3b. 世界一周ノート 青木大地

仕事をやめ、2013年10月から1年間の予定で世界一周の旅に出ました。

Profile
aoki_s

青木大地(あおき・だいち)

1986年生まれ。日本大学 芸術学部 卒業。
卒業後、大手レンタルビデオメーカーに勤務。店舗、営業を経て世界旅行のため退社。
念願のフリーライターとしてとりあえず1年は過ごせそうです。
同名義のFacebookもよければ見てください。

Facebook

3b. 世界一周ノート 第28回:イタリア・スペイン

クロアチアの首都、ザグレブからイタリアのヴェネチアまでは、ミニバンを乗り継いで移動した。
1_s

水の都はホテル代が高過ぎて、僕は駅にバックパックを預けての1日素通り観光をすることにして、その日のうちに夜行でローマに向かう算段をたてた。
ずっと憧れていたヴェネチアは世界中から人が押し寄せる一大観光地だった。物価はこの旅史上最高に高く、何も食べれないし、買えなかった。公共の水上バスですら1000円近くするため、僕は片道切符だけ買って、後はひたすら水の都を散歩して歩いていた。
訪れた地が観光地であればある程、僕は孤独を感じて精神を削られる体質に変わっていた。そういう意味でヨーロッパがもたらした苦痛は大きく、○○を見たことがあるという経験値だけが積み重ねられていっている気がしていた。
4_s

イタリア人の印象は最初、陽気で好感が持てたけれど、その幻想はイタリア入国初日で終わった。
僕はヴェネチアとイタリア本島を繋ぐ一本道をバスか電車のどちらで越えるか考えていた。ローマへの夜行列車はヴェネチアからかかる橋の先のメストレから発車するため、そこまでの移動が必要だった。
結局、時間もあるので僕は歩くことにした。観光センターの窓口で確認したところ、徒歩40分と言われからだった。バックパックを背負って歩き出すと、ヴェネチアの夜景が背後に輝いて美しかった。
夜景は永遠にそこにあるかのように思われて、僕が一本道の橋の上を歩いている間、誰ともすれ違うことはなかった。本当に夜景は半永久的にそこにあった。40分を過ぎても橋の半分にも辿りつかなかった・・・
結局歩き続けてやっとメストレ駅に着いた頃には3時間が経っていた。距離にして10km、僕はいい加減なイタリア人を呪っていた。
そして買ったはずのローマへの直通列車は2度の乗り換えがあって、車内は満席で廊下に座り込んで夜を明かすという、アジアでもやったことのない過酷な深夜移動だった。

移動に次ぐ移動でボロボロになった体に鞭打ったローマ観光は割と1日にして成ってしまい、僕はヴァチカン市国内のレストランでパスタを食べた。イタリアに来たらイタリア料理、という安易な僕はかなり奮発して観光地のど真ん中のカフェテリアで優雅な時間を過ごし、満足していた。しかし・・・後でクレジットの請求を見てわかったのだけれど、倍以上の料金が請求されていた。その時にレシートは確認していたのに・・・どうやらレジの中で二重にカードを切られていたらしい。
6_s
9_s
7_s

その後はピサの斜塔の傾きを直しつつミラノへと足を伸ばした。名画「最後の晩餐」は入場規制でチケットが買えず見ることができなかった。チェックアウト時間を巡って宿のオーナーとも揉めた。
最後まで何故だか僕はイタリアとの相性が良くなかった。観光地イタリアは陰気なバックパッカーを寄せ付けない、華々しい場所だった。
11_s
10_s

僕はミラノから長距離バスに乗ってマドリッドを目指した。スペインに入って、バルセロナのターミナルからはサグラダファミリアが見えた。
ちょうど一年前、僕は旅行者としてこの地を訪れていた。その時の輝かしい思い出が蘇った。僕は心も体もその時と全く別の人間になってしまっていた。節約を掲げつつも観光地を貪る様に渡り歩き、髭だらけの痩せこけた顔はみすぼらしかった。自分の成長を願って始めたはずの旅なのに、自分はどんどん小さな人間になっていっている気がした。
12_s

それでもスペインの陽気さは荒んだ僕を温めてくれた。マドリッドは物価も安く、旅疲れをとるのには良い場所だった。これといった観光地はなくても、ダリやピカソの絵を偽の学生証を提示して安く眺めて、帰りに野菜を買ってパスタを作るだけで癒された。
東欧を主に巡って過ごしたヨーロッパでの1ヶ月はあっという間に過ぎた。思えばお金のことばかり考えていた。余裕がない訳ではないけれど、やはり僕にとってのヨーロッパはそういう心配が付き纏う場所だった。だからこの先のアフリカ大陸にはより一層期待が持てた。まずはモロッコへ、ジブラルタル海峡のその先に僕は思いを馳せてヨーロッパ最後の夜の目を閉じた。アフリカで待つこの旅最恐の体験なんて想像もつかずに。
13_s


世界一周ノート
上海→杭州→南寧→ハノイ→ホーチミン→シェムリアプ→チェンマイ→ルアンパバーン→バンコク→パンガン島→ペナン島→マラッカ→スマトラ島→ジャワ島→マニラ→シンガポール→ジョホールバル→シドニー→チェンナイ→ムンバイ→アグラ→デリー→バラナシ→ブッダガヤ→コルカタ→ダージリン→ポカラ→ルンビニ→ガヤ→カトマンズ→ポカラ→イスタンブール→カッパドキア→パムッカレ→ボドラム→ギアテネ→メテオラ→ソフィア→ブタペスト→ザコパネ→クラクフ→サラエヴォ→ザグレブ→ヴェネチア→ローマ→ミラノ→バルセロナ・・・以降、アフリカ、アメリカ、南米と巡りました

3b. 世界一周ノート 第28回:イタリア・スペイン


3b. 世界一周ノート 青木大地

仕事をやめ、2013年10月から1年間の予定で世界一周の旅に出ました。

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青木大地(あおき・だいち)

1986年生まれ。日本大学 芸術学部 卒業。
卒業後、大手レンタルビデオメーカーに勤務。店舗、営業を経て世界旅行のため退社。
念願のフリーライターとしてとりあえず1年は過ごせそうです。
同名義のFacebookもよければ見てください。

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3b. 世界一周ノート 第28回:イタリア・スペイン

クロアチアの首都、ザグレブからイタリアのヴェネチアまでは、ミニバンを乗り継いで移動した。
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水の都はホテル代が高過ぎて、僕は駅にバックパックを預けての1日素通り観光をすることにして、その日のうちに夜行でローマに向かう算段をたてた。
ずっと憧れていたヴェネチアは世界中から人が押し寄せる一大観光地だった。物価はこの旅史上最高に高く、何も食べれないし、買えなかった。公共の水上バスですら1000円近くするため、僕は片道切符だけ買って、後はひたすら水の都を散歩して歩いていた。
訪れた地が観光地であればある程、僕は孤独を感じて精神を削られる体質に変わっていた。そういう意味でヨーロッパがもたらした苦痛は大きく、○○を見たことがあるという経験値だけが積み重ねられていっている気がしていた。
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イタリア人の印象は最初、陽気で好感が持てたけれど、その幻想はイタリア入国初日で終わった。
僕はヴェネチアとイタリア本島を繋ぐ一本道をバスか電車のどちらで越えるか考えていた。ローマへの夜行列車はヴェネチアからかかる橋の先のメストレから発車するため、そこまでの移動が必要だった。
結局、時間もあるので僕は歩くことにした。観光センターの窓口で確認したところ、徒歩40分と言われからだった。バックパックを背負って歩き出すと、ヴェネチアの夜景が背後に輝いて美しかった。
夜景は永遠にそこにあるかのように思われて、僕が一本道の橋の上を歩いている間、誰ともすれ違うことはなかった。本当に夜景は半永久的にそこにあった。40分を過ぎても橋の半分にも辿りつかなかった・・・
結局歩き続けてやっとメストレ駅に着いた頃には3時間が経っていた。距離にして10km、僕はいい加減なイタリア人を呪っていた。
そして買ったはずのローマへの直通列車は2度の乗り換えがあって、車内は満席で廊下に座り込んで夜を明かすという、アジアでもやったことのない過酷な深夜移動だった。

移動に次ぐ移動でボロボロになった体に鞭打ったローマ観光は割と1日にして成ってしまい、僕はヴァチカン市国内のレストランでパスタを食べた。イタリアに来たらイタリア料理、という安易な僕はかなり奮発して観光地のど真ん中のカフェテリアで優雅な時間を過ごし、満足していた。しかし・・・後でクレジットの請求を見てわかったのだけれど、倍以上の料金が請求されていた。その時にレシートは確認していたのに・・・どうやらレジの中で二重にカードを切られていたらしい。
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その後はピサの斜塔の傾きを直しつつミラノへと足を伸ばした。名画「最後の晩餐」は入場規制でチケットが買えず見ることができなかった。チェックアウト時間を巡って宿のオーナーとも揉めた。
最後まで何故だか僕はイタリアとの相性が良くなかった。観光地イタリアは陰気なバックパッカーを寄せ付けない、華々しい場所だった。
11_s
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僕はミラノから長距離バスに乗ってマドリッドを目指した。スペインに入って、バルセロナのターミナルからはサグラダファミリアが見えた。
ちょうど一年前、僕は旅行者としてこの地を訪れていた。その時の輝かしい思い出が蘇った。僕は心も体もその時と全く別の人間になってしまっていた。節約を掲げつつも観光地を貪る様に渡り歩き、髭だらけの痩せこけた顔はみすぼらしかった。自分の成長を願って始めたはずの旅なのに、自分はどんどん小さな人間になっていっている気がした。
12_s

それでもスペインの陽気さは荒んだ僕を温めてくれた。マドリッドは物価も安く、旅疲れをとるのには良い場所だった。これといった観光地はなくても、ダリやピカソの絵を偽の学生証を提示して安く眺めて、帰りに野菜を買ってパスタを作るだけで癒された。
東欧を主に巡って過ごしたヨーロッパでの1ヶ月はあっという間に過ぎた。思えばお金のことばかり考えていた。余裕がない訳ではないけれど、やはり僕にとってのヨーロッパはそういう心配が付き纏う場所だった。だからこの先のアフリカ大陸にはより一層期待が持てた。まずはモロッコへ、ジブラルタル海峡のその先に僕は思いを馳せてヨーロッパ最後の夜の目を閉じた。アフリカで待つこの旅最恐の体験なんて想像もつかずに。
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世界一周ノート
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