3b. 世界一周ノート 青木大地

仕事をやめ、2013年10月から1年間の予定で世界一周の旅に出ました。

Profile
aoki_s

青木大地(あおき・だいち)

1986年生まれ。日本大学 芸術学部 卒業。
卒業後、大手レンタルビデオメーカーに勤務。店舗、営業を経て世界旅行のため退社。
念願のフリーライターとしてとりあえず1年は過ごせそうです。
同名義のFacebookもよければ見てください。

Facebook

3b. 世界一周ノート 第40回:南米 その2

ウユニ02

ウユニの町は小さく、広大な塩湖という観光資源に支えられた辺鄙な場所だった。それでもローカルの市場や人々の生活風景は長閑で雰囲気が良かった。リピーターが続出する理由が、ウユニ塩湖観光も含めてなんとなくわかった気がした。
僕はといえば、マチュピチュから続く高山病に母親と苦しめられながらも、豊かな観光生活を満喫していた。ウユニでは1泊は400円の安宿に泊まり、1泊は塩でできた高級ホテルに泊まった。この旅を通して、こんなにも布団や枕が臭くないことが素晴らしく、配膳された夕食がこんなにも美味しいと感じたことはなかった。
塩ホテル
塩ホテル晩餐

ウユニ塩湖はシーズンを少し外していたけれど、充分絶景を楽しむ事ができた。そして慌ただしくも賑やかな一週間を経て、母親と叔母は大量のお土産をあちこちで買い込んで帰っていった。
ウユニ01
ウユニ03
お土産買う叔母

ボリビアの首都、ラパスに戻って一人になった僕はあることに気が付いた。米ドルがない!ということに。調子に乗ってマチュピチュ・ウユニ観光でNYで稼いだ米ドルを使ってしまっていたのだ。そして手元には母親が代わりにくれた大量の日本円があった。南米では基本的に日本円の価値は低く、両替レートは極悪(10000円→現地通貨で4500円)で、受け付けてくれる場所すら殆んどなかった。今後、アルゼンチンへと向かうにあたって、現金がないということは大問題だった。スキミング被害が相次ぐ南米でのカード使用は極力控えたかったからだ。ラパスを歩き回ってみたものの、闇両替・銀行もごく一部の取り扱いなうえ、レートはどこも厳しかった・・・
ラパス夜景

減り続ける僅かな米ドルに焦りながら、僕は旅を続けた。チチカカ湖の湖畔の町、コパカバーナでは何もせず無為に3日過ごした。湖ビューの部屋は1泊300円で、快適だった。移動続きだった南米で初めて落ち着けた場所だった。トルーチャという魚のフライが美味しかった。
コパカバーナ
コパカバーナホテルより
トルーチャ

コパカバーナの帰り、幸運が訪れた。何故か市内からは遠い空港の近くでバスを降ろされた僕は、なんとなく空港の中を散歩した。そして一軒の両替屋を覗いた。思いのほかレートが良かったのだ!(と言っても10000円→75$)僕は残り僅かな旅を乗り切れるくらいの米ドルを手にすることができ、安堵した。まぁ、何とかなるもんだなと、僕は懲りもせず思っていた。襲われても、お金がなくても、大抵の事は何とかなるもんだなと。
コパカバーナ市場

ラパスからはボリビア第二の都市サンタクルスへとバスで向かった。サンタクルスは治安が悪く、市内の市場は目つきの悪い不良少年たちがたくさん居て殺伐としていた。宿ではひったくりに気をつけろと念押しされた。バスターミナルにも少し緊張感があった。ボリビアの安飯メインフード「ポリョ」(フライドチキン)生活にも限界がきていた。だから僕はブエノスアイレスに向けて南下を急いだ。
サンタクルス市場
ポリョ

次回、イグアスの滝、南米ドラッグ横行地帯を記します。


世界一周ノート
上海→杭州→南寧→ハノイ→ホーチミン→シェムリアプ→チェンマイ→ルアンパバーン→バンコク→パンガン島→ペナン島→マラッカ→スマトラ島→ジャワ島→マニラ→シンガポール→ジョホールバル→シドニー→チェンナイ→ムンバイ→アグラ→デリー→バラナシ→ブッダガヤ→コルカタ→ダージリン→ポカラ→ルンビニ→ガヤ→カトマンズ→ポカラ→イスタンブール→カッパドキア→パムッカレ→ボドラム→ギアテネ→メテオラ→ソフィア→ブタペスト→ザコパネ→クラクフ→サラエヴォ→ザグレブ→ヴェネチア→ローマ→ミラノ→バルセロナ→タンジェ→フェズ→マラケシュ→カサブランカ→カイロ→ギザ→アジスアベベ→ヨハネスブルグ→ケープタウン→ドバイ→ニューヨーク→リマ→ナスカ→マチュピチュ→ウユニ→ラパス→コパカバーナ→サンタクルス・・・

3b. 世界一周ノート 第40回:南米 その2


3b. 世界一周ノート 青木大地

仕事をやめ、2013年10月から1年間の予定で世界一周の旅に出ました。

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aoki_s

青木大地(あおき・だいち)

1986年生まれ。日本大学 芸術学部 卒業。
卒業後、大手レンタルビデオメーカーに勤務。店舗、営業を経て世界旅行のため退社。
念願のフリーライターとしてとりあえず1年は過ごせそうです。
同名義のFacebookもよければ見てください。

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3b. 世界一周ノート 第40回:南米 その2

ウユニ02

ウユニの町は小さく、広大な塩湖という観光資源に支えられた辺鄙な場所だった。それでもローカルの市場や人々の生活風景は長閑で雰囲気が良かった。リピーターが続出する理由が、ウユニ塩湖観光も含めてなんとなくわかった気がした。
僕はといえば、マチュピチュから続く高山病に母親と苦しめられながらも、豊かな観光生活を満喫していた。ウユニでは1泊は400円の安宿に泊まり、1泊は塩でできた高級ホテルに泊まった。この旅を通して、こんなにも布団や枕が臭くないことが素晴らしく、配膳された夕食がこんなにも美味しいと感じたことはなかった。
塩ホテル
塩ホテル晩餐

ウユニ塩湖はシーズンを少し外していたけれど、充分絶景を楽しむ事ができた。そして慌ただしくも賑やかな一週間を経て、母親と叔母は大量のお土産をあちこちで買い込んで帰っていった。
ウユニ01
ウユニ03
お土産買う叔母

ボリビアの首都、ラパスに戻って一人になった僕はあることに気が付いた。米ドルがない!ということに。調子に乗ってマチュピチュ・ウユニ観光でNYで稼いだ米ドルを使ってしまっていたのだ。そして手元には母親が代わりにくれた大量の日本円があった。南米では基本的に日本円の価値は低く、両替レートは極悪(10000円→現地通貨で4500円)で、受け付けてくれる場所すら殆んどなかった。今後、アルゼンチンへと向かうにあたって、現金がないということは大問題だった。スキミング被害が相次ぐ南米でのカード使用は極力控えたかったからだ。ラパスを歩き回ってみたものの、闇両替・銀行もごく一部の取り扱いなうえ、レートはどこも厳しかった・・・
ラパス夜景

減り続ける僅かな米ドルに焦りながら、僕は旅を続けた。チチカカ湖の湖畔の町、コパカバーナでは何もせず無為に3日過ごした。湖ビューの部屋は1泊300円で、快適だった。移動続きだった南米で初めて落ち着けた場所だった。トルーチャという魚のフライが美味しかった。
コパカバーナ
コパカバーナホテルより
トルーチャ

コパカバーナの帰り、幸運が訪れた。何故か市内からは遠い空港の近くでバスを降ろされた僕は、なんとなく空港の中を散歩した。そして一軒の両替屋を覗いた。思いのほかレートが良かったのだ!(と言っても10000円→75$)僕は残り僅かな旅を乗り切れるくらいの米ドルを手にすることができ、安堵した。まぁ、何とかなるもんだなと、僕は懲りもせず思っていた。襲われても、お金がなくても、大抵の事は何とかなるもんだなと。
コパカバーナ市場

ラパスからはボリビア第二の都市サンタクルスへとバスで向かった。サンタクルスは治安が悪く、市内の市場は目つきの悪い不良少年たちがたくさん居て殺伐としていた。宿ではひったくりに気をつけろと念押しされた。バスターミナルにも少し緊張感があった。ボリビアの安飯メインフード「ポリョ」(フライドチキン)生活にも限界がきていた。だから僕はブエノスアイレスに向けて南下を急いだ。
サンタクルス市場
ポリョ

次回、イグアスの滝、南米ドラッグ横行地帯を記します。


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