3b. 世界一周ノート 青木大地

仕事をやめ、2013年10月から1年間の予定で世界一周の旅に出ました。

Profile
aoki_s

青木大地(あおき・だいち)

1986年生まれ。日本大学 芸術学部 卒業。
卒業後、大手レンタルビデオメーカーに勤務。店舗、営業を経て世界旅行のため退社。
念願のフリーライターとしてとりあえず1年は過ごせそうです。
同名義のFacebookもよければ見てください。

Facebook

第21回:インド チェンナイ~ムンバイ

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南インド、チェンナイにエア・アジアで着いた。アライバルビザの発効は何故かイラつき、手間取る係官のおかげで2時間かかり、空港を出て汚い列車に乗り込んだ時には23時を回っていた。
無計画に、旅の再スタートはバンコクと決めて、いざ着いてみると安い航空券はなかった。カルカッタやデリーといっためぼしい都市へのフライトは予算オーバーで、結局安いチェンナイ行きのチケットを僕は買った。ビザ申請は面倒くさく、結局アライバルでとることにした。
ワーホリ・バブルを抱えた僕はバンコクで浮かれ、ゴーゴーバーを梯子したり、日本にお土産を送ったりしていた。

そんな華々しかったバンコクから一転、チェンナイ・エグモア駅は暑かった。駅を降りると数人の客引きがやって来たけれど、思っていたよりもしつこくはなく、僕は歩いて安宿を目指した。英語は比較的通じるように思われた。
なんとかホテルの従業員を起こし、チェックインした部屋は300円のシングルだった。暗く、臭く、湿った部屋は、それでも僕の想像していたインドよりは充分快適だった。「僕は旅慣れた。やっていける」そんな過信を胸に僕は眠りについた。

翌朝、パスポートのコピーが欲しいと言われ、僕はパスポートとコピー代16円をおじさんに預けた。おじさんがコピー屋に行くのに暇だからついて行くと、コピー代は8円だった。おじさんは会計を見られたのでお釣りの8円を返そうとしたけれど、僕はことわっておじさんに8円をチップとして渡した。それ以来、おじさんは僕が何かしようとする度に手伝おうとした。そして何か困っていないかと30分おきに部屋に来た。近くにWiFi環境がないので訪ねると、離れたショッピングモールを教えてくれ、仕方なくバスで向かうとそこにWiFiはなかった。そのショッピングモールについて来た宿にいるインド人は夕食を僕に払わせた。食後のパーンと呼ばれる生の葉で香辛料を包んだやつ(噛みタバコのよう)も屋台で僕に買わせた。そして結局、tabinoteの原稿を送れず、連載に穴があいてしまった・・・

僕は遂にインドに来た。これらは500円にも満たなかったけれど問題は額じゃない、概念だった。効率とか、生産性とか、そういう概念の通用しないカーストが蔓延る国、インドに来たのだ。
チェンナイの濁った浜辺からインド洋を眺めると、その先にオーストラリアが浮かんでいるのが嘘のようだった。

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ネットがなく、予備知識もないので、僕は観光もろくにせずダラダラと散歩をして過ごした。そして列車でバンガロールを経由して、ムンバイへと駒を進めた。そしてインドにも慣れたと僕はまた勘違いしていた。辛いものが苦手なのでビリヤーニというカレー味の炒飯を食べ、コーラとクッキーで空腹を満たした。ムンバイでは安定してWiFiの入るカフェを見つけ、観光にも意欲的になれた。エレファンタ島というフェリーで1時間程の遺跡を見に行くことにした。そして浮かれた僕はターリというカレー定食を比較的ローカルなレストランで食べた。

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遺跡はどうってことはなかったけれど、さんざん旅行記で読み漁ったインドを巡っていることが嬉しかった。きっと自分はインドが好きになるタイプの人間であると少しづつ考え始めていた。お腹が痛くなるまでは。
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それは帰りのフェリーに乗ってすぐだった。お腹が痛い。すぐにターリがよぎった。ターリの端にあったヨーグルトみたいなやつがよぎった。原因はどうあれ、大きく揺れる船内で僕は目を閉じて祈った。祈りはフェリーが港に着くまでは通じた。ただ、そこから歩いて500mのホテルには届かなかった。27歳、痛恨の失禁だった。

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ホテルで洗濯した服に想いを馳せて、僕は砂漠の広がる西インドへの列車に乗った。失禁さえ済ませれば怖いものはない。あとは慎重に体調のことだけを考えて、上手くやっていける。観光資源に富んだ西インドはこれからだと、僕は自分に言い聞かせた。そして車窓に広がる乾燥地帯に野生の孔雀の姿を見た。もうすっかり気分は三島由紀夫だった。

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結局僕は都合3回失禁した。そんなに甘くはないし、やっぱりインドは刺激的だった。
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次回は西インド観光、ガンジス川で風とおかゆとバングラッシーを記します。


世界一周ノート
とりあえずの予定コース:上海→杭州→南寧→ベトナム→ハノイ→ホーチミン→カンボジア→チェンマイ→ラオス→バンコク→パンガン島→ペナン島→マラッカ→スマトラ島→ジャワ島→マニラ→シンガポール→ジョホールバル→シドニー→チェンナイ→ムンバイ・・・。以降トルコ、ヨーロッパ、アフリカ、アメリカ、南米と巡る予定

3b. 世界一周ノート 第21回:インド チェンナイ~ムンバイ


3b. 世界一周ノート 青木大地

仕事をやめ、2013年10月から1年間の予定で世界一周の旅に出ました。

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青木大地(あおき・だいち)

1986年生まれ。日本大学 芸術学部 卒業。
卒業後、大手レンタルビデオメーカーに勤務。店舗、営業を経て世界旅行のため退社。
念願のフリーライターとしてとりあえず1年は過ごせそうです。
同名義のFacebookもよければ見てください。

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第21回:インド チェンナイ~ムンバイ

IMG_0033

南インド、チェンナイにエア・アジアで着いた。アライバルビザの発効は何故かイラつき、手間取る係官のおかげで2時間かかり、空港を出て汚い列車に乗り込んだ時には23時を回っていた。
無計画に、旅の再スタートはバンコクと決めて、いざ着いてみると安い航空券はなかった。カルカッタやデリーといっためぼしい都市へのフライトは予算オーバーで、結局安いチェンナイ行きのチケットを僕は買った。ビザ申請は面倒くさく、結局アライバルでとることにした。
ワーホリ・バブルを抱えた僕はバンコクで浮かれ、ゴーゴーバーを梯子したり、日本にお土産を送ったりしていた。

そんな華々しかったバンコクから一転、チェンナイ・エグモア駅は暑かった。駅を降りると数人の客引きがやって来たけれど、思っていたよりもしつこくはなく、僕は歩いて安宿を目指した。英語は比較的通じるように思われた。
なんとかホテルの従業員を起こし、チェックインした部屋は300円のシングルだった。暗く、臭く、湿った部屋は、それでも僕の想像していたインドよりは充分快適だった。「僕は旅慣れた。やっていける」そんな過信を胸に僕は眠りについた。

翌朝、パスポートのコピーが欲しいと言われ、僕はパスポートとコピー代16円をおじさんに預けた。おじさんがコピー屋に行くのに暇だからついて行くと、コピー代は8円だった。おじさんは会計を見られたのでお釣りの8円を返そうとしたけれど、僕はことわっておじさんに8円をチップとして渡した。それ以来、おじさんは僕が何かしようとする度に手伝おうとした。そして何か困っていないかと30分おきに部屋に来た。近くにWiFi環境がないので訪ねると、離れたショッピングモールを教えてくれ、仕方なくバスで向かうとそこにWiFiはなかった。そのショッピングモールについて来た宿にいるインド人は夕食を僕に払わせた。食後のパーンと呼ばれる生の葉で香辛料を包んだやつ(噛みタバコのよう)も屋台で僕に買わせた。そして結局、tabinoteの原稿を送れず、連載に穴があいてしまった・・・

僕は遂にインドに来た。これらは500円にも満たなかったけれど問題は額じゃない、概念だった。効率とか、生産性とか、そういう概念の通用しないカーストが蔓延る国、インドに来たのだ。
チェンナイの濁った浜辺からインド洋を眺めると、その先にオーストラリアが浮かんでいるのが嘘のようだった。

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ネットがなく、予備知識もないので、僕は観光もろくにせずダラダラと散歩をして過ごした。そして列車でバンガロールを経由して、ムンバイへと駒を進めた。そしてインドにも慣れたと僕はまた勘違いしていた。辛いものが苦手なのでビリヤーニというカレー味の炒飯を食べ、コーラとクッキーで空腹を満たした。ムンバイでは安定してWiFiの入るカフェを見つけ、観光にも意欲的になれた。エレファンタ島というフェリーで1時間程の遺跡を見に行くことにした。そして浮かれた僕はターリというカレー定食を比較的ローカルなレストランで食べた。

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遺跡はどうってことはなかったけれど、さんざん旅行記で読み漁ったインドを巡っていることが嬉しかった。きっと自分はインドが好きになるタイプの人間であると少しづつ考え始めていた。お腹が痛くなるまでは。
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それは帰りのフェリーに乗ってすぐだった。お腹が痛い。すぐにターリがよぎった。ターリの端にあったヨーグルトみたいなやつがよぎった。原因はどうあれ、大きく揺れる船内で僕は目を閉じて祈った。祈りはフェリーが港に着くまでは通じた。ただ、そこから歩いて500mのホテルには届かなかった。27歳、痛恨の失禁だった。

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ホテルで洗濯した服に想いを馳せて、僕は砂漠の広がる西インドへの列車に乗った。失禁さえ済ませれば怖いものはない。あとは慎重に体調のことだけを考えて、上手くやっていける。観光資源に富んだ西インドはこれからだと、僕は自分に言い聞かせた。そして車窓に広がる乾燥地帯に野生の孔雀の姿を見た。もうすっかり気分は三島由紀夫だった。

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結局僕は都合3回失禁した。そんなに甘くはないし、やっぱりインドは刺激的だった。
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次回は西インド観光、ガンジス川で風とおかゆとバングラッシーを記します。


世界一周ノート
とりあえずの予定コース:上海→杭州→南寧→ベトナム→ハノイ→ホーチミン→カンボジア→チェンマイ→ラオス→バンコク→パンガン島→ペナン島→マラッカ→スマトラ島→ジャワ島→マニラ→シンガポール→ジョホールバル→シドニー→チェンナイ→ムンバイ・・・。以降トルコ、ヨーロッパ、アフリカ、アメリカ、南米と巡る予定