3b. 世界一周ノート 青木大地

仕事をやめ、2013年10月から1年間の予定で世界一周の旅に出ました。

Profile
aoki_s

青木大地(あおき・だいち)

1986年生まれ。日本大学 芸術学部 卒業。
卒業後、大手レンタルビデオメーカーに勤務。店舗、営業を経て世界旅行のため退社。
念願のフリーライターとしてとりあえず1年は過ごせそうです。
同名義のFacebookもよければ見てください。

Facebook

第10回:パンガン島~ペナン島

(編集部注:前々回バンコク前回シドニーの間をつなぐ、シドニー移動前のエピソードです)

バンコクでの沈没生活を終えた僕は、tabinoteの旅程検索を使って如何にしてオーストラリアまで最安で行けるのかを調べてもらった。その結果、LCCスクートがシンガポールから2万円程でシドニーまでの便を運行していることがわかった。
バンコクを南下、シンガポールまでを陸路で目指すことに決め、まずはクリスマスに開かれるパンガン島のハーフムーンパーティーを目指すことにした。
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鉄道車両の3等席ではデモ帰りの一群と一緒になり、南部からの黄派への支持の強さを肌で感じた。
南部の都市、スラタニから盗難バスで名高いパンガンツアーのバスに乗って辿り着いたパンガン島は、まさにパーティーアイランドだった。
どこからともなく集まってくる欧米人たちが酔い、踊り、かつて大麻島と呼ばれた名残を充分に感じさせる怪しい客引きたちがパーティー会場を闊歩していた。
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その騒乱ぶりは凄まじく、帰路では血だらけで大破したレンタルバイクで道に迷う青年や、バイクで僕を轢いておいて逆ギレする女の子と、僕は少し辟易としながらパンガン島を後にした。
それでもフェリーから眺める夕日と朝焼けは美しく、多くの旅人を惹き付けるタイ南部の島々の魅力の側面を垣間見ることができた。
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スラタニからマレーシアへはローカルバスを乗り継いでパダンベサールという小さな国境を越えた。
僕の目的地でもあるペナン島で、タイ料理のお店を経営するおじさんと乗り合わせ、レートの良い両替場を教えてもらい、鉄道のチケットも簡単に買うことができた。
鉄道は満席で4時間も遅れたけれど、目的地バタワース駅からのフェリーに乗って、何とか1日をかけてペナン島に着くことができた。
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マレーシアは気候・物価こそ東南アジア基準なものの、イスラム圏ということと、その発展に華僑が大きく関わっているという点で雰囲気ががらりと変わる。特に食べ物は日本人好みの中華風味付けが多く、屋台や安食堂の満足度はかなり高かった。
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ペナン島ではペイントアート巡りやスネーク寺院、海に浮かぶモスクなど、観光と安食堂通いで忙しく過ごした。ベトナム、ラオスでも会った日本人バックパッカーにも3度目の再会を果たし、お互いの旅の安全をインド人街の寺で祈ったりした。

慌ただしくタイからマレーシアへ移動して、もう年の瀬が迫っていた。
僕はどんな場所でどんな形で新年を迎えるか、ペナン島の安宿で考えた。ふと、「マラッカの夕日」という言葉が頭に浮かんだ。深夜特急で沢村耕太郎が最も美しかった光景と讃えた夕日だ。
気付けば僕は夜行バスに飛び乗って世界遺産の港町マラッカを目指していた。首都クアラルンプールを通り過ぎて、マラッカに降り立った時、早朝のターミナルの電工掲示板は12月30日を示していた。
マラッカ観光は1日で済んでしまい、肝心の夕日は雨季でガスってしまい、ぼんやりとしていた。
photo17_s

何だか、慌ただしく動いているのに物足りない、疲労だけが無駄に溜まる倦怠感が僕を覆っていた。
ちょっとここらで冒険を・・・

そんな風に考えたのが地獄のインドネシア、スマトラ島横断の始まりだった。
次回はスマトラ島、トバ湖とマジックマッシュルームについて記します。


世界一周ノート
とりあえずの予定コース:上海→杭州→南寧→ベトナム→ハノイ→ホーチミン→カンボジア→チェンマイ→ラオス→バンコク→パンガン島→ペナン島→シンガポール→シドニー…、以降インド、トルコ、ヨーロッパ、アフリカ、アメリカ、南米と巡る予定

3b. 世界一周ノート 第10回:パンガン島~ペナン島


3b. 世界一周ノート 青木大地

仕事をやめ、2013年10月から1年間の予定で世界一周の旅に出ました。

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青木大地(あおき・だいち)

1986年生まれ。日本大学 芸術学部 卒業。
卒業後、大手レンタルビデオメーカーに勤務。店舗、営業を経て世界旅行のため退社。
念願のフリーライターとしてとりあえず1年は過ごせそうです。
同名義のFacebookもよければ見てください。

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第10回:パンガン島~ペナン島

(編集部注:前々回バンコク前回シドニーの間をつなぐ、シドニー移動前のエピソードです)

バンコクでの沈没生活を終えた僕は、tabinoteの旅程検索を使って如何にしてオーストラリアまで最安で行けるのかを調べてもらった。その結果、LCCスクートがシンガポールから2万円程でシドニーまでの便を運行していることがわかった。
バンコクを南下、シンガポールまでを陸路で目指すことに決め、まずはクリスマスに開かれるパンガン島のハーフムーンパーティーを目指すことにした。
photo1_s

鉄道車両の3等席ではデモ帰りの一群と一緒になり、南部からの黄派への支持の強さを肌で感じた。
南部の都市、スラタニから盗難バスで名高いパンガンツアーのバスに乗って辿り着いたパンガン島は、まさにパーティーアイランドだった。
どこからともなく集まってくる欧米人たちが酔い、踊り、かつて大麻島と呼ばれた名残を充分に感じさせる怪しい客引きたちがパーティー会場を闊歩していた。
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その騒乱ぶりは凄まじく、帰路では血だらけで大破したレンタルバイクで道に迷う青年や、バイクで僕を轢いておいて逆ギレする女の子と、僕は少し辟易としながらパンガン島を後にした。
それでもフェリーから眺める夕日と朝焼けは美しく、多くの旅人を惹き付けるタイ南部の島々の魅力の側面を垣間見ることができた。
photo5_s

スラタニからマレーシアへはローカルバスを乗り継いでパダンベサールという小さな国境を越えた。
僕の目的地でもあるペナン島で、タイ料理のお店を経営するおじさんと乗り合わせ、レートの良い両替場を教えてもらい、鉄道のチケットも簡単に買うことができた。
鉄道は満席で4時間も遅れたけれど、目的地バタワース駅からのフェリーに乗って、何とか1日をかけてペナン島に着くことができた。
photo9_s

マレーシアは気候・物価こそ東南アジア基準なものの、イスラム圏ということと、その発展に華僑が大きく関わっているという点で雰囲気ががらりと変わる。特に食べ物は日本人好みの中華風味付けが多く、屋台や安食堂の満足度はかなり高かった。
photo11_s

ペナン島ではペイントアート巡りやスネーク寺院、海に浮かぶモスクなど、観光と安食堂通いで忙しく過ごした。ベトナム、ラオスでも会った日本人バックパッカーにも3度目の再会を果たし、お互いの旅の安全をインド人街の寺で祈ったりした。

慌ただしくタイからマレーシアへ移動して、もう年の瀬が迫っていた。
僕はどんな場所でどんな形で新年を迎えるか、ペナン島の安宿で考えた。ふと、「マラッカの夕日」という言葉が頭に浮かんだ。深夜特急で沢村耕太郎が最も美しかった光景と讃えた夕日だ。
気付けば僕は夜行バスに飛び乗って世界遺産の港町マラッカを目指していた。首都クアラルンプールを通り過ぎて、マラッカに降り立った時、早朝のターミナルの電工掲示板は12月30日を示していた。
マラッカ観光は1日で済んでしまい、肝心の夕日は雨季でガスってしまい、ぼんやりとしていた。
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何だか、慌ただしく動いているのに物足りない、疲労だけが無駄に溜まる倦怠感が僕を覆っていた。
ちょっとここらで冒険を・・・

そんな風に考えたのが地獄のインドネシア、スマトラ島横断の始まりだった。
次回はスマトラ島、トバ湖とマジックマッシュルームについて記します。


世界一周ノート
とりあえずの予定コース:上海→杭州→南寧→ベトナム→ハノイ→ホーチミン→カンボジア→チェンマイ→ラオス→バンコク→パンガン島→ペナン島→シンガポール→シドニー…、以降インド、トルコ、ヨーロッパ、アフリカ、アメリカ、南米と巡る予定