3b. 世界一周ノート 青木大地

仕事をやめ、2013年10月から1年間の予定で世界一周の旅に出ました。

Profile
aoki_s

青木大地(あおき・だいち)

1986年生まれ。日本大学 芸術学部 卒業。
卒業後、大手レンタルビデオメーカーに勤務。店舗、営業を経て世界旅行のため退社。
念願のフリーライターとしてとりあえず1年は過ごせそうです。
同名義のFacebookもよければ見てください。

Facebook

第4回:カンボジア

カンボジア。生まれて初めての入国ビザを深夜バスの代理店に頼んで無事にとることができた。プノンペン観光も早々に、誕生日の日の出をアンコールワットで見るために僕はシェムリアップへと向かった。
アンコールワット

シェムリアップでは「TAKEO」「YAMATO」「IKIIKI」と3つの日本人宿が林立し、多くの日本人パッカーが滞在している。「TAKEO」の評判は悪く、安さの「YAMATO」、清潔さの「IKIKI」の2択で、僕は迷わず「YAMATO」の2$のドミトリーを選択した。

「YAMATO」ではハングリーなパッカーたちに出会えた反面、もの凄い臭い枕と謎の虫刺されにも出会うことができた。虫刺されは恐らくダニか何かで、最初に気付いた時から五角形の痕が日に日に増えていき、かなり神経を削られた。宿のスタッフに見せると塗り薬を紹介され、痒みはすぐに引いて、痕はずっと残っているという不気味な経過を辿っている。
11月9日、朝4時に1$のレンタル自転車を借りて僕はアンコールワットへと向かった。見上げた空には星。これ以上ない最高のロケーションの中で僕は完全に道を間違えてアンコールワットへと進んでいた。本来あるべきチケットオフィスを通り過ぎて着いた検問所では「3$でチケットオフィスのある10キロ先の地点まで連れていく」と嘘をつかれ、それを無視して無銭侵入しようと試みて真っ暗闇の中、番犬に追われたりと散々な目に遭った。結局、自力でチケットオフィスを探し当てギリギリで朝日を拝むことができた。
少し道を間違えただけの観光客=ビジネスチャンス という図式には勉強させられた。とはいえ、アンコールワットにはチケットオフィスは1つしかなく、検問所は幾つもあるという情報がどこにもなかったことが不思議に思えた。

シェムリアップでの遺跡観光で人気なのが「ベンメリア」と「プレアヴィヒア」だ。僕がシェムリアップを後にした日、プレアヴィヒアが国際裁判で正式にカンボジア領土になるという記念すべき日を迎えた。カンボジア・ラオス・タイが見渡せるこの世界遺産の景勝地へは乗り合いバスをシェアし、人を集めた方が安くなるという形式の上で、多くのパッカーが街に繰り出して新しい仲間を探すためにナンパまがいのことを繰り返す日々が続いている。

日程的にどちらかを選ぶ必要があった僕はベンメリアを選んだ。決め手は「観光客が少なくて、アスレチックみたいな遺跡だよ」というドミトリーで出会ったパッカーの言葉だった。5人でトゥクトゥクをシェアして1人5$、入場料も併せて10$という安さも魅力的だった。
悪路の中を片道2時間、ベンメリアはまさにアスレチック遺跡だった。チケットを見せればあとは無法地帯で、3分もすれば童心に帰って遺跡の中を縦横無尽に飛び回れる。「遺跡なのにこんなことしていいのかな?」という疑問は、地元の子どもたちが遊んでいるのを見てすぐに振り払われる。ただ、子どもたちが曲者だった。
アンコールワット

仲間のうちの1人がこの子どもに接触し、遺跡の中を簡単にガイドしてもらうという展開に発展した。気軽に遺跡の中をジャンプし、後をついて回ると、それは楽しい時間が流れた。途中、何度か「お金は払わないよ」と確認していたのにも関わらず、案の定遺跡を1周すると「マネー、チップ」コールが始まった。子どもたちは最初に接触した日本人に狙いを定め、執拗につきまとった。終いには持っていたパチンコで木の実を使って威嚇射撃をするまでになった。ここで問題なのは払うべきかどうかということだった。「払わない」という問いに「イエス」と答えた子どもたち、ついて回ってしまった僕たち。どちらにも責任がある。少し考えただけで根の深い、先進国と途上国の現状が横たわっている気がした。困っていると、見兼ねたお土産売りのおばさんが子どもたちを叱りつけ、子どもたちはどこかへと逃げていってしまった。木の実が遺跡にぶつかって割れる音が少し哀しく、いつまでも響いている気がした。
アンコールワット

プレアヴィヒアを諦めてまで僕が見たかったのは、タイのチェンマイで行われるロイクラトーンというお祭りだった。長居したかったカンボジアを後にして、僕は日本人宿の皆で値切った8.5$のバスチケットを片手にバンコクへと進んだ。

次回はタイ・チェンマイ、ラオスへの移動を記します。


12月2日現在、僕はデモの続くバンコクに居ます。カオサンから程近い場所では集会が行われ、未だ多くの人が声を上げ、拍手をしたりしていますが、暴動や事件に発展する様子はありません。集会所には観光客は皆無で、近寄らなければ安全という情報がゲストハウスや駅のインフォメーションで流れています。
デモの様子


今回のルート
とりあえずの予定コース:上海→杭州→南寧→ベトナム→ハノイ→ホーチミン→カンボジア、チェンマイ…、以降東南アジアからインド、トルコ、ヨーロッパ、アフリカ、アメリカ、南米と巡る予定

3b. 世界一周ノート 第4回


3b. 世界一周ノート 青木大地

仕事をやめ、2013年10月から1年間の予定で世界一周の旅に出ました。

Profile
aoki_s

青木大地(あおき・だいち)

1986年生まれ。日本大学 芸術学部 卒業。
卒業後、大手レンタルビデオメーカーに勤務。店舗、営業を経て世界旅行のため退社。
念願のフリーライターとしてとりあえず1年は過ごせそうです。
同名義のFacebookもよければ見てください。

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第4回:カンボジア

カンボジア。生まれて初めての入国ビザを深夜バスの代理店に頼んで無事にとることができた。プノンペン観光も早々に、誕生日の日の出をアンコールワットで見るために僕はシェムリアップへと向かった。
アンコールワット

シェムリアップでは「TAKEO」「YAMATO」「IKIIKI」と3つの日本人宿が林立し、多くの日本人パッカーが滞在している。「TAKEO」の評判は悪く、安さの「YAMATO」、清潔さの「IKIKI」の2択で、僕は迷わず「YAMATO」の2$のドミトリーを選択した。

「YAMATO」ではハングリーなパッカーたちに出会えた反面、もの凄い臭い枕と謎の虫刺されにも出会うことができた。虫刺されは恐らくダニか何かで、最初に気付いた時から五角形の痕が日に日に増えていき、かなり神経を削られた。宿のスタッフに見せると塗り薬を紹介され、痒みはすぐに引いて、痕はずっと残っているという不気味な経過を辿っている。
11月9日、朝4時に1$のレンタル自転車を借りて僕はアンコールワットへと向かった。見上げた空には星。これ以上ない最高のロケーションの中で僕は完全に道を間違えてアンコールワットへと進んでいた。本来あるべきチケットオフィスを通り過ぎて着いた検問所では「3$でチケットオフィスのある10キロ先の地点まで連れていく」と嘘をつかれ、それを無視して無銭侵入しようと試みて真っ暗闇の中、番犬に追われたりと散々な目に遭った。結局、自力でチケットオフィスを探し当てギリギリで朝日を拝むことができた。
少し道を間違えただけの観光客=ビジネスチャンス という図式には勉強させられた。とはいえ、アンコールワットにはチケットオフィスは1つしかなく、検問所は幾つもあるという情報がどこにもなかったことが不思議に思えた。

シェムリアップでの遺跡観光で人気なのが「ベンメリア」と「プレアヴィヒア」だ。僕がシェムリアップを後にした日、プレアヴィヒアが国際裁判で正式にカンボジア領土になるという記念すべき日を迎えた。カンボジア・ラオス・タイが見渡せるこの世界遺産の景勝地へは乗り合いバスをシェアし、人を集めた方が安くなるという形式の上で、多くのパッカーが街に繰り出して新しい仲間を探すためにナンパまがいのことを繰り返す日々が続いている。

日程的にどちらかを選ぶ必要があった僕はベンメリアを選んだ。決め手は「観光客が少なくて、アスレチックみたいな遺跡だよ」というドミトリーで出会ったパッカーの言葉だった。5人でトゥクトゥクをシェアして1人5$、入場料も併せて10$という安さも魅力的だった。
悪路の中を片道2時間、ベンメリアはまさにアスレチック遺跡だった。チケットを見せればあとは無法地帯で、3分もすれば童心に帰って遺跡の中を縦横無尽に飛び回れる。「遺跡なのにこんなことしていいのかな?」という疑問は、地元の子どもたちが遊んでいるのを見てすぐに振り払われる。ただ、子どもたちが曲者だった。
アンコールワット

仲間のうちの1人がこの子どもに接触し、遺跡の中を簡単にガイドしてもらうという展開に発展した。気軽に遺跡の中をジャンプし、後をついて回ると、それは楽しい時間が流れた。途中、何度か「お金は払わないよ」と確認していたのにも関わらず、案の定遺跡を1周すると「マネー、チップ」コールが始まった。子どもたちは最初に接触した日本人に狙いを定め、執拗につきまとった。終いには持っていたパチンコで木の実を使って威嚇射撃をするまでになった。ここで問題なのは払うべきかどうかということだった。「払わない」という問いに「イエス」と答えた子どもたち、ついて回ってしまった僕たち。どちらにも責任がある。少し考えただけで根の深い、先進国と途上国の現状が横たわっている気がした。困っていると、見兼ねたお土産売りのおばさんが子どもたちを叱りつけ、子どもたちはどこかへと逃げていってしまった。木の実が遺跡にぶつかって割れる音が少し哀しく、いつまでも響いている気がした。
アンコールワット

プレアヴィヒアを諦めてまで僕が見たかったのは、タイのチェンマイで行われるロイクラトーンというお祭りだった。長居したかったカンボジアを後にして、僕は日本人宿の皆で値切った8.5$のバスチケットを片手にバンコクへと進んだ。

次回はタイ・チェンマイ、ラオスへの移動を記します。


12月2日現在、僕はデモの続くバンコクに居ます。カオサンから程近い場所では集会が行われ、未だ多くの人が声を上げ、拍手をしたりしていますが、暴動や事件に発展する様子はありません。集会所には観光客は皆無で、近寄らなければ安全という情報がゲストハウスや駅のインフォメーションで流れています。
デモの様子


今回のルート
とりあえずの予定コース:上海→杭州→南寧→ベトナム→ハノイ→ホーチミン→カンボジア、チェンマイ…、以降東南アジアからインド、トルコ、ヨーロッパ、アフリカ、アメリカ、南米と巡る予定