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3b. ウズベキスタン 極限のソ連宿


3b. ウズベキスタン 極限のソ連宿

初めて書かせて頂けることになったシと申す者である。不惑を越えて独身を突き進む理系で、ふだんは暗黒通信団という同人誌サークルで雑文を書いている。大学卒業がバブル崩壊に重なり、就活を諦め海外流浪しはじめて、はや20年。先進国以外をフラフラするのが趣味のオッサンだ。特技は激貧。苦手科目は英語と恋愛。要するにダメなやつである。今回は挨拶がてら、海外ダメ宿の体験を記してみたい。といってもこれは6年も前の話だからいま通用するかどうかはわからないし、書かれている地域はイスラム圏だから、真似して行ってみようとは思わないほうがいい。ISISは怖いのだ。あなたが戦場カメラマンや在外公館職員ならば、仕事なので仕方ないとしても、趣味で行くには危険すぎる。だから本稿は「うわぁ凄い」と深夜のテレフォンショッピングみたいに驚くだけにし、テレフォンショッピング同様、さっさと忘れるのが良いと思う。それではしばしお付き合い願いたい。

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darklogosmall

評論同人誌サークル「暗黒通信団」の雑文書き。
彼女いない歴=年齢を毎年更新中の不惑独身男。英語力は堂々の偏差値20台。生活保護受給者が見かねて食べ物をおごってくれるほどの高雅な生活レベルを維持している。学生期の終わりが就職氷河期に当たり、就職を諦めて、世界を放浪し始めた。好きな地域は中東の砂漠。お気に入りはアフガニスタンとソマリランドのビザ。残念ながら、まだ反米テロリストに知り合いがいない。最近は歳もとったしISが怖いから無難な国内旅ばかりだ。元コミケスタッフ。理系。自称高等遊民。
詳しくは http://ankokudan.org/d.htm?member-j.html

ヌクス -アラル海のお膝元-

なんといっても特技が貧乏というくらいだから、どこに行くにしても宿は最低ランクだ。中には一泊300円とか、日本では考えられないような価格帯もある。もちろん、その国の物価にも依るし、安いからといって必ずしもダメな宿というわけではないが、常識的に言えばダメ宿のヒット率は高くなろう。最近はBooking.comなどで事前に宿の詳細を見ることができるから、ガイドブックだけを頼りに彷徨う時代よりはマシになったが、そのぶんダメ宿に当たる可能性も低くなってしまって少し残念だ。

今までの流浪で極めつけだったのはウズベキスタンだ。どこだそれ? 中国のちょっと西くらいだ。といってもカシュガルから陸路行こうなんて思わないほうがいい。途中にはフェルガナ盆地というテロの巣がある。直行便が出ているから素直に飛行機だ。ウズベキスタンはソ連(ソヴィエト社会主義共和国連邦)の解体とともにできた新興国で、古代にはシルクロードの要衝だった地域だ。直行便があるせいか、たくさんのパッケージツアーが入っていて、言葉もろくに通じない割に、日本人旅団であふれかえっている。だいたい、サマルカンドなど実際はショボいのに、名前だけで売れてる感が無くもない。ブハラのアルク城も登ってみると小規模だし、ヒヴァの城壁まで行かないとホラズム的迫力は楽しめないだろう。

しかし、そんなことはどうでもいい。貧乏国家ウズベキスタンの真実を体験したいなら、観光地以外に行くべきだ。少しでも辺鄙なところに入れば、そこには依然として旧ソ連衛星国家の文化が根付いている。

地図がある人は地図を見てほしいが、ヌクスという街がある。首都タシケントの西北。干からびるアラル海に近いところで、まぁ観光物件は何もない。本当はブハラからウルゲンチに抜けようと思っていたのだが、何を血迷ったか、ヌクス行きのバスに乗ってしまった。それは本当に「魔がさした」ようにふと思いついて乗ってしまったのであり、しかも僕の場合そういうことがよくある。ヌクスというのはウルゲンチよりも遙か北方にある街で、何が僕を引きつけたのかはいまだにわからない。

顛末は次のような感じだ。ブハラのバス乗り場は街の中心から少し外れた市場の裏にある。市場は朝にぎわうが、一通り取引が終わったら長距離用のバス乗り場になるわけだ。ウズベキスタンの連中はロシア語しか話さないから、ほとんど意思疎通できない。で、僕がいつものように「ウルゲンチ、バス、ウルゲンチ、バス」とロボットのように繰り返していたところ、何匹かの現地人様からジェスチャー80%で「ウルゲンチ行きのバスはもうないよ」という回答を頂いた。これがタクシー屋なら信じないところだが、だいたいウズベク人は嘘をつかないうえ、夕方だったせいか、実際バスなどちらほらしか見あたらないのだ。まぁ、信じざる得ない。イスラム圏の皆さんは、朝5時からアザーンで起こされるから、何でも朝早いのだ。巨大な荷物を曳いて市場まで来たのに、バスがないからといってこのまま宿に退散するのもシャクだから、なんか代わりのバスはないかとウロウロしていたところ「ヌクス行き」が出現したというわけだ。この種のバスは、観光用ではないから現地人しか乗らない。で、言葉が通じないので詳細が分からない。それでも、いいかげん面倒になっていたのと、今までろくにネタらしいネタもなかったので、まぁとにかく北に向かってくれればいいや、という後先考えないアグレッシブ(=馬鹿)さで乗り込んでしまった。

イスラム圏の長距離バスというものは、実に人情に溢れている。最初は「なんだこの日本人?」という眼差しで遠巻きにされるが、20人もいれば一人くらいは疑似英語を語る個体もいるから、なんか適当に意思疎通ができてしまう。で、カタコトの会話を繰り返していれば、何となくうち解けてくるのだ。というか、電源のとれない長距離バスなんて会話くらいしかすることがないので、必然的にそうなる。ウズベキスタンは極限的ジリ貧でも先進国でもない偏差値40くらいの国家だから、あまり常軌を逸した価値観の人もいない。例によって「お前は結婚してないのか」とか、お決まりの質問を華麗にスルーして会話が進む。

首都タシケントからサマルカンド、ブハラまでもバスだったが、そこまでの距離感覚からすると、ヌクスにつくのは真夜中か翌朝という感じだった。なんせウズベキスタンは道が悪い。共産主義の国はビシっと整備された巨大道路が売りじゃなかったのか。イエメンのような極限的ジリ貧国家ですら道路は整備されているというのに、ソ連様の舗装事情は全く心許ない。トイレもないボロバスに揺られて6時間。そろそろ夜中になったと思ったら、全員が街道沿いでおろされた。夕食である。その頃までには乗客団はすっかりうち解けて、街道沿いのいかにも木賃宿みたいなところでパーティになった。不思議なことに、たまたまバスに同乗したコミュニティであるにもかかわらず、年配者を中心としたヒエラルキが形成されている。あるいはいつも同じ路線を使ってる顔見知りなのかもしれないが。とにかく、年配者様が異人たる僕を接待してくれる、というような図式になるわけだ。そうなると異人としては逆らえないから、なすがままに宴会の輪に加わる。面白いのは酒が出ることだ。それもかなり強烈なジンである。イスラムというが、中央アジアあたりじゃ酒も全くOKで、皆さんガバ呑みだ。長く共産圏だったせいかもしれないが、女性も顔を隠してたりしないし、イスラムぽいのは朝のアザーンくらいだ。ちなみに彼らはウォッカといっていたが、なんか正統なウォッカとはだいぶ味が違う。飲み食い騒ぎと三拍子揃って、結果は激安の割り勘会計。これぞ個人旅行の醍醐味だ。バスは夜の10時くらいにメシ処を出発し、また北に向かった。

夜中の2時も過ぎて、ウトウトしていたら、後ろに座っていた男が起こしてくれた。いわく「宿は決まっているのか?」と。もちろん決まってるわけがない。だいたい着くのは朝だろうと思っていたのだが、「もうすぐ着くから、宿を探してやる」といって、運転席にいってなにやら交渉を始めた。こんな時間に街について、どうしろというのか。とりあえず、もうなすがままにお任せする。

それから30分もしないうちに、バスは大きなビルの前で泊まり、僕を吐き出した。親切な男は、極寒の中、ビルの中に入っていって、女主人を叩き起こし、なにやら会話。時刻は午前2時半。気温は体感零下。もうひたすら感謝するしかない。こんなの一人だったら凍え死ぬに決まっている。やがて一通りの話がついたらしく、男性は「達者でな、日本人」と言ったかどうか、手を振って去っていった。バスに戻って、街の中心か自分の家へ向かうのらしい。

当時の「地球の歩き方」によれば、ヌクスには安宿が二つあった。ヌクスホテルとタシケントホテルという。このホテルの名前はタシケントホテルのほうらしかった。ちなみに現在、このホテルはBooking.comにすら掲載されていない。
タシケントホテル

宿の主人は僕の荷物を旧式のエレベータに乗せ、部屋へと案内した。で、問題はこの宿である。お値段シングル一泊8ドル。個室が二つもあり、掃除もされてて、一見するととても豪華なのだが、まもなく僕はその実態に気づいた。

ベッドが虫だらけなのである。この寒いのに、蚊のような(でも蚊ではないだろう)昆虫が多数部屋の中を飛んでいて、ブンブンうるさい。何か食べ物の残骸でもあるんだろうかとベッドの下をめくると、多数の蟻が塚を作っていた。よく見ると、ベッドの柱が蟻の通り道になっている。午前二時で非常に疲れているものの、このベッドじゃ眠れんわ、と思い、隣の部屋で寝ることを考えた。たしか案内されたときにはソファーがあったはず。だが僕はそこで、もっと怖ろしいことを知ってしまったのだ。なんと部屋の電気をつけようとすると、ビィーンジジジジジという、何だか高電圧実験でもしてるような音がする。そして、白熱灯のふもとから、バシッ、バシッと不規則に火花が飛ぶのだ。焦げ臭い。僕はたまげた。明かりをつけたら火事になるぞ。そう、実質使える部屋がない宿だったのである。

ここでまっとうな日本人ならフロントを呼び出して文句をつけるだろう。もちろん僕もそうしようとした。しかし、宿の女主人は呼べど叫べど起きてこない。散々努力したあげく、結局は諦めるほかない。そもそも現地人が明らかに親切心でとってくれた宿だということで、文句がいいにくい。彼らにとってはこれが当然なのだ。おそらく他の部屋もどっこいどっこいで、いたずらに話を大きくしても、どうせ似たような部屋に回されるのだろう。今まで観光地の宿ばかりだったから気づかなかったが、これが本来のウズベキスタンクォリティなのだ。

もちろんというか、シャワーのお湯なんて出ない。それどころか、蛇口をひねると割れたホースから水が漏れてくる。体感零下の世界で泣く泣く水シャワー。一応ユニットバスの形状をしているが、便器は水だめのフタがとれていて、まともに水が流れないどころか下水管が詰まっていて、出すものを出しても放置するしかない。あけた瞬間に驚愕の光景が広がっていて、とても写真を撮る勇気が出ない。せめてもの、フタを閉めて臭いをごまかすしかないから、とりあえずトイレットペーパー(もちろん僕が持参したものだ)を便器とフタの間に詰めて疑似パッキンにし、上から椅子を逆さまに置いて封じた。これで漏れてくる臭いはだいぶ防げるだろう。
タシケントホテルのトイレ

しかし、実際問題どうやって眠るのか。火花小屋じゃ危なくて眠れないし、結局は昆虫ベッドを使うしかない。電灯をつけたままにすれば、蚊はライトに集まり、比較的僕の体からは離れるだろう。アイマスクでも使えば明るさはどうにかなる。蟻のほうはとりあえず、火花小屋に備え付けられていた洗面器のようなものを塚にかぶせ、それでも蟻が漏れてくる部分はトイレットペーパーで封じた。トイレットペーパー様大活躍。ベッドの足にいた蟻は服で振り払い、残りは無視する。軍隊アリじゃないんだから殺されることはあるまい(幸いなことに僕はアマゾンで実際に軍隊アリに遭遇したので、その識別は容易だ)。それにしても、なんだって夜中の三時に逞しさを発揮してるんだか。

こうしてとりあえず寝ることは寝たが、よく見ると厚いカーテンが存在しなかったので、翌朝は七時からお目覚めだった。実質四時間に満たない睡眠で、早々と宿から脱出する。脱出というより脱獄。郷においては云々、というが、頑張れば慣れるものなのだろうか。慣れた自分を想像したくない宿だったことは確かだ。

タシケント -虫のお宿-

ヌクスも凄かったが、現時点で僕が知る限り一番激しい宿は、首都タシケントにあった。「ハドゥラ」という、地球の歩き方にも「いかにも旧ソ連的な安宿」というコメントが載っていた。ちなみにこちらも現在Booking.comには載っていない。
ネットには旅行記のようなものがあって、やっぱりコケおろされているので、僕の感覚は間違っていないと信じている。

普通は宿を決めるとき、値段と安全を両方とも考慮するのだが、夜行列車で朝にタシケントについて、ポワぁンとする頭でセレクトするともうダメだ。面倒になってしまって、安ければとりあえずいいでしょ、という投げやりモードになってしまう。

地下鉄を降りてロータリーを折り返し、徒歩30分。サーカス場の向かい。それは外観からしてヤバかった。どこかしら雰囲気が「廃墟」なのである。まるでシムシティで電気が来なくなったときの真っ黒のコンクリ。実際は黒いわけではないが、黒いオーラが出ている。これはヤバそうだと思うが、大きな荷物を引いているせいか、他の宿を探す気がしない。アラブ圏とかだと、安宿というのは安宿エリアにかたまっているから、ある宿がダメそうだったら近くの似たようなレベルの宿に入ればいいだけだ。ところが、ハドゥラの近くにはそんなものはない。そもそもソ連の計画経済で建てられているので、安宿街みたいな自然発生的概念は許されない。ハドゥラは完全に孤立した安宿だった(実は探せばいくつかあったのだが、それを見つけるのは翌日の話である)。とはいえ、メインストリート沿いで、近くにはカフェのようなものが並んでおり、食べ物には困らなさそうだから、まぁいいだろうと入ったのが運の尽き。

一階の事務机にウズベク人が座っていたので聞いてみると、コピー室を示された。まずはパスポートのコピーをとれ、というわけだ。ウズベキスタンでは外国人は「まともな」宿に泊まらなくてはならず、宿泊の証明として、発行された紙切れを出国時にチェックされる。このあたりはソ連ぽい感じがする。で、宿はそのためにパスポート情報を把握する必要があり、確かにコピーをとれという宿はたまにあるのだ。

コピーをとると4階の事務室に行く。この廃墟のエレベータは凄かった。なんとエレベータの呼び出しボタンが30度くらい斜めに取り付けられているのだ。わざわざ壁に斜めの穴が開けられて、そこに取り付けられている。設計思想が理解しがたい。美術館にあったら立派な前衛芸術だが、ここにあるとただの手抜きに違いない。それにしても、なにを考えてわざわざコンクリに、斜めにきっちり長方形の穴を開けるのか? さすが「まともな」宿だな。エレベータ自体も加速度処理を全く考えていないオンオフだけのスイッチ制御である。4階のボタンは若干押しにくかった。正拳突きで三回くらい連打するとランプがつき、やっとボタンが認識される。とりあえず動くことは動くが、日本じゃアウトだろう。シンドラーなんてソ連製に比べればまだまだ甘い。

事務室はエレベータをおりてすぐのところにあるが、朝10時の時点では鍵が閉まっていた。まぁ、人手の足りないボロ宿ではそういうこともあるから、黙って待つことにする。ほどなく、若い女性がエレベータで到着した。僕と同じく宿泊希望なのだろう。しばらく無言で待つ。モスクワは待つことを厭わない人々の集団だったが、衛星国家でも同様らしかった。やがて20分もして、宿泊希望者は二人三人と増えてきたが、事務室に人が戻ってくる気配はない。僕は片言の英語で女性に聞いた。「この宿はどうなってるんですか?」女性に英語は通じず、なぜかその後ろに並んでいた男性から「No good, but cheap(良くない宿だよ。だが安い)」という中学生の構文みたいな答えを頂いた。それは確かだろう。シングル一泊6ドルだもの。現地人に良くないと断言される宿ってどんなものか。常識的にはこの時点でさっさと逃げるべきだが、夜行列車の徹夜あけでは行動力が足りない。

やがて1時間もしてから、腰回り2メートルもありそうな事務婆が、えっちらおっちらとやってきて、軽い振動音とともに椅子に着陸し、受付を開始した。そして僕のパスポートコピーを受け取り、台帳のようなものを出してきて何事か書きつけた。「日本人と同室だよ」というような意味の現地語(ロシア語ですらなかったような)が発せられ、6階の部屋番号を書いた紙が渡された。鍵をくれとゴネたが、鍵はそもそもないらしい。仕方なく僕はエレベータに乗ろうとする。

エレベーターボタン
…エレベータのボタンは壊れていた。1階から4階に行くことはできるが、4階のボタンが壊れているので呼べない。とはいえど、大きな荷物を抱えて階段をのぼりたくはない。さてどうするか? 制限時間は5秒。

他の人が4階に上がってくるのを待つ、というのは一つの正解だ。しかし当分来そうにない。そこで、大きな荷物を抱えて「降りる」ことにした。のぼりはきつくても降りるなら何とかなるさ。3階と2階のボタンのうちどちらかが生きていれば、そこから6階に上がれるわけだ。最悪1階まで戻ればいい。まるでパズルゲームだ。もしもあなたが学生で、親や先生にゲームなんて意味がないといわれたら、ぜひこの体験談を引用してほしい。

結果として、3階のボタンは生きていた。とりあえず1階分だけ降りてエレベータを呼び無事に6階にゴール。ちなみにあとで調査したところによると、ボタンが生きているのは1階と3階と5階で、しかもエレベータの中のボタンは2階と5階が壊れていて押せない。脳トレに使えそうなエレベータである。

だが、これはほんの始まりでしかなかった。6階の指定された部屋に行くと、中からのっそりと日本人が出てきた。「こんにちは」「あ、この部屋に一緒することになりました、シといいます。よろしくお願いします」。青年は小柄な学生ぽい感じで、なぜか一心不乱にPSP(プレイステーションポータブル。当時流行っていた携帯用ゲーム機)でゲームをしていた。聞けば真性のニートで、中国から陸路ここまできたが、帰るお金がないのでこの宿に泊まったままだという。今後どうするのかと聞くと、イスタンブールまで行けば親戚のおじさんが住んでますから、という、希望に満ちた答えをもらった。が、ウズベキスタンからイスタンブールの間には、やたらビザのとりにくいトルクメニスタンと、陸路入国拒否のイラン様が控えている。バックパッカーが知らないはずもあるまい。大丈夫なんだろうか。

「一つお願いしていいですか?」と彼は切り出した。「夜も電気を消さないでほしいんです」「え?」わけをきくと、電気を消すとゴキブリが出るんだそうだ。ヌクスでは蚊と蟻だったが、こっちはGか。壁はヒビだらけであちこち穴が開いているし、電灯は切れかかっていて、紫外線でも出てる感じだ。期せずして日焼けエステの効果が得られそう。そもそも電線自体が壁のドリル穴から配線されている。客室に電ドリで穴を開けるなんて、たいした根性だ。ちなみに皮膜が腐っていて、いつ漏電しても不思議じゃない。もうはっきり言って、昆虫くらいでは全然問題にならない。シーツなどシミどころか、あちこち虫食い穴が開いているし、部屋中に異様な臭いが立ちこめている。彼が飲んだあとと思われるセブンアップとコーラのペットボトルには、何だかよく分からない6本脚のインセクターが群れていた。日本じゃ監獄でもここまでひどくはあるまいよ。

徹夜あけでフラフラではあるが、宿がこの有り様だし、とにかく昼間は活動しないと損した気分になるからと、頑張って街の観光に出た。そして夕刻帰ってきて、僕は更なる驚愕の事態を目にした。…トイレである。この先、食事中の人は読まない方がよい。

「ここのトイレは使えないですよ」とニート青年はPSPから目を離さず、さらっと言ってのけた。といっても汚いだけのトイレなんていくらでも経験してきたから、まぁ何とかなるさと思って、トイレットペーパー片手に行ってみる。…それはもはやトイレの機能を有していなかった。まず、扉がちゃんと閉まらない。たてつけが悪い上に鍵が壊れているのだ。そして、便器が割れている。当然ながら水が出ない。で、干からびた「ブツ」が何層にも積み重なって、巨大な原生動物のように居座っていた。これで用をたすくらいなら外に出ていって衆人環視の中でやったほうがマシだ。僕はもう見なかったことにして、慌てて退散。青年は「どうでした?」と素っ気なく聞いた。「無理ですね」と僕は素っ気なく答えた。この分だとシャワーも凄いことになっていそうだから、それも聞いてみたら「シャワーは大丈夫ですよ。お湯は出ませんが、水は出ますから」という素敵なコメントをもらった。そして付け加えられた。「シャワーは5階だけ使えます」…果たしてその通りであった。6階のシャワーは詰まっていて水も出ない。5階はかろうじて生きていた。これ、同室が日本人じゃなかったらどうやって情報入手するんだろう。夜行列車で風呂なしのあと、水シャワー。つくづくレベル高い国である。

翌朝、僕はさっさと荷物をまとめ、5階まで降りてエレベータに乗ったのだった。ニートの彼はプリングルスを食いながら、始終悠々とPSPで遊んでいた。その後、彼の消息は知らない。

3a. tabinote旅行記 春節中の台北で魂の洗濯をしてきた


3a. tabinote旅行記 春節中の台北で魂の洗濯をしてきた

今回は、tabinote読者、ペンネーム:ジャスミンさんの投稿です。
内容は2016年2月時点の情報、および5月現時点での情報にもとづいています。

Profile
jasmine

ジャスミン

197*年、試される大地の獄中で出生
ビデオ安売王を皮切りにコンパイル、ウィンキーソフトなど入った会社が軒並み消滅する会社クラッシャー。
最近は朝ヨガと自家製スムージーにHamaってます。

そうだ、台湾行こう

試される大地から上京してはや20年、大東京ですりこぎ棒のように摩耗し気付けばアラフォー・・・・
旅行でも行かないとどうにかなってしまう・・・・
いいじゃないか・・・・!三流で・・・・!熱い三流なら、上等よ・・・・!
一生迷ってろ・・・・!そして失い続けるんだ・・・・貴重な機会(チャンス)をっ!

日々に疲れ、そんな思いが飽和点に達した2015年11月
だが悲しき社畜の身…行くにしてもアジア弾丸かつ極力休みは取らない、そう決めていた・・・・

少し先だが2月の祝日を利用し1日休みを取れば、3泊4日の旅程を組めると判断
日程優先でtabinote…ではなく「某最安値比較/検索サイト」で探してみたところ、信じられない金額が浮上

台北 4日間(ホテル・朝食バイキング込み) 20800円

うそ・・・だろ?この安さは・・・もう騙されない・・・
今日日当たり前なのか・・・?バカがっ!そんな甘い話がっ・・・・!
近場の温泉行くより安い・・・空港使用料が+4000円かかったところで安い・・・
無謀な時間の発着でもないし、ホテルもほぼ中心街だ・・・
ククク・・・・閑散期のキャンペーン程美味しいものはない・・・・人のスキをつけ・・・・!

これを幸い、旦那(以下「連れ」と呼ぶ)に話すと乗ってきた為、今回は2人旅にした


11月から2月まで、とにかく気持ちだけは保つ事に専念しながらタコ部屋での日々を過ごした
(途中で高熱を出すも休まず乗り切ったが、連れに風邪が移ったまま渡航と相成った)

そして渡航当日

成田からの夜便だった為、何食わぬ顔で午後から半休をもらい、東京駅から「東京シャトル」で成田へ

予約してから知ったのだが「春節」期とバッティングしていた為(←調べろや)、チェックインカウンターが異常に並んでいた
日本に来ていた台湾からの観光客が行商なみに大荷物を抱えて並ぶ姿に愕然
干しイカやチョコレートをそんなに食べるかね…など横目にみつつ大渋滞をやり過ごす
当然出発は遅れたが、搭乗したトランスアジアはレガシー・キャリアなので機内食が出た

豚肉の煮込みみたいな。美味し
トランスアジアの機内食

春節なので福チョコをもらった
春節チョコ

現地に着いたのが夜中の1時近く。そしてホテルに着いたのが夜中3時…
もはや口をきくのもダルい状況だったが、当方アル中の為、飲酒をしないと眠れない
ホテルの近くにあったコンビニで、茶葉蛋(お茶で煮込まれた卵。コンビニおでんのように煮込まれているものをセルフで買う。美味し)とビールを買い込み、むさぼって就寝

2日目10:00

もともと体調が悪いまま参加していた連れは完全にグロッキー状態である
バイキングの朝食を食べたあと、寝に行った連れを放置し近所を散歩してみる

ホテルの近くに市場があったので行ってみた

ほぼ開いてない市場の中で、とある一角に威圧感が
占いの館

完全に日本人をどうにかしようとしてるうさんくささ
占い内容

ああなるほど
某有名人

市場と逆の方向にしばらく歩くと「行天宮」というお寺があるようなので行ってみた。
三国志で有名な「関羽」が商業の神という事で奉られており、熱心にお祈りを捧げる人々に混じって、さまざまな感情を関羽神にぶつけてみるなど
参拝の様子

お寺の近くの地下道に占いストリートがあったので通ってみたが、浅草駅の地下道よりすさんでいたので素通りする(写真なし)

お昼になりやっと連れが動けるようになったので、建物として興味があった「松山文創園区」へ。さすが日本びいきの国…アニメの展示が大賑わいだった
松山文創園区
松山文創園区

町中はたまに春節を感じる程度。しまっている店も多かったけど観光的には問題なし
春節中のSOGO

有名な「阿宗麺線」のだしの味がきいたアッツアツのそうめんはプラのれんげで食べるにはなかなかのハードルであった。美味し
阿宗麺線

そして春節ならではの観光地「龍山寺」。寺の門に電光掲示板が埋め込まれていてSO COOL。赤い服着てる人多し
龍山寺

欲にまみれた張りぼてがあった印象。参拝客が大混雑の中、歌のような念仏を唱えながらぐるぐる廻っていたのが興味深い
龍山寺

やっとありつけた小籠包を、持ち込んだビールと共に流し込む。ほんとにどこでも酒持ち込んでいいんだねえ…
小籠包

マッサージ(600台湾ドルだから2000円弱くらい?)
マッサージ

最初の台湾なんでもうちょい頑張ろうかと、有名な「寧夏夜市」へ。ハマグリの酒蒸しで一杯
夜中のおやつにエッグタルトを購入して終了
寧夏夜市

3日目

早く起きられれば新幹線で台中まで移動し、「彩虹眷村」「宮原眼科」など行ってこようと思っていたのだが、「小麦粉の神様」やら「一針一線」というお店が素敵という情報を入手していた為、朝食を食べた後、MRTに乗り東門へ。小麦粉の神様こと葱餅はシンプルなものを買ってみたがトッピング付きの方が良かったかもしれぬ。だが美味し
小麦粉の神様

連れと合流しバスで九份へ。九份へはバスで1時間強

着いたら唖然…まさかの車も人も大渋滞
春節で観光地はこんなに混み合うのか…と絶句しながら、人がぎっしりで前に進めない道を芋洗い状態で進む
九份

あまりの人に酔い、途中の茶店で休憩
えぐい入り口(写真少し小さくしました)に期待した店は普通の小籠包屋であった。すでに目的を果たしたような気持ちでだらける
九份の食堂
九份の食堂

来ました湯婆婆の屋敷。完全なる日本人対応。そしてくだんの映画を観ていない為、なるほど納得以外の言葉を持たない我々
湯婆婆の屋敷

まあ観光地なんてこんなもんすかね…と歩いていると、ひっそりとたたずむお茶屋さんが
水心月茶坊というところだった

とにかく景観が最高。空と海と山、そして猫。それをただ優雅に眺めながらお茶をすする…
日本では今、皆が仕事に追われているというのにここは桃源郷かな…
水心月茶坊
水心月茶坊
水心月茶坊

あまりの非日常感に、日が暮れるまでただぼーっとそこに佇みながら、来し方行く末を考えていた、かもしれない

当然帰りも行列に並んだりしながら3時間近くはかかった。
それでも、日が暮れれば町並みは美しかったし、とにかく魂の洗濯としか言い様のない時間を過ごせた事で、何かを得る事が出来たように思う
九份の夕暮れ

台北駅の地下街が洋服雑貨が立ち並んでいるとの事だったので行ってみた。韓国っぽいな〜という印象(疲れて写真ない)

もう疲れてご飯はともかくホテルに帰りたい我々は、とりあえずホテルそばの食堂へ。あてずっぽうで粉もんを注文し、買ってきたビールで流し込んで1日が終わった
食堂
粉もんの夕食

4日目

最終日。昼にピックアップが来るので、午前中から近くの市場で朝食をたべたりスーパーでお土産を買うなどのんびり過ごすなど
戦利品
台湾のお土産

そして、日常へ

あの桃源郷での魂の洗濯から3ヶ月。
忙しい東京で削られながら、私はまた次の旅行の為に頑張っている。
次はどこへ弾丸に行こうかな、とtabinoteのメルマガを読みながら・・・・(冒頭に一部カイジが憑依し、乱文大変失礼致しました)

3a. tabinote旅行記 12泊14日イタリア周遊旅行記(北イタリア編第2部)


3a. tabinote旅行記 12泊14日イタリア周遊旅行記(北イタリア編第2部)

Profile
yukoyamashita

やましたゆうこ

ごくふつーの社会人。旅行の非日常感が好き。
美味しい食事とお酒、それと猫とカワウソが好きです。

前号から引き続き、tabinote読者のやましたゆうこさんによるイタリア周遊旅行記を掲載します。
内容は2015年6月の体験にもとづいています。


水の都、改め、迷路の街「ヴェネツィア」

06_01
ヴェネツィアには、旧市街地である本島エリア内をS字を描くように湾曲しながら流れる大きな運河「カナル・グランデ」があります。
さらに、その間に沢山の小さな運河が流れているので、移動手段は主に船。さすが、「水の都」と言われていますね!
もちろん、陸路もあるのですが、狭い土地にぎっしりと建物が建っているため、
似たような通りが続いたり、小さな橋をいくつも渡ったりするうちに、自分のいる場所がわからなくなったりします…(*o*)

あまりにもわかりにくいため、どうやら、ヴェネツィアの地元っ子すらも、道を覚えていない方も多いそうです…(^^;
10年前にヴェネツィアに来たときは、今のように携帯で現在地を表示させながらの地図をみることができなかったので、
地元のイタリア人に道を尋ねたのですが、教えてもらった通りに歩いても、ホテルにたどり着けず、
とあるマンションの前に居たカップルに道を尋ねれば、同時に男女が背を向けあってホテルの方向を指し示す始末…(笑)
その時に知ったのですが、イタリア人は、こちらの質問の答えを知らなくても、”教えてあげる”という文化があるらしく、
道を知らなくても、「あっちだよ」と教えてくれるのだそう。(もちろんイタリア人全員がそういうわけではないと思いますが…)
誤った情報に翻弄された私たちは、より一層迷子になって歩き回ったのでした(T^T)
いやぁ…イタリア人は、テキト親切ですね~!(涙)
それ以来、イタリア人に何かを尋ねるときは10人くらいに聞いて、過半数を超える回答を信じるようにしています。
皆様も迷子になった際はお気を付けください…。

今回の旅行では、Googleマップを大活用したため、”ほとんど”迷子にならず(結局最新技術を使っても迷子になりました(笑))
大運河「カナル・グランデ」を通り、サンマルコ広場へ向かい、ヴェネツィア観光を楽しみました♪
06_02
街頭もヴェネツィアンガラスでできています。
淡い色合いがとっても可愛らしいですね♪

06_03
鐘楼に上るとこんな景色が見れます!暑い日に観光したので、海風が涼しくてとっても気持ちよかったです♪
逆に、寒い日は…辛そうですが(笑)

06_04
安いツアーだったからか、過密スケジュールの中、サンマルコ寺院内を駆け足で巡って、すっかりヘトヘトな私…。
次の予定まで、というレベルの、ほんの少しの自由時間があったのですが、
ほかのツアー参加者は、ツアーでまわれなかったところへ観光に行く中、私は真直ぐ休憩のためカフェに入りました(笑)
冷たくて美味しいプロセッコ(イタリアのスパークリングワイン)で乾いたのどを潤しながら、キラキラと光る海を眺め、日陰で潮風にあたる。
このひと時のために頑張ったのかな、と思えるくらい、最高に気持ちよかったです!!!

ちなみにここで飲んだプロセッコが美味しすぎて、この後の旅程でエノテカ巡りしてしまいました(笑)
日本では同社からランク違いの別種ならどうやら販売されているようですが、ここで飲んだワインは残念ながら販売されていませんでした。
インターネットと物流の発展で、世界中のものがその場所に行かなくても手に入るようになってきていますが、
まだまだ現地でしか買えないものがあるのだなと思うと、旅行の価値があがったような気がして、ちょっとだけ嬉しくなりました♪

ヴェネツィアでの食事は、魚介のフリッターや、イカ墨のパスタ、舌平目のムニエルなどをいただきました。
イカ墨のパスタというと、日本では、オリーブオイルベースで、ニンニクや塩で味付けしていますが、イタリアではなんとトマトベースのほうがメジャーなのだそう!
トマトベースのイカ墨パスタはとても美味しかったです♪

傾き具合の凄さは、実際にのぼってみないとわからない「ピサの斜塔」

ヴェネツィアからフィレンツェへ移動し、トスカーナ州へ足を踏み入れます。
フィレンツェから車で30分程度の近さの有名どころといえば、「ピサ」です。
定番の「ピサの斜塔」は本当に有名なところなので、写真で見たことある!という方も多いかと思います。
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斜めになっているのを重々承知の上、ピサの斜塔にのぼります。
らせん階段を上っていると、途中、下っているような感覚になるのに階段を上っている…!という不思議な経験ができます。
そして、この塔の、いつか倒れてしまうその時が、私の体重のせいで、今、倒れてしまうのではないか!?という危機感に、ものすごくドキドキしました(笑)

もともとは鐘楼だったピサの斜塔。のぼった最上階には釣鐘があるのですが、その釣鐘をみると、水平ラインからどれくらい傾いているのかがよくわかります。
のぼったことがないという方は、ぜひ一度体験してみてください!本当に、驚くほど傾いています。

メディチ家の街「フィレンツェ」

いたるところにメディチ家の紋章がついている街、「フィレンツェ」へ参りました。
「ドゥオモ」や「ジョットの鐘楼」等の有名どころをまわりつつ、大好きな「ウフィツィ美術館」を観光しました♪
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「ウフィツィ美術館」にある作品は、美術の教科書で見たことのある絵画ばかりでとても楽しいです!
特に、「ヴィーナスの誕生」と「春」の2作品のあるボッティチェッリの作品が飾られているお部屋は、見どころ満載で鼻息荒くなりますっ!

他にも、有名どころといえば、レオナルド・ダ・ヴィンチの「受胎告知」も展示されています。
絵画迄10センチ程度という近さでまじまじと見ると、筆の跡や微妙な色使いに、ため息が出るほど緻密で素晴らしい絵画であることがわかります。
この繊細さは、美術や倫理などの教科書に載っていた写真からでは、わかりません。

しっかり観光したら、食事も楽しみます♪
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ランチには、フィレンツェ名物「Tボーンステーキ」をいただきました!
このときはツアーでのランチだったので、量を日本人向きに調整して出てきましたが、
フィレンツェで本物のTボーンステーキといえば、800g以上のものを指すようです。
…大きすぎます。そんなに沢山の量を食べられないので、
あまりツアーでの食事が好きではない私も、今回ばかりはツアーで良かったかなと思いました(笑)

ディナーは、「Trattoria Armando」でいただきました♪
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いただいたのは、とてもシンプルだけど、イタリアのパスタの王道!という感じで美味しかったトマトのスパゲッティと、
これがモツ…!?と疑うほど、口に入れた瞬間溶けるほど柔らかくて旨味たっぷりの、フィレンツェ名物トリッパ(牛モツのトマト煮込み)。
写真は、そのトリッパで、これがとっても美味しかったです♪
ホルモンが苦手な方も、これなら食べられるかもしれませんね!

おなかを軽く満たした後は、エノテカ「Le volpi e l’uva」で恒例の飲んだくれ、です(笑)
このお店は、フィレンツェの学校に通っていた方に教えていただいたお勧めのエノテカで、
ワインはグラスで頼めるので、トスカーナ産のワインをたくさん飲み比べることができます。

おつまみにいただいていた、チーズやハムの盛り合わせも、
どのチーズとハムにするかをショーケースをみながら選べたり、食べきれない程多く盛り付けてくれて、とっても大満足でした(o^^o)
また、モンテプルチアーノと書いてあるけれども、トスカーナ産じゃないワインをうっかり間違えて頼んでしまったら、
店員さんが優しくトスカーナ産のはこちらだけどいいのかな?と教えてくれたので、
無事、トスカーナ産のモンテプルチアーノのワインをいただけました!
日本人の店員さんもいたので、ちょっと疲れてて英語もイタリア語も話すの面倒だという方でも、気軽に立ち寄るのでお勧めです♪


そして、酔っぱらった帰り道、歩き疲れた私は、日本にいるときのように、入浴剤入りの湯船で疲れを癒したい欲が高まり、
急遽薬局へ入り、英語で「バスミルクをください」と店員に尋ねました。
ですが!!!「バスミルク」…通じません。というか、英語が全く通じません…(汗)
イタリアでは英語は、あまり通じません。
ホテルやバスの運転手等であれば英語が通じますが、地元っ子が行くようなところは、英語が通じないことのほうが多いようです。
今回立ち寄った薬局も、英語が本当に通じなくて、bathもmilkも伝わっていない反応…。
最初は発音が悪いのかと、中学レベルの英語能力の私が、できる限り良い発音になるように頑張ったのですが、
薬局の店員から「Google翻訳」が表示されたPC前に連れて行かれました。ここでもGoogle様の恩恵を受けるとは!(笑)
これなら通じる!と思い、「I want to buy bath milk.」と打つと…
「bath milk」部分が「bagno latte(バーニョ ラッテ)」と表示されているではないですか!
トイレのことを「バーニョ」、「カフェ ラッテ」がエスプレッソにミルクを入れたもの、というレベルの旅行用イタリア語として単語は知っていたはずなのに、
お風呂が「バーニョ」で、ミルクが「ラッテ」と、全く頭の中でつながっていませんでした(>_<) 店員さん2人と私たちが、互いに目を併せて「バーニョ ラッテ!」と叫び、みんなで爆笑。 そうそう、私が欲しいのは「バーニョ ラッテ」なのよ~~~!と、意気投合し、感動して、ハグするくらい、楽しかったです。 イタリアの地元っ子は、英語が話せなくても、一生懸命コミュニケーションとってくれるので、本当に優しくて、大好きです! 戦利品の「バーニョ ラッテ」はコチラ(笑) 08_04
入浴剤でヨーグルトの香り、というチョイスは、日本では見かけないので、とても新鮮でした。

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次回:ついに南イタリアへ!
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次回はついに最終回。
ついに、南イタリアは「ローマ」「ヴァチカン市国」「ナポリ」、さらにはあまり知られていない「ランペドゥーザ島」へ足を踏み入れます!
ローマでは、地元イタリア人に教えてもらった、パンフレットに載っていないイタリア人だらけだった美味しいレストランをご紹介予定です♪
お楽しみに!

3a. tabinote旅行記 12泊14日イタリア周遊旅行記(準備編)


3a. tabinote旅行記 12泊14日イタリア周遊旅行記(準備編)

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yukoyamashita

やましたゆうこ

ごくふつーの社会人。旅行の非日常感が好き。
美味しい食事とお酒、それと猫とカワウソが好きです。

今号から数回にわたり、tabinote読者のやましたゆうこさんによるイタリア周遊旅行記を掲載します。
内容は2015年6月の体験にもとづいています。


突然ですが!私はイタリアが大大大大大好きです!(≧∀≦)
初めて行ったのは、今からちょうど10年前。社会人1年目の時です。
イタリア好きの同僚とハプニング続きで大混乱(笑)しつつも、とても楽しい旅行でした。

旅行でのハプニング…というと、みなさんはどんな経験がありますか?
ロストバゲージ、迷子、スリ、ぼったくり…等でしょうか?

前回のイタリア旅行では、ハプニング三昧(主に迷子w)だったので、今回は準備に準備を重ねました!
どんな準備をしたのか等、みなさんのご旅行の参考になれたら嬉しいです♪


事前準備はプロにお任せ!

前回のイタリア旅行は、全てツアーだったのですが、フィレンツェとローマでの各々1日ずつの自由行動だけを事前準備していました。
ですが、今回のイタリア旅行は、途中ツアーに現地集合で参加し、ツアーの前後は完全な個人旅行!
そのため、 往復航空券、宿泊ホテル、ツアー以外部分の移動手段、観光、等の手配が必要でした。
また、前回は旅慣れた同行者だったため準備はほとんど同行者にお任せだったのですが、今回は私も同行者も旅慣れていません。
出発の6ヶ月程前から、準備で試行錯誤が始まります…。(笑)

12泊14日の旅程
ツアー中の自由時間はもちろん、ツアー以外部分の旅程は、行きたい都市に対して時間と費用がかかりすぎないか気を付けながら、旅程を組みました。実際の旅程はこんな感じでした。
羽田→ミュンヘン(トランジット)→トリノ(2泊)→ミラノ(1泊)→ヴェネツィア(1泊)→フィレンツェ(2泊)(途中半日ピサ観光)→ローマ(2泊)(途中日帰りナポリ観光)→パレルモ(トランジット)→ランペドゥーザ(2泊)→パレルモ(トランジット)→ローマ(1泊)→ウィーン(トランジット・1泊)→成田

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日本からの往復航空券
直行便であれば、どの航空券が安いかはインターネットを使えばシロウトの私でも比較的簡単に調べることができます。
しかし、どこか別の国を経由して行く、となると、購入する航空券の選択肢はかなり広がります…!(>_<) そして、広がった選択肢の中から、明確な基準もないまま、費用と飛行時間とを天秤にかけて、どれがベストなルートとなるかを、判断しなくてはなりません。 さらに、海外のLCCの存在…!正直、調べる情報が多すぎます。 そこで、当時tabinoteで公開されていた航空券検索サービス(現在はSkyScannerの検索フォームに変わりました)を依頼した結果、ANAのマイルをもう少し貯めれば、ANAの提携航空会社の特典航空券が取得できることがわかったので、
依頼をした1ヶ月半後あたりに、
  • 往路:ルフトハンザ航空で、羽田から、ミュンヘンでトランジットしてから、トリノに移動
  • 復路:オーストリア航空で、ローマから、ウィーンでトランジット してから 、成田に移動
という特典航空券を、出発の5ヶ月程前に入手しました!
入手できる特典航空券にはいろいろなルート・航空会社があり、どのルートを選択するか悩みましたが、
トランジットの都市をいろいろ調べた結果、ミュンヘン空港には、入国審査を済ませた後のセントラルエリア内にレストラン「Airbräuエアーブロイ」という自家醸造のビールが飲めるお店があることがわかったので、往路はミュンヘントランジットに決めました(o^^o)
写真は「Airbräuエアーブロイ」でいただいた、とっっっても美味しかったビールとソーセージです!

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ツアー以外部分の移動手段
行きたい都市間や離島への移動は、陸路・空路・海路といろいろな選択肢がありました。
イタリアは本土内の移動は陸路がとても便利です。
予約も、現地の交通機関のサイトで、英語に表示することができるので、難なくできました。
また、「ランペドゥーザ島」というあまり有名ではない離島に行こうとしていたのですが、ここへ行くには、空路と海路があります。
費用と飛行時間を考えるとやはり空路だなと考え、こちらは空路のチケットを入手しました。
ローマからパレルモ経由でランペドゥーザ島には行くのですが、パレルモ・ランペドゥーザ間の便はLCCがあり、お得だったのですが、
ルートを迷っている間にチケットの購入タイミングが遅くなり、結局アリタリアの航空券を入手したのが、少し残念でした…(涙)
安いチケットは、早く売れてしまうので、お得に旅をするには早めの入手が鉄則ですね!
ちなみにランペドゥーザ島は、この辺にあります。
シチリア島よりさらに南で、マルタ島より西、という位置です。こうして地図で見ると、かなりチュニジア寄りですね!

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宿泊ホテル
インターネットを利用して、ExpediaやAirbnb等から予約しようと調べました。
その中から、アクセスのしやすさ、宿泊費の安さと、ホテルの綺麗さ、そしてホテルの部屋にWiFiがあること、をチェックポイントにホテルを選びました。
写真は実際に宿泊した、トリノのとても良いホテルの寝室です。
このホテルは寝室以外にも部屋があったり、大きなバスタブがついていたり、とても広くてキレイで、大当たりでした♪

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観光
今回同行者はイタリアが初めてだったため、王道の観光は必須でしたが、王道の観光どころはツアーでほとんど予約していただきました。
観光チケットの手配や、本来ならとても混雑する入場手続きが簡単で済むのは、ツアーでの団体予約ならでは、ですね!
それ以外のところは、インターネットでオーディオガイドつきの観光バスを予約したり、
Google Mapでマイマップを作り、行きたいお店の場所にピンを立てました!
<参考:私が実際に作成したマイマップ@トリノ>

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また、Google Mapを利用する前提だったため、インターネットが必要でした。
そのため、出発前に、自分のスマホのSIMロック解除手続きをし、現地で利用できる通信会社、購入できるプランとその費用、実際にSIMカードを購入できるお店の場所、等を調べました。
ちなみに、上の画像のマイマップで、スマホアイコンのピンが立ててあるところは、Vodafon shopです。
実際にトリノのVodafon shopで購入したSIMカードのプランはこんなものでした。25ユーロで2週間充分に利用できました!

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次号に続きます!
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次号では、いよいよ旅行に出発です!
パンフレットに載らないような地元っ子おすすめレストラン等もご紹介予定なので、お楽しみに~!

3a. tabinote旅行記 マイレージ利用で鹿児島ぶらり旅(後編)


3a. tabinote旅行記 マイレージ利用で鹿児島ぶらり旅(後編)

はじめに

tabinoteハマです。このコーナーでは毎号スタッフの旅行記を掲載していきますが、今後は読者の方の旅行記も掲載していくつもりです。われこそはという方がいらしたら、ぜひこちらまでお寄せください。採用の方には薄謝を差し上げます。
また、tabinoteは自分だけのユニークな旅行プラン作成のお手伝いをするサービスです。このメルマガを読んでどこかへ行きたくなったら、ぜひtabinoteまでご相談ください。


(本事例は2014年2月時点の予約可能なプランおよび費用にもとづいており、実際にtabinoteスタッフが体験した旅程と写真を使用しています。)


→【前回のあらすじ
JALのマイレージを利用し、「鹿児島」へ行こうとするも東京に珍しい大雪で欠航。
翌日に振り替えてもらうが、羽田で4時間も待たされる。


本来なら鹿児島2日目。
1日目は市内でのんびり過ごし、2日目にのんびりと鹿児島の最果てに近い「指宿(いぶすき)」に移動しようと踏んでいた。
指宿は有名温泉地であり、せっかくなのでそこそこの旅館を予約していた。
何としてでも今日中に指宿まで行きたい・・2日続けて無宿泊でキャンセル料100%取られるのはまっぴらごめんだ・・。
やっと飛んだ機内で、焦りながら何度も時刻表を確認する。

鹿児島空港到着。
時間が早ければ、空港から指宿まで行ける便利なバスがあったが、飛行機が到着した時点ですでに21時を超えており、ローカル線で行くはめに・・。
あぁ何時間かかるのだろう・・
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何とか23時半頃到着。海を堪能するはずだったのに、暗くて怖いよおかーさーん(ごうなき)


(本来ならば3日目)鹿児島ついて2日目。芋焼酎も口に合わず、イライラしながら起床。
しかし自分には午前中からやりたい事があった。

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砂風呂である(アラフォーの為、顔を自粛)
しかも土砂降りな。

砂風呂火がつき、写真を撮ってもらいまくる自分大好き人間(1人旅です)
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まあ、もういいですよね。単なる観光です(どしゃぶってますけど)

その後は、桜島で長渕像の前で吠えたり、鹿児島中央駅に併設されているスケルトン観覧車に乗ったりしました。
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昼間に1人で酒飲みながらinスケルトン観覧車は、非常に非現実的でよかったです。めっちゃ怖いです。
最後は晴れてよかったです。

夜の飛行機には無事遅延もなく乗れ、スムーズに帰れました。
何しに行ったのかは自分でも解りません。ただ、行って帰りましたそれだけです。
次にマイレージ使う時は、もう少し有意義に使いたいと思いました。ただ・・それだけです。

〜Fin〜

3a. tabinote旅行記 マイレージ利用で鹿児島ぶらり旅(前編)


3a. tabinote旅行記 マイレージ利用で鹿児島ぶらり旅(前編)

はじめに

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(本事例は2014年2月時点の予約可能なプランおよび費用にもとづいており、実際にtabinoteスタッフが体験した旅程と写真を使用しています。)


JALのマイレージがあと10日程で失効するよ、とメールが来た。
前回はANAのマイレージ消化で韓国に行き、珍道中を繰り広げてきたわけだが、さて今度はどこにしよう・・。
お察しの通り、ふらふらとどっちのマイルも気分でためているので、あまり選択肢はない。
残念ながらヲタ行事の遠征予定もないので、国内で行った事のない地域&冬なので出来るだけ南へ、という事で鹿児島に決める。
ノープランで一週間後の2月初旬に予約を入れた。

そして当日(2014年2月8日)。
東京にめずらしい大雪、降ってるやん・・
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欠航のメールがきていて、ここに電話かけろと書いてある。
混み合ってて繋がらない場合はどうしたら・・・とりあえず羽田行くしかないんか・・
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Twitterで以下の冷やかしのリプに対応しながら覚悟を決めて羽田へ出発する。

“@ JALは午後からの便全部、ANAは3時以降の便は運休って見たよ!”
“@ まさに今、羽田映ってましたよ。払戻しと便振替カウンター、500人以上並んでてさらに列が伸びてるって( ゚д゚ )”
“@ わたしもニュース見てたよ。ハマ、映るようになんかおもしろいことやってね。泣き叫ぶとか。”


ひとまず羽田到着すると、うwwwはwwwwww
テレビで見たことあるwwwww知ってるww
怒号鳴り響いてるwwwくwそwwwわろwww
がんばれ!ニッポンの看板が泣ける
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とりあえず行列に並ぶと、整備の人がこの「振替方法」の紙くれました。
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説明を聞くと、「購入ボタン」は押さないで予約しろとのこと。
明日のお昼ごろの便がまだ予約可能だったので、予約まで進んだところで近くにいたイケメンJALの人に「今回マイレージなのだがこのまま予約していいか」と聞くとよい、とのこと。次の日の便に繰り越すことに。

あまりの衝撃に、買ったばっかのOLYMPUS PENで撮ったお洒落な写真をFacebookにアップ
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1日目は鹿児島市内の7000円くらいのビジホ取ってたのでそこは100%キャンセルに・・


翌日
あっ!また腹立つメールが!このやろうwww

 ハマ 様

 この度はJALグループをお選びくださいまして、ありがとうございます。

 2月9日(日)JAL1871便の出発時刻が変更となりました。
 ご迷惑をおかけし申し訳ございません。

 ■遅延内容 2月9日(日)15時14分 現在
 ┏─────────────────────────────
 │【便情報(変更前)】
 │ 2月9日(日) JAL1871便
 │ 東京(羽田) → 鹿児島
 │ 定刻 13:40 – 15:40
 │ 搭乗口 5A
 │
 │【変更内容】
 │ 出発予定 16:15
 │ 遅延時間 2時間35分

Oh・・・行くっきゃNight・・・
待った・・ただひたすら待った・・ディレイ4時間(寝てる人もおった)
kago07
kago08

こんなにまでして行きたかったっけ鹿児島・・・(後編に続く)

3a-2. 特別レポート!羽田空港のカプセルホテルに泊まってみた


3a-2. 特別レポート!羽田空港のカプセルホテルに泊まってみた

tabinoteハマです。2014年12月に羽田空港のカプセルホテルに滞在しました。以下体験記です。


日本一チケットが入手困難な嵐のコンサート。
オーラスの東京公演だけ自力で当てていたが、突然札幌公演のお誘いを受けた。
公演当日のホテルはすでに押さえてくれていた為、急いでスカイマークとANAを押さえた。
会場でのグッズ販売に並ぶ事を見越し、行きの羽田発を6時代で取ったものの、自宅から始発で行くにはかなりのハード&リスキーさである。
やはりここはオープンしたばかりの羽田空港内のカプセルホテル、ファーストキャビンを利用しない手はないと判断。
カプセルホテル自体は韓国でうっかり経験済みであったが、あれよりははるかに快適なはず・・。
ひとまずサイトから、前泊の申し込み(内税¥5,000)をすませ、その時を待つ。

数日後は遠征、という週に入った時、日本は大寒波到来でてんやわんやしていた。
公演当日に飛行機が飛ばなかったら即アウトだ。
A・RA・SHI、巻き起こさないで嵐。
どうせ羽田に泊まるなら前日に札幌行っちゃえばよかったのでは・・我々は急にそんな気持ちに襲われ、友人は前日札幌へ飛んだ。二重払いだ。
私もだいぶ悩んだが、不意の遠征による出費が嵩んだ為、運を天に任せることにした。


そして宿泊当日。会社を定時に飛び出し羽田空港へ向かう。
空港内地下のフードコートで夕飯を済ませると、そのまま1階へ上がる。

空港の作りの関係性なのかわからんが、やたら入り口まで長い。
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入り口
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運悪く、数組の団体客に先手を越された。外国人かな?と思いきや全員日本語だった(サイトは5言語完備なんだけど)。翌朝の搭乗時間とモーニングサービス(起こしに来てくれる)を聞いてくれるので安心出来る。客室内で音を鳴らせない為。
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まず男性キャビンと女性キャビンに分かれる。客室に入る際には入り口で渡されるカードキーが必須だ。
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女性キャビン内部。これは一室が広いファーストクラスキャビン
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私が泊まる方はこっちのビジネスクラスキャビン
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入り口のブラインド(布)を閉めるとこうなる。下まで閉まりきらない設計なので、神経質な人はどうだろう?(そもそも神経質な人は泊まらないか)
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Tシャツと短パン、タオル大小1づつと歯ブラシ。使い捨てスリッパも。
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ベッド横にバッグ・貴重品入れ。深さがあるので通常の手荷物なら充分入るが、カートなどは入らない。
お風呂場で女性達が「カートを足下に置いて寝たから邪魔だった」と言っていた。
大きな荷物がある人はファーストクラスキャビンを予約する方が無難かと。
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寝っころがると上にテレビが設置されている。枕元のイヤホンにヘッドホンを挿入しないとTVがつかなかった。
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右横にライト、電源×2、Wi-Fi、イヤホンなど。
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お風呂場は家庭用の5〜6倍くらいの中浴場という感じ。
シャワーも浴室内に6、浴室外に3ほどあったはず。
アメニティもメイク落とし(ミルクタイプ)、洗顔、化粧水、乳液、コットンなど一通りあるので自前を忘れても問題ない。
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Tシャツと短パンを着てみた。寝るのにも公共スペース行くにも問題ない格好。
あ、ノーブラだと分かっちゃう系なので下着は付けるが吉だよ。
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女性キャビンから出て、入り口横のラウンジへ。ここは男女共に部屋着か普段着で入れるスペース。ソファーやインターネット(有料)がある。
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自販機コーナーには軽食や酒、ソフトドリンクなどが24時間売っているので、深夜でも安心。
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女性キャビン奥にも女性専用の公共スペースがあり、限定らしいハンドクリームの自販機があった。
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そして翌朝。快晴で無事に飛行機は飛んだ。
そしてカニ。
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そしてA・RA・SHI for dream…
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6.ハマ姉の!行きたくて行きたくて震える 〜YOU、たび行っちゃいなよ〜  2014/07/29号 Vol.028


6. ハマ姉の!行きたくて行きたくて震える
~YOU、たび行っちゃいなよ〜

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プロフィール

ハマ姉

tabinoteサイトデザイン&制作担当。紅一点のアラフォー。J事務所と旅が好き。ハマ姉へのご意見・ご質問はこちら↓

今日で辛かった仕事も終わり・・

ハマ姉です

突然ですが最終回です

旅はもちろん行きたいのだけど、行ってる暇がないんです!
合法の少年達をただ見ている喜び・・脳内トリップが楽しすぎて毎日がエブリデイ毎日がスペシャル
彼らがJAPANに居る限りここに居たい・・同じTOKYOの空気吸っていたい・・

あと単純に今日まで仕事忙しかった。それに尽きます

最近は旅行記やら特別寄稿やらボリュームが多くなってたからまあいいっすよね
ハマ姉は、震えるほど行きたかった桃源郷へとうとう旅立ったのです 〜Fin〜
(写真:合法によって召されたハマ姉のダイイングメッセージ)
ダイイングメッセージ

まあ・・何かしらやれとは言われているので、NAVERまとめとメルマガ/サイトの連動企画みたいなのを任されようかな、とは思っています
トラブルとか女子旅とかテーマを決めて記事をまとめるの、結構コンテンツ揃ってきたし出来るかなって
結局、餅は餅屋すね・・素材を整える方が性に合ってるわ・・

とりあえずQ&Aコーナーなので、何かそれっぽい事書いて終わります

Q:次に行きたい場所は?

A:旅行はしばらく国内に限定されるので、その間出来るだけマイレージをためていよいよヨーロッパに足踏み入れたいっす!高いから未開拓地だよ!

よし、以上です!また会う日まで!来世じゃなきゃいいね!涅槃でもいいよ?
ご感想あればよろしくです!

3a. tabinote旅行記 トルコ・女一人旅 Vol.05


3a. tabinote旅行記 トルコ・女一人旅 Vol.05

Profile
英賀ナオコ

英賀ナオコ

日芸写真学科在学中。メキシコ育ちの転勤族。
カメラは主にNikon、FE2、35mmフィルムカメラ。好きなタイプは、ほっといても1人で生きていけそうな人。

tumbler →Untitle

はじめに

5回に渡って連載している英賀ナオコさんのトルコ・女一人旅、最終回になります。
現在大学で写真を学んでいる彼女の、素晴らしい写真と文才をお楽しみ頂ければと思います。
無料で読めるメールマガジンでは毎回コラムを2本掲載していますが、サイトの方にも新規に2本掲載していきますので(リンクはコラム下にあります)、どちらもご覧頂ければと思います!


新市街

新市街
新市街はガラタ橋を渡った場所にある。ガラタ橋はとりあえず魚臭い。お前ら仕事は?と思うほど釣りをしているおじさん達ばっかり。
その姿を見ながら橋を渡り、新市街にやってきた。

新市街はヨーロッパのような街並みで、とてもオシャレな感じだった。

とりあえず迷った末にタクスィム広場に向かうイスティクラール通りに出た。
ここは歩行者天国になっており、路面電車が中央を行ったり来たりして走っている。
イスティクラール通りはやたらとヨーロッパ系の人が多い。
店も高級ブティックが多くて、とても手に入れる値段ではない。

帰りにデモが起こっていた。最近、トルコは頻繁にデモが起こるという。写真を撮ろうと思ったが勇気がでなくて撮れなかった。私は怖いほど熱気のあるものが撮れないことを知った。

後日、またタクスィム広場に行こうとしたのだが、デモをしていて行けなかった。

この国は今、戦争をしている国なんだ。。。

そのことに気付かされた出来事だった。


日本へ帰国

日本へ帰国
イスタンブールを離れる当日。昼にロカンタに行き、最後のご飯を食べる。

「今日、日本に帰るの」
「そうなの?また帰っておいで」

とロカンタの店員さん一人一人と握手を交わしてホテルに戻った。
まだ、空港までのシャトルバスの来る時刻ではない。ロビーで待っていると、気持ちいい日差しにいつの間にか眠気がやってきて、「ナオコ!起きて!バス来たよ!!」との声に飛び起きた。ホテルのロビーで爆睡していたのだ。
なんかどんどん図太くなっていく自分に恥ずかしくなった。

いつもお世話になったホテルのお兄さんにお別れを言う。
「ナオコ、いつでも帰っておいで。待ってるよ」「うん!また来るね!」と握手を交わした。

バスに乗って空港まで1時間。
離陸時刻5時間前に空港に到着し、カフェでスマホで友達とLINEをしているとあっという間にゲートに移動する時間になった。

搭乗券を受け取るさいに後ろの外国人が割り込もうとするが「絶対、させるか!」と睨みながら突破を阻止した。

そして、なにもなく搭乗し、イスタンブールを後にした。

だが、ここからが大変だった。ドバイはいろんな国の経由地だ。様々な国籍の人が乗っている。

離陸してから間も無く、外国人の体もビックだが声もビックなおばさん三人がおしゃべりを始めた。時刻は深夜12時。みんなが寝ているのをお構いなしに、おしゃべりを続けるおばさん達にイライラしながら、ドバイに到着。

成田への飛行機離陸時刻は14:55。ドバイ到着時刻、14:15。

これは、ヤバイ!!!!

バスでターミナルに着いた時刻は14:30だった。
そこからは全速力で走る。脳内で、これが乗れなかったら、アタイ、イスタンブールに帰ってグランドバザールで働こう!と決意して猛ダッシュで走る。

あった!あのゲートだ!!

職員が日本語で「成田行きはこちらです!早く!!」と急かすから、力いっぱいに走って、飛行機に乗車!!その時の時刻、14:50!!

本当にギリギリ!本当にギリギリだった!!

席について最初に言った言葉は

「アイ ウォント ウォーター」

本当に乗れてよかった。本当によかった。私、頑張った。
そのまま私は10時間あるフライト中、ずっと寝ていた。

最後にドタバタがあった、トルコ・イスタンブールの旅だった。


続きはこちら→向かい合うキリストモスクとイスラムモスクの理由、イスラムの国

6.ハマ姉の!行きたくて行きたくて震える 〜YOU、たび行っちゃいなよ〜  2014/07/01号 Vol.027


6. ハマ姉の!行きたくて行きたくて震える
~YOU、たび行っちゃいなよ〜

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プロフィール

ハマ姉

tabinoteサイトデザイン&制作担当。紅一点のアラフォー。J事務所と旅が好き。ハマ姉へのご意見・ご質問はこちら↓

今週もしごとつらい

ステイタス変わらず。ハマ姉です。
もう今めっきり旅に関心が失せてるし、遠征しようにも自担の現場(推しの出演するイベント)がないし、なんならネタで嵐のハワイ40万コースとか行きゃよかったかなとも思ってる今日この頃です。
このコーナーて要るんですかね!要らんのじゃないでしょうかね!
「作者急病につきお休みです」で1年くらいひっぱったろかな・・

英賀ナオコさんのトルコ・女一人旅の連載、今回で最後です!楽しかったなー。
英賀さんへの最後のQ&Aです。やはり最後は・・

Q:次に行きたい場所、やってみたい事などあれば教えて

A:次はブータンに一人旅したいと思ってます。近代化が進むブータン。近い将来、今しか見れないブータンの姿が消えるかもしれない。そう考えると、今のブータンを写真でおさめたい、と思ってます。

Q:ジャニが好きな理由を聞かせろ?

A:そんな////ジャニが好きな理由なんて////

「オトコーー!!若いオトコのカラダーーー!!!に萌えるーーー!!!」

が今一番かも/////

うん、さすが私の友達だ!以上です!
質問やご意見あればよろしくです!彼女への感想でもいいよ!