3b. ウズベキスタン 極限のソ連宿


3b. ウズベキスタン 極限のソ連宿

初めて書かせて頂けることになったシと申す者である。不惑を越えて独身を突き進む理系で、ふだんは暗黒通信団という同人誌サークルで雑文を書いている。大学卒業がバブル崩壊に重なり、就活を諦め海外流浪しはじめて、はや20年。先進国以外をフラフラするのが趣味のオッサンだ。特技は激貧。苦手科目は英語と恋愛。要するにダメなやつである。今回は挨拶がてら、海外ダメ宿の体験を記してみたい。といってもこれは6年も前の話だからいま通用するかどうかはわからないし、書かれている地域はイスラム圏だから、真似して行ってみようとは思わないほうがいい。ISISは怖いのだ。あなたが戦場カメラマンや在外公館職員ならば、仕事なので仕方ないとしても、趣味で行くには危険すぎる。だから本稿は「うわぁ凄い」と深夜のテレフォンショッピングみたいに驚くだけにし、テレフォンショッピング同様、さっさと忘れるのが良いと思う。それではしばしお付き合い願いたい。

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darklogosmall

評論同人誌サークル「暗黒通信団」の雑文書き。
彼女いない歴=年齢を毎年更新中の不惑独身男。英語力は堂々の偏差値20台。生活保護受給者が見かねて食べ物をおごってくれるほどの高雅な生活レベルを維持している。学生期の終わりが就職氷河期に当たり、就職を諦めて、世界を放浪し始めた。好きな地域は中東の砂漠。お気に入りはアフガニスタンとソマリランドのビザ。残念ながら、まだ反米テロリストに知り合いがいない。最近は歳もとったしISが怖いから無難な国内旅ばかりだ。元コミケスタッフ。理系。自称高等遊民。
詳しくは http://ankokudan.org/d.htm?member-j.html

ヌクス -アラル海のお膝元-

なんといっても特技が貧乏というくらいだから、どこに行くにしても宿は最低ランクだ。中には一泊300円とか、日本では考えられないような価格帯もある。もちろん、その国の物価にも依るし、安いからといって必ずしもダメな宿というわけではないが、常識的に言えばダメ宿のヒット率は高くなろう。最近はBooking.comなどで事前に宿の詳細を見ることができるから、ガイドブックだけを頼りに彷徨う時代よりはマシになったが、そのぶんダメ宿に当たる可能性も低くなってしまって少し残念だ。

今までの流浪で極めつけだったのはウズベキスタンだ。どこだそれ? 中国のちょっと西くらいだ。といってもカシュガルから陸路行こうなんて思わないほうがいい。途中にはフェルガナ盆地というテロの巣がある。直行便が出ているから素直に飛行機だ。ウズベキスタンはソ連(ソヴィエト社会主義共和国連邦)の解体とともにできた新興国で、古代にはシルクロードの要衝だった地域だ。直行便があるせいか、たくさんのパッケージツアーが入っていて、言葉もろくに通じない割に、日本人旅団であふれかえっている。だいたい、サマルカンドなど実際はショボいのに、名前だけで売れてる感が無くもない。ブハラのアルク城も登ってみると小規模だし、ヒヴァの城壁まで行かないとホラズム的迫力は楽しめないだろう。

しかし、そんなことはどうでもいい。貧乏国家ウズベキスタンの真実を体験したいなら、観光地以外に行くべきだ。少しでも辺鄙なところに入れば、そこには依然として旧ソ連衛星国家の文化が根付いている。

地図がある人は地図を見てほしいが、ヌクスという街がある。首都タシケントの西北。干からびるアラル海に近いところで、まぁ観光物件は何もない。本当はブハラからウルゲンチに抜けようと思っていたのだが、何を血迷ったか、ヌクス行きのバスに乗ってしまった。それは本当に「魔がさした」ようにふと思いついて乗ってしまったのであり、しかも僕の場合そういうことがよくある。ヌクスというのはウルゲンチよりも遙か北方にある街で、何が僕を引きつけたのかはいまだにわからない。

顛末は次のような感じだ。ブハラのバス乗り場は街の中心から少し外れた市場の裏にある。市場は朝にぎわうが、一通り取引が終わったら長距離用のバス乗り場になるわけだ。ウズベキスタンの連中はロシア語しか話さないから、ほとんど意思疎通できない。で、僕がいつものように「ウルゲンチ、バス、ウルゲンチ、バス」とロボットのように繰り返していたところ、何匹かの現地人様からジェスチャー80%で「ウルゲンチ行きのバスはもうないよ」という回答を頂いた。これがタクシー屋なら信じないところだが、だいたいウズベク人は嘘をつかないうえ、夕方だったせいか、実際バスなどちらほらしか見あたらないのだ。まぁ、信じざる得ない。イスラム圏の皆さんは、朝5時からアザーンで起こされるから、何でも朝早いのだ。巨大な荷物を曳いて市場まで来たのに、バスがないからといってこのまま宿に退散するのもシャクだから、なんか代わりのバスはないかとウロウロしていたところ「ヌクス行き」が出現したというわけだ。この種のバスは、観光用ではないから現地人しか乗らない。で、言葉が通じないので詳細が分からない。それでも、いいかげん面倒になっていたのと、今までろくにネタらしいネタもなかったので、まぁとにかく北に向かってくれればいいや、という後先考えないアグレッシブ(=馬鹿)さで乗り込んでしまった。

イスラム圏の長距離バスというものは、実に人情に溢れている。最初は「なんだこの日本人?」という眼差しで遠巻きにされるが、20人もいれば一人くらいは疑似英語を語る個体もいるから、なんか適当に意思疎通ができてしまう。で、カタコトの会話を繰り返していれば、何となくうち解けてくるのだ。というか、電源のとれない長距離バスなんて会話くらいしかすることがないので、必然的にそうなる。ウズベキスタンは極限的ジリ貧でも先進国でもない偏差値40くらいの国家だから、あまり常軌を逸した価値観の人もいない。例によって「お前は結婚してないのか」とか、お決まりの質問を華麗にスルーして会話が進む。

首都タシケントからサマルカンド、ブハラまでもバスだったが、そこまでの距離感覚からすると、ヌクスにつくのは真夜中か翌朝という感じだった。なんせウズベキスタンは道が悪い。共産主義の国はビシっと整備された巨大道路が売りじゃなかったのか。イエメンのような極限的ジリ貧国家ですら道路は整備されているというのに、ソ連様の舗装事情は全く心許ない。トイレもないボロバスに揺られて6時間。そろそろ夜中になったと思ったら、全員が街道沿いでおろされた。夕食である。その頃までには乗客団はすっかりうち解けて、街道沿いのいかにも木賃宿みたいなところでパーティになった。不思議なことに、たまたまバスに同乗したコミュニティであるにもかかわらず、年配者を中心としたヒエラルキが形成されている。あるいはいつも同じ路線を使ってる顔見知りなのかもしれないが。とにかく、年配者様が異人たる僕を接待してくれる、というような図式になるわけだ。そうなると異人としては逆らえないから、なすがままに宴会の輪に加わる。面白いのは酒が出ることだ。それもかなり強烈なジンである。イスラムというが、中央アジアあたりじゃ酒も全くOKで、皆さんガバ呑みだ。長く共産圏だったせいかもしれないが、女性も顔を隠してたりしないし、イスラムぽいのは朝のアザーンくらいだ。ちなみに彼らはウォッカといっていたが、なんか正統なウォッカとはだいぶ味が違う。飲み食い騒ぎと三拍子揃って、結果は激安の割り勘会計。これぞ個人旅行の醍醐味だ。バスは夜の10時くらいにメシ処を出発し、また北に向かった。

夜中の2時も過ぎて、ウトウトしていたら、後ろに座っていた男が起こしてくれた。いわく「宿は決まっているのか?」と。もちろん決まってるわけがない。だいたい着くのは朝だろうと思っていたのだが、「もうすぐ着くから、宿を探してやる」といって、運転席にいってなにやら交渉を始めた。こんな時間に街について、どうしろというのか。とりあえず、もうなすがままにお任せする。

それから30分もしないうちに、バスは大きなビルの前で泊まり、僕を吐き出した。親切な男は、極寒の中、ビルの中に入っていって、女主人を叩き起こし、なにやら会話。時刻は午前2時半。気温は体感零下。もうひたすら感謝するしかない。こんなの一人だったら凍え死ぬに決まっている。やがて一通りの話がついたらしく、男性は「達者でな、日本人」と言ったかどうか、手を振って去っていった。バスに戻って、街の中心か自分の家へ向かうのらしい。

当時の「地球の歩き方」によれば、ヌクスには安宿が二つあった。ヌクスホテルとタシケントホテルという。このホテルの名前はタシケントホテルのほうらしかった。ちなみに現在、このホテルはBooking.comにすら掲載されていない。
タシケントホテル

宿の主人は僕の荷物を旧式のエレベータに乗せ、部屋へと案内した。で、問題はこの宿である。お値段シングル一泊8ドル。個室が二つもあり、掃除もされてて、一見するととても豪華なのだが、まもなく僕はその実態に気づいた。

ベッドが虫だらけなのである。この寒いのに、蚊のような(でも蚊ではないだろう)昆虫が多数部屋の中を飛んでいて、ブンブンうるさい。何か食べ物の残骸でもあるんだろうかとベッドの下をめくると、多数の蟻が塚を作っていた。よく見ると、ベッドの柱が蟻の通り道になっている。午前二時で非常に疲れているものの、このベッドじゃ眠れんわ、と思い、隣の部屋で寝ることを考えた。たしか案内されたときにはソファーがあったはず。だが僕はそこで、もっと怖ろしいことを知ってしまったのだ。なんと部屋の電気をつけようとすると、ビィーンジジジジジという、何だか高電圧実験でもしてるような音がする。そして、白熱灯のふもとから、バシッ、バシッと不規則に火花が飛ぶのだ。焦げ臭い。僕はたまげた。明かりをつけたら火事になるぞ。そう、実質使える部屋がない宿だったのである。

ここでまっとうな日本人ならフロントを呼び出して文句をつけるだろう。もちろん僕もそうしようとした。しかし、宿の女主人は呼べど叫べど起きてこない。散々努力したあげく、結局は諦めるほかない。そもそも現地人が明らかに親切心でとってくれた宿だということで、文句がいいにくい。彼らにとってはこれが当然なのだ。おそらく他の部屋もどっこいどっこいで、いたずらに話を大きくしても、どうせ似たような部屋に回されるのだろう。今まで観光地の宿ばかりだったから気づかなかったが、これが本来のウズベキスタンクォリティなのだ。

もちろんというか、シャワーのお湯なんて出ない。それどころか、蛇口をひねると割れたホースから水が漏れてくる。体感零下の世界で泣く泣く水シャワー。一応ユニットバスの形状をしているが、便器は水だめのフタがとれていて、まともに水が流れないどころか下水管が詰まっていて、出すものを出しても放置するしかない。あけた瞬間に驚愕の光景が広がっていて、とても写真を撮る勇気が出ない。せめてもの、フタを閉めて臭いをごまかすしかないから、とりあえずトイレットペーパー(もちろん僕が持参したものだ)を便器とフタの間に詰めて疑似パッキンにし、上から椅子を逆さまに置いて封じた。これで漏れてくる臭いはだいぶ防げるだろう。
タシケントホテルのトイレ

しかし、実際問題どうやって眠るのか。火花小屋じゃ危なくて眠れないし、結局は昆虫ベッドを使うしかない。電灯をつけたままにすれば、蚊はライトに集まり、比較的僕の体からは離れるだろう。アイマスクでも使えば明るさはどうにかなる。蟻のほうはとりあえず、火花小屋に備え付けられていた洗面器のようなものを塚にかぶせ、それでも蟻が漏れてくる部分はトイレットペーパーで封じた。トイレットペーパー様大活躍。ベッドの足にいた蟻は服で振り払い、残りは無視する。軍隊アリじゃないんだから殺されることはあるまい(幸いなことに僕はアマゾンで実際に軍隊アリに遭遇したので、その識別は容易だ)。それにしても、なんだって夜中の三時に逞しさを発揮してるんだか。

こうしてとりあえず寝ることは寝たが、よく見ると厚いカーテンが存在しなかったので、翌朝は七時からお目覚めだった。実質四時間に満たない睡眠で、早々と宿から脱出する。脱出というより脱獄。郷においては云々、というが、頑張れば慣れるものなのだろうか。慣れた自分を想像したくない宿だったことは確かだ。

タシケント -虫のお宿-

ヌクスも凄かったが、現時点で僕が知る限り一番激しい宿は、首都タシケントにあった。「ハドゥラ」という、地球の歩き方にも「いかにも旧ソ連的な安宿」というコメントが載っていた。ちなみにこちらも現在Booking.comには載っていない。
ネットには旅行記のようなものがあって、やっぱりコケおろされているので、僕の感覚は間違っていないと信じている。

普通は宿を決めるとき、値段と安全を両方とも考慮するのだが、夜行列車で朝にタシケントについて、ポワぁンとする頭でセレクトするともうダメだ。面倒になってしまって、安ければとりあえずいいでしょ、という投げやりモードになってしまう。

地下鉄を降りてロータリーを折り返し、徒歩30分。サーカス場の向かい。それは外観からしてヤバかった。どこかしら雰囲気が「廃墟」なのである。まるでシムシティで電気が来なくなったときの真っ黒のコンクリ。実際は黒いわけではないが、黒いオーラが出ている。これはヤバそうだと思うが、大きな荷物を引いているせいか、他の宿を探す気がしない。アラブ圏とかだと、安宿というのは安宿エリアにかたまっているから、ある宿がダメそうだったら近くの似たようなレベルの宿に入ればいいだけだ。ところが、ハドゥラの近くにはそんなものはない。そもそもソ連の計画経済で建てられているので、安宿街みたいな自然発生的概念は許されない。ハドゥラは完全に孤立した安宿だった(実は探せばいくつかあったのだが、それを見つけるのは翌日の話である)。とはいえ、メインストリート沿いで、近くにはカフェのようなものが並んでおり、食べ物には困らなさそうだから、まぁいいだろうと入ったのが運の尽き。

一階の事務机にウズベク人が座っていたので聞いてみると、コピー室を示された。まずはパスポートのコピーをとれ、というわけだ。ウズベキスタンでは外国人は「まともな」宿に泊まらなくてはならず、宿泊の証明として、発行された紙切れを出国時にチェックされる。このあたりはソ連ぽい感じがする。で、宿はそのためにパスポート情報を把握する必要があり、確かにコピーをとれという宿はたまにあるのだ。

コピーをとると4階の事務室に行く。この廃墟のエレベータは凄かった。なんとエレベータの呼び出しボタンが30度くらい斜めに取り付けられているのだ。わざわざ壁に斜めの穴が開けられて、そこに取り付けられている。設計思想が理解しがたい。美術館にあったら立派な前衛芸術だが、ここにあるとただの手抜きに違いない。それにしても、なにを考えてわざわざコンクリに、斜めにきっちり長方形の穴を開けるのか? さすが「まともな」宿だな。エレベータ自体も加速度処理を全く考えていないオンオフだけのスイッチ制御である。4階のボタンは若干押しにくかった。正拳突きで三回くらい連打するとランプがつき、やっとボタンが認識される。とりあえず動くことは動くが、日本じゃアウトだろう。シンドラーなんてソ連製に比べればまだまだ甘い。

事務室はエレベータをおりてすぐのところにあるが、朝10時の時点では鍵が閉まっていた。まぁ、人手の足りないボロ宿ではそういうこともあるから、黙って待つことにする。ほどなく、若い女性がエレベータで到着した。僕と同じく宿泊希望なのだろう。しばらく無言で待つ。モスクワは待つことを厭わない人々の集団だったが、衛星国家でも同様らしかった。やがて20分もして、宿泊希望者は二人三人と増えてきたが、事務室に人が戻ってくる気配はない。僕は片言の英語で女性に聞いた。「この宿はどうなってるんですか?」女性に英語は通じず、なぜかその後ろに並んでいた男性から「No good, but cheap(良くない宿だよ。だが安い)」という中学生の構文みたいな答えを頂いた。それは確かだろう。シングル一泊6ドルだもの。現地人に良くないと断言される宿ってどんなものか。常識的にはこの時点でさっさと逃げるべきだが、夜行列車の徹夜あけでは行動力が足りない。

やがて1時間もしてから、腰回り2メートルもありそうな事務婆が、えっちらおっちらとやってきて、軽い振動音とともに椅子に着陸し、受付を開始した。そして僕のパスポートコピーを受け取り、台帳のようなものを出してきて何事か書きつけた。「日本人と同室だよ」というような意味の現地語(ロシア語ですらなかったような)が発せられ、6階の部屋番号を書いた紙が渡された。鍵をくれとゴネたが、鍵はそもそもないらしい。仕方なく僕はエレベータに乗ろうとする。

エレベーターボタン
…エレベータのボタンは壊れていた。1階から4階に行くことはできるが、4階のボタンが壊れているので呼べない。とはいえど、大きな荷物を抱えて階段をのぼりたくはない。さてどうするか? 制限時間は5秒。

他の人が4階に上がってくるのを待つ、というのは一つの正解だ。しかし当分来そうにない。そこで、大きな荷物を抱えて「降りる」ことにした。のぼりはきつくても降りるなら何とかなるさ。3階と2階のボタンのうちどちらかが生きていれば、そこから6階に上がれるわけだ。最悪1階まで戻ればいい。まるでパズルゲームだ。もしもあなたが学生で、親や先生にゲームなんて意味がないといわれたら、ぜひこの体験談を引用してほしい。

結果として、3階のボタンは生きていた。とりあえず1階分だけ降りてエレベータを呼び無事に6階にゴール。ちなみにあとで調査したところによると、ボタンが生きているのは1階と3階と5階で、しかもエレベータの中のボタンは2階と5階が壊れていて押せない。脳トレに使えそうなエレベータである。

だが、これはほんの始まりでしかなかった。6階の指定された部屋に行くと、中からのっそりと日本人が出てきた。「こんにちは」「あ、この部屋に一緒することになりました、シといいます。よろしくお願いします」。青年は小柄な学生ぽい感じで、なぜか一心不乱にPSP(プレイステーションポータブル。当時流行っていた携帯用ゲーム機)でゲームをしていた。聞けば真性のニートで、中国から陸路ここまできたが、帰るお金がないのでこの宿に泊まったままだという。今後どうするのかと聞くと、イスタンブールまで行けば親戚のおじさんが住んでますから、という、希望に満ちた答えをもらった。が、ウズベキスタンからイスタンブールの間には、やたらビザのとりにくいトルクメニスタンと、陸路入国拒否のイラン様が控えている。バックパッカーが知らないはずもあるまい。大丈夫なんだろうか。

「一つお願いしていいですか?」と彼は切り出した。「夜も電気を消さないでほしいんです」「え?」わけをきくと、電気を消すとゴキブリが出るんだそうだ。ヌクスでは蚊と蟻だったが、こっちはGか。壁はヒビだらけであちこち穴が開いているし、電灯は切れかかっていて、紫外線でも出てる感じだ。期せずして日焼けエステの効果が得られそう。そもそも電線自体が壁のドリル穴から配線されている。客室に電ドリで穴を開けるなんて、たいした根性だ。ちなみに皮膜が腐っていて、いつ漏電しても不思議じゃない。もうはっきり言って、昆虫くらいでは全然問題にならない。シーツなどシミどころか、あちこち虫食い穴が開いているし、部屋中に異様な臭いが立ちこめている。彼が飲んだあとと思われるセブンアップとコーラのペットボトルには、何だかよく分からない6本脚のインセクターが群れていた。日本じゃ監獄でもここまでひどくはあるまいよ。

徹夜あけでフラフラではあるが、宿がこの有り様だし、とにかく昼間は活動しないと損した気分になるからと、頑張って街の観光に出た。そして夕刻帰ってきて、僕は更なる驚愕の事態を目にした。…トイレである。この先、食事中の人は読まない方がよい。

「ここのトイレは使えないですよ」とニート青年はPSPから目を離さず、さらっと言ってのけた。といっても汚いだけのトイレなんていくらでも経験してきたから、まぁ何とかなるさと思って、トイレットペーパー片手に行ってみる。…それはもはやトイレの機能を有していなかった。まず、扉がちゃんと閉まらない。たてつけが悪い上に鍵が壊れているのだ。そして、便器が割れている。当然ながら水が出ない。で、干からびた「ブツ」が何層にも積み重なって、巨大な原生動物のように居座っていた。これで用をたすくらいなら外に出ていって衆人環視の中でやったほうがマシだ。僕はもう見なかったことにして、慌てて退散。青年は「どうでした?」と素っ気なく聞いた。「無理ですね」と僕は素っ気なく答えた。この分だとシャワーも凄いことになっていそうだから、それも聞いてみたら「シャワーは大丈夫ですよ。お湯は出ませんが、水は出ますから」という素敵なコメントをもらった。そして付け加えられた。「シャワーは5階だけ使えます」…果たしてその通りであった。6階のシャワーは詰まっていて水も出ない。5階はかろうじて生きていた。これ、同室が日本人じゃなかったらどうやって情報入手するんだろう。夜行列車で風呂なしのあと、水シャワー。つくづくレベル高い国である。

翌朝、僕はさっさと荷物をまとめ、5階まで降りてエレベータに乗ったのだった。ニートの彼はプリングルスを食いながら、始終悠々とPSPで遊んでいた。その後、彼の消息は知らない。