カテゴリー別アーカイブ: 2a.連載:下川裕治

2. 連載:「タビノート」 下川裕治  2017/02/21号 Vol.084


2a. 連載:「タビノート」 下川裕治

月に何回か飛行機に乗る。最近はLCCの割合が増えている。そんな体験をメールマガジンの形でお届けする。

Profile
shimokawa

下川裕治(しもかわ・ゆうじ)

1954年、長野県松本市生まれ。旅行作家。新聞社勤務を経てフリーランスに。『12万円で世界を歩く』(朝日文庫)でデビュー。アジアと沖縄、旅に関する著書、編著多数。『南の島の甲子園 八重山商工の夏』(双葉社)で2006年度ミズノスポーツライター賞最優秀賞受賞。近著に『沖縄にとろける』『バンコク迷走』(ともに双葉文庫)、『沖縄通い婚』(編著・徳間文庫)、『香田証生さんはなぜ殺されたか』(新潮社)、『5万4千円でアジア大横断』(新潮文庫)、『週末アジアに行ってきます』(講談社文庫)、『日本を降りる若者たち』(講談社現代新書)がある。

たそがれ色のオデッセイ BY 下川裕治

インドの空はインディゴで染まる?

久しぶりにインドに向かった。アッサム州のディブラガルから最南端のカンニャクマリまで列車に乗るためだった。
 まずディブラガ行きの飛行機を探した。そしてカンニャクマリ。この街には空港はなく、トリバンドラムが最寄りの空港だった。そこから帰国することになる。
 いろいろと検索していったのだが、最安値のLCCとして出てくるのはインディゴばかりだった。なんだかインドLCC世界はインディゴに染まったような気配すらある。結局、バンコク→コルカタ、コルカタ→ディブラガル、トリバンドラム→コーチという3路線がインディゴになってしまった。コーチからバンコクまではエアアジアが安かったが。
 インドの空はこんなだったのだろうか。
 しばらく前、僕はインドで乗ったLCCはキングフィッシャーとジェットエアウエイズだった。数年前の話だ。インディゴという航空会社は、正直なところ、その名前も知らなかった。知人はこんなこともいっていた。
「キングフィッシャーのサービスはいいですよ。きっとインド一になる」
 ところがいま、インドのLCCといえばインディゴという時代になってしまった。
 東南アジアを見ていても思うのだが、LCCのシェア争いは本当に厳しい。あっという間に色分けが変わっていく。ピーチ、バニラ、ジェットスターが多くの路線を占め、なかば無風状態が続く日本とは、なにか勢いが違うような気がする。
 インディゴは2006年に運行を開始した。それから約10年。いまではインド国内シェアのトップなのだという。
 3路線に乗ったが、運航時刻はかなり正確だった。コルカタからディブラガル行きの出発が20分ほど遅れただけだった。
 東南アジアのLCCのように、荷物が無料になったり、無料の軽食が出るようなサービスはなにもなかった。すべてが有料。その意味では、LCCの王道を進んでいた。シート間隔はそれほど狭くはなかったが、おそらく運賃と路線数で、シェアを伸ばしている気がする。
 客室乗務員はベレー帽にどこかミリタリー調とも思える制服で、インドのにおいはどこからもしない。新しいインドということだろうか。
 インドの空港も次々に新しくなってきている。コルカタ空港はなんだか恥ずかしくなるほど近代的になった。ターミナルを出た外の世界とのギャップはかなりある。トリバンドラムやコーチの空港も整ってきた。
 インドの新しい空の世界は、どこかインディゴのスタイルとダブってくる。インドではしばらく、インディゴの世界が続きそうだ。

インディゴ
ディブラガル空港に着いた。タラップは旧式だった

2. 連載:「タビノート」 下川裕治  2016/12/20号 Vol.082


2a. 連載:「タビノート」 下川裕治

月に何回か飛行機に乗る。最近はLCCの割合が増えている。そんな体験をメールマガジンの形でお届けする。

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下川裕治(しもかわ・ゆうじ)

1954年、長野県松本市生まれ。旅行作家。新聞社勤務を経てフリーランスに。『12万円で世界を歩く』(朝日文庫)でデビュー。アジアと沖縄、旅に関する著書、編著多数。『南の島の甲子園 八重山商工の夏』(双葉社)で2006年度ミズノスポーツライター賞最優秀賞受賞。近著に『沖縄にとろける』『バンコク迷走』(ともに双葉文庫)、『沖縄通い婚』(編著・徳間文庫)、『香田証生さんはなぜ殺されたか』(新潮社)、『5万4千円でアジア大横断』(新潮文庫)、『週末アジアに行ってきます』(講談社文庫)、『日本を降りる若者たち』(講談社現代新書)がある。

たそがれ色のオデッセイ BY 下川裕治

中間既存航空会社の時代

 前号を引き継ぐ内容になってしまった。中間クラスLCCの話である。
 今月、バンコクから帰国した。来月、中国の広州からチベットのラサまで列車に乗ることになっていた。バンコクから広州か香港経由で帰国し、復路で広州か香港までと思ったのだ。
 いろいろ調べていくと、香港航空がヒットしてきた。運賃を見て、
「香港航空が中間クラスか……」
 と呟いていた。
 バンコクと東京を結ぶ便を運賃で分けると、3つのグループに分けれる。
 ひとつは既存の航空会社グループで、タイ国際航空、日本航空、全日空、キャセイパシフィック、アシアナ航空などになる。キャンペーンや日程によって差があるが、だいたい往復2万バーツ、6万円といった金額が軸になる。
 もうひとつがLCCグループである。エアアジア、スクートなどが直行便を就航させている。こちらの運賃も変動があるが、往復1万バーツ、つまり3万円前後で買うことができたら、安いと思っていい。
 そして香港航空。バンコク発で買った運賃は往復で1万3000バーツだった。日本円にすると4万円弱ということになる。
 香港航空の名前は前から知っていたが、あまり存在感はなかった。2006年にできた航空会社で、既存航空会社とLCCという分類に当てはめると、既存航空会社になる。しかし運賃は既存の航空会社のなかではかなり安く、LCCに近い運賃を出していた。
 バンコクから乗ってみた。預ける荷物は無料で、かなりしっかりとした機内食がでる。座席指定も無料。シート間隔も通常で、シートテレビでは日本の映画も観ることができた。
 しかしアライアンスには加盟していない。運行時間帯もそれほどよくない。つまり香港航空は中間クラス既存航空会社といってもいいかもしれない。
 前号でタイスマイルを中間LCCと表現したが、見方を変えれば中間既存航空会社ともいえる。アジアの空には、このクラスの飛行機が飛びはじめるようになった。そこまで進んでいるのだ。
 感じるのは香港やタイの自由さである。日本を見ると、はたして中間クラス航空会社が出現するのか……と思う。LCCは乗りたくないが、既存の航空会社は高いという間隙を縫う存在。高齢化社会に向かうアジアでは、これから存在感を増していくような気がする。

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香港航空。シートテレビに日本の映画あるが、本数は少ない

2a. 連載:「タビノート」 下川裕治  2016/11/15号 Vol.081


2a. 連載:「タビノート」 下川裕治

月に何回か飛行機に乗る。最近はLCCの割合が増えている。そんな体験をメールマガジンの形でお届けする。

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1954年、長野県松本市生まれ。旅行作家。新聞社勤務を経てフリーランスに。『12万円で世界を歩く』(朝日文庫)でデビュー。アジアと沖縄、旅に関する著書、編著多数。『南の島の甲子園 八重山商工の夏』(双葉社)で2006年度ミズノスポーツライター賞最優秀賞受賞。近著に『沖縄にとろける』『バンコク迷走』(ともに双葉文庫)、『沖縄通い婚』(編著・徳間文庫)、『香田証生さんはなぜ殺されたか』(新潮社)、『5万4千円でアジア大横断』(新潮文庫)、『週末アジアに行ってきます』(講談社文庫)、『日本を降りる若者たち』(講談社現代新書)がある。

たそがれ色のオデッセイ BY 下川裕治

中間クラスLCCという流れ

飛行機には中間クラスというものがある。主にビジネスクラスとエコノミークラスの中間として設定されることが多い。座席はビジネスクラスだが、食事はエコノミーといった感じで、中間運賃を打ち出す。
「LCCと既成の航空会社の中間クラス?」
 タイスマイル航空である。
 バンコクからミャンマーのヤンゴンまで乗った。9月下旬に航空券を買った。片道運賃で比べると、エアアジアなどの本格LCCが3000台~4000円台。タイスマイルが6000円台~7000円台。タイ国際航空が18000円前後。運賃は既存の航空会社よりはLCC寄りだったが。
 タイスマイルは2012年に飛びはじめた。独立した航空会社というより、タイ国際航空の格安ブランドという色合いが強かった。
 一説には、タイ国際航空内でもめごとがあり、一部のメンバーが新しいブランドを立ち上げたという。噂かもしれないが、タイ国際航空という会社は、一時の日本航空に似ている。内部にはいくつものグループがあるという。
 その後、少しずつ独立色を強めているように思う。しかし利用者は戸惑うことが多い。
 だめだろうと思いながら、チェックインカウンターで、ユナイテッド航空のマイレージカードを出してみた。タイ国際航空は、ユナイテッド航空と同じスターアライアンスである。
「タイ国際航空のマイレージカードしかマイルは貯まりません」
 といわれた。試しにラウンジでも尋ねてみた。
「タイスマイルはスターアライアンスには入っていないんです」
 いろいろがはっきりしたが、ヤンゴンへのフライトでは、ちゃんとした機内食が出た。無料である。シートの間隔も広く、既存のタイ国際航空と変わりはない。
 ではいったいどういう人が、この航空会社を選ぶのだろうか。運賃を優先すれば、LCCを選ぶ。しかしLCCはできれば乗りたくはない……という人はいる。だがタイ国際航空はやはり高い。そこでタイスマイルを選ぶ客層狙いというわけだ。
 中間クラスといえば中間だが、すべてが中途半端でもある。
 しかし座席は7割がた埋まっていた。
 以前、このコーナーで、マレーシアのマリンドエアーを紹介した。機内食や荷物も30キロまで無料。シートピッチは広く、シートテレビまでついているLCCである。
 これからのLCCの流れは、どこかこのあたりに集まってきそうな気がする。

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タイスマイルのバンコクーヤンゴン線の機内食。タイ国際航空の機内食に似ている?

2a. 連載:「タビノート」 下川裕治  2016/10/18号 Vol.080


2a. 連載:「タビノート」 下川裕治

月に何回か飛行機に乗る。最近はLCCの割合が増えている。そんな体験をメールマガジンの形でお届けする。

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たそがれ色のオデッセイ BY 下川裕治

ホタルというLCCはスバン空港から

 昔から気になるLCCがあった。ファイアーフライである。
 LCCのネーミングはさまざまだ。欧米のサウスウエストやイージージェットのように、従来の航空会社名を踏襲しているところは多い。しかしタイのノック・エアになると、少し変わってくる。ノックとはタイ語で鳥である。
 ファイアーフライもその流れの名前だろうか。ホタルの意味になる。
 シンガポールのチャンギ空港で、出発便のボードを眺め、そこにファイアーフライとあるとつい視線が向いてしまう。
 はじめて目にしたのもチャンギ空港だった。プロペラ機だった。当然、機体は小さい。ファイアーフライと名づけた理由がわかったような気がした。
 ファイアーフライはマレーシア航空の子会社のLCCである。近距離を飛ぶ。プロペラ機が主体のようだった。
 その夜、クアラルンプールにいた。KLセントラルの前にある安宿で、翌日のコタバル行きの便をとろうとしていた。マリンドエアが片道3000円ほど。その予約を進めたが、クレジットカードの支払いがうまくいかなかった。何回やってもけられてしまう。
 気分を変えようと夕飯を食べにホテルを出た。小1時間ほどして戻り、再びマリンドエアの予約を進めようとすると、翌日便はすべて売り切れになっていた。ある時刻を過ぎると、翌日便の予約をクローズしてしまうのだろうか。
 次に安いのがファイアーフライだった。5000円ほどした。予約はスムーズに進んだ。しばらくすると、ファイアーフライからメールが届いた。なにげなく、その内容を確認していたのだが、利用空港のところで目が止まった。
「スバン空港?」
 年配の方なら懐かしい名前かもしれない。かつてのクアラルンプール国際空港である。僕も年配といわれる年だが、昔からマレーシアにはタイやシンガポールから陸路で入ることが多く、スバン空港は使ったことはなかった。KLIAができ、閉鎖されたと思っていたが……。
 スバン空港へ行くのは不便だった。一般的にはタクシーといわれた。市内から乗るのは高くなりそうだったので、電車でクラナジャヤまで行き、そこからタクシーに乗った。25リンギットだった。
 かつてのターミナル3だけを使っていた。その発着便を見て、
「そういうことか」
 と頷いた。利用しているのは、マリンドエアとファイアーフライだけだった。エアアジアに対抗するLCCである。
 機材はATRというプロペラ機。1時間ほどでコタバルに着いた。

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コタバル空港に到着した。座席は半分ほど埋まっていた

2a. 連載:「タビノート」 下川裕治  2016/9/6号 Vol.078


2a. 連載:「タビノート」 下川裕治

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たそがれ色のオデッセイ BY 下川裕治

成田便と羽田便の差が教えるもの

 日本とアジアを結ぶ路線からのアメリカ系航空会社の撤退が相次いでいる。デルタ航空は成田―バンコク線を秋から運休することを発表した。ソウル、香港、北京線はすでに運航をやめている。アジアとアメリカを結ぶ路線が減っているわけではない。成田乗り継ぎ便がなくなりつつあるのだ。
 背後にあるのはアジア諸国の成長だ。とくに中国。北京―成田―アメリカという便をつくっても、北京で席が埋まってしまう。中国人にしても、日本で乗り換えるよりも、ノンストップ便を選ぶだろう。そこにアベノミクスによる円安が拍車をかけた。日本円での収入では利益が減ってしまう。
 ユナイテッド航空もその流れのなかにいる。以前は成田とバンコクを結ぶ便によく乗った。しかしその路線からも撤退。成田―シンガポール間のユナイテッド航空の最終便に乗った話は、この記事でも紹介した。
 デルタ航空の変更は、羽田空港の発着枠の協議を受けたものだった。ユナイテッド航空は全日空、アメリカン航空は日本航空という同じアライアンスの日系航空会社がある。アメリカから羽田に着いたユナイテッド航空便とアメリカン航空便の乗客は、全日空、日本航空につなぐことができる。しかしデルタ航空には、同じアライアンスの日系航空会社がない。そのなかでアジア路線を見直すための変更と説明している。
 しかし話はそう単純ではない。
 僕はユナイテッド航空のマイレージを貯めている。バンコクに出向くことが多いが、東京を結ぶ便の運賃を見ると、全日空が安くなることが多い。バンコクと東京を結ぶ全日空便は羽田便と成田便がある。成田便のほうが安くなる。少しでも安い運賃を選ぶタイプだから、全日空に乗るときは成田便を選ぶ。
 NH805便とNH806。805便は夕方の18時半頃に成田空港を出発する。帰国便はバンコクを朝の7時前後に出る。チェックインは早朝5時。ホテルで起きるのは午前3時……。
 ピンとくる方もいるかもしれない。そう、かつて運航されていたユナイテッド航空便とほぼ同じ時間帯なのだ。ユナイテッド航空路線を全日空が引き受けた形だ。
 乗客に日本人は多くない。ほとんどが成田で乗り継ぐアメリカ人だ。全日空便だと思って乗った日本人は少し戸惑うかもしれない。客室乗務員は全員、日本人だが。
 客の大半はアメリカ人だからということもないと思うが、羽田便に比べると使う飛行機は旧式だ。日本人を対象に考えれば、それほどの競争もないわけだから、機材が少し劣っても……と全日空は考えているのだろうか。これが成田便と羽田便の違いなのだろうと思う。

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成田からバンコクに向かうNH805便。アメリカから乗り継ぐインド人が目立った

2a. 連載:「タビノート」 下川裕治  2016/8/23号 Vol.077


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たそがれ色のオデッセイ BY 下川裕治

荷物は30キロまで無料のマリンドエア

ここまできたか……。
 クアラルンプールに向かう飛行機のなかで、つい呟いてしまった。
 マリンドエアである。アジア内をLCCで移動することが多い。航空券を買うときは、スカイスキャナーなどの検索サイトのお世話になる。そんなとき、この航空会社名はときどき目にしていた。しかしなかなか搭乗する機会はなかった。
 バンコクからクアラルンプールへの便を見た。その日のいちばん安い便がマリンドエアだった。朝の便で、片道9000円ほどだった。
 予約を進めながら、預けることができる荷物の重さに目がいった。30キロまで無料だった。最近LCCのなかには、預ける荷物の無料枠を広げるサービスをはじめるところがある。競争が激しいのだろうが、30キロというのは多い。既存の航空会社、いやそれ以上の量である。
 当日、機内に乗り込んで、一瞬、戸惑った。機内からLCC感が漂ってこないのだ。
 まず、シート間隔が既存の航空会社と同じだった。通常のLCCより広いのだ。ゆったりとしている。そして座席の背にはシートテレビがはめ込まれていた。
 離陸し、コントローラーをいじってみる。日本語はなかったが、ちゃんと映画も放映される。ゲームもあった。
 しばらくすると、カートを押した客室乗務員が現れ、軽食を配りはじめた。菓子パンが2個に水がテーブルに置かれた。
 パンをかじりながら、いったいどこがLCCなのかと考えてみる。少なくとも、機内サービスの違いはほとんどない。
 気になってその日の夜に調べてみた。座席指定は有料だった。既存の航空会社との違いはそれだけだった。いや、運賃がLCCなのだが。
 マリンドエアは、インドネシアのライオンエアとマレーシアの会社が出資してできた航空会社だった。設立は2012年。年を追ってその路線を増やしている。僕が乗ったバンコクとクアラルンプールを結ぶ路線も、就航して、そう月日がたっていなかった。クアラルンプールでは、KLIA2は使わず、KLIA1やスバン空港を使う。
 東南アジアでLCCが一気にその路線を増やしていったのは2000年頃からだ。その先頭を走っていたのがマレーシアのエアアジアだった。その後も新興LCCが次々に登場し、ついに既存の航空会社との違いを見つけにくいサービスをはじめた。LCCと既存の航空会社の境界は渾然というより、一体化の道を進みはじめた気がする。

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ライオンエアとそのグループは東南アジアのLCCを変えつつある

2a. 連載:「タビノート」 下川裕治  2016/6/28号 Vol.074


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たそがれ色のオデッセイ BY 下川裕治

シンガポール線最後のフライト

 シンガポール路線、最後のユナイテッド航空に乗った。6月1日のUA803便。この便が翌日、シンガポールから成田に飛んで、シンガポール線のユナイテッド航空便はなくなる。
 マイレージの関係で、年に4回はユナイテッド航空に乗らなくてはならない。シンガポール路線の廃止はかなり痛い。
 スターアライアンスのマイレージを貯めるきっかけになったのは、成田とバンコクを結ぶユナイテッド航空だった。しかしこの路線が廃止になり、頼みの綱はシンガポール路線だったのだが……。
 かつてユナイテッド航空は、成田を基点に多くのアジアの都市を結んでいた。香港、バンコク、台北、ソウル、上海、シンガポール……。それらの路線が次々に廃止されていった。アジアとアメリカを結ぶ便を減らしたわけではなかった。成田経由をなくし、アジアの諸都市から直接、アメリカへ向かうルートに切り替えていったのだ。いまでも上海や北京、香港の空港に行くと、ユナイテッド航空機の姿をよく見る。これらはダイレクトにアメリカに向かう。成田が外されてしまったのだ。
 こう書くと、すぐに日本経済の衰退に結びつける向きがある。たしかにそれも一因だろうが、いちばんの理由は、アジア各国の経済発展が急で、成田に寄る前に席が埋まるからではないかと思う。そこにより長距離の飛行が可能な機材という拍車がかかった。
 最後のシンガポール行きユナイテッド航空は、ちょっとしたイベントでもあるかとも思った。この便をよく利用した人が、記念フライトで席を埋めるような気もした。
 しかし乗り込んでみると、そのどちらもなかった。機内はがらがらだった。帰りの便は翌日しかないのだから当然である。なにか残務処理をこなすフライトのようで、少し寂しかった。客室乗務員も、これといった感慨もなく、淡々と仕事をこなす。パイロットの機内放送もいつもと同じだった。
 予定より10分ほど早く、シンガポールのチャンギ空港に到着した。絨毯が敷かれた通路を歩きながら、「ふーッ」と溜め息をつく。こうしてユナイテッド航空に乗ってシンガポールに着くことはもうない。
 さて、これからどうしようか。アジア内で残っているユナイテッド航空の路線は、成田―ソウル、香港―シンガポールだけのように思う。成田―ソウル間が廃止にならないのは、韓国の経済事情だろう。しかしその運賃はとんでもなく高い。残っているのは、香港とシンガポールを結ぶ路線?
 また溜め息をつく。

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変わらない機内食。味もメニューもまったく同じだった

2a. 連載:「タビノート」 下川裕治  2016/5/31号 Vol.072


2a. 連載:「タビノート」 下川裕治

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たそがれ色のオデッセイ BY 下川裕治

航空会社が次々に変わっていく2

前回はこちら

ロシアの北極圏にあるムルマンスクにいた。ここから日本に帰国することになった。ムルマンスクには空港があった。そこから飛行機でモスクワに出ることにした。
 検索サイトを見ると、アエロフロートがいちばん安かった。2時間40分ほどのフライトで1万円ほどだった。予約を進めていくと、なぜかノルダヴィア航空になってしまった。
 フライト当日、空港に出向くと、S7航空のチェックインカウンターに行けといわれた。
「あの……ノルダヴィア航空で予約したんですけど」
 遡ればアエロフロートで予約したのだが、そのあたりをいうと、さらに面倒なことになる気がして黙っていた。
S 7航空のカウンターに、ノルダヴィア航空の予約記録を差し出した。スタッフはなんの疑問も挟まずに、チェックインを進める。
「あの……ノルダヴィア航空で予約したんですけど」
「大丈夫です。コードシェアをしてますから」
 そんな言葉が返ってきた。
 コードシェアの場合でも、予約を入れた航空会社でチェックインをするのが普通だ。しかし、ノルダヴィア航空のカウンターがないのだから、どうすることもできない。
 無事、搭乗券を受けとった。それはノルダヴィア航空の搭乗券だった。
 ウィキペディアで見ると、ノルダヴィア航空は、流浪の航空会社だった。もともとアエロフロートだったが、ソ連崩壊後に独立した。しかしその後、再びアエロフロートの子会社に。社名は、アエロフロート・ノルド航空だった。しかし墜落事故を起こし、ノルダヴィア航空になった。そして2011年には、ノリリスク・ニッケルという会社に買収された。ノリリスク・ニッケルは、非鉄金属を生産する大手企業である。
 危うい綱渡り航空会社は、経費を節減するために、S7とコードシェアし、チェックイン業務を委託したのだろう。
 こういうことを平気で行うのが、ロシアの航空業界というものらしい。ロシア人たちは当たり前のような顔でチェックインをしていたから、珍しいことではないらしい。
 吹雪が激しくなり、どうなるかと思ったが、ノルダヴィア航空はよろよろと30分遅れで離陸した。機材はボーイング737だった。シートピッチはそれほど狭くなかった。モスクワに着くまでの間に、ハムサンドイッチ、ジュースにコーヒーという機内食も配られた。どこにもLCCの気配はなかった。
 しかし運賃と競争論理だけがLCC化している。それがロシアの国内線のようだった。

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気温はマイナス15度? 風吹のなかの搭乗だった

2a. 連載:「タビノート」 下川裕治  2016/4/19号 Vol.070


2a. 連載:「タビノート」 下川裕治

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たそがれ色のオデッセイ BY 下川裕治

航空会社が次々に変わっていく1

 ロシアのLCC──。ピンとこない人も多いだろう。実際、狭義のLCCはないように思う。記録には、スカイ・エクスプレスとアヴィアノヴァがLCCと記されていることがあるが、この2社とも姿を消している。サイトによっては、いまのロシアでいちばん見かけるS7航空をLCCにしているところもあるが、ちゃんと無料の機内食が出るから、LCCというのはどうかと思う。
 いま世界では、既存の航空会社とLCCの境界がなくなりつつある。ヨーロッパでロシアのアエロフロートに乗ると、その座席の狭さにLCCではないかと思うこともある。予約もLCCのそれに近い。そのあたりを突き詰めていくと、機内食になるような気がする。
 無料の機内食を出すか、出さないか……。
 結局はそこに行きついてしまう。
 その伝でいうと、ロシアにはLCCはない。これは聞いた話だが、ロシアではすべての航空会社に機内食が義務づけられているという。おそらくそのルールは変わっていないはずだ。つまりロシアはLCCを禁じているわけだ。
 しかしそれ以外の面ではLCC化がどんどん進んでいる。アエロフロートからLCCっぽくなってきているのだから、すべてがLCCといえなくもない。そのあたりがなんだかややこしいのだ。
 北極圏のムルマンスクにいた。今年の3月のことだ。ユーラシア大陸の南端から北端まで列車で旅をするという企画だった。終点がムルマンスクだったのだ。貨物列車ではなく、客が乗る列車が運行する最北端の駅がムルマンスクである。緯度は北緯68度58分。
 ムルマンスクに辿り着き、そこからは飛行機で帰国することにした。ルートはそう多くない。サンクトペテルブルクに飛ぶか、モスクワに出るか。この2通りだ。ムルマンスクの宿でネットをつなぎ検索してみた。モスクワに出たほうが安そうだった。
 不思議なことが起きた。いちばん安い航空券はアエロフロートだった。2時間40分ほどのフライトで、1万円強。ルーブル安も影響しているのかもしれないが、手頃な運賃だった。
 それを選択し、予約を進めようとすると、途中からノルダヴィア航空になった。サイトのなかで、航空会社が変わってしまったのだ。
「こういうことってあるだろうか」
 フライトの当日は吹雪だった。そのなかをマルシュルートカと呼ばれる乗り合いバンに揺られてムルマンスク空港に向かった。空港は雪に埋まっていた。ターミナルに入り、搭乗する便を掲示板で見ると、航空会社はS7航空になっていた。
 いったいどういうことだろう。
(この項つづく)

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ムルマンスク空港は雪に埋まっていた。北極圏の天候はめまぐるしく変わる

2a. 連載:「タビノート」 下川裕治  2016/3/22号 Vol.068


2a. 連載:「タビノート」 下川裕治

月に何回か飛行機に乗る。最近はLCCの割合が増えている。そんな体験をメールマガジンの形でお届けする。

Profile
shimokawa

下川裕治(しもかわ・ゆうじ)

1954年、長野県松本市生まれ。旅行作家。新聞社勤務を経てフリーランスに。『12万円で世界を歩く』(朝日文庫)でデビュー。アジアと沖縄、旅に関する著書、編著多数。『南の島の甲子園 八重山商工の夏』(双葉社)で2006年度ミズノスポーツライター賞最優秀賞受賞。近著に『沖縄にとろける』『バンコク迷走』(ともに双葉文庫)、『沖縄通い婚』(編著・徳間文庫)、『香田証生さんはなぜ殺されたか』(新潮社)、『5万4千円でアジア大横断』(新潮文庫)、『週末アジアに行ってきます』(講談社文庫)、『日本を降りる若者たち』(講談社現代新書)がある。

たそがれ色のオデッセイ BY 下川裕治

ロストバッゲージを自衛するLCC効果

 ロストバッゲージというトラブルがある。預けた荷物が、目的地の空港に届かないことをいう。そんなトラブルには遭ったことがない、という人は多いかもしれない。しかし僕は2年に1回はロストバッゲージの憂き目に遭っている。
 1年に40回以上は飛行機に乗る。つまり80回乗って1回の割合になる。これが多いのか、少ないのか……。
 ロストバッゲージというと、預けた荷物が紛失してしまうと思う人もいるかもしれない。しかしなくなることはまずない。その便に積み忘れたたり、ほかの便に乗せてしまったことが原因のトラブル。飛行機というより、空港のミスの可能性が高い。次の便に乗せられることが多く、早ければ翌日には届く。まあ、場合によっては1週間近くかかることもあるが。
 日本に帰国したときは自宅に届けられる。海外では、泊まっているホテルに届けてくれる。
 しかし荷物がないとかなり困る。気候が違う場合は着るものがない。ビーチリゾートに行った場合、水着がなかったりする。洗面道具がないと、化粧もできない。ビジネスマンが書類を入れてしまい、困った話も聞く。
 どうしたらロストバッゲージを防ぐことができるのか。妙案はない。飛行機会社の選択といっても、原因は空港にあることが多いから、最終的な選択肢ではない。日本航空や全日空に乗ってもロストバッゲージはある。乗り継ぎ時間が短い便を避けるという案もあるが、それで完全に防ぐことができるわけではない。
 最終的には自衛しかないというのが、僕が辿り着いた結論だ。預ける荷物には大切なものを入れないこと。荷物が届かない場合を想定して……ということになるが、そこにも限界がある。根本的な解決策は荷物を預けないということになる。
 その発想はLCCに通じる。LCCは預ける荷物が有料という場合が多い。勢い、荷物を減らして機内持ち込みにする傾向が強くなってくる。ひょっとしたら使うかもしれないようなものはできるだけ省く。最近はほとんどのものが現地でそろう。同じ機能のものでも軽くて小さなものを選び、衣類もできるだけ減らす心構えということになるだろうか。
 既存の航空会社に乗るとき、せっかく無料で荷物を預けることができるのだから……と思ってしまうが、LCCの感覚で乗ったほうがトラブルが少ないことは事実だ。
 最近、僕は既存航空会社でも、荷物を預けないことが多い。僕のなかでのLCC効果ということだろうか。

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北京空港。ここ数年のロストバッゲージ回数がいちばん多いのは中国国際航空。北京空港を利用した場合だけで、ここ5年ほどで3回