回してもいたのだが、我が愛車に六文銭のマークをあしらうほどの熱の入れようだった。六文銭は真田家の家紋である。
 いまにして思えば、なんて痛い行動なのだろうと呆れるが、高校を卒業した後も熱は冷めなかった。大学時代はDJ活動に力を注いでいた。授業が終わると渋谷へレコードを買いに行き、夜はクラブで踊り明かす日々。これはさらに恥ずかしいのだが、この際もう開き直って書いてしまうと、そのときのDJネームが「DJ SAEMON」だった。真田幸村の官位である「左衛門佐」から取ったものである。
 ほかにも、戦国時代をテーマにした某シミュレーションゲームがらみのエピソードもたっぷりあるのだが……、それはまあ話がかなり長くなるのでまた別の機会にしたい。
 普段はまったくテレビを観ない生活をしているが、『真田丸』だけは毎回欠かさずチェックしている。ナスネ(ソニーのネットワークレコーダーですね)を導入して、どこかへ旅行中であってもほぼリアルタイムで視聴できる体勢を整えたほどである。史実に忠実でありながらも、予定調和ではなくドラマチックな展開でハラハラさせられる。自分の場合、予備知識がありすぎて楽しめないのではないかと懸念していたが、それも杞憂に終わった。きっと脚本がいいのだろうなあ。
 大河ドラマの影響で、旅行界ではいま真田巡りがブームになっているのだという。書店へ行くと、そのためのガイドブックまで販売されているほどだ。せっかくなので購入してみたら、想像した以上に内容も厚くて感心させられた。自分も昔、三国志の武将スポットを巡る旅のガイドブックを作ったことがある。めちゃくちゃ大変だったけれど、あれほど生き生きと取り組めた仕事はなかなかない。
 そういえば先日、僕の周りの旅友だちの中でも、さっそく真田巡りと称して上田詣でをしている者がいた。日頃から海外旅行へせっせと出かけるタイプなのだが、そういう旅人でさえも足を運びたくなる要素があるのだろう。いまでは東京から上田まで新幹線が開通しているから、楽に行けるようになった。
 実は七年前にも僕は上田を訪れていた。『サマーウォーズ』というアニメの舞台になり、その聖地巡礼が盛んだった頃だ(同作品中にも真田がらみのエピソードが少し出てくる)。秋真っ盛りで紅葉が美しい季節だった。探してみると、そのときの写真が見つかったので、季節外れで恐縮だが記念に掲載しておきたい。燃えるような真っ赤なモミジをバックに真田の赤備え……? これ自分です、はい。相変わらず行動が痛々しいのだが、高校生の頃から大して成長していない、ということで。

【新刊情報】
筆者の新刊『思い立ったが絶景』(朝日新書)が3月11日に発売になりました。絶景を目的とした旅について客観的に分析し、カラー写真を交えながらエッセイにまとめました。

※真田幸村→次回は「ら」がつく旅の話です!

2b. 連載:「旅のしりとりエッセイ」 吉田友和  2016/4/5号 Vol.069


2b.「旅のしりとりエッセイ」 吉田友和

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吉田友和(よしだともかず)

1976年千葉県生まれ。出版社勤務を経て、2002年、初海外旅行にして夫婦で世界一周旅行を敢行。旅の過程を一冊にまとめた『世界一周デート』で、2005年に旅行作家としてデビュー。「週末海外」というライフスタイルを提唱。国内外を旅しながら、執筆活動を続けている。その他、『スマートフォン時代のインテリジェント旅行術』(講談社)、『自分を探さない旅』(平凡社)、『LCCで行く! アジア新自由旅行』(幻冬舎)、『めざせプチ秘境!』(角川書店)、『3日もあれば海外旅行』(光文社)など著書多数。
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しりとりで旅する 第57回 吉田友和

か 傘

 長期滞在していた沖縄から東京へ戻ってきて、おやっと驚いたのが東京の天気の良さだった。というより、沖縄のあまりの天気の悪さに辟易としていた、と言った方が正しいかもしれない。
 沖縄といえば常夏の陽射しが降り注ぐイメージだが、実は晴天率が全国一低いのだという。とくに冬の時期は天候が安定せず、曇りがちな日々が続く。先月は宮古島に滞在していたのだが、絶望的なまでに晴れ間が望めなかった。曇り空がデフォルトという感じで、毎日本当にどんよりしていた。島に一ヶ月いて、青い空が見られたのはわずかに数日だけ、といったありさま。
 やはり長くいると、短期の旅行だけでは気がつかない部分にも目が行く。これだけ天気が悪いにもかかわらず、沖縄の人たちがあまり傘を持ち歩かないことにもカルチャーショックを受けた。たとえ雨が降っていたとしても、傘を差している人が極端に少ない。
「なぜだろう、濡れてしまうのに……」
 最初のうちこそ不思議に思ったが、自分も暮らしてみて納得がいった。理由は風である。強風がビュービュー吹き付けるから、傘なんてさしてはいられないのだ。安物のビニール傘なんて、開いて五分もしないうちに裏返しになって骨が折れてしまう。やがて馬鹿らしくなり、僕も持ち歩くのをやめた。
 よくよく考えたら、海外旅行の際にも傘はあまりささないかもしれない。いちおう持っては行くのだけれど、意外と出番が少ないアイテムの筆頭と言える。なぜだろうかと思案すると、思い当たる理由はいくつもある。
 行き先にもよるだろうが、僕がよく行くアジアの街を例に挙げると、現地の人たちがそもそも傘をさしていない。というより、持ち歩かないのだ。よく沖縄はアジアっぽいと言われるが、積極的には傘をささないライフスタイルからも、アジアらしい要素が垣間見えるのだった。
 日本のように、建物の入口などにいちいち傘立てが置かれていない国も多い。これはまあ盗難のリスクも考慮してのことなのだろうけれど。傘立てがないと、室内では雨に濡れた状態の傘を常に持って歩く必要が生じる。これが案外面倒くさいので、ならば持っていかない方がスマートだったりもする。
 旅行中の雨具としては、傘よりも防水のレインコートのほうが使い勝手がいい。できればゴアテックスの上下で、フード付きだとベストだ。いざというときには傘がなくても、これを着ればなんとかなる。田舎へ行ったり、山歩きをする際にはとくに役に立つ。
 東南アジアのたとえばバンコクなどを雨季に訪れると、必ずといっていいほど夕立に見舞われる。いわゆるスコールというやつで、雨足が激しすぎて、傘なんかさしたとしてもずぶ濡れになってしまう。
 より有効なのは雨宿りだ。傘なんかに頼らずに、屋根のある場所へ一刻も早く避難した方がいい。それこそ降り始めてからでは遅いので、雲の動きや風の強さから「そろそろ来るな」と先読みして行動する技術が求められる。現地の人たちは慣れたもので、動きが迅速だ。屋台などは降りそうな気配がした途端、瞬く間に店じまいを始めたりして、いつもしみじみ感心させられる。
 雨宿りをする場合のデメリットは、そのぶん時間が無駄になること。けれど、現地の人たちはそんなことを気にしていそうな雰囲気でもない。ただひたすらのんびり止むのを待つ。泰然自若としており、焦っても何もいいことはないとでも言いたげだ。
 これが日本だったら、時間がないから傘をさしてでも先へ進もうとする。あるいは、さらに急いでいるときはタクシーを拾ったりもする。遅れてはいけない約束があったりして仕方ないのだが、なんだか釈然としない。
 アジアの人たちはある意味、達観している。
「雨だから仕方ないよね」
 で済まされてしまう社会の方がストレスは少なそうだなあと、つい遠い目になる。

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【新刊情報】
筆者の新刊『思い立ったが絶景』(朝日新書)が3月11日に発売になりました。絶景を目的とした旅について客観的に分析し、カラー写真を交えながらエッセイにまとめました。

※傘→次回は「さ」がつく旅の話です!

2b. 連載:「旅のしりとりエッセイ」 吉田友和  2016/3/8号 Vol.067


2b.「旅のしりとりエッセイ」 吉田友和

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吉田友和(よしだともかず)

1976年千葉県生まれ。出版社勤務を経て、2002年、初海外旅行にして夫婦で世界一周旅行を敢行。旅の過程を一冊にまとめた『世界一周デート』で、2005年に旅行作家としてデビュー。「週末海外」というライフスタイルを提唱。国内外を旅しながら、執筆活動を続けている。その他、『スマートフォン時代のインテリジェント旅行術』(講談社)、『自分を探さない旅』(平凡社)、『LCCで行く! アジア新自由旅行』(幻冬舎)、『めざせプチ秘境!』(角川書店)、『3日もあれば海外旅行』(光文社)など著書多数。
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しりとりで旅する 第56回 吉田友和

つ 通貨

 台北の桃園国際空港から市内へ出るのに、バスに乗ろうとしたときのことだ。この路線は國光客運を利用することが多い。窓口に並び、運賃の125台湾ドルを支払おうとしたら、スタッフの女性が怪訝な顔を浮かべた。
「ディファレント」
 そう言って、僕が渡した100台湾ドル紙幣を突き返してくる。はて? と首を傾げながらそれを確認してハッとなった。お札の色こそ同じ赤系統ながら、描かれている絵柄は毛沢東の肖像画だった。そう、100台湾ドル札だと思って差し出したその紙幣は、100人民元札だったのだ。台湾ではなく、中国の通貨だったというオチである。なるほど、それは確かにディファレントであるなあ。
 なんでそんなことになったのか。心当たりはあるようでなかったりする。あちこち旅しているうちに、各国の通貨がごちゃまぜになってしまっているのだ。
 ほかにもそういえば、この前ウィンドブレーカーのポケットから見慣れないデザインの紙幣がでてきた。パッと見ただけではどこの国の通貨なのかわからなかったが、書かれている文字などをじっくり観察するとキルギスのお札だと判明した。キルギスか……訪れたのはもう何年も前だが、そのときポケットに入れたままになっていたらしい。
 近頃はますますズボラになってきたなあと自覚している。以前は普段使いのものとは別に、旅行専用の財布を用意していた。財布の中で日本円と旅先の通貨が混在すると、支払いの度に混乱するからだ。それに財布の中には保険証やら免許証やら、ついでに言えば各種ポイントカードやらも入っている。それらは外国では明らかに出番がないので、わざわざ持っていっても無駄にかさばってしまう。
 海外旅行の際にはクレジットカードなどを旅行専用財布へ移し替え、普段使いの財布は日本の自宅に置いていくようにするとスマートなのだが――。
 いちいち入れ替えるのも面倒になってしまった。普段使いの財布のままで海外へ行って、旅先の通貨が余るとそのまま、ということが増えている。その結果、冒頭で書いたような珍事件が発生してしまったわけだ。
 でも、よくよく考えたら100台湾ドルよりも100人民元の方が高価である。ざっくり計算して五倍ぐらい。もらった方が得をするわけだから、国や相手によっては、黙ってシレッと受け取る人もいるだろうなあ。
 外国を旅していると、あの手この手でお金を巻き上げようとする輩に遭遇するものだが、そうではなく、自ら率先してぼられにいくようなパターンも案外多い。僕だけだろうか。
 たとえば、真っ先に思い出すのがバリ島でのエピソードだ。タクシーの支払いの際にやらかしてしまった。正確な金額は忘れたが、2万ルピアのところを間違って20万ルピアも支払ってしまった、みたいな失敗である。
 インドネシアの通貨はやたらと桁が多く、慣れていないと間違えやすい。そのときは夜で暗かったのと、お酒を飲んで酔っ払っていたせいもありウッカリしていた。クルマを降りてしばらくしてから気がついたが、もはや後の祭りである。運転手は当然わかっていたはずだが……まあ、バリ島は超が付くほどの観光地だから仕方ないか。というより、悪いのはあくまでも自分なのだけれど。
 世界の国々の中には、通貨の桁が唖然とするほど多いところが結構あって、旅行者泣かせだったりする。僕がこれまでに訪れた国の中で最も多かったのは、アフリカのジンバブエだ。経済が破綻し、10億ジンバブエドル札や100兆ジンバブエドル札といった、あり得ない桁数の紙幣が流通する同国の「ハイパーインフレ」は、一時期日本でも話題になった。
 実際にジンバブエを旅していると、突っ込みどころが満載だった。100米ドルも両替しようものなら、数百枚の単位でジンバブエドルが札束になって帰ってきた。財布には入らないので、買い物へ出かけるときは山盛りの札束をスーパーのビニール袋に入れて持ち歩いていた。ジョークのようだが、同国の経済状況からすると笑えない話だったりもする(ジンバブエドルは現在は廃止されている)。
 まあ、ジンバブエは極端な例ではある。ほかにもアジアなら、ベトナムの通貨ドンなども桁が多い。1米ドルがだいたい2万~2万2000ドンぐらい。ベトナムへは最近よく行くのだが、到着して最初にATMでお金を下ろすときにはいつも緊張する。いち、じゅう、ひゃく、せん、まん……とゼロを慎重に数えつつ金額を入力するのも恒例である。
 実はいまちょうどベトナムの長編旅行記を書いている。その本の中で値段交渉をした話などがしばしば出てくるのだが、メモを見ると30万とか100万とか、そういう感じでやはりとても桁数が多くて、記憶を辿っているだけでももう頭が混乱してくるのだった。

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【新刊情報】
筆者の新刊『思い立ったが絶景』(朝日新書)が3月11日に発売になります。絶景を目的とした旅について客観的に分析し、カラー写真を交えながらエッセイにまとめました。

※通貨→次回は「か」がつく旅の話です!

2b. 連載:「旅のしりとりエッセイ」 吉田友和  2016/2/9号 Vol.065


2b.「旅のしりとりエッセイ」 吉田友和

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吉田友和(よしだともかず)

1976年千葉県生まれ。出版社勤務を経て、2002年、初海外旅行にして夫婦で世界一周旅行を敢行。旅の過程を一冊にまとめた『世界一周デート』で、2005年に旅行作家としてデビュー。「週末海外」というライフスタイルを提唱。国内外を旅しながら、執筆活動を続けている。その他、『スマートフォン時代のインテリジェント旅行術』(講談社)、『自分を探さない旅』(平凡社)、『LCCで行く! アジア新自由旅行』(幻冬舎)、『めざせプチ秘境!』(角川書店)、『3日もあれば海外旅行』(光文社)など著書多数。
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しりとりで旅する 第55回 吉田友和

し 春節

 沖縄に来ている。今回は旅行ではなく、短期で部屋を借り、一時的に移り住んでいる。元々旅先として沖縄は日本国内でもとくにお気に入りで、頻繁に訪れていたのだが、生活者として向き合ってみると、まだまだ新たな発見もたくさんあって毎日飽きない。
 たとえば那覇で暮らしていて感じるのは、外国人がやたらと多いなあということ。とくに目立つのは中華系の人たちだ。台湾やら香港やら。大陸本土から来たと思しき中国人も目にする。国際通りを歩いていると、そういった中華系の観光客ばかりで、あとは修学旅行生ぐらいしか見かけない。日本人のツアー客などは明らかに少数派といった感じだ。
 訪日客の激増化現象は、東京や大阪といった都市部だけでなく地方都市にも及んでいる。沖縄も例外ではないのだろう。いや、むしろ影響が顕著な地域の一つと言えるかもしれない。那覇空港にはLCC専用ターミナルがあり、国際線も飛んでいる。たとえば台北から那覇までは、わずか一時間のフライトである。僕もつい先日、那覇から台湾へ行ってきたのだが、本当にあっという間だった。台湾の人たちにとってみれば、沖縄は東京や大坂などよりも遥かに手軽に行ける日本なのだ。
 かつて国際通りのランドマーク的存在だったオーパは、いつの間にかドン・キホーテに変わっている。土産物屋には琉球グラスやちんすこうに混じってガンプラが売られており、看板には中国語の漢字が躍る。目を輝かせて爆買いをする彼らを尻目に、あえて外国人観光客が来なさそうな、よりローカルな路地を散策するのが我が日課となっている。
 訪日客を相手に商売をしている人たちにとっては千載一遇の商機である一方で、日本人の国内旅行者が割を食っている現実もある。この前、友人が那覇へ遊びに来ることになり、ホテルを予約しようとしたら、空室が全然なくて驚いた。本当にびっくりするぐらい空いていない。空きがある宿でも、相場を無視したような金額で泊まる気になれなかった。
「まだ一ヶ月以上も先なのに……」
 おかしいなあと訝り、理由を調べてみたら腑に落ちた。その時期がちょうど春節の期間とバッティングしていたのだ。中華圏の大型連休であるこの時期は、いつも以上に旅行者が増える。需要と供給のバランスが崩れ、普段は数千円で泊まれるビジネスホテルですら数万円に跳ね上がってしまうわけだ。
 春節の時期に中華圏の国々を旅するのは、覚悟が必要だった。どこへ行っても混んでいるし、行き先によっては飛行機や列車の座席を確保するのも至難の業となるからだ。僕自身は楽観的なタイプなので、華々しいお祭りムードが味わえるからと、あえてこの時期を狙って中華圏を旅したりもしたのだが……。
 遂には中華圏ではない我が日本国内を旅するにも、春節を意識せざるを得ない状況になってしまった。この時期に国内旅行をするのならば、中華系の旅行者がまだあまり来なさそうな場所を狙う方が賢明かもしれない。といっても、そういう場所もどんどん減っている。「中国人に会わない日本旅行」などというテーマのガイドブックがあったなら、少なからず売れそうな気もするなあ。
 個人的には、中華系の観光客に関してとやかく言うつもりはない。僕も旅行者として彼らの母国を何度も旅させてもらっているからだ。たぶん色々と迷惑もかけているだろうし、お互いさまだと割り切っている。けれど、世の中には快く思っていない人もいるようだ。
「うちは中国人はお断りしています」
 以前に取材をした某ホテルのマネージャーさんがそんなことを言っていた。当初は国籍に分け隔てなく受け入れていたのだが、あまりにもクレームが多かったため、ほぼ日本人限定に方針を変えたのだという。中国人といっても色んな人たちがいるわけだし、一概には語れないのだけれど、ホテル側としては状況に鑑みたうえでの苦肉の策なのだろう。
 台北から乗った那覇行きのフライトは満席だった。早くも春節がらみの訪日ラッシュが始まっているのだろう。つい先ほども、那覇市内でランチをしに入ったラーメン屋さんでずいぶん待たされた。店の外に行列ができており、入口で名前を書くのだが、見ると外国人と思しき名前ばかりでむむむと戸惑った。
 海外旅行だけでなく、国内旅行も積極的にするという旅人にとっては、なんだか複雑な時代になってきた。日本的な和の風情を求めて旅をしたら、中国へやってきたような錯覚に陥ったりする。円安だからと、海外旅行ではなく国内旅行を選択したらむしろ割高だった、なんて事態も普通に起こり得る。
 無論、悪いことばかりではない。訪日客を当て込んで新設されたLCC路線で、逆に海外へ行ってみたり。日本人には知られていないが、外国人に人気の日本の観光地を巡ってみる、なんてのもおもしろいだろう。旅を取り巻く環境が変化したとしても、自分なりに上手く工夫しつつ楽しみたいところだ。

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※春節→次回は「つ」がつく旅の話です!

2b. 連載:「旅のしりとりエッセイ」 吉田友和  2016/1/12号 Vol.063


2b.「旅のしりとりエッセイ」 吉田友和

Profile
プロフィール

吉田友和(よしだともかず)

1976年千葉県生まれ。出版社勤務を経て、2002年、初海外旅行にして夫婦で世界一周旅行を敢行。旅の過程を一冊にまとめた『世界一周デート』で、2005年に旅行作家としてデビュー。「週末海外」というライフスタイルを提唱。国内外を旅しながら、執筆活動を続けている。その他、『スマートフォン時代のインテリジェント旅行術』(講談社)、『自分を探さない旅』(平凡社)、『LCCで行く! アジア新自由旅行』(幻冬舎)、『めざせプチ秘境!』(角川書店)、『3日もあれば海外旅行』(光文社)など著書多数。
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しりとりで旅する 第54回 吉田友和

か 書き直し

 新年早々、パソコンの調子が悪い。使っていると、なぜか突然プッツリと電源が落ちるのだ。ACアダプタを繋いだ状態だと大丈夫なので、バッテリー絡みのトラブルを疑っている。とりあえずは電源のあるカフェを探すなどして使っているが、モバイルノートなのにバッテリー駆動ができないのは辛い。
 本当に何の前触れもなくいきなり落ちるから、ムキーッとなる。原稿の書き途中で落ちてデータが消えたら最悪なので、文章を入力しながら頻繁に「Ctrl+S」(ファイル保存のショートカットキーですな)を押すようにしていたのだが——それでもダメだった。
 実はこの原稿、書くのは二度目である。最初に書いたものは消えてしまった。いや正確に言えば、たぶん保存自体はされているのだが、ファイルが壊れてしまった。正直、泣きそうである。あまりにも悔しいので、まずは顛末を書かせてください、すみません。
 さっきまでいたカフェには電源がなく、仕方なくバッテリーでPCを駆動していた。最初のうちは調子が良く、原稿がほぼ書き上がり、あとは推敲するだけだった。
「今日はなんとか持ちこたえたかな」
 と油断したのも束の間だった。突如として画面がブラックアウトした。いつもの症状だ。
「まあでも保存はしてるから」
 と電源を再度投入し、ファイルを開いたらアレッとなった。なんと真っ白。文字データがすべて空白に置き換わっているようだ。対処法はないものかと、ネットで調べたりもしたが、無駄な抵抗だった。原稿はもう戻って来ない。書いた原稿が完全に消えてしまったのは初めての経験だ。あぁ、意気消沈。
 ノマドワーキングもいいことばかりではないのかもしれない。少なくとも、事務所などで据え置きのマシンで仕事をしていたら起こりえないトラブルだ。ともあれ、仕方がないので再度書き直すことにして、いまに至っている。以上、ここまでの経緯説明でした。
 もう一度同じ事を書く気になれないので、少し話を変えてみるかな。というより、まずはこのパソコンを早急にどうにかしなければならない。あきらめて、新しく買うか。というより、それしか手はないだろう。修理に出すとしても、そのあいだの代替機は必要だし。無駄な出費は痛いが、原稿が消えるマシンを使い続けるよりはマシだ。
 それで、久々にパソコンを物色してみたのだけれど、いやはや驚いた。ずいぶんお安くなっているのね。小型軽量でモバイルに特化したノートといえば割高なイメージがあったのだが、そうでもないらしい。近頃はタブレットが主流となり、旧来のノート(クラムシェル型とかいうのかな)はあまり話題に上らないから、いまさら気がついたのだった。
 調べてみると、1キロを切る軽さで、(カタログスペック上は)10時間以上もバッテリーが持つ製品でも、3万円前後で売られていることが分かった。レビューを見ると、実際のサイズ感はMacBook Airと同等、みたいなことが書かれている。もちろん、CPUなどのスペックはそこそこなのだけれど、MBAや現在使っているVAIO Proとの価格差を考えれば不満はない。こんな値段で利益が出るのか、心配になるほど安い。
 具体的な製品名を記すのは控えるが、主に台湾メーカーの製品である。このジャンルでコスパを追求するなら、いまは台湾メーカーの独壇場になってしまうようだ。
 そういえば、一昔前に流行ったネットブックも火付け役は台湾メーカーだったなあ。あれも当時旅先でよく見かけた。小さくて持ち運びしやすいガジェットは、旅好きの琴線に触れる。ただネットブックは安さを追求するあまり、性能面での妥協が目立った。最近の格安モバイルノートは、ネットブックとは比べものにならないほどまともなようだ。
 台湾の話になったついでに書くと、依然として台湾旅行が根強い人気らしい。JATA(日本旅行業協会)によると、この年末年始の海外旅行で、行き先ランキングの一位が台湾だったそうだ。昨年の二位から、遂にはハワイを抜いてのランクアップ。円安や不穏な世界情勢など、海外旅行自体に強い逆風が吹く中で、その躍進ぶりが光る。
 台湾はいわゆる安近短(安くて、近くて、短い)の要素を満たす旅先であることに加え、治安の良さも特筆すべきレベルである。よく言われるように親日的なので、日本人としては居心地はすこぶるいい。僕自身もすっかりハマってしまい、昨年は五回も訪問した。台湾だけで一冊、本を書いたりもした。すっかりリピーターという感じなのだが、今年も1月から早々に台湾へ渡航予定である。
 暮れにLCCのセールをチェックしていたら、台湾路線があまりにも安かったので衝動的にポチってしまったのだ。往復で1万円もしなかった。ここ数年でLCCの台湾路線が爆発的に増加したことも、リピーター化を後押ししている。気軽に行けるのは本当にありがたい。
「だって、安かったから……」
 とくに目的はないのだけれど、なんとなくフライトの予約を入れてしまう。行ったら行ったで楽しいし、美味しいものにもありつけるから、どんどんその魅力の虜になっていく。
 もちろん、安さければなんでもいいわけではない。どことは言わない(言えない)が、どんなに安くても行く気になれないデスティネーションもある。きっかけは値段だったとしても、あくまでも台湾だからこそ何度でも訪れたいと思えるのだろう。
 これは前述した格安パソコンの話とも似ているかもしれない。ただ単に高いか安いかではなく、内容を見極めたうえで価格メリットが感じられるかどうかが重要だ。やはり、意識すべきはコストパフォーマンスなのだ。
 偶然というか、必然というか、今回のお題は「か」であった。ならば、タイトルは「書き直し」とするしかないだろうなあ。当初の原稿では別のテーマだったのだけれど……。というわけで、今年もよろしくお願いします。

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※書き直し→次回は「し」がつく旅の話です!

2b. 連載:「旅のしりとりエッセイ」 吉田友和  2015/12/1号 Vol.059


2b.「旅のしりとりエッセイ」 吉田友和

Profile
プロフィール

吉田友和(よしだともかず)

1976年千葉県生まれ。出版社勤務を経て、2002年、初海外旅行にして夫婦で世界一周旅行を敢行。旅の過程を一冊にまとめた『世界一周デート』で、2005年に旅行作家としてデビュー。「週末海外」というライフスタイルを提唱。国内外を旅しながら、執筆活動を続けている。その他、『スマートフォン時代のインテリジェント旅行術』(講談社)、『自分を探さない旅』(平凡社)、『LCCで行く! アジア新自由旅行』(幻冬舎)、『めざせプチ秘境!』(角川書店)、『3日もあれば海外旅行』(光文社)など著書多数。
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しりとりで旅する 第53回 吉田友和

る ルサカ

 ベトナムを北から南へぐりっと縦断する旅をしている。そろそろ後半戦で、今日はダラットにいる。高原の避暑地として知られる風光明媚な街である。ワインの産地としても知られ、これから飲みに行こうかと画策中だ。
 いまから13年前にも、ほぼ同じルートを通ってベトナムを縦断している。当時は逆方向、南から北へと進んでいった。立ち寄ったのはニャチャン、ホイアン、フエなどで、今回の旅でもほぼ同じ街を訪れている。懐かしさはあるが、13年も経つと変化が大きく、浦島太郎の気分だったりもする。
 移動手段は主にバスである。ベトナムには「オープンツアーバス」と呼ばれる、乗り降り自由の長距離バスが存在する。運行するのはローカルの旅行会社で、中でも有名なのがシンカフェだ。いまではシンツーリストと名前を変え、ホーチミンのデタム通りに豪勢なオフィスを構えるまでに成長した。
 13年ぶりにオープンツアーバスを利用してみて感じたのは、バスも道も見違えるように綺麗になったなあということ。とくに寝台バスには感心させられた。上下二段、三列にシートが並ぶ寝台バスはかつてはなかった。
 ゴロンと横になれるのは楽チンだ。ただ、夜行ではなく日中に走るバスでも寝台タイプが主流なのは一長一短あるかもしれない。ハノイからホーチミンまでは約1800キロ。それだけの距離をほぼずっとゴロンとしていることになるから、寝過ぎで腰が痛くなったり。
 バスで旅をしていると、気になるのがその発着時間だ。乗り遅れるわけにいかないから、タイムテーブルを終始チェックするような日々となる。これまで利用したバスは、次の二つのパターンのいずれかだった。朝出発してその日の午後には到着する昼行便。そして、夜出発して翌朝に到着する夜行便。
 どちらかといえば、昼行便の方が好みである。やはり、景色が見られるかどうかは大きい。窓に流れる南国らしい異国の風景に目を細める瞬間こそが、旅の醍醐味である。寝て起きたら目的地に着いている夜行便は移動効率こそ高いものの、いささか情緒に欠ける。外は真っ暗なのである。宿代の節約にはなるが、ベトナムは宿泊費が破格に安いのでそれほどメリットはないと感じた。
 長距離バスの発着時間というのは、国によってなんとなく傾向みたいなものがある。たとえば、エチオピアなどは極端な例と言えるだろうか。どのバスもやたらと出発時間が早いのだ。朝の4時とか5時とか。まだ夜も明けきらないうちに、バスターミナルまで行かなければならないのは、なかなかしんどい。
 その点、ベトナムのバスは無理のないスケジュールが組まれている。昼行便だと最も多いのが朝8時前後発、早くてもせいぜい7時半発である。ホテルの朝食が6時半~なので、少し早めに起きて急いで食べればギリギリ間に合う。到着時間も絶妙で、夕方には目的地に辿り着く。早すぎず、遅すぎずでちょうどいいのだ。何より、どんなに遅くても日没前には着くところが素晴らしい。
 これは旅するうえで、とくに重要なポイントだろう。初めて訪問する街では、できれば明るいうちに到着し、宿に荷物を置きたい。暗くなってからだと道に迷いやすいし、場所によっては治安上の懸念も生じる。
 いまでも忘れられない、トラウマになっているエピソードがある。世界一周の途中で、ルサカに到着したときのことだ。ルサカというのはザンビアの首都で、ザンビアはアフリカ中南部の国である。そのとき、僕は隣国のタンザニアから列車で国境を越え、ザンビア入国後にバスへ乗り換えルサカに向かった。
 アフリカの都市部はどこもそうだが、夜は危険度が高い。目抜き通りですら昼間の往来が嘘のように静まりかえり、ゴーストタウン化するから、日が落ちる前に必ず宿に帰り、夜間は一切の外出を控えるのが旅行者の鉄則だった。万が一用事があって出かけるとしても、必ずタクシーを使うようにしていた。
 ところが、このときはタイミングが悪く、ルサカに到着したときにはすでに夜もだいぶ更けた時間帯だった。右も左も分からない初めての街で、辺りは真っ暗という逆境状態。
 しかも、どういうわけかバスターミナルにはタクシーが一台も停まっていなかった。少し待ったが、流しのタクシーがやってくる気配もない。というより、走っている車自体がほとんどいなくて途方に暮れそうになった。そのうちほかの客はどこかへいなくなり、乗ってきたバスも走り去ってしまった。
 いつまでもそこへいても埒が明かない。意を決して、歩き出すことにしたのだが――そこからが恐怖の時間だった。重たいバックパックを背負いながら、街灯の少ない夜道を足早に宿へ向かう。道が分からなくて行ったり来たり。暗闇からすっと人影が出てくるたびに、心臓が止まりそうなほどドキリとさせられた。宿は予約をしていなかったから、満室だったら露頭に迷ってしまう。幸い、無事に辿り着き、部屋も確保できたのだが、あのときは生きた心地がしなかったなあ。
 ベトナムのバスの話題からアフリカに飛んだ。いまなら地図アプリでナビをしたり、ホテル予約アプリで直前でも宿に予約を入れられる。まあ、スマホなんて便利なものはなかった時代の話だ。そういえば、ベトナムのバスはWi-Fi完備である。バスのフロントガラスにでかでかと「Wi-Fi」のマークが書かれている。ところが、どういうわけか一度たりともネットには繋がらなかった。

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※ルサカ→次回は「か」がつく旅の話です!

2b. 連載:「旅のしりとりエッセイ」 吉田友和  2015/11/3号 Vol.058


2b.「旅のしりとりエッセイ」 吉田友和

Profile
プロフィール

吉田友和(よしだともかず)

1976年千葉県生まれ。出版社勤務を経て、2002年、初海外旅行にして夫婦で世界一周旅行を敢行。旅の過程を一冊にまとめた『世界一周デート』で、2005年に旅行作家としてデビュー。「週末海外」というライフスタイルを提唱。国内外を旅しながら、執筆活動を続けている。その他、『スマートフォン時代のインテリジェント旅行術』(講談社)、『自分を探さない旅』(平凡社)、『LCCで行く! アジア新自由旅行』(幻冬舎)、『めざせプチ秘境!』(角川書店)、『3日もあれば海外旅行』(光文社)など著書多数。
旅行作家★吉田友和 Official Web

しりとりで旅する 第52回 吉田友和

き Kindle(キンドル)

 機内モードに設定すれば、飛行機の離陸時や着陸時でもスマホやタブレットが使える。以前は電源を切らなければならなかった。ルールが変更されたのが2014年で、それからだいたい一年ぐらい経つわけだが、いまさらながらありがたみを実感している。
 空路での長時間移動の際、自分の場合、読書に耽るのが定番の過ごし方だ。もちろん寝ていることも多いが、起きているときは大抵は本をパラパラしている。
 読むのは、ほぼ電子書籍である。ルールが改正される以前は、紙の書籍も持参していた。電子書籍だと端末を使用できない離着陸時には本が読めなくなってしまうからだった。活字中毒者にとって読むものが何もない状態は耐え難い。シートポケットにある機内誌や免税品カタログの冊子をぱらぱらめくって、時間をやり過ごしたり。
「いまいいところなのに……」
 話が佳境に差し掛かったタイミングで、飛行機が着陸体勢に入ってしまい、泣く泣く電源を切らざるを得なかったり。色々と四苦八苦させられたのも懐かしいが、それも過去の話になった。いまではもう、搭乗してから降りるまでずっと電子機器を使える=読書できるのだ。少なくとも自分にとっては画期的なルール変更であった。
 普段から便利な電子書籍だが、旅行中はとくにそのありがたみが増す。物理的なスペースが不要で、荷物を減らせるのは大きい。紙の本に対する愛着もないわけではないが、利便性には逆らえない。紙版しかないものは仕方ないとしても、電子版が存在する場合には基本的に電子版を購入するようにしている。
 利用するプラットフォームは、もっぱらKindleである。Kindleが日本に上陸する前の電子書籍黎明期には、ソニーのリーダーストアを活用していたのだが、もう完全に乗り換えてしまった。プラットフォームが変わると、それまでに購入した本が読めなくなってしまうのは電子書籍の不便な点だ。とはいえ、一度読了した後で再読するような本は実際にはあまりないので、それほど影響はない。
 ジャンルやテーマを問わず、節操なく色んな本に手を出すが、旅行用の読書に限って言えばとくに長編小説が似合う気がする。日常の中のたとえば電車移動時にする読書とは違い、どっぷり作品世界に浸れるからだ。長編といっても長ければいいわけでもなく、飛行距離に応じた長さの本だと理想である。
 というより、着陸するまでに読了できないといささか厄介なことになる。先日グアムへ行ったときに、こんなことがあった。
 フライト中、僕はiPadのKindleアプリで小説を読んでいたのだが、思いのほか長い本で着陸するまでに読み終わらなかった。
 紙の書籍と違って電子版だと束(つか)が分からないため、ボリュームが把握しづらい。Kindleでは全体のページ数や、「この本を読み終わるまでにあと○分」といった情報がいちおう表示されるのだが、リアルな本の厚みとは違い感覚的に掴みづらい点は電子書籍のもう一つの弱点と言えるかもしれない。
 ともあれ、間が悪いとはこのことだ。外国に着いたばかりとはいえ、僕は本の続きが気になって仕方なかった。iPadを手に持ったまま歩飛行機を降り、空港内を歩いていても気もそぞろだった。
 やがて到着した入国審査場は、混雑していた。いや、「混雑」なんて形容では生ぬるい。ちょっとあり得ないレベルの、途方もない長さの列ができていたのだ。普段なら我が運の悪さを呪い、舌打ちでもしたくなるところだが、このときは状況が違った。まあいいや、並んでいる間に本の続きを読み終えてしまおう、と気持ちを切り替えたのだ。
 ところが、ここで新たな問題が発生した。列の最後尾に並びつつ、iPadの画面を見始めたところ――係官が血相を変えてこちらに駆け寄ってきた。そして、いますぐiPadをカバンにしまえという。そう、グアムのイミグレーションでは、タブレットの使用は禁止されているのだ。というより、携帯電話が禁止らしい。僕のiPadはWi-Fi版なので、単体では通信はできない。携帯電話やスマートフォンとは違うのだが、それでもダメとのこと。
 さすがにイミグレーションでは大人しくするしかない。言われてすぐに、おずおずとカバンにiPadをしまったのだが、内心もどかしさが募った。こんなとき紙の本だったら……と天を仰ぐ。しょんぼり、である。
 グアムとはいえアメリカなので、入国審査は念入りだ。一人ずつしっかり質問を交え、指紋のスキャンまで行うから時間がかかる。結局、通過するのになんと1時間45分もかかった。さらっと書いたが、1時間45分はめちゃくちゃ長い。グアムまでの飛行時間が約3時間30分なので、その半分の長さである。続きを読み終えたあとで、さらに短めの本をもう一冊読めそうなほど。スマホも使えないので、読書どころか、ネットを見たりして暇をつぶすこともできなかった。一人旅だから話相手もいない。ただただ無言で列に並び続けるのは虚しく、徒労感に包まれたのだった。
 電子機器に関するルールはまだまだ流動的だ。新しいものだけに、将来的にはまた対応が変わってくる可能性も考えられるが、とりあえずはまあ、こういう待ち時間に読書ぐらいはできるといいのになあ、と思った。

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がっかりエピソードで締めくくったものの、グアム旅行自体は楽しめたことは付け加えておく。海が綺麗ならそれで良し!

※キンドル→次回は「る」がつく旅の話です!

2b. 連載:「旅のしりとりエッセイ」 吉田友和  2015/10/6号 Vol.056


2b.「旅のしりとりエッセイ」 吉田友和

Profile
プロフィール

吉田友和(よしだともかず)

1976年千葉県生まれ。出版社勤務を経て、2002年、初海外旅行にして夫婦で世界一周旅行を敢行。旅の過程を一冊にまとめた『世界一周デート』で、2005年に旅行作家としてデビュー。「週末海外」というライフスタイルを提唱。国内外を旅しながら、執筆活動を続けている。その他、『スマートフォン時代のインテリジェント旅行術』(講談社)、『自分を探さない旅』(平凡社)、『LCCで行く! アジア新自由旅行』(幻冬舎)、『めざせプチ秘境!』(角川書店)、『3日もあれば海外旅行』(光文社)など著書多数。
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しりとりで旅する 第50回 吉田友和

う 雨季

 今年もツーリズムEXPOへ行ってきた。東京の国際展示場で開かれる、年に一度の旅の祭典である。初めて訪れたのは最初の世界一周から帰った直後だったから、通い始めてもうかれこれ十年以上になる。旅行などで不在の場合を除き、僕はほぼ毎年参加している。我が恒例行事のひとつだ。
 年を追うごとに規模が拡大してきたこのイベントだが、以前は「旅博」という名称だった。さらに遡れば、「世界旅行博」と呼ばれた時代もあった。ここだけの話、いつの間にかツーリズムEXPOなどと横文字のイベント名になってしまい、長年のファンとしては密かに違和感を覚えたりもしている。
 今年は海外関係の展示よりも、インバウンド関連ブースの方が勢いがあると感じた。英語や中国語で書かれた日本国内の観光パンフレットが目についたのだ。世界旅行の疑似体験がウリのイベントだったが、海外の人たちに日本旅行をアピールする場へと変わりつつある。そんな現状に鑑みると、イベント名は横文字の方が都合がいいのかもしれない。
 ツーリズムEXPOの会場は、大きくエリアごとに分かれている。ここでいうエリアとは、実際の世界の地域区分のことだ。すなわちアジア、ヨーロッパ、北米といった具合で、それらとは別枠で旅行会社が集まった区画なども設けられている。いちおう一通りは見て回ったが、アジアへの滞在時間が最も長くなってしまった。自分の興味を優先すると、やはりそういう結果になるようだ。
 新しい旅先を探すにはうってつけのイベントである。たとえば最近マイブームの台湾のブースでは、北部や中部、南部と地域別に細かく展示されていた。日本ではまだあまり知られていなそうなマイナーな街の情報も選り取り見取り。スタッフの台湾人と話して、オススメしてくれた美味しい店をメモに取ったり。期待した以上の収穫が得られ、台湾旅行がますます楽しくなりそうである。
 ほかにもベトナムやミャンマーなど、個人的にとくに関心の強い国のブースを重点的に回りつつ、歩き疲れたらタイのブースでリラックスした。「サワディーカー」とタイ語で挨拶されるだけで、ほっこり癒される。
「最近のタイはどうですか?」
 バンコクから来たと思しきタイ人女性スタッフに何気なく訊いてみた。
「いまは雨季ですね。雨が多いです」
 すると、そんな答えが返ってきた。気候について訊ねたつもりではなかったが……なるほど、雨季か。確かにタイはいまそんな季節である。バンコクのような都市部ならば、雨に降られても避難場所はある。困るのは地方の旅だ。雨季のチェンマイでトレッキングしたときは、ぬかるんだ山道を歩いたせいでドロドロになってしまったのを思い出す。
 そういえば、この前出した新刊でもタイの雨季のエピソードを綴っていた。スコールから逃げるために、慌てて路線バスに飛び乗った話だ。その本は東南アジアの旅エッセイを国別にまとめた短編集なのだが、一番最初がタイだった。果たして、あんな間が抜けたエピソードで巻頭を飾ってよかったものか。
 近頃は日本にいても、東南アジアのスコールのような大雨にしばしば降られる。つい先日は、関東地方でも信じがたい大災害に見舞われたばかりだ。家や車が水没し、ボートで避難する人々――タイのニュース映像ではおなじみの光景も他人事ではなくなってきた。
「日本もね、最近は雨が多いんですよ」
 会話の流れで僕がそう言うと、タイブースにいたタイ人女性は笑顔で相槌を打ってくれた。どこまで伝わったかは定かではないが、タイ人と雨の話をするのもいかにもタイっぽい感じがして、なんだか懐かしくなった。
 考えたら、今年は旅をしていて雨に悩まされてばかりだった。それも、ここぞという重要な場面で、不幸にも雨に降られることの繰り返しで、何度も心が折れそうになった。たとえば長崎の教会群を巡っていたときも、日本最北端の宗谷岬を目指したときも雨だった。中国へ九寨溝を見に行ったら見事に降られたし、夏の台湾旅行では台風が直撃して散々な目に遭ったばかりだ。ひょっとしたら自分は雨男なのではないか、という根本的な疑惑がいまさらながら浮上する。
 残り三ヶ月もあるというのに、早くも今年の旅を振り返ってしまった。年内もまだまだ旅は続く。実は明日からグアムなのだが、書いているうちに急に天候が心配になってきた。どうか晴れますように!

※雨季→次回は「き」がつく旅の話です!

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