3b. 世界一周ノート 青木大地

仕事をやめ、2013年10月から1年間の予定で世界一周の旅に出ました。

Profile
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青木大地(あおき・だいち)

1986年生まれ。日本大学 芸術学部 卒業。
卒業後、大手レンタルビデオメーカーに勤務。店舗、営業を経て世界旅行のため退社。
念願のフリーライターとしてとりあえず1年は過ごせそうです。
同名義のFacebookもよければ見てください。

Facebook

第22回:インド バラナシ

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アグラからデリーを経由してガンジス河へ、僕はインドを北上する列車旅を続けていた。

各都市の滞在は3日程度で、全然時間が足りなくて、やはりインドは広大で、旅行者にとってそれだけ魅力的な場所であるらしかった。アグラ・デリーは観光資源に富んでいて、安宿の設備も安定していたので、僕は特に不自由なく散歩をすることができた。
フマユーン廟もクトゥブ・ミナールも、列車の長い列もスラムも、慣れてしまえばそれは日常風景に成り下がり、いよいよインドという刺激が僕を侵食してしまったみたいだった。
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ガンジス河での沐浴は僕の旅行計画のハイライトでも有り、どうしてもやりたいことの一つだった。だから聖地バラナシは憧れの地であったし、僕にとって旅人の帰結点の様な勝手なイメージを抱いていた。
それなのに僕は夜行列車を降りた時から体調が悪かった。
安宿エリアは道が複雑に入り組んでいて不衛生で、僕は迷い込んで、客引きに囲まれながらホテルを決めた。ホテルは当たりだったけれど、部屋に入るなりすぐに寝込んでしまった。
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目が覚めて夕食を求めて近所を歩くと、氾濫するハングル文字に気が付いた。安食堂でも韓国料理のメニューが並んでいる。おかげで僕はおかゆの様な食べ物を発見でき、怠さを促すことができた。そこかしこに点在するバングラッシー屋にもハングルが躍っている・・・
後々の滞在で見聞きしたところによると、バラナシの街は韓国人旅行者(特に処方箋目当て)のメッカとなっているらしい。
「聖地」という理由にかこつけて、半合法的に扱われるそれらの商品を、普段海外でハメを外さない韓国人が謳歌していたのだ。
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途端、僕の中でバラナシは何だか汚らわしい場所のように思えてきてしまった。
客引きたちはバングラッシーとハシシを売ることで頭がいっぱいで、川の畔でゆっくりチャイを飲むことすらできなかった。
毎晩行われるガートでの儀式も、死を待つ物乞いも、流れる死体も、朝日と共に行われる沐浴も、決して神聖なものではなく、淡々と日常的に行われていた。
そしてそのすぐ傍らには聖地の名産品を売り歩く輩が闊歩しているのだった。
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僕は忘れる度に何度もこの感覚を思い返した。そう、この混沌こそがインドなのだと!

体調が悪く、簡単なお薬を処方した僕がガートでぼんやりしていると、ある日本語堪能な客引きがしつこく声をかけてきたので、適当にあしらうと彼は怒り始め、僕に暴言を浴びせ始めた。
「お兄ちゃん、そういうの良くないよ!神様見てるよ!次の人生で罰が当たるよ!」と。
何だかとってもショックだった。聖地の横でそんなことをしている男に僕は人格を否定され続けた。薬のせいで微睡んで、微睡んで、頭がおかしくなりそうだった。僕はこの旅で何をしているんだろうか?・・・
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結局、僕の体調は回復せず、バラナシでの沐浴は1度きりになってしまった。それも、腹痛でホテルまでの帰り道に牛の横で失禁するという散々なおまけ付きだった。
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気付けばインド滞在可能の30日がせまっていた。このままバラナシを北上してネパールに抜けるルートが一般的だったけれど、僕はもう少し足を伸ばすことにした。
ブッダガヤ・カルカッタ・ダージリン・・・深夜特急や三島由紀夫の描いた世界を生で確認する必要があった。
僕はまだインドの何物をも掴めていない、そんな焦りがあった。

次回はカーリー寺院・山羊の断頭儀式、ダージリン・トイトレイン、ネパール入国を記します。


世界一周ノート
とりあえずの予定コース:上海→杭州→南寧→ハノイ→ホーチミン→シェムリアプ→チェンマイ→ルアンパバーン→バンコク→パンガン島→ペナン島→マラッカ→スマトラ島→ジャワ島→マニラ→シンガポール→ジョホールバル→シドニー→チェンナイ→ムンバイ→アグラ→デリー→バラナシ・・・。以降ネパール、トルコ、ヨーロッパ、アフリカ、アメリカ、南米と巡る予定

3b. 世界一周ノート 第22回:インド バラナシ


3b. 世界一周ノート 青木大地

仕事をやめ、2013年10月から1年間の予定で世界一周の旅に出ました。

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青木大地(あおき・だいち)

1986年生まれ。日本大学 芸術学部 卒業。
卒業後、大手レンタルビデオメーカーに勤務。店舗、営業を経て世界旅行のため退社。
念願のフリーライターとしてとりあえず1年は過ごせそうです。
同名義のFacebookもよければ見てください。

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第22回:インド バラナシ

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アグラからデリーを経由してガンジス河へ、僕はインドを北上する列車旅を続けていた。

各都市の滞在は3日程度で、全然時間が足りなくて、やはりインドは広大で、旅行者にとってそれだけ魅力的な場所であるらしかった。アグラ・デリーは観光資源に富んでいて、安宿の設備も安定していたので、僕は特に不自由なく散歩をすることができた。
フマユーン廟もクトゥブ・ミナールも、列車の長い列もスラムも、慣れてしまえばそれは日常風景に成り下がり、いよいよインドという刺激が僕を侵食してしまったみたいだった。
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ガンジス河での沐浴は僕の旅行計画のハイライトでも有り、どうしてもやりたいことの一つだった。だから聖地バラナシは憧れの地であったし、僕にとって旅人の帰結点の様な勝手なイメージを抱いていた。
それなのに僕は夜行列車を降りた時から体調が悪かった。
安宿エリアは道が複雑に入り組んでいて不衛生で、僕は迷い込んで、客引きに囲まれながらホテルを決めた。ホテルは当たりだったけれど、部屋に入るなりすぐに寝込んでしまった。
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目が覚めて夕食を求めて近所を歩くと、氾濫するハングル文字に気が付いた。安食堂でも韓国料理のメニューが並んでいる。おかげで僕はおかゆの様な食べ物を発見でき、怠さを促すことができた。そこかしこに点在するバングラッシー屋にもハングルが躍っている・・・
後々の滞在で見聞きしたところによると、バラナシの街は韓国人旅行者(特に処方箋目当て)のメッカとなっているらしい。
「聖地」という理由にかこつけて、半合法的に扱われるそれらの商品を、普段海外でハメを外さない韓国人が謳歌していたのだ。
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途端、僕の中でバラナシは何だか汚らわしい場所のように思えてきてしまった。
客引きたちはバングラッシーとハシシを売ることで頭がいっぱいで、川の畔でゆっくりチャイを飲むことすらできなかった。
毎晩行われるガートでの儀式も、死を待つ物乞いも、流れる死体も、朝日と共に行われる沐浴も、決して神聖なものではなく、淡々と日常的に行われていた。
そしてそのすぐ傍らには聖地の名産品を売り歩く輩が闊歩しているのだった。
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僕は忘れる度に何度もこの感覚を思い返した。そう、この混沌こそがインドなのだと!

体調が悪く、簡単なお薬を処方した僕がガートでぼんやりしていると、ある日本語堪能な客引きがしつこく声をかけてきたので、適当にあしらうと彼は怒り始め、僕に暴言を浴びせ始めた。
「お兄ちゃん、そういうの良くないよ!神様見てるよ!次の人生で罰が当たるよ!」と。
何だかとってもショックだった。聖地の横でそんなことをしている男に僕は人格を否定され続けた。薬のせいで微睡んで、微睡んで、頭がおかしくなりそうだった。僕はこの旅で何をしているんだろうか?・・・
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結局、僕の体調は回復せず、バラナシでの沐浴は1度きりになってしまった。それも、腹痛でホテルまでの帰り道に牛の横で失禁するという散々なおまけ付きだった。
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気付けばインド滞在可能の30日がせまっていた。このままバラナシを北上してネパールに抜けるルートが一般的だったけれど、僕はもう少し足を伸ばすことにした。
ブッダガヤ・カルカッタ・ダージリン・・・深夜特急や三島由紀夫の描いた世界を生で確認する必要があった。
僕はまだインドの何物をも掴めていない、そんな焦りがあった。

次回はカーリー寺院・山羊の断頭儀式、ダージリン・トイトレイン、ネパール入国を記します。


世界一周ノート
とりあえずの予定コース:上海→杭州→南寧→ハノイ→ホーチミン→シェムリアプ→チェンマイ→ルアンパバーン→バンコク→パンガン島→ペナン島→マラッカ→スマトラ島→ジャワ島→マニラ→シンガポール→ジョホールバル→シドニー→チェンナイ→ムンバイ→アグラ→デリー→バラナシ・・・。以降ネパール、トルコ、ヨーロッパ、アフリカ、アメリカ、南米と巡る予定