3a. tabinote旅行記 ジェットスターで四国半周旅行

はじめに

tabinoteワタベです。このコーナーでは毎号スタッフの旅行記を掲載していきますが、今後は読者の方の旅行記も掲載していくつもりです。われこそはという方がいらしたら、ぜひこちらまでお寄せください。採用の方には薄謝を差し上げます。
また、tabinoteは自分だけのユニークな旅行プラン作成のお手伝いをするサービスです。このメルマガを読んでどこかへ行きたくなったら、ぜひtabinoteまでご相談ください。
(本事例は2013年2月~9月時点の予約可能なプランおよび費用にもとづいており、実際にtabinoteスタッフが体験した旅程と写真を使用しています。)


2月:突発予約

2013年2月、ジェットスターの成田-松山線就航のニュースを聞く。

四国は首都圏からほどよく遠く、鉄道の網羅度も低い。そのため陸路では行きにくく、高速バスが大きなシェアを占めていた。
これはまさに「空飛ぶ高速バス」ことLCCに格好の目的地ということになる。
現在ではピーチの関空-松山便、ジェットスターの成田-高松便などがあるが、その先鞭をつけたのがジェットスターの成田-松山線だった(と思う)。
就航記念セールは片道1,980円。四国に知人がいてなじみがあった私は速攻で予約。首尾よく往復4千円でチケットを入手できた。

ただし、セール中はサイトが永遠にも思えるほどのビジー状態でうまくつながらず、誤って往路逆方向(松山発・成田行き)のチケットを買ってしまった…。それでも総額6千円である。
ちなみに当時、高速バスは往復1.5万円程度、JALは早割で2万円程度だった。
セール以外のジェットスター通常料金は往復1万円程度で、成田往復の費用を入れると高速バスとの勝負は微妙なところ。快適さはダンゼンLCC、夜行で朝イチから動ける点や車中泊の経済性を重視するなら高速バスといったところか。まあ、私ならよほどのことがない限りLCCかな。

LCCのセールを取る際に、よく「先の予定が立てられないので予約できない」と耳にするが、私は逆によほど先の予定ならなんとかなるのでは?と考えるタイプ。出発は予約から7ヶ月先の9月とした。


9月7日:初日-松山

まだまだ暑さが続く9月7日、18時の成田発松山行きに搭乗。定刻通り出発し、19時50分に松山空港着。
松山空港
(松山空港)

今回の計画は2泊3日だった。四国に土地勘はないが、唯一高知市には知人がいる。
初日は遅いので松山に滞在し、2日目にその知人宅に寄って高知の四万十に行くことにした。四国の西半分を時計回りに周遊する今思えばなかなかの強行軍であるが、計画時点ではそんなに大変とは思わなかった。ちなみにこの年の8月、四国の高知県四万十市では観測史上最高の最高気温41度を記録している。
今回の旅程
(今回のルート-A:松山市、B:高知市、C:四万十市、D:内子町)

今回の旅行は、現地で都内在住の友人と待ち合わせることにしていた。彼はその高知の知人と親しくしており、一緒の飛行機で行ってもよかったのだが都合が合わず同日の一足早い便で既に松山入りしていた。彼は1泊2日の予定で、こちらも強行軍であった。

松山空港のアクセスは非常によく、20分ほどで市街中心部に到着。福岡や那覇並みに市街と近い空港ではなかろうか。
この日は松山城の真正面にあるホテルを予約していた。ロビーで待っていた先着の友人と合流し、チェックインの後に徒歩で松山一の繁華街「大街道」(おおかいどう)を経て道後温泉街へ向かう。
大街道は夜中にもかかわらず人通りが多く、しかもほとんどが若者だらけ。後で聞いた話では大学が近くにあり学生が近隣に多く住んでいるためらしいが、予想以上に大きな街でびびる。
大街道
(大街道)

道後温泉街へ着いたのは夜半過ぎ。徒歩で来たのを後悔するほどの距離で、当然温泉も商店も閉まっていた。温泉の裏手はネオンが煌々と光る巨大な歓楽街。適当にうろついてタクシーに乗り宿へ帰る。運転手には完全にその手の店帰りと思われた模様で、ネチネチ話をふられたため適当に合わせる。一日移動して疲労困憊。
道後の歓楽街
(道後の歓楽街)


9月8日:2日目-高知へ

早朝に松山城に登る。ロープウェイもまだ動いていないので、徒歩でちょっとした山道を1kmほど。頂上からの景色はけぶっていた。
松山城
(松山城)

宿をチェックアウトしレンタカーを借りて高知方面へ移動。
四国の土地勘がないせいか、松山から高知までの距離を甘く見ていたところがある。松山から高知に行くメジャーな手段は高速バスだが、これが3千円もする。
航空券より高いよ!
検討した結果、2名ならレンタカーの方が安いと判断した。

中央分離帯が紅白の貧弱なポール一本の相互通行、対向車線を大型トラックがバンバン飛ばす恐怖の高速道をほぼノンストップで走り2時間半程度、正午過ぎに高知市に到着。さすがに日本一暑い県の日射しはえげつなく、エアコンフル稼働にもかかわらず体力を削り取られる。

知人宅に寄り、ここまで同行してきた友人を見送る。
彼はこの日夜のジェットスター松山便で東京に帰らなければならず、高知滞在時間は実質4時間程度か。はりまや橋のバス亭で別れ、そこから四万十に向かって運転開始。
高知市・ひろめ市場
(高知市・ひろめ市場)

ここで、再び四国の広さを見誤っていたことを知る。ひたすら運転し続け、四万十市(※)に着いたのは日もとっぷり暮れた頃。
宿は事前に予約しておいた素泊まり3千円の激安宿。四国にはお遍路を見込んだ安宿が多く、ドミトリーなら千円台の宿もある。殆どの宿がWiFi完備で、高知の場合はお遍路か長期滞在のサーファーを見込んだ施設が多い感じだった。
※ちなみに「四万十」の地名を冠する自治体には四万十市と四万十町がある。かつて中村市という名称だった高知西部の中核都市が四万十市、食玩で有名な海洋堂ホビー館があるのが四万十町。

宿は中村駅という四万十市の中心部近くに位置している…はずだったが、四万十市の中心部は駅周辺ではないらしい。宿から駅まで30分ほど歩くも食事ができるようなところはなく、川の上流に引き返し更に数十分、市役所方面に向かうとようやく店の明かりがちらほら見つかる。この時既に23時を過ぎており、なんとか食事はとれたもののまたも疲労困憊で宿に戻る。
四国は広いな…。


9月9日:3日目-高知から再び松山へ

この日は最終日。
四万十川の沈下橋を見て愛媛方面に北上、というくらいのゆるい予定で出発する。
沈下橋は、増水時に橋が流されないよう欄干がない形状となっており、アジアでもたまに見かける。四万十川には数十の沈下橋があり、代名詞的存在となっている。
最も下流にあり有名な「佐田の沈下橋」をカーナビにセットし走り出したはいいが、信じられないほど狭い道をクネクネと通る恐ろしいルートを指示される。
仕方なくルート通り進むも、定期的に河川工事の巨大トラックが対向車線に現れる罰ゲーム付で神経を削り取られ、着いた時には疲労の積み重ねで肩が鉛のように…。

しかし、川は絶景だった。
四万十川
(四万十川・佐田沈下橋)

その後、再び狭い道を北上、途中で観測史上最高気温を記録した江川崎地区を通り、愛媛県側へ。
江川崎地区
(江川崎地区)

今日の復路・成田行きのフライトは20時半。まだ午後になったばかりで時間があったので、愛媛の内子町という場所に向かう。
内子町は明治からの古い街並みが状態良く保存されており、ミシュランガイドでも星を獲得した堂々たる観光地。旧家の通りや大正期の歌舞伎劇場、日本のビール王こと高橋龍太郎氏の邸宅など、数々の名物がある。
この町の小学生は、観光地だからいろいろな人が来るということをたたき込まれているのか、とにかく誰を見ても大声で挨拶をする。
内子座
(歌舞伎場・内子座)

しかし内子の一番の見どころは通りの外れにある、とある寺院だった。
そこで1時間くらい過ごしてしまった。特に詳しく書くような場所でもないので、これは行った人のお楽しみということで…。

だらだらしていたらあっという間に夜。
松山市内で鯛メシでも…、と思ったがその暇もなく、結局成田でおにぎりをほおばる羽目に。

四国は、広かった。
総移動距離は、自宅から成田-松山往復のフライトがおよそ2,000km。四国での運転がおよそ450km。
非常に疲れたが、次回はもう少し余裕を持って移動できるはず。
いずれリベンジしたい。今度は高松から入って四国の東側を周遊だな。

3a. tabinote旅行記 ジェットスターで四国半周旅行


3a. tabinote旅行記 ジェットスターで四国半周旅行

はじめに

tabinoteワタベです。このコーナーでは毎号スタッフの旅行記を掲載していきますが、今後は読者の方の旅行記も掲載していくつもりです。われこそはという方がいらしたら、ぜひこちらまでお寄せください。採用の方には薄謝を差し上げます。
また、tabinoteは自分だけのユニークな旅行プラン作成のお手伝いをするサービスです。このメルマガを読んでどこかへ行きたくなったら、ぜひtabinoteまでご相談ください。
(本事例は2013年2月~9月時点の予約可能なプランおよび費用にもとづいており、実際にtabinoteスタッフが体験した旅程と写真を使用しています。)


2月:突発予約

2013年2月、ジェットスターの成田-松山線就航のニュースを聞く。

四国は首都圏からほどよく遠く、鉄道の網羅度も低い。そのため陸路では行きにくく、高速バスが大きなシェアを占めていた。
これはまさに「空飛ぶ高速バス」ことLCCに格好の目的地ということになる。
現在ではピーチの関空-松山便、ジェットスターの成田-高松便などがあるが、その先鞭をつけたのがジェットスターの成田-松山線だった(と思う)。
就航記念セールは片道1,980円。四国に知人がいてなじみがあった私は速攻で予約。首尾よく往復4千円でチケットを入手できた。

ただし、セール中はサイトが永遠にも思えるほどのビジー状態でうまくつながらず、誤って往路逆方向(松山発・成田行き)のチケットを買ってしまった…。それでも総額6千円である。
ちなみに当時、高速バスは往復1.5万円程度、JALは早割で2万円程度だった。
セール以外のジェットスター通常料金は往復1万円程度で、成田往復の費用を入れると高速バスとの勝負は微妙なところ。快適さはダンゼンLCC、夜行で朝イチから動ける点や車中泊の経済性を重視するなら高速バスといったところか。まあ、私ならよほどのことがない限りLCCかな。

LCCのセールを取る際に、よく「先の予定が立てられないので予約できない」と耳にするが、私は逆によほど先の予定ならなんとかなるのでは?と考えるタイプ。出発は予約から7ヶ月先の9月とした。


9月7日:初日-松山

まだまだ暑さが続く9月7日、18時の成田発松山行きに搭乗。定刻通り出発し、19時50分に松山空港着。
松山空港
(松山空港)

今回の計画は2泊3日だった。四国に土地勘はないが、唯一高知市には知人がいる。
初日は遅いので松山に滞在し、2日目にその知人宅に寄って高知の四万十に行くことにした。四国の西半分を時計回りに周遊する今思えばなかなかの強行軍であるが、計画時点ではそんなに大変とは思わなかった。ちなみにこの年の8月、四国の高知県四万十市では観測史上最高の最高気温41度を記録している。
今回の旅程
(今回のルート-A:松山市、B:高知市、C:四万十市、D:内子町)

今回の旅行は、現地で都内在住の友人と待ち合わせることにしていた。彼はその高知の知人と親しくしており、一緒の飛行機で行ってもよかったのだが都合が合わず同日の一足早い便で既に松山入りしていた。彼は1泊2日の予定で、こちらも強行軍であった。

松山空港のアクセスは非常によく、20分ほどで市街中心部に到着。福岡や那覇並みに市街と近い空港ではなかろうか。
この日は松山城の真正面にあるホテルを予約していた。ロビーで待っていた先着の友人と合流し、チェックインの後に徒歩で松山一の繁華街「大街道」(おおかいどう)を経て道後温泉街へ向かう。
大街道は夜中にもかかわらず人通りが多く、しかもほとんどが若者だらけ。後で聞いた話では大学が近くにあり学生が近隣に多く住んでいるためらしいが、予想以上に大きな街でびびる。
大街道
(大街道)

道後温泉街へ着いたのは夜半過ぎ。徒歩で来たのを後悔するほどの距離で、当然温泉も商店も閉まっていた。温泉の裏手はネオンが煌々と光る巨大な歓楽街。適当にうろついてタクシーに乗り宿へ帰る。運転手には完全にその手の店帰りと思われた模様で、ネチネチ話をふられたため適当に合わせる。一日移動して疲労困憊。
道後の歓楽街
(道後の歓楽街)


9月8日:2日目-高知へ

早朝に松山城に登る。ロープウェイもまだ動いていないので、徒歩でちょっとした山道を1kmほど。頂上からの景色はけぶっていた。
松山城
(松山城)

宿をチェックアウトしレンタカーを借りて高知方面へ移動。
四国の土地勘がないせいか、松山から高知までの距離を甘く見ていたところがある。松山から高知に行くメジャーな手段は高速バスだが、これが3千円もする。
航空券より高いよ!
検討した結果、2名ならレンタカーの方が安いと判断した。

中央分離帯が紅白の貧弱なポール一本の相互通行、対向車線を大型トラックがバンバン飛ばす恐怖の高速道をほぼノンストップで走り2時間半程度、正午過ぎに高知市に到着。さすがに日本一暑い県の日射しはえげつなく、エアコンフル稼働にもかかわらず体力を削り取られる。

知人宅に寄り、ここまで同行してきた友人を見送る。
彼はこの日夜のジェットスター松山便で東京に帰らなければならず、高知滞在時間は実質4時間程度か。はりまや橋のバス亭で別れ、そこから四万十に向かって運転開始。
高知市・ひろめ市場
(高知市・ひろめ市場)

ここで、再び四国の広さを見誤っていたことを知る。ひたすら運転し続け、四万十市(※)に着いたのは日もとっぷり暮れた頃。
宿は事前に予約しておいた素泊まり3千円の激安宿。四国にはお遍路を見込んだ安宿が多く、ドミトリーなら千円台の宿もある。殆どの宿がWiFi完備で、高知の場合はお遍路か長期滞在のサーファーを見込んだ施設が多い感じだった。
※ちなみに「四万十」の地名を冠する自治体には四万十市と四万十町がある。かつて中村市という名称だった高知西部の中核都市が四万十市、食玩で有名な海洋堂ホビー館があるのが四万十町。

宿は中村駅という四万十市の中心部近くに位置している…はずだったが、四万十市の中心部は駅周辺ではないらしい。宿から駅まで30分ほど歩くも食事ができるようなところはなく、川の上流に引き返し更に数十分、市役所方面に向かうとようやく店の明かりがちらほら見つかる。この時既に23時を過ぎており、なんとか食事はとれたもののまたも疲労困憊で宿に戻る。
四国は広いな…。


9月9日:3日目-高知から再び松山へ

この日は最終日。
四万十川の沈下橋を見て愛媛方面に北上、というくらいのゆるい予定で出発する。
沈下橋は、増水時に橋が流されないよう欄干がない形状となっており、アジアでもたまに見かける。四万十川には数十の沈下橋があり、代名詞的存在となっている。
最も下流にあり有名な「佐田の沈下橋」をカーナビにセットし走り出したはいいが、信じられないほど狭い道をクネクネと通る恐ろしいルートを指示される。
仕方なくルート通り進むも、定期的に河川工事の巨大トラックが対向車線に現れる罰ゲーム付で神経を削り取られ、着いた時には疲労の積み重ねで肩が鉛のように…。

しかし、川は絶景だった。
四万十川
(四万十川・佐田沈下橋)

その後、再び狭い道を北上、途中で観測史上最高気温を記録した江川崎地区を通り、愛媛県側へ。
江川崎地区
(江川崎地区)

今日の復路・成田行きのフライトは20時半。まだ午後になったばかりで時間があったので、愛媛の内子町という場所に向かう。
内子町は明治からの古い街並みが状態良く保存されており、ミシュランガイドでも星を獲得した堂々たる観光地。旧家の通りや大正期の歌舞伎劇場、日本のビール王こと高橋龍太郎氏の邸宅など、数々の名物がある。
この町の小学生は、観光地だからいろいろな人が来るということをたたき込まれているのか、とにかく誰を見ても大声で挨拶をする。
内子座
(歌舞伎場・内子座)

しかし内子の一番の見どころは通りの外れにある、とある寺院だった。
そこで1時間くらい過ごしてしまった。特に詳しく書くような場所でもないので、これは行った人のお楽しみということで…。

だらだらしていたらあっという間に夜。
松山市内で鯛メシでも…、と思ったがその暇もなく、結局成田でおにぎりをほおばる羽目に。

四国は、広かった。
総移動距離は、自宅から成田-松山往復のフライトがおよそ2,000km。四国での運転がおよそ450km。
非常に疲れたが、次回はもう少し余裕を持って移動できるはず。
いずれリベンジしたい。今度は高松から入って四国の東側を周遊だな。