3b. 世界一周ノート 青木大地

仕事をやめ、2013年10月から1年間の予定で世界一周の旅に出ました。2014年11月帰国。

Profile
aoki_s

青木大地(あおき・だいち)

1986年生まれ。日本大学 芸術学部 卒業。
卒業後、大手レンタルビデオメーカーに勤務。店舗、営業を経て世界旅行のため退社→帰国→セカシュー。

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3b. 世界一周ノート 第47回:セカシュー紀行-その1

世の中は空前の旅ブーム。学生旅行から社会人の休日まで、本当に多くの情報が出回っている。今ではベトナムのダナンが人気を呼ぶなど、ニーズは拡散し、日本人の触手も多様さを増して伸びつつあるように思う。

そんな中で「セカシュー」という言葉をよく耳にするようになった。旅先での出会いやコネを通じて、世界のどこかで就職することを指すこの言葉は、旅ブームのひとつのムーブメントとしての役割に加えて、少し海外ダークサイド的な要素を含んでいる気がした。本メルマガでも連載のある下川祐治さんの著書「日本を降りる若者たち」で描かれているような、日本での生活をドロップアウトした人たちの世界がそこには広がっているのかもしれない。
今回はそんなセカシューについて、「シドニー」「ニューヨーク」そして実際にセカシューに成功!?した自分自身を例にして書いてみようと思う。

シドニーでのセカシュー

言わずも知れたワーホリの聖地、オーストラリアで僕は飲食店でのアルバイトをしていた。そこには数多くのドロップアウターたちが生息していた。
街並み

[case01 Hさん]
彼は30代前半の日本人で、オーストラリアでの生活も5年越えのベテラン選手だった。ワーホリの期限は2年、しかも30歳までという期限つきなのに対して、彼はその全てをオーバーした状態での滞在をしていた。もちろん勤務時間も法定オーバーだった。彼は観光ビザと学生ビザをやりくりしながらなんとかシドニーに踏みとどまっていた。レストランのシェフとして生活し、永住権を持ったアジア人の恋人が居た。ワーホリをきっかけに滞在し、レストラン内のアルバイトリーダーとして無敵の権力を振るっていたHさんは気難しく、仕事にも厳しいため、あまり和気藹々とした雰囲気の飲み会なんかにもあまり顔を出さないタイプの人だった。何度か閉店作業で2人きりになって話をする機会があって、僕は色々と聞いてみた。Hさんは日本での税金関係の支払いなどはしておらず、オーストラリアでも割とギリギリの生活をしていた。「もう日本に帰っても自分の価値はない」と口癖のように言っていて、人生の選択肢はシドニーでの就職、彼女との結婚で永住権を得る、違法ギリギリの状態を続けるかに絞られてきていた。それでもHさんは無為に時を過ごすことを選択しているように思えた。ここで重要なのは、シドニーでの就職(永住権を取得すること)は割と簡単だということだ。3か月しか働いていない僕でさえ社長さんから就職を勧められた。海外での人材はそれほどまでに不足している場合があるのだ。
それでもHさんは頑なに現状維持にこだわっていた。実は、似たような状況に陥っている人は他に何人も居た。日本人に関わらず、韓国人にもその傾向は見られた。彼らに共通して安定志向はなく、旅をしないバックパッカーのような、中二病患者のように見えた。
法を犯しての滞在ではなく、ギリギリのラインを保ち続ける彼らはきっとそれなりの常識もあるはずだった。海外経験を活かし、それなりの生活も日本で手に入れることのできるスペックを持っている彼らは何故シドニーでの生活にこだわるのだろうか?果てしない自意識のがんじがらめ状態の日本人が、シドニーには腐るほど溢れていた。
キッチン

[case02 Yさん]
韓国人のYさんは、本格的にセカシューを目論んでいた。彼もまたシェフとしてシドニーで働いていた。レストランでもビザ修得を前提に雇われていて、準社員のような形で少し給料もよく、労働時間も多かった。ただ、彼は迷っていた。Yさんは妻帯者で、韓国には娘も居た。シェアハウスで暮らし、本国へは仕送りもしていた。それなのに・・・Yさんは遅刻欠勤の常習者で、女癖も悪かった。バイトの日本人の女の子に手を出して問題になったり、シェアハウスでも同様の問題を起こすなどして、社員登用への道が頓挫しかけていた。Yさんは帰国をほのめかすようなことも時々口にしていた。セカシューへの道は時に険しいのかもしれない。
店内

聞こえはいいセカシューも、ビザや税金、生活保障の面では常に危険と隣り合わせとなる。将来への不安は常に付き纏うという点では、日本での就活よりもハードルは高いのかもしれない。レストランの社長のように一軒家と自家用車を持って家族を養う世間一般の勝者への道は、やはりシドニーでも遠いように思えた。

次回は完全に不法滞在・不法就労をしてでも滞在にこだわる底辺のニューヨーカーについて記します。

3b. 世界一周ノート 第47回:セカシュー紀行-その1


3b. 世界一周ノート 青木大地

仕事をやめ、2013年10月から1年間の予定で世界一周の旅に出ました。2014年11月帰国。

Profile
aoki_s

青木大地(あおき・だいち)

1986年生まれ。日本大学 芸術学部 卒業。
卒業後、大手レンタルビデオメーカーに勤務。店舗、営業を経て世界旅行のため退社→帰国→セカシュー。

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3b. 世界一周ノート 第47回:セカシュー紀行-その1

世の中は空前の旅ブーム。学生旅行から社会人の休日まで、本当に多くの情報が出回っている。今ではベトナムのダナンが人気を呼ぶなど、ニーズは拡散し、日本人の触手も多様さを増して伸びつつあるように思う。

そんな中で「セカシュー」という言葉をよく耳にするようになった。旅先での出会いやコネを通じて、世界のどこかで就職することを指すこの言葉は、旅ブームのひとつのムーブメントとしての役割に加えて、少し海外ダークサイド的な要素を含んでいる気がした。本メルマガでも連載のある下川祐治さんの著書「日本を降りる若者たち」で描かれているような、日本での生活をドロップアウトした人たちの世界がそこには広がっているのかもしれない。
今回はそんなセカシューについて、「シドニー」「ニューヨーク」そして実際にセカシューに成功!?した自分自身を例にして書いてみようと思う。

シドニーでのセカシュー

言わずも知れたワーホリの聖地、オーストラリアで僕は飲食店でのアルバイトをしていた。そこには数多くのドロップアウターたちが生息していた。
街並み

[case01 Hさん]
彼は30代前半の日本人で、オーストラリアでの生活も5年越えのベテラン選手だった。ワーホリの期限は2年、しかも30歳までという期限つきなのに対して、彼はその全てをオーバーした状態での滞在をしていた。もちろん勤務時間も法定オーバーだった。彼は観光ビザと学生ビザをやりくりしながらなんとかシドニーに踏みとどまっていた。レストランのシェフとして生活し、永住権を持ったアジア人の恋人が居た。ワーホリをきっかけに滞在し、レストラン内のアルバイトリーダーとして無敵の権力を振るっていたHさんは気難しく、仕事にも厳しいため、あまり和気藹々とした雰囲気の飲み会なんかにもあまり顔を出さないタイプの人だった。何度か閉店作業で2人きりになって話をする機会があって、僕は色々と聞いてみた。Hさんは日本での税金関係の支払いなどはしておらず、オーストラリアでも割とギリギリの生活をしていた。「もう日本に帰っても自分の価値はない」と口癖のように言っていて、人生の選択肢はシドニーでの就職、彼女との結婚で永住権を得る、違法ギリギリの状態を続けるかに絞られてきていた。それでもHさんは無為に時を過ごすことを選択しているように思えた。ここで重要なのは、シドニーでの就職(永住権を取得すること)は割と簡単だということだ。3か月しか働いていない僕でさえ社長さんから就職を勧められた。海外での人材はそれほどまでに不足している場合があるのだ。
それでもHさんは頑なに現状維持にこだわっていた。実は、似たような状況に陥っている人は他に何人も居た。日本人に関わらず、韓国人にもその傾向は見られた。彼らに共通して安定志向はなく、旅をしないバックパッカーのような、中二病患者のように見えた。
法を犯しての滞在ではなく、ギリギリのラインを保ち続ける彼らはきっとそれなりの常識もあるはずだった。海外経験を活かし、それなりの生活も日本で手に入れることのできるスペックを持っている彼らは何故シドニーでの生活にこだわるのだろうか?果てしない自意識のがんじがらめ状態の日本人が、シドニーには腐るほど溢れていた。
キッチン

[case02 Yさん]
韓国人のYさんは、本格的にセカシューを目論んでいた。彼もまたシェフとしてシドニーで働いていた。レストランでもビザ修得を前提に雇われていて、準社員のような形で少し給料もよく、労働時間も多かった。ただ、彼は迷っていた。Yさんは妻帯者で、韓国には娘も居た。シェアハウスで暮らし、本国へは仕送りもしていた。それなのに・・・Yさんは遅刻欠勤の常習者で、女癖も悪かった。バイトの日本人の女の子に手を出して問題になったり、シェアハウスでも同様の問題を起こすなどして、社員登用への道が頓挫しかけていた。Yさんは帰国をほのめかすようなことも時々口にしていた。セカシューへの道は時に険しいのかもしれない。
店内

聞こえはいいセカシューも、ビザや税金、生活保障の面では常に危険と隣り合わせとなる。将来への不安は常に付き纏うという点では、日本での就活よりもハードルは高いのかもしれない。レストランの社長のように一軒家と自家用車を持って家族を養う世間一般の勝者への道は、やはりシドニーでも遠いように思えた。

次回は完全に不法滞在・不法就労をしてでも滞在にこだわる底辺のニューヨーカーについて記します。