3c. 世界一周ノート 青木大地

仕事をやめ、2013年10月から1年間の予定で世界一周の旅に出ました。2014年11月帰国。

Profile
aoki_s

青木大地(あおき・だいち)

1986年生まれ。日本大学 芸術学部 卒業。
卒業後、大手レンタルビデオメーカーに勤務。店舗、営業を経て世界旅行のため退社→帰国→セカシュー。

Facebook

3b. 世界一周ノート 第49回:セカシュー紀行-その3

前回はこちら

「僕のセカシュー」

バックパッカーは帰国したら何をするのか?これは割と気になることだと思う。バックパッカーの帰国後は大きく分けて2種類あると思う。1つめは、資格があったり、確実に需要のある仕事を辞めて旅をするタイプだ。こういう人たちは手に職があったり、少し長旅に出たりしてもすぐに元の職種に戻れる算段のある「趣味型」だと思う。具体的には薬剤師やレントゲン技師など、医療関係に従事している人たちが多かった。そして2つめが何の当てもなく旅に出てしまった「人生放棄型」だ。このタイプの人たちは割と儚げに旅に幻想を抱き、本気の自分探しに勤しんでいる節がある。この「人生放棄型」は帰国すると何か適当に仕事をしてお金を貯めて、再度旅に出るという悪癖の持ち主が多い。一概には言えないけれど、この2分化は割と的を得ていると思う。
「人生放棄型」の僕は、元々はしがないレンタルビデオ店の店員なので、帰国してからのプランなんて全くなかった。もっと旅を続けたい、海外でも日銭を稼ぐだけなら割と簡単だと知ってしまった時、その気持ちはどんどん強くなって僕は帰国後の自分の将来を「人生放棄型」のクソバックパッカーだと信じて止まなかった。

実際、帰国してからの僕は元々働いていたレンタルビデオ店にバイトとして返り咲いた。就活も軒並み落ちて、世界一周旅行者のプライドに反してそう言ったありふれた人材への需要のなさに絶望しかけていた。

NYのシェアハウスの居候時代に一緒に暮らしていたTさんが一時帰国したのはそんな時だった。Tさんは僕と生活のリズムが似ていて、一緒に食事をしたり、Tさんの通う日本人コミュニティのサッカーチームの練習に混ぜてくれたりして、とてもお世話になった人だった。NYでもすぐに就労ビザを取得するような、器用な人だった。TさんはNYで話半分に僕に日本での仕事先を紹介するなんて言ってくれたりしていて、その時はまさか本当にそうなろうとは思ってもみなかった。

Tさんは一時帰国の間に僕に日本で勤めていた会社の人たちを紹介してくれた。たまたま人出の足りない部署があって、僕はアルバイトからというかたちでその会社で働くことになった。そこから僕はTさんの勤めていた会社で働き始め、半年後に契約社員に登用してもらった。

かくして僕は運良く逆輸入版セカシューに成功することができた。自分でも驚くほどにあっさりと、何の努力もせずに仕事にありつくことができた。28歳の何のスキルもない僕が契約社員とはいえ、立派に社会人としてカムバックすることができたことは、今でもちょっと信じ難いほどだ。もしかしたらこのまま頑張って、正社員になれるのかもという淡い期待を抱いて、今は暮らしている。

ただ、時々思うことがある。「あ~、どっか行きて~な~。誰にも邪魔されず、汚い安宿でネットサーフィンして、暮らしたいな~」と。
僕が世界一周旅行で見つけた本当の自分は、どうしようもなくダメな自分だった。だから今でもストレスを溜め続け、生きている。

IMG_0172

3c. 世界一周ノート 第49回:セカシュー紀行-その3


3c. 世界一周ノート 青木大地

仕事をやめ、2013年10月から1年間の予定で世界一周の旅に出ました。2014年11月帰国。

Profile
aoki_s

青木大地(あおき・だいち)

1986年生まれ。日本大学 芸術学部 卒業。
卒業後、大手レンタルビデオメーカーに勤務。店舗、営業を経て世界旅行のため退社→帰国→セカシュー。

Facebook

3b. 世界一周ノート 第49回:セカシュー紀行-その3

前回はこちら

「僕のセカシュー」

バックパッカーは帰国したら何をするのか?これは割と気になることだと思う。バックパッカーの帰国後は大きく分けて2種類あると思う。1つめは、資格があったり、確実に需要のある仕事を辞めて旅をするタイプだ。こういう人たちは手に職があったり、少し長旅に出たりしてもすぐに元の職種に戻れる算段のある「趣味型」だと思う。具体的には薬剤師やレントゲン技師など、医療関係に従事している人たちが多かった。そして2つめが何の当てもなく旅に出てしまった「人生放棄型」だ。このタイプの人たちは割と儚げに旅に幻想を抱き、本気の自分探しに勤しんでいる節がある。この「人生放棄型」は帰国すると何か適当に仕事をしてお金を貯めて、再度旅に出るという悪癖の持ち主が多い。一概には言えないけれど、この2分化は割と的を得ていると思う。
「人生放棄型」の僕は、元々はしがないレンタルビデオ店の店員なので、帰国してからのプランなんて全くなかった。もっと旅を続けたい、海外でも日銭を稼ぐだけなら割と簡単だと知ってしまった時、その気持ちはどんどん強くなって僕は帰国後の自分の将来を「人生放棄型」のクソバックパッカーだと信じて止まなかった。

実際、帰国してからの僕は元々働いていたレンタルビデオ店にバイトとして返り咲いた。就活も軒並み落ちて、世界一周旅行者のプライドに反してそう言ったありふれた人材への需要のなさに絶望しかけていた。

NYのシェアハウスの居候時代に一緒に暮らしていたTさんが一時帰国したのはそんな時だった。Tさんは僕と生活のリズムが似ていて、一緒に食事をしたり、Tさんの通う日本人コミュニティのサッカーチームの練習に混ぜてくれたりして、とてもお世話になった人だった。NYでもすぐに就労ビザを取得するような、器用な人だった。TさんはNYで話半分に僕に日本での仕事先を紹介するなんて言ってくれたりしていて、その時はまさか本当にそうなろうとは思ってもみなかった。

Tさんは一時帰国の間に僕に日本で勤めていた会社の人たちを紹介してくれた。たまたま人出の足りない部署があって、僕はアルバイトからというかたちでその会社で働くことになった。そこから僕はTさんの勤めていた会社で働き始め、半年後に契約社員に登用してもらった。

かくして僕は運良く逆輸入版セカシューに成功することができた。自分でも驚くほどにあっさりと、何の努力もせずに仕事にありつくことができた。28歳の何のスキルもない僕が契約社員とはいえ、立派に社会人としてカムバックすることができたことは、今でもちょっと信じ難いほどだ。もしかしたらこのまま頑張って、正社員になれるのかもという淡い期待を抱いて、今は暮らしている。

ただ、時々思うことがある。「あ~、どっか行きて~な~。誰にも邪魔されず、汚い安宿でネットサーフィンして、暮らしたいな~」と。
僕が世界一周旅行で見つけた本当の自分は、どうしようもなくダメな自分だった。だから今でもストレスを溜め続け、生きている。

IMG_0172