3b. 世界一周ノート 青木大地

仕事をやめ、2013年10月から1年間の予定で世界一周の旅に出ました。

Profile
aoki_s

青木大地(あおき・だいち)

1986年生まれ。日本大学 芸術学部 卒業。
卒業後、大手レンタルビデオメーカーに勤務。店舗、営業を経て世界旅行のため退社。
念願のフリーライターとしてとりあえず1年は過ごせそうです。
同名義のFacebookもよければ見てください。

Facebook

3b. 世界一周ノート 第29回:モロッコ

シ_フ_ラルタル_R
ジブラルタル海峡をフェリーで渡ると、何だか少し太陽に近づいたような錯覚があった。それは海が近いからでも、港が近いからでもなくて、本当に南へと向かったからだった。

スペイン南部から既に顔を覗かせていたアラブ系の人々の表情が、より柔和に、白く立ち並ぶ家々の間に、表通りを埋め尽くすカフェの間に現れていた。僕は港町タンジェの中心地でバスを降り、タバコを買ってカフェに入った。
モロッコの物価は安かったし、ローカルのカフェの居心地も抜群だった。それは冷た過ぎず、温か過ぎず、程よい好奇の視線を受けるという、旅人独自のわがままな価値観に沿った居心地ではあったけれど、その親しみやすさは紛れもなく本当だった。
僕は平日の昼間からカフェテラスでチェスに興じる人たちを横目に、次の目的地を案じた。何となく、急ぎたいような気がして、僕はモロッコで許された時間を使って目一杯移動してみることにした。
サラタ__R

タンジェの町にはとどまらず、僕はその日のバスでフェズという旧市街が有名な街を目指した。
モロッコで旧市街はメディナと呼ばれ、石造りの家々が並ぶ迷路のような構造が特徴的な、モロッコを象徴する場所だった。メディナはモロッコのどの都市にもあって、それは何れも人間の生活感が剥き出しになった混沌とした雰囲気を醸し出していた。同時に観光地としての役割も大きく、安宿や客引きもそこに集まっていた
メテ_ィナ2_R

メディナを歩いて、屋台で食事を買って、モスクを眺めて散歩をすると、僕にアフリカ大陸に居る感覚は微塵もなかった。ただただ、アラブ圏という大陸を跨いで分散する人々の力強さに圧倒されていた。
メディナで迷うと道案内をすると言ってたくさんの客引きが群がってきた。断ると「迷うぞ、帰れなくなるぞ」なんて脅されたりした。
炎天下の中、丘の上から見下ろしたメディナは人間の営みを生々しく具現化した怪物のようで少し怖かった。
丘2_R

泥の集落、アイット・ベン・ハドゥは気になっていた場所で、強行スケジュールの中で僕は訪れた。
ローカルバスと乗り合いタクシーを乗り継いで辿り着いたその場所は、荒涼とした乾燥地帯の中に突如現れる異質な建造物だった。何がどうしてこんなことになったか判らないけれど、その迫力に僕は立ち尽くした。そこに居た日本語の喋れる客引きは親切で、お茶を飲ませてくれたり僕のバックパックを無料で預かってくれたりした。お決まりの「奥さんが日本人」という台詞は万国共通なのかもしれないけれど、気にもしなかった。
アイトヘ_ン_R

その後もマラケシュ・カサブランカと歩いて僕のモロッコは終わってしまったけれど、そこで過ごした時間は穏やかに流れていた気がする。ふいに香る水タバコの甘さや、モロカンサラダ、いつまでもカフェに居座る人々、深夜まで老若男女の姿が絶えない公園。モロッコのそんな風景がヨーロッパを駆け抜けた僕を安堵させた。旅慣れた人にとって、怪しいようで怪しくないアラブを満喫するにはモロッコはうってつけの場所なのかもしれない。
モスク_R

ただ、乗り合いタクシーは8人乗りだった。そういういい加減さが、やっぱり僕は好きなのかもしれない。
タクシー_R

次回はエジプト編を記します。


世界一周ノート
上海→杭州→南寧→ハノイ→ホーチミン→シェムリアプ→チェンマイ→ルアンパバーン→バンコク→パンガン島→ペナン島→マラッカ→スマトラ島→ジャワ島→マニラ→シンガポール→ジョホールバル→シドニー→チェンナイ→ムンバイ→アグラ→デリー→バラナシ→ブッダガヤ→コルカタ→ダージリン→ポカラ→ルンビニ→ガヤ→カトマンズ→ポカラ→イスタンブール→カッパドキア→パムッカレ→ボドラム→ギアテネ→メテオラ→ソフィア→ブタペスト→ザコパネ→クラクフ→サラエヴォ→ザグレブ→ヴェネチア→ローマ→ミラノ→バルセロナ→タンジェ→フェズ→マラケシュ→カサブランカ・・・以降、アフリカ、アメリカ、南米と巡りました

3b. 世界一周ノート 第29回:モロッコ


3b. 世界一周ノート 青木大地

仕事をやめ、2013年10月から1年間の予定で世界一周の旅に出ました。

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aoki_s

青木大地(あおき・だいち)

1986年生まれ。日本大学 芸術学部 卒業。
卒業後、大手レンタルビデオメーカーに勤務。店舗、営業を経て世界旅行のため退社。
念願のフリーライターとしてとりあえず1年は過ごせそうです。
同名義のFacebookもよければ見てください。

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3b. 世界一周ノート 第29回:モロッコ

シ_フ_ラルタル_R
ジブラルタル海峡をフェリーで渡ると、何だか少し太陽に近づいたような錯覚があった。それは海が近いからでも、港が近いからでもなくて、本当に南へと向かったからだった。

スペイン南部から既に顔を覗かせていたアラブ系の人々の表情が、より柔和に、白く立ち並ぶ家々の間に、表通りを埋め尽くすカフェの間に現れていた。僕は港町タンジェの中心地でバスを降り、タバコを買ってカフェに入った。
モロッコの物価は安かったし、ローカルのカフェの居心地も抜群だった。それは冷た過ぎず、温か過ぎず、程よい好奇の視線を受けるという、旅人独自のわがままな価値観に沿った居心地ではあったけれど、その親しみやすさは紛れもなく本当だった。
僕は平日の昼間からカフェテラスでチェスに興じる人たちを横目に、次の目的地を案じた。何となく、急ぎたいような気がして、僕はモロッコで許された時間を使って目一杯移動してみることにした。
サラタ__R

タンジェの町にはとどまらず、僕はその日のバスでフェズという旧市街が有名な街を目指した。
モロッコで旧市街はメディナと呼ばれ、石造りの家々が並ぶ迷路のような構造が特徴的な、モロッコを象徴する場所だった。メディナはモロッコのどの都市にもあって、それは何れも人間の生活感が剥き出しになった混沌とした雰囲気を醸し出していた。同時に観光地としての役割も大きく、安宿や客引きもそこに集まっていた
メテ_ィナ2_R

メディナを歩いて、屋台で食事を買って、モスクを眺めて散歩をすると、僕にアフリカ大陸に居る感覚は微塵もなかった。ただただ、アラブ圏という大陸を跨いで分散する人々の力強さに圧倒されていた。
メディナで迷うと道案内をすると言ってたくさんの客引きが群がってきた。断ると「迷うぞ、帰れなくなるぞ」なんて脅されたりした。
炎天下の中、丘の上から見下ろしたメディナは人間の営みを生々しく具現化した怪物のようで少し怖かった。
丘2_R

泥の集落、アイット・ベン・ハドゥは気になっていた場所で、強行スケジュールの中で僕は訪れた。
ローカルバスと乗り合いタクシーを乗り継いで辿り着いたその場所は、荒涼とした乾燥地帯の中に突如現れる異質な建造物だった。何がどうしてこんなことになったか判らないけれど、その迫力に僕は立ち尽くした。そこに居た日本語の喋れる客引きは親切で、お茶を飲ませてくれたり僕のバックパックを無料で預かってくれたりした。お決まりの「奥さんが日本人」という台詞は万国共通なのかもしれないけれど、気にもしなかった。
アイトヘ_ン_R

その後もマラケシュ・カサブランカと歩いて僕のモロッコは終わってしまったけれど、そこで過ごした時間は穏やかに流れていた気がする。ふいに香る水タバコの甘さや、モロカンサラダ、いつまでもカフェに居座る人々、深夜まで老若男女の姿が絶えない公園。モロッコのそんな風景がヨーロッパを駆け抜けた僕を安堵させた。旅慣れた人にとって、怪しいようで怪しくないアラブを満喫するにはモロッコはうってつけの場所なのかもしれない。
モスク_R

ただ、乗り合いタクシーは8人乗りだった。そういういい加減さが、やっぱり僕は好きなのかもしれない。
タクシー_R

次回はエジプト編を記します。


世界一周ノート
上海→杭州→南寧→ハノイ→ホーチミン→シェムリアプ→チェンマイ→ルアンパバーン→バンコク→パンガン島→ペナン島→マラッカ→スマトラ島→ジャワ島→マニラ→シンガポール→ジョホールバル→シドニー→チェンナイ→ムンバイ→アグラ→デリー→バラナシ→ブッダガヤ→コルカタ→ダージリン→ポカラ→ルンビニ→ガヤ→カトマンズ→ポカラ→イスタンブール→カッパドキア→パムッカレ→ボドラム→ギアテネ→メテオラ→ソフィア→ブタペスト→ザコパネ→クラクフ→サラエヴォ→ザグレブ→ヴェネチア→ローマ→ミラノ→バルセロナ→タンジェ→フェズ→マラケシュ→カサブランカ・・・以降、アフリカ、アメリカ、南米と巡りました