3b. 世界一周ノート 青木大地

仕事をやめ、2013年10月から1年間の予定で世界一周の旅に出ました。

Profile
aoki_s

青木大地(あおき・だいち)

1986年生まれ。日本大学 芸術学部 卒業。
卒業後、大手レンタルビデオメーカーに勤務。店舗、営業を経て世界旅行のため退社。
念願のフリーライターとしてとりあえず1年は過ごせそうです。
同名義のFacebookもよければ見てください。

Facebook

3b. 世界一周ノート 第33回:南アフリカ-その2

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せっかくアフリカに来たのだから、やっぱりサファリには行きたいなと僕は思い、強行スケジュールを組んでビザのいらないジンバブエへの航空券をとった。この後の旅程から、世界三大瀑布が制覇できそうだったこともあって、ヴィクトリアフォールズの町へと僕は向かった。

空港は小さく、まさにアフリカ式の歓迎が待っていた。そして着いてすぐにATMに300$飲み込まれるというトラブルが起きた。銀行からの通知記録では引き落とされた300$が、見事に出てこなかった。とりあえず町の銀行へ出向き問い合わせると、僕の使っている銀行に直接言ってくれというなんとも不安な答えが帰ってきた。証書などはなく、「それで大丈夫」という行員の言葉を信じるしかない不安な僕は、とりあえず諦めて滝を見に出かけた(お金は帰国後に銀行に掛け合うとあっさり戻ってきた)。
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砂利道の脇の灌木地帯へと、頭にタライを乗せて消えていく人を横目に、僕はヴィクトリアフォールズの町を散歩した。日中だったので身の危険は感じず、お土産やツアーを売ろうとする人たちに声をかけられる程度だった。スーパーや商店にも顔を出したけれど、夜出歩かなければ、治安に不安は感じなかった。
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ヴィクトリアフォールズの安宿から申し込んだサファリは一日100$程度で、隣国のボツワナのチョベ国立公園で昼食付きだった。チョベ国立公園は草食動物を見るのに世界一適したサファリということで名が通っていた。目当てのライオンは見ることができなかったけれど、川を泳ぐ象やキリンを間近で見ると、なんだか満たされたような気がした。
この時アフリカ大陸はエボラ出血熱の流行が進んでいた時期で、国立公園への国境を越える際にチェックが行われた。と言っても、消毒スプレーを吹きかけられ、「具合どう?」と聞かれ、「大丈夫」と答えるだけの簡易的なものだった・・・
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結局、ジンバブエとボツワナでの滞在は3日間だったけれど、とても濃密な時間だった。アフリカに来た!と思えるような感覚に、強行日程を組んだことに満足していた。後は再び飛行機でヨハネスブルグに戻り、大人しく過ごして、念願のニューヨークへ。僕はそんなことを考えながらヴィクトリアフォールズを後にした。
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次回は調子に乗って行ってみた!ヨハネスブルグの街中、前編を記します。


世界一周ノート
上海→杭州→南寧→ハノイ→ホーチミン→シェムリアプ→チェンマイ→ルアンパバーン→バンコク→パンガン島→ペナン島→マラッカ→スマトラ島→ジャワ島→マニラ→シンガポール→ジョホールバル→シドニー→チェンナイ→ムンバイ→アグラ→デリー→バラナシ→ブッダガヤ→コルカタ→ダージリン→ポカラ→ルンビニ→ガヤ→カトマンズ→ポカラ→イスタンブール→カッパドキア→パムッカレ→ボドラム→ギアテネ→メテオラ→ソフィア→ブタペスト→ザコパネ→クラクフ→サラエヴォ→ザグレブ→ヴェネチア→ローマ→ミラノ→バルセロナ→タンジェ→フェズ→マラケシュ→カサブランカ→カイロ→ギザ→アジスアベベ→ヨハネスブルグ→ケープタウン・・・以降、アメリカ、南米と巡りました

3b. 世界一周ノート 第33回:南アフリカ-その2


3b. 世界一周ノート 青木大地

仕事をやめ、2013年10月から1年間の予定で世界一周の旅に出ました。

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青木大地(あおき・だいち)

1986年生まれ。日本大学 芸術学部 卒業。
卒業後、大手レンタルビデオメーカーに勤務。店舗、営業を経て世界旅行のため退社。
念願のフリーライターとしてとりあえず1年は過ごせそうです。
同名義のFacebookもよければ見てください。

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3b. 世界一周ノート 第33回:南アフリカ-その2

IMG_0585

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せっかくアフリカに来たのだから、やっぱりサファリには行きたいなと僕は思い、強行スケジュールを組んでビザのいらないジンバブエへの航空券をとった。この後の旅程から、世界三大瀑布が制覇できそうだったこともあって、ヴィクトリアフォールズの町へと僕は向かった。

空港は小さく、まさにアフリカ式の歓迎が待っていた。そして着いてすぐにATMに300$飲み込まれるというトラブルが起きた。銀行からの通知記録では引き落とされた300$が、見事に出てこなかった。とりあえず町の銀行へ出向き問い合わせると、僕の使っている銀行に直接言ってくれというなんとも不安な答えが帰ってきた。証書などはなく、「それで大丈夫」という行員の言葉を信じるしかない不安な僕は、とりあえず諦めて滝を見に出かけた(お金は帰国後に銀行に掛け合うとあっさり戻ってきた)。
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砂利道の脇の灌木地帯へと、頭にタライを乗せて消えていく人を横目に、僕はヴィクトリアフォールズの町を散歩した。日中だったので身の危険は感じず、お土産やツアーを売ろうとする人たちに声をかけられる程度だった。スーパーや商店にも顔を出したけれど、夜出歩かなければ、治安に不安は感じなかった。
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ヴィクトリアフォールズの安宿から申し込んだサファリは一日100$程度で、隣国のボツワナのチョベ国立公園で昼食付きだった。チョベ国立公園は草食動物を見るのに世界一適したサファリということで名が通っていた。目当てのライオンは見ることができなかったけれど、川を泳ぐ象やキリンを間近で見ると、なんだか満たされたような気がした。
この時アフリカ大陸はエボラ出血熱の流行が進んでいた時期で、国立公園への国境を越える際にチェックが行われた。と言っても、消毒スプレーを吹きかけられ、「具合どう?」と聞かれ、「大丈夫」と答えるだけの簡易的なものだった・・・
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IMG_0588

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結局、ジンバブエとボツワナでの滞在は3日間だったけれど、とても濃密な時間だった。アフリカに来た!と思えるような感覚に、強行日程を組んだことに満足していた。後は再び飛行機でヨハネスブルグに戻り、大人しく過ごして、念願のニューヨークへ。僕はそんなことを考えながらヴィクトリアフォールズを後にした。
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次回は調子に乗って行ってみた!ヨハネスブルグの街中、前編を記します。


世界一周ノート
上海→杭州→南寧→ハノイ→ホーチミン→シェムリアプ→チェンマイ→ルアンパバーン→バンコク→パンガン島→ペナン島→マラッカ→スマトラ島→ジャワ島→マニラ→シンガポール→ジョホールバル→シドニー→チェンナイ→ムンバイ→アグラ→デリー→バラナシ→ブッダガヤ→コルカタ→ダージリン→ポカラ→ルンビニ→ガヤ→カトマンズ→ポカラ→イスタンブール→カッパドキア→パムッカレ→ボドラム→ギアテネ→メテオラ→ソフィア→ブタペスト→ザコパネ→クラクフ→サラエヴォ→ザグレブ→ヴェネチア→ローマ→ミラノ→バルセロナ→タンジェ→フェズ→マラケシュ→カサブランカ→カイロ→ギザ→アジスアベベ→ヨハネスブルグ→ケープタウン・・・以降、アメリカ、南米と巡りました