3a. ミャンマー・ヤンゴン旅行記 ~あの歌のふるさとを訪ねて~ その1

今回から2回に渡り、ミュージシャン村上巨樹さんのミャンマー旅行記を連載します。
(注:本事例は2015年12月時点の予約可能なプランおよび費用にもとづいています。)

Profile
村上巨樹

村上巨樹

1982年岩手県生まれ。ギター奏者/作曲家。te_ri/デストリオ/石割桜などのバンドで活動。放浪芸や職業芸の研究も行っている。自主レーベル「CADISC」主宰。


 2年前、たまたまツイッターのタイムラインで目にしたミャンマーの楽団のライブ動画。あまりにも独特なサウンドに衝撃を受け、一瞬で虜となった。

 ハマったら早いもので、国内のあちこちで音源や資料を探し歩いた。高田馬場のミャンマー雑貨屋に行ったが、在庫はほぼビデオCD(動画ファイルが入ったCD-R)のみ。国会図書館に行っても、民族音楽の資料は大量にあっても、こう言った歌謡曲のものはほぼ皆無(2ページくらいしか無かった)。「こうなったら現地に行くしかない」と思い立ち、ミャンマーの旧首都・ヤンゴンへと向かった。あの音楽が生まれた場所はどういう地なのか、肌で確かめたくて。

1日目(1月18日)


 東京の友人宅を朝7時に出発し、一路成田空港へ。と思ったら外はまさかの大雪。乗る予定だった電車は急遽運休。仕方がないので押上まで向かい、そこから京成線へ乗り換え。

01
成田は雨模様。
 成田空港に到着し、無事チェックイン。今回はキャセイパシフィック航空&香港ドラゴン航空を使い、成田〜香港〜ヤンゴンと言うルート。10時35分、離陸。
 15時、香港国際空港に到着。ここで6時間50分もトランジット。これを利用し香港市内に行ってみる。目的は、僕のCDを扱ってくれているレコード店「White Noise Records」への挨拶。入国審査をすんなりパスし、電車に乗って一路香港市内へ。

02
White Noise Recordsの店内。
 突然の訪問にもかかわらず、店主は温かく迎えてくれた。そして空港にとんぼ帰り。観光一切無し。21時50分の便でヤンゴンへと向かう。

03
 23時45分、ヤンゴン国際空港到着。入国審査官にツーリストビザとパスポートを渡し、すんなり入国。両替所で米ドルからミャンマーの通貨「チャット」に両替(ヤンゴン市内では日本円はほとんど両替できない)。宿に頼んであったタクシーに乗り込み、一路宿へ。チェックインを済ませたらそのまま就寝。

2日目(1月19日)


 宿の朝食を食べながら「探す場所、どうやってアテつけるかな」と考える。現状の行く候補は、ガイドブックに載っていた市場のみ。部屋に戻ると、棚の隅にイエローページを発見。

04
 これだ!!すぐさま「music」と「record」の項をチェック。全てのお店をメモり、宿を出発。しらみつぶしに回ってみる算段。ヤンゴンのダウンタウンは碁盤の目のようになっており、西から東へ向かって「何番通り」、北から南に向かって「Upper Block」「Middle Block」「Lower Block」と名前が付いている。各店の住所には「何番通りの何ブロック」かが書いてあるので大変わかりやすい。
 とは言え、店を巡っても何も見つからない。そもそも閉まっていたり、業種が異なっていたり(音楽プロダクションとかDVD専門店とか)。仕方なしに、ガイドブックに載っていた市場へと向かう。

05
 ボージョーアウンサンマーケットはダウンタウンの北側にある市場。布屋や貴金属店、土産屋などが軒を連ねる。そんな中でCD屋を発見。店員の女性に「ミャンマーの昔の歌謡曲ってある?」と聞くと、幾つか見繕ってくれた。親切に視聴もさせてくれて、結果数枚購入。「レコードって見たことある?」と聞いてみたが(今回、北島三郎のレコードを持参し「これがレコード。これを探している」と指差し会話をした)、店員の誰もが「見たことない」と言ってた。
 次に行った店ではなんと楽譜があったので、しばらく立ち読み。説明文はビルマ語で読めないが、五線譜は共通している。良さげなものを数冊購入。レジで会計していると、店のおっちゃんが「どこから来たんだ?」と話しかけてきた。「日本から。レコードやカセットを探しに来たんだけど、レコードって見たことある?」するとおっちゃん「レコード?それならあそこの通りで売ってるぞ」マジで!?一気に胸が熱くなる。おっちゃんが店の丁稚に「おい、この日本人を案内してやれ」と言うと、丁稚が「付いてきな」と先導する。着いた先で店主に「レコード…ある?」と尋ねると、奥からごっそりとレコードが登場。しかもSP盤。遂に鉱脈にたどり着いた。手に汗握る瞬間。
 どの盤もかなり汚れていて、状態は決して良くない。それでも、約半世紀前のこの地の空気を真空パックしたレコード。買うしかない。結果、予算の許す限り購入。

06

宿に帰ってから撮った写真。
 昼食を食べた後は、引き続きイエローページのメモを手掛かりに、ダウンタウンを歩く。すると数件目でカセットテープ屋を発見。

07

 店主のおばちゃんに、日本からプリントアウトしてきたミャンマー人歌手の写真を見せ「この人のカセットテープ探してる」と伝えると、幾つか見繕ってくれた。その後で「うちにあるのはこれくらい。他の人のカセットは今無いけど、ちょっと待ってくれるなら近所の店から持ってこれるよ」とおばちゃん。「オッケー、待つ待つ」と伝えると、しばらくの間おばちゃんと世間話。少しずつ打ち解けて、おばちゃんもウェルカムになってきた。かわいい孫の写真も見せてくれたし。
 1時間後、待ってたカセットが到着。会計を済ませ、おばちゃんに「また来るね」と挨拶。すると「あんた、Facebookはやってるかい?」と聞かれた。イエスと答えると「じゃああんたのアカウント教えてよ。フレンド申請したいからさ」。え!おばちゃん(62歳)Facebookやってんの!?凄いな。
 気付いたらもう夕方。宿に帰る途中、ダウンタウンの中央に位置するスーレー・パヤーへ。せっかくなので参拝する。

08

 宿に戻り、一旦休憩。1月のヤンゴンは日本で言うと初夏ぐらいの暑さ。日差しも強くただただ暑い。水分補給とシャワーは必須。
 休憩後、宿を出るととっぷり日暮れ。懐中電灯を照らしながら(ヤンゴンは側溝が多い)再びダウンタン中心部へと向かう。目的は、ミャンマーの伝統芸能の人形劇を見るため。

09

 料金は10000チャット(約1000円)。開演冒頭、人形劇の歴史やこの劇団の活動実績、人形の基本的な操り方などを説明。それが終わるといよいよ開演。

 上演中は撮影OK。予想以上にアクロバティックで驚く。伴奏の楽団がカラオケだったのが残念。てっきり生演奏が聞けるかなと思っていたので。ライブは明日に持ち越しだな。終演後は人形&人形使いの皆さんと記念写真。そして宿に戻って就寝。

3a. tabinote旅行記 ミャンマー・ヤンゴン旅行記 ~あの歌のふるさとを訪ねて~


3a. ミャンマー・ヤンゴン旅行記 ~あの歌のふるさとを訪ねて~ その1

今回から2回に渡り、ミュージシャン村上巨樹さんのミャンマー旅行記を連載します。
(注:本事例は2015年12月時点の予約可能なプランおよび費用にもとづいています。)

Profile
村上巨樹

村上巨樹

1982年岩手県生まれ。ギター奏者/作曲家。te_ri/デストリオ/石割桜などのバンドで活動。放浪芸や職業芸の研究も行っている。自主レーベル「CADISC」主宰。


 2年前、たまたまツイッターのタイムラインで目にしたミャンマーの楽団のライブ動画。あまりにも独特なサウンドに衝撃を受け、一瞬で虜となった。

 ハマったら早いもので、国内のあちこちで音源や資料を探し歩いた。高田馬場のミャンマー雑貨屋に行ったが、在庫はほぼビデオCD(動画ファイルが入ったCD-R)のみ。国会図書館に行っても、民族音楽の資料は大量にあっても、こう言った歌謡曲のものはほぼ皆無(2ページくらいしか無かった)。「こうなったら現地に行くしかない」と思い立ち、ミャンマーの旧首都・ヤンゴンへと向かった。あの音楽が生まれた場所はどういう地なのか、肌で確かめたくて。

1日目(1月18日)


 東京の友人宅を朝7時に出発し、一路成田空港へ。と思ったら外はまさかの大雪。乗る予定だった電車は急遽運休。仕方がないので押上まで向かい、そこから京成線へ乗り換え。

01
成田は雨模様。
 成田空港に到着し、無事チェックイン。今回はキャセイパシフィック航空&香港ドラゴン航空を使い、成田〜香港〜ヤンゴンと言うルート。10時35分、離陸。
 15時、香港国際空港に到着。ここで6時間50分もトランジット。これを利用し香港市内に行ってみる。目的は、僕のCDを扱ってくれているレコード店「White Noise Records」への挨拶。入国審査をすんなりパスし、電車に乗って一路香港市内へ。

02
White Noise Recordsの店内。
 突然の訪問にもかかわらず、店主は温かく迎えてくれた。そして空港にとんぼ帰り。観光一切無し。21時50分の便でヤンゴンへと向かう。

03
 23時45分、ヤンゴン国際空港到着。入国審査官にツーリストビザとパスポートを渡し、すんなり入国。両替所で米ドルからミャンマーの通貨「チャット」に両替(ヤンゴン市内では日本円はほとんど両替できない)。宿に頼んであったタクシーに乗り込み、一路宿へ。チェックインを済ませたらそのまま就寝。

2日目(1月19日)


 宿の朝食を食べながら「探す場所、どうやってアテつけるかな」と考える。現状の行く候補は、ガイドブックに載っていた市場のみ。部屋に戻ると、棚の隅にイエローページを発見。

04
 これだ!!すぐさま「music」と「record」の項をチェック。全てのお店をメモり、宿を出発。しらみつぶしに回ってみる算段。ヤンゴンのダウンタウンは碁盤の目のようになっており、西から東へ向かって「何番通り」、北から南に向かって「Upper Block」「Middle Block」「Lower Block」と名前が付いている。各店の住所には「何番通りの何ブロック」かが書いてあるので大変わかりやすい。
 とは言え、店を巡っても何も見つからない。そもそも閉まっていたり、業種が異なっていたり(音楽プロダクションとかDVD専門店とか)。仕方なしに、ガイドブックに載っていた市場へと向かう。

05
 ボージョーアウンサンマーケットはダウンタウンの北側にある市場。布屋や貴金属店、土産屋などが軒を連ねる。そんな中でCD屋を発見。店員の女性に「ミャンマーの昔の歌謡曲ってある?」と聞くと、幾つか見繕ってくれた。親切に視聴もさせてくれて、結果数枚購入。「レコードって見たことある?」と聞いてみたが(今回、北島三郎のレコードを持参し「これがレコード。これを探している」と指差し会話をした)、店員の誰もが「見たことない」と言ってた。
 次に行った店ではなんと楽譜があったので、しばらく立ち読み。説明文はビルマ語で読めないが、五線譜は共通している。良さげなものを数冊購入。レジで会計していると、店のおっちゃんが「どこから来たんだ?」と話しかけてきた。「日本から。レコードやカセットを探しに来たんだけど、レコードって見たことある?」するとおっちゃん「レコード?それならあそこの通りで売ってるぞ」マジで!?一気に胸が熱くなる。おっちゃんが店の丁稚に「おい、この日本人を案内してやれ」と言うと、丁稚が「付いてきな」と先導する。着いた先で店主に「レコード…ある?」と尋ねると、奥からごっそりとレコードが登場。しかもSP盤。遂に鉱脈にたどり着いた。手に汗握る瞬間。
 どの盤もかなり汚れていて、状態は決して良くない。それでも、約半世紀前のこの地の空気を真空パックしたレコード。買うしかない。結果、予算の許す限り購入。

06

宿に帰ってから撮った写真。
 昼食を食べた後は、引き続きイエローページのメモを手掛かりに、ダウンタウンを歩く。すると数件目でカセットテープ屋を発見。

07

 店主のおばちゃんに、日本からプリントアウトしてきたミャンマー人歌手の写真を見せ「この人のカセットテープ探してる」と伝えると、幾つか見繕ってくれた。その後で「うちにあるのはこれくらい。他の人のカセットは今無いけど、ちょっと待ってくれるなら近所の店から持ってこれるよ」とおばちゃん。「オッケー、待つ待つ」と伝えると、しばらくの間おばちゃんと世間話。少しずつ打ち解けて、おばちゃんもウェルカムになってきた。かわいい孫の写真も見せてくれたし。
 1時間後、待ってたカセットが到着。会計を済ませ、おばちゃんに「また来るね」と挨拶。すると「あんた、Facebookはやってるかい?」と聞かれた。イエスと答えると「じゃああんたのアカウント教えてよ。フレンド申請したいからさ」。え!おばちゃん(62歳)Facebookやってんの!?凄いな。
 気付いたらもう夕方。宿に帰る途中、ダウンタウンの中央に位置するスーレー・パヤーへ。せっかくなので参拝する。

08

 宿に戻り、一旦休憩。1月のヤンゴンは日本で言うと初夏ぐらいの暑さ。日差しも強くただただ暑い。水分補給とシャワーは必須。
 休憩後、宿を出るととっぷり日暮れ。懐中電灯を照らしながら(ヤンゴンは側溝が多い)再びダウンタン中心部へと向かう。目的は、ミャンマーの伝統芸能の人形劇を見るため。

09

 料金は10000チャット(約1000円)。開演冒頭、人形劇の歴史やこの劇団の活動実績、人形の基本的な操り方などを説明。それが終わるといよいよ開演。

 上演中は撮影OK。予想以上にアクロバティックで驚く。伴奏の楽団がカラオケだったのが残念。てっきり生演奏が聞けるかなと思っていたので。ライブは明日に持ち越しだな。終演後は人形&人形使いの皆さんと記念写真。そして宿に戻って就寝。