3b. 世界一周ノート 青木大地

仕事をやめ、2013年10月から1年間の予定で世界一周の旅に出ました。

Profile
aoki_s

青木大地(あおき・だいち)

1986年生まれ。日本大学 芸術学部 卒業。
卒業後、大手レンタルビデオメーカーに勤務。店舗、営業を経て世界旅行のため退社。
念願のフリーライターとしてとりあえず1年は過ごせそうです。
同名義のFacebookもよければ見てください。

Facebook

3b. 世界一周ノート 第32回:南アフリカ-その1

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僕はアフリカ大陸での滞在期間が短く、どれだけ予定を詰め込めるかに頭を悩ませていた。そして、あれもこれもと画策するうちに、驚異的な過密スケジュールが組み上がってしまっていた。

南アフリカ・ヨハネスブルグ空港に着いた僕は、そのままトランジットでケープタウンへと飛んだ。どうしても喜望峰が見たかった。最南端とか、そういうフレーズに弱い僕はついつい無理をしてでも出向いてしまう悪癖があった。それが世界一治安の悪い南アフリカだとしても・・・
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深夜、比較的治安は良い(それでも悪い)と言われるケープタウンに着いた僕はタクシーで市内へと向かった。インフラは整えられ、美しいヨーロッパを思わせるような雰囲気すら感じた。
予約していた安宿に着いて、そこは洋館のような外観なのに、3重の鉄格子扉があった。それをインターフォンを連打してくぐり抜けて、ようやく黒人のガードマンの元に辿り着いた。そして事件が起きた。
予約がとれていなかった。そして宿は満室・・・僕は予約を1日後に勘違いしていた。

疲弊。ヨーロッパ後半から休みなく移動し続けてきた僕は深夜の南アフリカ、宿がない!そんな絶望に陥ってしまった。
何とか黒人のガードマンに泣きついてみるも、そのホテルに泊まることはできなかった。
それでも、ガードマンは優しく、一緒にホテルを探してくれると言った。困り果てていた僕が礼を言うと、彼は「一緒じゃなかったら死ぬから」と確かに言った。

僕は黒人の用心棒を引き連れて深夜のケープタウンを徘徊した。宿は中々見つからず、物乞いやプッシャーに時々声をかけられながら歩いた。雨も降っていた。ただ、ガードマンは顔が広く、深夜にも関わらず色々な人と挨拶をしていた。そして、ある一軒のバーの中にあるホテルを格安で見つけてくれた。ガードマンはバーテンによろしく言ってくれ、僕はバーテンからビールまでごちそうになった。ほろ酔いで、僕は命拾いしているのかな?と眠りについた。
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翌朝、僕は代理店に電話をかけて、飛び込みでケープタウンのツアーに参加し、喜望峰へも行くことができた。そこには治安の悪さをあまり感じさせない、普通の国の、雑多な観光ツアーの姿があった。バスで移動し、安いランチを食べて、知らない国の人と旅のことを話す、そして写真を撮る、そんな素晴らしいツアーだった。
small 002 140828 p
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ただ、皆口を揃えて、ツアー以外の外出は控えていると言った。ケープタウンはまだ良いけれど、ヨハネスブルグは最悪だと。
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ツアーを終えて、僕はその夜にまたヨハネスブルグに戻った。そして翌朝、次の目的地、ジンバブエへと飛んだ。気付けばヨハネスブルグでの滞在は全部空港の中のカフェだった。体はもうヘトヘトに疲れきっていた。

次回はジンバブエ、ビクトリアフォールズとサファリ!を記します。


世界一周ノート
上海→杭州→南寧→ハノイ→ホーチミン→シェムリアプ→チェンマイ→ルアンパバーン→バンコク→パンガン島→ペナン島→マラッカ→スマトラ島→ジャワ島→マニラ→シンガポール→ジョホールバル→シドニー→チェンナイ→ムンバイ→アグラ→デリー→バラナシ→ブッダガヤ→コルカタ→ダージリン→ポカラ→ルンビニ→ガヤ→カトマンズ→ポカラ→イスタンブール→カッパドキア→パムッカレ→ボドラム→ギアテネ→メテオラ→ソフィア→ブタペスト→ザコパネ→クラクフ→サラエヴォ→ザグレブ→ヴェネチア→ローマ→ミラノ→バルセロナ→タンジェ→フェズ→マラケシュ→カサブランカ→カイロ→ギザ→アジスアベベ→ヨハネスブルグ→ケープタウン・・・以降、アメリカ、南米と巡りました

3b. 世界一周ノート 第32回:南アフリカ-その1


3b. 世界一周ノート 青木大地

仕事をやめ、2013年10月から1年間の予定で世界一周の旅に出ました。

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青木大地(あおき・だいち)

1986年生まれ。日本大学 芸術学部 卒業。
卒業後、大手レンタルビデオメーカーに勤務。店舗、営業を経て世界旅行のため退社。
念願のフリーライターとしてとりあえず1年は過ごせそうです。
同名義のFacebookもよければ見てください。

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3b. 世界一周ノート 第32回:南アフリカ-その1

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僕はアフリカ大陸での滞在期間が短く、どれだけ予定を詰め込めるかに頭を悩ませていた。そして、あれもこれもと画策するうちに、驚異的な過密スケジュールが組み上がってしまっていた。

南アフリカ・ヨハネスブルグ空港に着いた僕は、そのままトランジットでケープタウンへと飛んだ。どうしても喜望峰が見たかった。最南端とか、そういうフレーズに弱い僕はついつい無理をしてでも出向いてしまう悪癖があった。それが世界一治安の悪い南アフリカだとしても・・・
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深夜、比較的治安は良い(それでも悪い)と言われるケープタウンに着いた僕はタクシーで市内へと向かった。インフラは整えられ、美しいヨーロッパを思わせるような雰囲気すら感じた。
予約していた安宿に着いて、そこは洋館のような外観なのに、3重の鉄格子扉があった。それをインターフォンを連打してくぐり抜けて、ようやく黒人のガードマンの元に辿り着いた。そして事件が起きた。
予約がとれていなかった。そして宿は満室・・・僕は予約を1日後に勘違いしていた。

疲弊。ヨーロッパ後半から休みなく移動し続けてきた僕は深夜の南アフリカ、宿がない!そんな絶望に陥ってしまった。
何とか黒人のガードマンに泣きついてみるも、そのホテルに泊まることはできなかった。
それでも、ガードマンは優しく、一緒にホテルを探してくれると言った。困り果てていた僕が礼を言うと、彼は「一緒じゃなかったら死ぬから」と確かに言った。

僕は黒人の用心棒を引き連れて深夜のケープタウンを徘徊した。宿は中々見つからず、物乞いやプッシャーに時々声をかけられながら歩いた。雨も降っていた。ただ、ガードマンは顔が広く、深夜にも関わらず色々な人と挨拶をしていた。そして、ある一軒のバーの中にあるホテルを格安で見つけてくれた。ガードマンはバーテンによろしく言ってくれ、僕はバーテンからビールまでごちそうになった。ほろ酔いで、僕は命拾いしているのかな?と眠りについた。
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翌朝、僕は代理店に電話をかけて、飛び込みでケープタウンのツアーに参加し、喜望峰へも行くことができた。そこには治安の悪さをあまり感じさせない、普通の国の、雑多な観光ツアーの姿があった。バスで移動し、安いランチを食べて、知らない国の人と旅のことを話す、そして写真を撮る、そんな素晴らしいツアーだった。
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ただ、皆口を揃えて、ツアー以外の外出は控えていると言った。ケープタウンはまだ良いけれど、ヨハネスブルグは最悪だと。
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ツアーを終えて、僕はその夜にまたヨハネスブルグに戻った。そして翌朝、次の目的地、ジンバブエへと飛んだ。気付けばヨハネスブルグでの滞在は全部空港の中のカフェだった。体はもうヘトヘトに疲れきっていた。

次回はジンバブエ、ビクトリアフォールズとサファリ!を記します。


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上海→杭州→南寧→ハノイ→ホーチミン→シェムリアプ→チェンマイ→ルアンパバーン→バンコク→パンガン島→ペナン島→マラッカ→スマトラ島→ジャワ島→マニラ→シンガポール→ジョホールバル→シドニー→チェンナイ→ムンバイ→アグラ→デリー→バラナシ→ブッダガヤ→コルカタ→ダージリン→ポカラ→ルンビニ→ガヤ→カトマンズ→ポカラ→イスタンブール→カッパドキア→パムッカレ→ボドラム→ギアテネ→メテオラ→ソフィア→ブタペスト→ザコパネ→クラクフ→サラエヴォ→ザグレブ→ヴェネチア→ローマ→ミラノ→バルセロナ→タンジェ→フェズ→マラケシュ→カサブランカ→カイロ→ギザ→アジスアベベ→ヨハネスブルグ→ケープタウン・・・以降、アメリカ、南米と巡りました