3b. 世界一周ノート 青木大地

仕事をやめ、2013年10月から1年間の予定で世界一周の旅に出ました。

Profile
aoki_s

青木大地(あおき・だいち)

1986年生まれ。日本大学 芸術学部 卒業。
卒業後、大手レンタルビデオメーカーに勤務。店舗、営業を経て世界旅行のため退社。
念願のフリーライターとしてとりあえず1年は過ごせそうです。
同名義のFacebookもよければ見てください。

Facebook

第7回:バンコク-その1

nojyuku
(野宿)

ラオスの首都、ヴィエンチャンからタイのノンカーイまでの最終の国際バスに乗った僕は、日本人と過ごして甘えたラオスから自分を切り離すため、ノンカーイ駅での野宿を経てバンコクに向かった。
目的は「沈没」。

沈没 (比喩的表現)- Wikipedia

期間は1ヶ月、僕は沈没が何なのか、身をもって確かめてみたかった。
お金を使わない。極力人とも関わらない。観光らしいことはせず、生活に重点を置く。
そんなルールを設けて敢行した沈没生活は、バックパッカーの聖地カオサン通りからも近い、1泊450円の独房の様な場所で幕を開けた。
dokubo
(独房)

この生活においてまず欠かせない要素となったのがデモだった。1月27日現在でも死者を出すなど、バンコクでのデモは見通しのつかない惨事となって報道されている。僕が過ごした12月も同様に座り込み、政府施設への行進などが行われ、既に爆破事件や死傷者が出ていた。
demo1
(デモ-昼)

僕の滞在先の独房はデモの拠点である民主記念塔から徒歩10分の距離で、僕は不謹慎と知りつつもそこを歩いて回った。集会は演説や音楽ライブが終始行われ、参加者は笛と拍手でそれに応え、24時間終わることはなかった。

demo2
(デモ-夜)

今思うとどうかしているけれど、僕は顔見知りが出来るほどデモに毎日通った。だいたい1日2回、顔を出した。それは何故か?

水と食事が無料だった。時間によってはジュースやコーヒー、果物、ロティというクレープも貰えた。それはデモに集う人たちのためのものだったけれど、バンコクで唯一外国人が全くいない環境において僕の存在は珍しかったらしく、どんどん食べるよう毎日促された。
takidashi
(炊き出し)

こうして僕は最悪の事態への可能性と引き換えに昼夜デモに通い、沈没生活の食費をほぼゼロで過ごすことになった。

朝食はデモでなく、毎朝徒歩1時間かけてインド人街のシク教寺院に通った。ここではカレーの炊き出しが行われ、インド人に混じってタブラーの音色に耳を傾けながら僕はチャイをすすった。
Sikhism
(シク教寺院)

takidashi2
(やはり炊き出し)

1日に宿代の450円しか使わない日もあり、昼寝や散歩に殆どの時間を費やして、ある日僕は気が付いた。「沈没」「外こもり」という言葉はかなり広義的な言葉で、スタイルは個人によって自在に変容するということを。

一言に「沈没」と言っても、日本の「引きこもり」の様にそこに画一的な生活様式はなく、沈没者たちの生活は自由奔放で、お金の使い方も、リズムもバラバラだった。そしてそこには薬物、売春、放蕩と、生き辛い日本を多角的に逃げ出した人たちの姿があった。(僕が出会ったそんな沈没者たちの物語は次回記します)

自分で決めたルールが単に自分の沈没スタイルだったことに気付いた僕は、最後までそのスタイルで自堕落な生活を手にし、沈没を満喫した。どれだけ自分が卑しく腐っても、誰にも咎められない居心地は「日本」にはない至福の時だった。そして一度街に繰り出せば微笑みの国が僕を待っていた。
どんなガイドブックにも載っていない自分だけの旅程が「沈没」なのかもしれない。

次回は沈没生活で出会った沈没者たち、沈没事件、タイでの予防接種、パンガン島日帰り強行、を記します。


・今回の記事はあくまで筆者の見解で、デモの危険度を示すものではありません。旅行の際は政府機関の勧告、各種報道を参照して下さい。
・ヴィエンチャンーノンカーイ間は150円で国際バスが毎日運行しています。
・ノンカーイーバンコク間は朝5時発の鈍行列車が安価で700円弱。
・駅構内での野宿は特に注意されませんが、野犬と蚊に注意が必要です。
・沈没の宿泊先はSitdhiゲストハウス、カオサンを抜けたソイランブトリエリアにあります。
・シク寺院の炊き出しは朝8時から10時くらいまでで毎日行われています。


Googlemap
とりあえずの予定コース:上海→杭州→南寧→ベトナム→ハノイ→ホーチミン→カンボジア→チェンマイ→ラオス→バンコク…、以降東南アジアからインド、トルコ、ヨーロッパ、アフリカ、アメリカ、南米と巡る予定

3b. 世界一周ノート 第7回 バンコク-その1


3b. 世界一周ノート 青木大地

仕事をやめ、2013年10月から1年間の予定で世界一周の旅に出ました。

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aoki_s

青木大地(あおき・だいち)

1986年生まれ。日本大学 芸術学部 卒業。
卒業後、大手レンタルビデオメーカーに勤務。店舗、営業を経て世界旅行のため退社。
念願のフリーライターとしてとりあえず1年は過ごせそうです。
同名義のFacebookもよければ見てください。

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第7回:バンコク-その1

nojyuku
(野宿)

ラオスの首都、ヴィエンチャンからタイのノンカーイまでの最終の国際バスに乗った僕は、日本人と過ごして甘えたラオスから自分を切り離すため、ノンカーイ駅での野宿を経てバンコクに向かった。
目的は「沈没」。

沈没 (比喩的表現)- Wikipedia

期間は1ヶ月、僕は沈没が何なのか、身をもって確かめてみたかった。
お金を使わない。極力人とも関わらない。観光らしいことはせず、生活に重点を置く。
そんなルールを設けて敢行した沈没生活は、バックパッカーの聖地カオサン通りからも近い、1泊450円の独房の様な場所で幕を開けた。
dokubo
(独房)

この生活においてまず欠かせない要素となったのがデモだった。1月27日現在でも死者を出すなど、バンコクでのデモは見通しのつかない惨事となって報道されている。僕が過ごした12月も同様に座り込み、政府施設への行進などが行われ、既に爆破事件や死傷者が出ていた。
demo1
(デモ-昼)

僕の滞在先の独房はデモの拠点である民主記念塔から徒歩10分の距離で、僕は不謹慎と知りつつもそこを歩いて回った。集会は演説や音楽ライブが終始行われ、参加者は笛と拍手でそれに応え、24時間終わることはなかった。

demo2
(デモ-夜)

今思うとどうかしているけれど、僕は顔見知りが出来るほどデモに毎日通った。だいたい1日2回、顔を出した。それは何故か?

水と食事が無料だった。時間によってはジュースやコーヒー、果物、ロティというクレープも貰えた。それはデモに集う人たちのためのものだったけれど、バンコクで唯一外国人が全くいない環境において僕の存在は珍しかったらしく、どんどん食べるよう毎日促された。
takidashi
(炊き出し)

こうして僕は最悪の事態への可能性と引き換えに昼夜デモに通い、沈没生活の食費をほぼゼロで過ごすことになった。

朝食はデモでなく、毎朝徒歩1時間かけてインド人街のシク教寺院に通った。ここではカレーの炊き出しが行われ、インド人に混じってタブラーの音色に耳を傾けながら僕はチャイをすすった。
Sikhism
(シク教寺院)

takidashi2
(やはり炊き出し)

1日に宿代の450円しか使わない日もあり、昼寝や散歩に殆どの時間を費やして、ある日僕は気が付いた。「沈没」「外こもり」という言葉はかなり広義的な言葉で、スタイルは個人によって自在に変容するということを。

一言に「沈没」と言っても、日本の「引きこもり」の様にそこに画一的な生活様式はなく、沈没者たちの生活は自由奔放で、お金の使い方も、リズムもバラバラだった。そしてそこには薬物、売春、放蕩と、生き辛い日本を多角的に逃げ出した人たちの姿があった。(僕が出会ったそんな沈没者たちの物語は次回記します)

自分で決めたルールが単に自分の沈没スタイルだったことに気付いた僕は、最後までそのスタイルで自堕落な生活を手にし、沈没を満喫した。どれだけ自分が卑しく腐っても、誰にも咎められない居心地は「日本」にはない至福の時だった。そして一度街に繰り出せば微笑みの国が僕を待っていた。
どんなガイドブックにも載っていない自分だけの旅程が「沈没」なのかもしれない。

次回は沈没生活で出会った沈没者たち、沈没事件、タイでの予防接種、パンガン島日帰り強行、を記します。


・今回の記事はあくまで筆者の見解で、デモの危険度を示すものではありません。旅行の際は政府機関の勧告、各種報道を参照して下さい。
・ヴィエンチャンーノンカーイ間は150円で国際バスが毎日運行しています。
・ノンカーイーバンコク間は朝5時発の鈍行列車が安価で700円弱。
・駅構内での野宿は特に注意されませんが、野犬と蚊に注意が必要です。
・沈没の宿泊先はSitdhiゲストハウス、カオサンを抜けたソイランブトリエリアにあります。
・シク寺院の炊き出しは朝8時から10時くらいまでで毎日行われています。


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とりあえずの予定コース:上海→杭州→南寧→ベトナム→ハノイ→ホーチミン→カンボジア→チェンマイ→ラオス→バンコク…、以降東南アジアからインド、トルコ、ヨーロッパ、アフリカ、アメリカ、南米と巡る予定