3b. 世界一周ノート 青木大地

仕事をやめ、2013年10月から1年間の予定で世界一周の旅に出ました。2014年11月帰国。

Profile
aoki_s

青木大地(あおき・だいち)

1986年生まれ。日本大学 芸術学部 卒業。
卒業後、大手レンタルビデオメーカーに勤務。店舗、営業を経て世界旅行のため退社→帰国→セカシュー。

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3b. 世界一周ノート 第48回:セカシュー紀行-その2

前回はこちら

「ニューヨークでのセカシュー」

NY03

僕は南アフリカで強盗に遭った損失を取り戻すため、ニューヨーク(以下NY)で大学時代の先輩の家に居候をさせてもらいながらアルバイトで資金稼ぎをすることにした。シドニー同様、NYにも日本人向けの求人サイトがあって、僕はそこから日本食レストランのランチのウェイター職を手にすることができた。ウォール街のど真ん中にあるその老舗は、911事件経験者などもまだ在籍していて、色々と興味深い話を聞けたり面白い出会いが多かった。もちろん、ここでも僕は末端の労働者として存在し、華々しいニューヨーカーではなく、最下層民たちと共に生きていた。
central_park

NYでの末端の労働者を語る上で欠かせないのが「アミーゴ」たちの存在だ。彼らラテン系不法移民はNY全体の末端労働を支配し、NYは彼らなしでは機能しないほどに彼らに支えられていた。僕の働いた日本食レストランにもアミーゴたちは何人も居た。アミーゴたちは親族のつてを使い、ブローカーを介して国境を越えていた。もちろんそれには命懸けの行程もあるようで、「親戚が2週間前にメキシコを出たのにまだ着かない・・・」「輸送中に死んだ」などの海外ドラマみたいな話が実際に転がっていた。

不法移民や不法就労に世界一に甘い反面、正規ビザに関しては世界一厳しいのがNYだった。だから日本人に関して言えば学生ビザを繋いで滞在したり、特定の企業のみでの就労を許可されるビザなどを申請して滞在している人が多かった。ただ、これでさえ非常に難易度が高く、何の武器も持たない人間にとっては長期滞在に向かない街というのが正直なところだった。そして流されやすい日本人は、アミーゴという最強の悪例を見ながらとんでもないことになっていたりした・・・


[case01 Nさん 30代女性]
Nさんは学生ビザが切れ不法滞在ルーキーだった。NYでの生活は10年は越え、ビザの延長に限界がきた。レストランでもランチ、ディナーとたくさん働き、優しい人だった。ただ、彼女自身は不法滞在になってしまったことに焦っていて、帰国すればもうNYには戻れない不安を口にしていた。NYに居る具体的な目的はなくて、無為に過ごしているように映った。Nさんにはもう一つの問題があった。それは彼氏の存在だった。Nさんの彼氏はアミーゴだったのだ・・・
NY02

[case02 Sさん 40代女性]
Sさんはレストランのお局的な立場の人で、仕事にも厳しかった。NYでの滞在は長く、20代の頃から帰国はしていなかった。もちろん不法滞在バリバリで毎日スポーツウェアーで出勤し、お母さんのような人だった。僕は気に入られていて、手作りのお弁当をもらったり給料のチップを少し多めにもらったりしていた。そんなSさんには別の顔があった。どうしようもないパーティーピーポーだったのだ。夜はスポーツウェアーをドレスに着替え、夜な夜な遊びに繰り出していた。特定の相手は居らず、外国人を貪り続けていた。
NY01


NYでのセカシューは本当に難易度が高いと思う。本当に実力や才能がない限りは難しく、運も必要なため、シドニーのように単なる人足として入り込める隙はないように感じた。そしてNYに居る人たちはどこか不幸に見えた。それなのにNYで生活しているというプライドだけは高く、それに相応しいものは何一つ持ち合わせていなかった。NYの底辺は閉塞感漂うまさしく蜃気楼だった。憧れのニューヨーカーたちは今日もわかりきった詰将棋を延々と続けている。

次回は実際の僕のセカシューについて記します。

3b. 世界一周ノート 第48回:セカシュー紀行-その2


3b. 世界一周ノート 青木大地

仕事をやめ、2013年10月から1年間の予定で世界一周の旅に出ました。2014年11月帰国。

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aoki_s

青木大地(あおき・だいち)

1986年生まれ。日本大学 芸術学部 卒業。
卒業後、大手レンタルビデオメーカーに勤務。店舗、営業を経て世界旅行のため退社→帰国→セカシュー。

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「ニューヨークでのセカシュー」

NY03

僕は南アフリカで強盗に遭った損失を取り戻すため、ニューヨーク(以下NY)で大学時代の先輩の家に居候をさせてもらいながらアルバイトで資金稼ぎをすることにした。シドニー同様、NYにも日本人向けの求人サイトがあって、僕はそこから日本食レストランのランチのウェイター職を手にすることができた。ウォール街のど真ん中にあるその老舗は、911事件経験者などもまだ在籍していて、色々と興味深い話を聞けたり面白い出会いが多かった。もちろん、ここでも僕は末端の労働者として存在し、華々しいニューヨーカーではなく、最下層民たちと共に生きていた。
central_park

NYでの末端の労働者を語る上で欠かせないのが「アミーゴ」たちの存在だ。彼らラテン系不法移民はNY全体の末端労働を支配し、NYは彼らなしでは機能しないほどに彼らに支えられていた。僕の働いた日本食レストランにもアミーゴたちは何人も居た。アミーゴたちは親族のつてを使い、ブローカーを介して国境を越えていた。もちろんそれには命懸けの行程もあるようで、「親戚が2週間前にメキシコを出たのにまだ着かない・・・」「輸送中に死んだ」などの海外ドラマみたいな話が実際に転がっていた。

不法移民や不法就労に世界一に甘い反面、正規ビザに関しては世界一厳しいのがNYだった。だから日本人に関して言えば学生ビザを繋いで滞在したり、特定の企業のみでの就労を許可されるビザなどを申請して滞在している人が多かった。ただ、これでさえ非常に難易度が高く、何の武器も持たない人間にとっては長期滞在に向かない街というのが正直なところだった。そして流されやすい日本人は、アミーゴという最強の悪例を見ながらとんでもないことになっていたりした・・・


[case01 Nさん 30代女性]
Nさんは学生ビザが切れ不法滞在ルーキーだった。NYでの生活は10年は越え、ビザの延長に限界がきた。レストランでもランチ、ディナーとたくさん働き、優しい人だった。ただ、彼女自身は不法滞在になってしまったことに焦っていて、帰国すればもうNYには戻れない不安を口にしていた。NYに居る具体的な目的はなくて、無為に過ごしているように映った。Nさんにはもう一つの問題があった。それは彼氏の存在だった。Nさんの彼氏はアミーゴだったのだ・・・
NY02

[case02 Sさん 40代女性]
Sさんはレストランのお局的な立場の人で、仕事にも厳しかった。NYでの滞在は長く、20代の頃から帰国はしていなかった。もちろん不法滞在バリバリで毎日スポーツウェアーで出勤し、お母さんのような人だった。僕は気に入られていて、手作りのお弁当をもらったり給料のチップを少し多めにもらったりしていた。そんなSさんには別の顔があった。どうしようもないパーティーピーポーだったのだ。夜はスポーツウェアーをドレスに着替え、夜な夜な遊びに繰り出していた。特定の相手は居らず、外国人を貪り続けていた。
NY01


NYでのセカシューは本当に難易度が高いと思う。本当に実力や才能がない限りは難しく、運も必要なため、シドニーのように単なる人足として入り込める隙はないように感じた。そしてNYに居る人たちはどこか不幸に見えた。それなのにNYで生活しているというプライドだけは高く、それに相応しいものは何一つ持ち合わせていなかった。NYの底辺は閉塞感漂うまさしく蜃気楼だった。憧れのニューヨーカーたちは今日もわかりきった詰将棋を延々と続けている。

次回は実際の僕のセカシューについて記します。