3b. 世界一周ノート 青木大地

仕事をやめ、2013年10月から1年間の予定で世界一周の旅に出ました。

Profile
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青木大地(あおき・だいち)

1986年生まれ。日本大学 芸術学部 卒業。
卒業後、大手レンタルビデオメーカーに勤務。店舗、営業を経て世界旅行のため退社。
念願のフリーライターとしてとりあえず1年は過ごせそうです。
同名義のFacebookもよければ見てください。

Facebook

第11回:トバ湖

(編集部注:第8回バンコク第9回シドニーの間をつなぐ、シドニー移動前のエピソードです)

photo1

海賊で有名なマラッカ海峡を渡るフェリーに乗って、僕はスマトラ島へと入った。ビザはアライバルで何の記入もなしに、お金だけ支払って終わってしまった。

スマトラ島の情報は乏しく、僕は何の計画も持たずにやって来てしまった。ただ、80年代のヒッピー黄金期を支えた世界最大のカルデラ湖、トバ湖に向かうということだけを決めていた。
降船早々、アメリカ人が船内で財布をすられたことに気付き、評判通りのインドネシアに直面した。
僕は怪しい客引きにつかまり、トバ湖へ向かうバスの手配に奔走した。大晦日ということもあり、バス会社は限られていて、トバ湖へのフェリー乗り場へと向かう夜行バスを何とか1便見つけることができた。
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バスは2時間遅れて出発し、今まで味わったことのない悪路を進んだ。
車内では車酔いで嘔吐した女性の吐瀉物の臭いと、際限なく湧き出る煙草の煙が僕を包み、人生史上最悪の年越しになった。
途中で寄ったサービスエリアでは隣り合わせたインドネシア人家族に夕食を無理矢理奢らされたりもした。
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目覚めるとバスは終点に着いたようだった。寝ぼけ眼をこすると、そこはトバ湖ではなく、メダンという都市だった。他のバスよりも500円も高いチケットを買って、挙げ句騙されていた。バスはメダンまでのもので、トバ湖には行かないと言われてしまった。
途方に暮れていると、さっきの家族が近寄ってきて、トバ湖までのバス乗り場まで連れていってくれた。夕飯のお礼だろうか。
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とにかく、僕は最低の気持ちで新年を迎え、インドネシアに対する不安でいっぱいになりながら1月1日の夕方、遂にトバ湖に辿り着いた。
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けれど、トバ湖は最高だった。
美しい景色はもちろん、ゆったりとした時間の流れる廃れたリゾートは今もヒッピー全盛の面影を残し、雑に整った観光施設の居心地は悪くなく、何より人間の絶対数が少なかった。
島には居ついた年老いたヒッピーや教会、そしてそこかしこにあるマジックマッシュルームの看板が異様な空気を生んで、幸せな「暇」が存在していた。
僕はここで何もせず1週間を過ごした。宿は食事も頼め、1泊350円のコテージで、宿泊場所は湖の中にある巨大な島、サモシール島だった。
サモシール島はバイクを借りれば1日で回ることができ、温泉や景勝地を巡ればそれで終わりといった感じだった。

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1週間は意外と長く、最初は何も感じなかったマジックマッシュルームに、僕は次第に興味を持つようになっていった。
photo13

そんな時、エストニア人に誘われて試す機会がやってきた。僕は恐る恐る牛糞から生成されるその乾燥したキノコを口に入れた。エストニア人は60個くらい食べた。
けれど、何故か何も起こらなかった。
photo14

翌日、僕は好奇心の生殺しのような状態に耐えられないで、ここまで来たらと自らマジックマッシュルームを購入した。コーラ付きで800円、オムレツにして食べることになった。
photo15_s

オムレツを食べて、ハンモックに揺られること30分、僕は自分を完全に失った。

次回はマジックマッシュルームの感想、ブキティンギへの移動、ジャワ島への48時間バス移動について記します。


世界一周ノート
とりあえずの予定コース:上海→杭州→南寧→ベトナム→ハノイ→ホーチミン→カンボジア→チェンマイ→ラオス→バンコク→パンガン島→ペナン島→マラッカ→メダン→トバ湖・・・シンガポール→シドニー…、以降インド、トルコ、ヨーロッパ、アフリカ、アメリカ、南米と巡る予定

3b. 世界一周ノート 第11回:トバ湖


3b. 世界一周ノート 青木大地

仕事をやめ、2013年10月から1年間の予定で世界一周の旅に出ました。

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青木大地(あおき・だいち)

1986年生まれ。日本大学 芸術学部 卒業。
卒業後、大手レンタルビデオメーカーに勤務。店舗、営業を経て世界旅行のため退社。
念願のフリーライターとしてとりあえず1年は過ごせそうです。
同名義のFacebookもよければ見てください。

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第11回:トバ湖

(編集部注:第8回バンコク第9回シドニーの間をつなぐ、シドニー移動前のエピソードです)

photo1

海賊で有名なマラッカ海峡を渡るフェリーに乗って、僕はスマトラ島へと入った。ビザはアライバルで何の記入もなしに、お金だけ支払って終わってしまった。

スマトラ島の情報は乏しく、僕は何の計画も持たずにやって来てしまった。ただ、80年代のヒッピー黄金期を支えた世界最大のカルデラ湖、トバ湖に向かうということだけを決めていた。
降船早々、アメリカ人が船内で財布をすられたことに気付き、評判通りのインドネシアに直面した。
僕は怪しい客引きにつかまり、トバ湖へ向かうバスの手配に奔走した。大晦日ということもあり、バス会社は限られていて、トバ湖へのフェリー乗り場へと向かう夜行バスを何とか1便見つけることができた。
photo2_s

バスは2時間遅れて出発し、今まで味わったことのない悪路を進んだ。
車内では車酔いで嘔吐した女性の吐瀉物の臭いと、際限なく湧き出る煙草の煙が僕を包み、人生史上最悪の年越しになった。
途中で寄ったサービスエリアでは隣り合わせたインドネシア人家族に夕食を無理矢理奢らされたりもした。
photo3_s

目覚めるとバスは終点に着いたようだった。寝ぼけ眼をこすると、そこはトバ湖ではなく、メダンという都市だった。他のバスよりも500円も高いチケットを買って、挙げ句騙されていた。バスはメダンまでのもので、トバ湖には行かないと言われてしまった。
途方に暮れていると、さっきの家族が近寄ってきて、トバ湖までのバス乗り場まで連れていってくれた。夕飯のお礼だろうか。
photo4_s

とにかく、僕は最低の気持ちで新年を迎え、インドネシアに対する不安でいっぱいになりながら1月1日の夕方、遂にトバ湖に辿り着いた。
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けれど、トバ湖は最高だった。
美しい景色はもちろん、ゆったりとした時間の流れる廃れたリゾートは今もヒッピー全盛の面影を残し、雑に整った観光施設の居心地は悪くなく、何より人間の絶対数が少なかった。
島には居ついた年老いたヒッピーや教会、そしてそこかしこにあるマジックマッシュルームの看板が異様な空気を生んで、幸せな「暇」が存在していた。
僕はここで何もせず1週間を過ごした。宿は食事も頼め、1泊350円のコテージで、宿泊場所は湖の中にある巨大な島、サモシール島だった。
サモシール島はバイクを借りれば1日で回ることができ、温泉や景勝地を巡ればそれで終わりといった感じだった。

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1週間は意外と長く、最初は何も感じなかったマジックマッシュルームに、僕は次第に興味を持つようになっていった。
photo13

そんな時、エストニア人に誘われて試す機会がやってきた。僕は恐る恐る牛糞から生成されるその乾燥したキノコを口に入れた。エストニア人は60個くらい食べた。
けれど、何故か何も起こらなかった。
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翌日、僕は好奇心の生殺しのような状態に耐えられないで、ここまで来たらと自らマジックマッシュルームを購入した。コーラ付きで800円、オムレツにして食べることになった。
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オムレツを食べて、ハンモックに揺られること30分、僕は自分を完全に失った。

次回はマジックマッシュルームの感想、ブキティンギへの移動、ジャワ島への48時間バス移動について記します。


世界一周ノート
とりあえずの予定コース:上海→杭州→南寧→ベトナム→ハノイ→ホーチミン→カンボジア→チェンマイ→ラオス→バンコク→パンガン島→ペナン島→マラッカ→メダン→トバ湖・・・シンガポール→シドニー…、以降インド、トルコ、ヨーロッパ、アフリカ、アメリカ、南米と巡る予定