3b. 世界一周ノート 青木大地

仕事をやめ、2013年10月から1年間の予定で世界一周の旅に出ました。

Profile
aoki_s

青木大地(あおき・だいち)

1986年生まれ。日本大学 芸術学部 卒業。
卒業後、大手レンタルビデオメーカーに勤務。店舗、営業を経て世界旅行のため退社。
念願のフリーライターとしてとりあえず1年は過ごせそうです。
同名義のFacebookもよければ見てください。

Facebook

3b. 世界一周ノート 第30回:エジプト

モロッコからエジプトへ、アラブ圏最後の国へと僕は飛び立った。
思えばトルコに入ってからその香りは日に日に濃くなっていった。アジア・オセアニアで中国が繁栄するように、ヨーロッパ・アフリカではアラブ人がその役割を担っているかのようだった。そして両者に共通しているのはエネルギッシュで商売上手という点だった。

飛行機
エジプト・カイロの空港のゲートを出た時に、僕を見ていきなり「今日のバスは終わった、タクシーしかない」とドライバーが声をかけてきた。僕は一旦ドライバーを撒いて外に出た。暑かった。7月の終わりのカイロの熱気は静まらず、飛行機で冷えた体はすぐに汗を吹いた。空港からバス停までは循環バスが出ていて、僕は誰も居ないその停留所で不安になりながら循環バスを待った。ふと通りかかった人に「バスは終わってしまったの?」と聞くと、「ここで待っていれば来る」と教えてくれた。怪しさと親切が共存するアラブ圏を象徴する様な10分間だった。

市内へのバスに乗り、1時間くらいで安宿エリアに着いて迷っている僕に、旅史上最も怪しいおじさんが声をかけてきた。中年小太り、金のアクセサリーを全身につけてNBAのレプリカジャージ(シカゴ・ブルズのジョーダンのアウェイモデル)をまとったそのおじさんは「ホテルまで連れて行くからホテルの名前を教えろ」と言った。僕はホテルの名前を告げると、おじさんは颯爽と歩き出した。夜も遅かったため、助かったと思った僕がおじさんについて歩くこと20分、結局ホテルは見つからなかった。おじさんは挙げ句、そのホテルは満室だから日本人がたくさん居るホテルを紹介するからついて来いと言った。嫌がる僕とおじさんは結局一緒になって迷いながらなんとかホテルを見つけ出した。チェックインした別れ際、おじさんは僕の明日の予定を詳しく聞いてきた。起きる時間や食事の時間まで聞いてきた。僕は適当にあしらって「10時くらい」と言っておじさんと別れた。

翌朝、昼過ぎにロビーに出るとおじさんが同じ格好で僕を待っていた。多分、2時間以上待っていた。それでもおじさんは笑顔でおはようと言って、ピラミッドのツアーや砂漠のラクダツアーをすすめてきた。僕が高額なそのツアーをやんわりとことわると、おじさんは僕を昼食に誘った。僕はそれもことわって部屋へと退散した。1時間後、ロビーにおじさんが居ないことを確認して僕はやっと散歩に出ることができた。

カイロはアラブの春や度重なるクーデターで、雰囲気は穏やかではなかった。ツタンカーメンの展示があるエジプト考古学博物館の入場口は、反政府組織の財宝強奪事件への警戒のため仰々しい警備が行われていた。僕のホテルの近くでも戦車や軍人が至る所でバリケードを張ったりしていた。どれだけ街が日常的に動いていても、そういった緊張だけは確かに伝わってきていた。
博物館前のバリケード
博物館

ある朝、僕がピラミッド観光に出ようとすると、ばったりおじさんに会ってしまった。おじさんは僕をカフェに誘い、僕は仕方なくおじさんとお茶をした。おじさんの正体がそこで明らかになった。おじさんは元軍人で、日本が好き。現在は情勢の不安定なカイロで極秘任務として日本人を護衛するように国からの指令が出て動いている。国防省のIDも持っている(見せられた)。諜報員の証の鷲の刺青も入っている(見せられた)。
おじさんは馴染みのカフェでお茶をごちそうしてくれ、僕たちはまた一緒に街を歩いた。軍人のバリケードの前を通る度に、自分は国の人間だとでも言わんばかりに軍人に大声で話しかけ、ぽかんとされていた。そして僕を雑居ビルに連れていき、またツアーの紹介や置物、絵画、最後にはよく判らないローションを僕に売ろうとした。
結局僕は何も買わずにおじさんと別れた。そしておじさんとはそれが最後だった。
カフェ

その後、エジプトを訪れた人で似た様な経験をしたという人がいた。詳しく聞くと同じおじさんではないことが判ったけれど、僕はエジプトの怪しさを確信した。そしてアラブ圏で最も怪しい国エジプトと僕の戦いはまだまだ続く。

次回はエジプト後編、ピラミッドで揉める!を記します。


世界一周ノート
上海→杭州→南寧→ハノイ→ホーチミン→シェムリアプ→チェンマイ→ルアンパバーン→バンコク→パンガン島→ペナン島→マラッカ→スマトラ島→ジャワ島→マニラ→シンガポール→ジョホールバル→シドニー→チェンナイ→ムンバイ→アグラ→デリー→バラナシ→ブッダガヤ→コルカタ→ダージリン→ポカラ→ルンビニ→ガヤ→カトマンズ→ポカラ→イスタンブール→カッパドキア→パムッカレ→ボドラム→ギアテネ→メテオラ→ソフィア→ブタペスト→ザコパネ→クラクフ→サラエヴォ→ザグレブ→ヴェネチア→ローマ→ミラノ→バルセロナ→タンジェ→フェズ→マラケシュ→カサブランカ→カイロ・・・以降、アフリカ、アメリカ、南米と巡りました

3b. 世界一周ノート 第30回:エジプト


3b. 世界一周ノート 青木大地

仕事をやめ、2013年10月から1年間の予定で世界一周の旅に出ました。

Profile
aoki_s

青木大地(あおき・だいち)

1986年生まれ。日本大学 芸術学部 卒業。
卒業後、大手レンタルビデオメーカーに勤務。店舗、営業を経て世界旅行のため退社。
念願のフリーライターとしてとりあえず1年は過ごせそうです。
同名義のFacebookもよければ見てください。

Facebook

3b. 世界一周ノート 第30回:エジプト

モロッコからエジプトへ、アラブ圏最後の国へと僕は飛び立った。
思えばトルコに入ってからその香りは日に日に濃くなっていった。アジア・オセアニアで中国が繁栄するように、ヨーロッパ・アフリカではアラブ人がその役割を担っているかのようだった。そして両者に共通しているのはエネルギッシュで商売上手という点だった。

飛行機
エジプト・カイロの空港のゲートを出た時に、僕を見ていきなり「今日のバスは終わった、タクシーしかない」とドライバーが声をかけてきた。僕は一旦ドライバーを撒いて外に出た。暑かった。7月の終わりのカイロの熱気は静まらず、飛行機で冷えた体はすぐに汗を吹いた。空港からバス停までは循環バスが出ていて、僕は誰も居ないその停留所で不安になりながら循環バスを待った。ふと通りかかった人に「バスは終わってしまったの?」と聞くと、「ここで待っていれば来る」と教えてくれた。怪しさと親切が共存するアラブ圏を象徴する様な10分間だった。

市内へのバスに乗り、1時間くらいで安宿エリアに着いて迷っている僕に、旅史上最も怪しいおじさんが声をかけてきた。中年小太り、金のアクセサリーを全身につけてNBAのレプリカジャージ(シカゴ・ブルズのジョーダンのアウェイモデル)をまとったそのおじさんは「ホテルまで連れて行くからホテルの名前を教えろ」と言った。僕はホテルの名前を告げると、おじさんは颯爽と歩き出した。夜も遅かったため、助かったと思った僕がおじさんについて歩くこと20分、結局ホテルは見つからなかった。おじさんは挙げ句、そのホテルは満室だから日本人がたくさん居るホテルを紹介するからついて来いと言った。嫌がる僕とおじさんは結局一緒になって迷いながらなんとかホテルを見つけ出した。チェックインした別れ際、おじさんは僕の明日の予定を詳しく聞いてきた。起きる時間や食事の時間まで聞いてきた。僕は適当にあしらって「10時くらい」と言っておじさんと別れた。

翌朝、昼過ぎにロビーに出るとおじさんが同じ格好で僕を待っていた。多分、2時間以上待っていた。それでもおじさんは笑顔でおはようと言って、ピラミッドのツアーや砂漠のラクダツアーをすすめてきた。僕が高額なそのツアーをやんわりとことわると、おじさんは僕を昼食に誘った。僕はそれもことわって部屋へと退散した。1時間後、ロビーにおじさんが居ないことを確認して僕はやっと散歩に出ることができた。

カイロはアラブの春や度重なるクーデターで、雰囲気は穏やかではなかった。ツタンカーメンの展示があるエジプト考古学博物館の入場口は、反政府組織の財宝強奪事件への警戒のため仰々しい警備が行われていた。僕のホテルの近くでも戦車や軍人が至る所でバリケードを張ったりしていた。どれだけ街が日常的に動いていても、そういった緊張だけは確かに伝わってきていた。
博物館前のバリケード
博物館

ある朝、僕がピラミッド観光に出ようとすると、ばったりおじさんに会ってしまった。おじさんは僕をカフェに誘い、僕は仕方なくおじさんとお茶をした。おじさんの正体がそこで明らかになった。おじさんは元軍人で、日本が好き。現在は情勢の不安定なカイロで極秘任務として日本人を護衛するように国からの指令が出て動いている。国防省のIDも持っている(見せられた)。諜報員の証の鷲の刺青も入っている(見せられた)。
おじさんは馴染みのカフェでお茶をごちそうしてくれ、僕たちはまた一緒に街を歩いた。軍人のバリケードの前を通る度に、自分は国の人間だとでも言わんばかりに軍人に大声で話しかけ、ぽかんとされていた。そして僕を雑居ビルに連れていき、またツアーの紹介や置物、絵画、最後にはよく判らないローションを僕に売ろうとした。
結局僕は何も買わずにおじさんと別れた。そしておじさんとはそれが最後だった。
カフェ

その後、エジプトを訪れた人で似た様な経験をしたという人がいた。詳しく聞くと同じおじさんではないことが判ったけれど、僕はエジプトの怪しさを確信した。そしてアラブ圏で最も怪しい国エジプトと僕の戦いはまだまだ続く。

次回はエジプト後編、ピラミッドで揉める!を記します。


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