3b. 世界一周ノート 青木大地

仕事をやめ、2013年10月から1年間の予定で世界一周の旅に出ました。2014年11月帰国。

Profile
aoki_s

青木大地(あおき・だいち)

1986年生まれ。日本大学 芸術学部 卒業。
卒業後、大手レンタルビデオメーカーに勤務。店舗、営業を経て世界旅行のため退社→帰国→セカシュー。

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3b. 世界一周ノート 第44回:世界旅行とお金の話

僕が「長期の旅行に出たことがある」と誰かに言うと、必ず聞かれることがある。それは「いったい幾らかかったのか?」ということだ。お金の話は皆知りたがるし、やっぱり単純に興味のそそられる議題なのだと思う。だから僕なりに1年の予算を洗い出してみたいと思う。

出国当時、僕の予算は130万円程度だった。これは多いのか少ないのかわからないけれど、ある程度の貧乏旅を覚悟せざる得ない金額だとは思う。旅は中国、アジアと巡る旅程から始まったので最初はほとんどお金がかからなかった。1ヶ月バンコクで沈没したことを考慮しても、月に10万円かからないくらいで過ごすことができた。もちろん、移動費も含めての金額だ。移動は飛行機は使わず基本的に公共交通機関を乗り継いで節約していた。安宿を渡り歩いて、だいたい一泊500円程度が目安だった。
ラオス川下り2
(ラオス川下り)

カンボジアの鉄道2
(カンボジアの鉄道)

屋台2
(屋台)

ただ、ここでの3ヶ月あまりで僕はこの後ヨーロッパー・アフリカ・アメリカ南米・・・と考えた時に到底今の金額では世界一周旅行に足りていないことに気がついた。アジアの中でならいくらでも過ごせるとは思ったけれど、今後の飛行機代や生活費が明らかに足りないと感じた。そこで、オーストラリアへのワーホリを決行し、3ヶ月お金を稼ぐことにした。結果としてこれは成功で、30万円程を貯金することができた。この金額はオーストラリアでの国内周遊や書けないあれやこれやの温かい話の差し引きも含むので、まずまずといった内容だったと思う。
オーストラリアのお金2
(オーストラリアのお金)

この後インド・トルコまでは順調に過ごすことができ、僕はあまりお金のことは考えなくなってヨーロッパを巡った。半ば早歩きでもやはり飛行機は使わずバスやフェリーで旅を続けていた。
転機が訪れたのはアフリカで、強引に旅程を進めるために飛行機を4度利用してしまった。更に強盗に遭ってだいぶお金を失ってしまった。損失の現金は2万円くらいで済んだけれど、パズポートを奪われたので、NY行きのチケット15万円程が吹っ飛んだ。
フェリー_R
(フェリー)

飛行機_R
(飛行機)

なんとか諦めずNYでは知り合いの家に居候をさせてもらい、またもやアルバイトで10万円程を貯めることができた。そして最後は南米を巡り、アルゼンチンから帰国という流れになった。南米では米ドルが強く、ここでの10万円はかなり重宝した。


さて、日本に帰ってきての残金はと言うと・・・もう何も残っていなかった。それどころか親や恋人に南アフリカで往生している間に買ってもらった航空券代金などの支払いも済んでいなかった。
ここまでの話をトータルすると、居候などのラッキーはあるにせよ、資金が130万円+オーストラリアの30万円+NYの10万円=170万円。そしてそれらは全て使い切って、残った借金がだいたい70万円くらいだった。
ただ、僕は旅行中も律儀に国民保険・年金・生命保険を支払っていたので、それが1年で70万円くらいだった。
以上を鑑みると、僕の世界一周の純粋な総費用は概算で170万円くらいだということがわかった。

だから僕はいつも「色々あって170万円くらいかな?」と答えるようにしている。
高いか安いかは価値観によるけれど、僕は少し高かったなと感じている。主な出費の原因は交通費で、ヒッチハイカーやチャリダーに転身すればあと1年くらいは旅を続けられたように思う。ワーホリや不法就労を利用すればそれこそ無限に旅は続けられたようにも思う。

次に多い質問は「自分探しの旅は終わったのか?」という手の内容だ。これに対しては即答で、「170万円使って、借金まで背負った割には見つからない」と言うようにしている。


次回は世界の安宿事情を記します。

3b. 世界一周ノート 第44回:世界旅行とお金の話


3b. 世界一周ノート 青木大地

仕事をやめ、2013年10月から1年間の予定で世界一周の旅に出ました。2014年11月帰国。

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aoki_s

青木大地(あおき・だいち)

1986年生まれ。日本大学 芸術学部 卒業。
卒業後、大手レンタルビデオメーカーに勤務。店舗、営業を経て世界旅行のため退社→帰国→セカシュー。

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3b. 世界一周ノート 第44回:世界旅行とお金の話

僕が「長期の旅行に出たことがある」と誰かに言うと、必ず聞かれることがある。それは「いったい幾らかかったのか?」ということだ。お金の話は皆知りたがるし、やっぱり単純に興味のそそられる議題なのだと思う。だから僕なりに1年の予算を洗い出してみたいと思う。

出国当時、僕の予算は130万円程度だった。これは多いのか少ないのかわからないけれど、ある程度の貧乏旅を覚悟せざる得ない金額だとは思う。旅は中国、アジアと巡る旅程から始まったので最初はほとんどお金がかからなかった。1ヶ月バンコクで沈没したことを考慮しても、月に10万円かからないくらいで過ごすことができた。もちろん、移動費も含めての金額だ。移動は飛行機は使わず基本的に公共交通機関を乗り継いで節約していた。安宿を渡り歩いて、だいたい一泊500円程度が目安だった。
ラオス川下り2
(ラオス川下り)

カンボジアの鉄道2
(カンボジアの鉄道)

屋台2
(屋台)

ただ、ここでの3ヶ月あまりで僕はこの後ヨーロッパー・アフリカ・アメリカ南米・・・と考えた時に到底今の金額では世界一周旅行に足りていないことに気がついた。アジアの中でならいくらでも過ごせるとは思ったけれど、今後の飛行機代や生活費が明らかに足りないと感じた。そこで、オーストラリアへのワーホリを決行し、3ヶ月お金を稼ぐことにした。結果としてこれは成功で、30万円程を貯金することができた。この金額はオーストラリアでの国内周遊や書けないあれやこれやの温かい話の差し引きも含むので、まずまずといった内容だったと思う。
オーストラリアのお金2
(オーストラリアのお金)

この後インド・トルコまでは順調に過ごすことができ、僕はあまりお金のことは考えなくなってヨーロッパを巡った。半ば早歩きでもやはり飛行機は使わずバスやフェリーで旅を続けていた。
転機が訪れたのはアフリカで、強引に旅程を進めるために飛行機を4度利用してしまった。更に強盗に遭ってだいぶお金を失ってしまった。損失の現金は2万円くらいで済んだけれど、パズポートを奪われたので、NY行きのチケット15万円程が吹っ飛んだ。
フェリー_R
(フェリー)

飛行機_R
(飛行機)

なんとか諦めずNYでは知り合いの家に居候をさせてもらい、またもやアルバイトで10万円程を貯めることができた。そして最後は南米を巡り、アルゼンチンから帰国という流れになった。南米では米ドルが強く、ここでの10万円はかなり重宝した。


さて、日本に帰ってきての残金はと言うと・・・もう何も残っていなかった。それどころか親や恋人に南アフリカで往生している間に買ってもらった航空券代金などの支払いも済んでいなかった。
ここまでの話をトータルすると、居候などのラッキーはあるにせよ、資金が130万円+オーストラリアの30万円+NYの10万円=170万円。そしてそれらは全て使い切って、残った借金がだいたい70万円くらいだった。
ただ、僕は旅行中も律儀に国民保険・年金・生命保険を支払っていたので、それが1年で70万円くらいだった。
以上を鑑みると、僕の世界一周の純粋な総費用は概算で170万円くらいだということがわかった。

だから僕はいつも「色々あって170万円くらいかな?」と答えるようにしている。
高いか安いかは価値観によるけれど、僕は少し高かったなと感じている。主な出費の原因は交通費で、ヒッチハイカーやチャリダーに転身すればあと1年くらいは旅を続けられたように思う。ワーホリや不法就労を利用すればそれこそ無限に旅は続けられたようにも思う。

次に多い質問は「自分探しの旅は終わったのか?」という手の内容だ。これに対しては即答で、「170万円使って、借金まで背負った割には見つからない」と言うようにしている。


次回は世界の安宿事情を記します。