3b. 世界一周ノート 青木大地

仕事をやめ、2013年10月から1年間の予定で世界一周の旅に出ました。

Profile
aoki_s

青木大地(あおき・だいち)

1986年生まれ。日本大学 芸術学部 卒業。
卒業後、大手レンタルビデオメーカーに勤務。店舗、営業を経て世界旅行のため退社。
念願のフリーライターとしてとりあえず1年は過ごせそうです。
同名義のFacebookもよければ見てください。

Facebook

3b. 世界一周ノート 第38回:ニューヨーク-その2

IMG_0895
NYで働く!

恋人が日本に帰って、束の間の休息、人間らしい暮らしが終わってしまった。
僕は小雨の降りしきる中、教えられた住所を訪ねた。サウスブルックリン、ジューイッシュの住む区画にあるそのアパートメントは陰気な湿気が充満する場所だった。
インターホンを押して家に入ると、半地下にあるその家の中は浸水騒ぎで大忙しだった。そう、僕がお世話になるこの家は、トラブルが無数に押し寄せる訳有り物件だった。

大学時代の先輩Tさんを頼って、僕は居候をさせてもらうことができた。日本人が3人暮らすシェアハウスのリビングを占拠し、僕のNYでの生活はスタートした。
シドニーでやったことがあったので何となく勝手はわかっていて、僕は割とすぐに仕事を見つけることができた。NYにも日本人向けの求人サイトがあって、数多くの飲食店や肉体労働、ベビーシッターの求人が出ていた。きっと、このようなシステムは世界中で構築されていて、どこにいても日本人が困らないようにできているのが容易に想像できた。
ただ、NYで特徴的だったのが、その大部分が違法であるという点だった。シドニーのワーホリと違って、求人を出すこと自体がギリギリな感じっだった。アメリカは労働に対するビザが非常に厳しい国だから、簡単なアルバイト気分で外国人が正規に雇用されるなんていうことは有り得なかった。と同時に、NYで正規のビザを手にして人足仕事をしている人なんて存在しないという矛盾もあった。末端労働の大部分を担うのは「アミーゴ」と呼ばれる南米系の人たちで、彼らの働きがなければアメリカはきっと機能しないとさえ僕は感じた。NYでの細々した仕事を違法なんて言い出したら、明日にはNYは停止してしまうくらい、その労働力を彼らに依存していた。そして、そのおこぼれに授かっているのが韓国人や日本人で、あっちが大丈夫ならこっちも・・・という具合に社会が回っていた。
かくして僕もとあるレストランでブラックな仕事を手にすることができた。
IMG_0893

勤務地はウォール街のど真ん中にある老舗日本食レストランだった。所謂高級店で、単価もチップも高額だった。賃金はランチだけで1日50$くらいだった。僕は週5日、ウェイターとしてそこで働いた。申し訳ないけれど面接では嘘をついて「長期働ける」と言った。
仕事はシドニーに比べると厳しかった。職場には何年も不法滞在しながら働いている人、学生、日本語の話せる中国人、アミーゴたちが混在していた。日本人たちも訳有りな人たちが多かった。癖の強い、日本社会では通用しないんだろうなと、悲しくなるような人も居て、往々にしてそういった人たちが権力を握っていた(これは海外あるあるなんだけれども)。
居候の効果もあって1ヶ月、だいたい10万円くらいを貯めることができた。感覚としては、十分に覚悟を決めて腰を据えればNYで生きて行く事は可能だと思った。NYでの生活は夢でも何でもなく、薄汚れた不法労働を積み重ねることで簡単に実現しそうだった。ただ、NYはそこに居るだけで自分を特別だと思わせてくれる不思議な力の宿る街だった。どんな汚い格好で歩いていても、世界の最先端を歩いているような錯覚に陥った。各コーナーにスタバがあることは、そうまで人類を狂わせるのかもしれない。シドニーではなかったこの感覚が、NYに居る日本人の質を、より厄介にしていたのかもしれなかった。
そうして貿易センタービルの跡地から徒歩5分、金融街のど真ん中でドブネズミのように僕の1ヶ月は過ぎていった。
IMG_0892

以上、もしNYで働いたらどうなるかを想像して書いてみました。次回はNY訳有りシェアハウス、警察登場もあった事件の数々などを記します。


世界一周ノート
上海→杭州→南寧→ハノイ→ホーチミン→シェムリアプ→チェンマイ→ルアンパバーン→バンコク→パンガン島→ペナン島→マラッカ→スマトラ島→ジャワ島→マニラ→シンガポール→ジョホールバル→シドニー→チェンナイ→ムンバイ→アグラ→デリー→バラナシ→ブッダガヤ→コルカタ→ダージリン→ポカラ→ルンビニ→ガヤ→カトマンズ→ポカラ→イスタンブール→カッパドキア→パムッカレ→ボドラム→ギアテネ→メテオラ→ソフィア→ブタペスト→ザコパネ→クラクフ→サラエヴォ→ザグレブ→ヴェネチア→ローマ→ミラノ→バルセロナ→タンジェ→フェズ→マラケシュ→カサブランカ→カイロ→ギザ→アジスアベベ→ヨハネスブルグ→ケープタウン→ドバイ→ニューヨーク・・・

3b. 世界一周ノート 第38回:ニューヨーク-その2


3b. 世界一周ノート 青木大地

仕事をやめ、2013年10月から1年間の予定で世界一周の旅に出ました。

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青木大地(あおき・だいち)

1986年生まれ。日本大学 芸術学部 卒業。
卒業後、大手レンタルビデオメーカーに勤務。店舗、営業を経て世界旅行のため退社。
念願のフリーライターとしてとりあえず1年は過ごせそうです。
同名義のFacebookもよければ見てください。

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3b. 世界一周ノート 第38回:ニューヨーク-その2

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NYで働く!

恋人が日本に帰って、束の間の休息、人間らしい暮らしが終わってしまった。
僕は小雨の降りしきる中、教えられた住所を訪ねた。サウスブルックリン、ジューイッシュの住む区画にあるそのアパートメントは陰気な湿気が充満する場所だった。
インターホンを押して家に入ると、半地下にあるその家の中は浸水騒ぎで大忙しだった。そう、僕がお世話になるこの家は、トラブルが無数に押し寄せる訳有り物件だった。

大学時代の先輩Tさんを頼って、僕は居候をさせてもらうことができた。日本人が3人暮らすシェアハウスのリビングを占拠し、僕のNYでの生活はスタートした。
シドニーでやったことがあったので何となく勝手はわかっていて、僕は割とすぐに仕事を見つけることができた。NYにも日本人向けの求人サイトがあって、数多くの飲食店や肉体労働、ベビーシッターの求人が出ていた。きっと、このようなシステムは世界中で構築されていて、どこにいても日本人が困らないようにできているのが容易に想像できた。
ただ、NYで特徴的だったのが、その大部分が違法であるという点だった。シドニーのワーホリと違って、求人を出すこと自体がギリギリな感じっだった。アメリカは労働に対するビザが非常に厳しい国だから、簡単なアルバイト気分で外国人が正規に雇用されるなんていうことは有り得なかった。と同時に、NYで正規のビザを手にして人足仕事をしている人なんて存在しないという矛盾もあった。末端労働の大部分を担うのは「アミーゴ」と呼ばれる南米系の人たちで、彼らの働きがなければアメリカはきっと機能しないとさえ僕は感じた。NYでの細々した仕事を違法なんて言い出したら、明日にはNYは停止してしまうくらい、その労働力を彼らに依存していた。そして、そのおこぼれに授かっているのが韓国人や日本人で、あっちが大丈夫ならこっちも・・・という具合に社会が回っていた。
かくして僕もとあるレストランでブラックな仕事を手にすることができた。
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勤務地はウォール街のど真ん中にある老舗日本食レストランだった。所謂高級店で、単価もチップも高額だった。賃金はランチだけで1日50$くらいだった。僕は週5日、ウェイターとしてそこで働いた。申し訳ないけれど面接では嘘をついて「長期働ける」と言った。
仕事はシドニーに比べると厳しかった。職場には何年も不法滞在しながら働いている人、学生、日本語の話せる中国人、アミーゴたちが混在していた。日本人たちも訳有りな人たちが多かった。癖の強い、日本社会では通用しないんだろうなと、悲しくなるような人も居て、往々にしてそういった人たちが権力を握っていた(これは海外あるあるなんだけれども)。
居候の効果もあって1ヶ月、だいたい10万円くらいを貯めることができた。感覚としては、十分に覚悟を決めて腰を据えればNYで生きて行く事は可能だと思った。NYでの生活は夢でも何でもなく、薄汚れた不法労働を積み重ねることで簡単に実現しそうだった。ただ、NYはそこに居るだけで自分を特別だと思わせてくれる不思議な力の宿る街だった。どんな汚い格好で歩いていても、世界の最先端を歩いているような錯覚に陥った。各コーナーにスタバがあることは、そうまで人類を狂わせるのかもしれない。シドニーではなかったこの感覚が、NYに居る日本人の質を、より厄介にしていたのかもしれなかった。
そうして貿易センタービルの跡地から徒歩5分、金融街のど真ん中でドブネズミのように僕の1ヶ月は過ぎていった。
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以上、もしNYで働いたらどうなるかを想像して書いてみました。次回はNY訳有りシェアハウス、警察登場もあった事件の数々などを記します。


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