3b. 世界一周ノート 青木大地

仕事をやめ、2013年10月から1年間の予定で世界一周の旅に出ました。

Profile
aoki_s

青木大地(あおき・だいち)

1986年生まれ。日本大学 芸術学部 卒業。
卒業後、大手レンタルビデオメーカーに勤務。店舗、営業を経て世界旅行のため退社。
念願のフリーライターとしてとりあえず1年は過ごせそうです。
同名義のFacebookもよければ見てください。

Facebook

3b. 世界一周ノート 第37回:ニューヨーク-その1

南アフリカで強盗に遭った僕は、旅を辞めてしまおうか真剣に悩んだ。確かに大陸を巡り、もう思う存分世界を旅したと行っても過言ではない、そんな状況にあった。そして僕はそんな自負を言い訳にして、帰国を何度も思い描いた。
そんな時、何度も跳ね返される疑問があった。 もう思う存分世界を旅した。本当に?
結局、僕は日本に居る両親に頼み込んでパスポート再発行のための戸籍謄本を取り寄せ、旅を続けることにした。もう予算的にも破産しか残っていない、無謀な旅になるとわかっていても、何故か続けることに意味があると僕はこの時信じていた。信じるしかなかった。それくらい、人は絶望すると前を向きたがるのかもしれなかった。

翌日、僕はパスポートを再発行して、その日の夜の便でニューヨークに向かうことにした。チケットは両親に代理で手配してもらった。ニューヨークには頼れる人がいた。もしかしたら仕事を紹介してもらえるかもしれない、そんな考えもあった。小さすぎるアメリカンドリームを信じて、僕はヨハネスブルグを後にした。空港から見た夕焼けは、世界一治安の悪い都市をマイペースに照らしていた。
繝ィ繝上ロ縺ョ螟墓勹

NYへの便はドバイ経由で、ドバイでは12時間のトランジットがあった。トランジット先のアブダビ国際空港からはドバイの都市まで無料のシャトルバスが出ていて、僕は暇なのでそれを利用して市内観光に出かけることにした。襲われた翌々日に観光を開始する自分を呪った。旅行を続ける以上、僕に残された選択肢は寝るか観光するかくらいのものだった。どんよりとした心境で眺めるドバイは、本当につまらなかった。石油によって発展した、歴史のない砂漠に現れた疑似都市はお金のない僕にとって地獄のようだった。
憧れのブルジュ・ハリファも何となく写真を撮って、後は何もする気が起きなかった。帰りの空港へのバスの待ち時間で出稼ぎに来ているインド人と話したことが、何故か鮮明に思い出せるくらい、これといった収穫のない場所だった。
繝医y繝上y繧、

空港に戻り、いよいよ僕はNYへの飛行機に乗った。NYではお金を稼ぎ、トラヴィスに借りた500ドルを返すという使命があった。
JFKを出ると、夏の曇り空が広がっていた。NYで待っていたのは、日本から久しぶりに会いにきてくれた恋人だった。彼女は、僕を見てまず泣いた。そしてこの時ほど、生きてて良かったと感じた瞬間はなかった。僕は彼女と地下鉄に乗って、マンハッタンにあるホテルに向かった。と言っても、そこはシェアハウスだか日本人宿だかわからないマンションの一室で、彼女をこの貧乏旅に巻き込んでしまったことが辛かった。それでもマディソンスクエアガーデンの向かいのクドナルドで値段を気にせず注文し、スタバのグランデを注文し、ダンキンドーナツで豪遊すると、一文無しの心地はせず、何もかもが手に入るような錯覚を覚えた。
繝槭ャ繧ッ

僕はここから一週間、汚い格好をしながらNYの街を観光した。レンタカーを借り、ワシントンDCに住んでいるトラヴィスの家に遊びにも行った。泊めてくれ、観光にも連れ出してくれた。お金も返した。フィラデルフィアではロッキーのポーズを、ペンシルベニアではインテリをきどって落水荘を、ナイアガラの滝ではちょっぴりカナダ入国を。ファストフードばかりで彼女にはすまないことをしたけれど、僕は幸せだった。
moma
繝翫う繧「繧ォ繧吶Λ

さて、彼女がいよいよ帰国して、僕は仕事を探さなければいけなかった。オーストラリア以来の仕事、そしてNYにはワーホリ制度がないため、完全な不法就労先を見つけなければならなかった。便りはNY在住の大学時代の先輩、ただ一人だった。移民の街、NYで僕はどうやって生活していくのだろうか?彼女が去った後はまたいつもの空しさに襲われて、僕はサウスブルックリンにある先輩の家を訪ねた。

次回、NYで働く!を記します。あと、恋人が会いにきてリア充旅と勘違いされると思いますが、一言。何もしてません。思い当たる節もあったりなかったりで、一応、最低限人としてクリーンな自分が証明されるまで、そういうことはなしでした。追記、帰国して諸々クリーンが証明されました。


世界一周ノート
上海→杭州→南寧→ハノイ→ホーチミン→シェムリアプ→チェンマイ→ルアンパバーン→バンコク→パンガン島→ペナン島→マラッカ→スマトラ島→ジャワ島→マニラ→シンガポール→ジョホールバル→シドニー→チェンナイ→ムンバイ→アグラ→デリー→バラナシ→ブッダガヤ→コルカタ→ダージリン→ポカラ→ルンビニ→ガヤ→カトマンズ→ポカラ→イスタンブール→カッパドキア→パムッカレ→ボドラム→ギアテネ→メテオラ→ソフィア→ブタペスト→ザコパネ→クラクフ→サラエヴォ→ザグレブ→ヴェネチア→ローマ→ミラノ→バルセロナ→タンジェ→フェズ→マラケシュ→カサブランカ→カイロ→ギザ→アジスアベベ→ヨハネスブルグ→ケープタウン→ドバイ→ニューヨーク・・・

3b. 世界一周ノート 第37回:ニューヨーク-その1


3b. 世界一周ノート 青木大地

仕事をやめ、2013年10月から1年間の予定で世界一周の旅に出ました。

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aoki_s

青木大地(あおき・だいち)

1986年生まれ。日本大学 芸術学部 卒業。
卒業後、大手レンタルビデオメーカーに勤務。店舗、営業を経て世界旅行のため退社。
念願のフリーライターとしてとりあえず1年は過ごせそうです。
同名義のFacebookもよければ見てください。

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3b. 世界一周ノート 第37回:ニューヨーク-その1

南アフリカで強盗に遭った僕は、旅を辞めてしまおうか真剣に悩んだ。確かに大陸を巡り、もう思う存分世界を旅したと行っても過言ではない、そんな状況にあった。そして僕はそんな自負を言い訳にして、帰国を何度も思い描いた。
そんな時、何度も跳ね返される疑問があった。 もう思う存分世界を旅した。本当に?
結局、僕は日本に居る両親に頼み込んでパスポート再発行のための戸籍謄本を取り寄せ、旅を続けることにした。もう予算的にも破産しか残っていない、無謀な旅になるとわかっていても、何故か続けることに意味があると僕はこの時信じていた。信じるしかなかった。それくらい、人は絶望すると前を向きたがるのかもしれなかった。

翌日、僕はパスポートを再発行して、その日の夜の便でニューヨークに向かうことにした。チケットは両親に代理で手配してもらった。ニューヨークには頼れる人がいた。もしかしたら仕事を紹介してもらえるかもしれない、そんな考えもあった。小さすぎるアメリカンドリームを信じて、僕はヨハネスブルグを後にした。空港から見た夕焼けは、世界一治安の悪い都市をマイペースに照らしていた。
繝ィ繝上ロ縺ョ螟墓勹

NYへの便はドバイ経由で、ドバイでは12時間のトランジットがあった。トランジット先のアブダビ国際空港からはドバイの都市まで無料のシャトルバスが出ていて、僕は暇なのでそれを利用して市内観光に出かけることにした。襲われた翌々日に観光を開始する自分を呪った。旅行を続ける以上、僕に残された選択肢は寝るか観光するかくらいのものだった。どんよりとした心境で眺めるドバイは、本当につまらなかった。石油によって発展した、歴史のない砂漠に現れた疑似都市はお金のない僕にとって地獄のようだった。
憧れのブルジュ・ハリファも何となく写真を撮って、後は何もする気が起きなかった。帰りの空港へのバスの待ち時間で出稼ぎに来ているインド人と話したことが、何故か鮮明に思い出せるくらい、これといった収穫のない場所だった。
繝医y繝上y繧、

空港に戻り、いよいよ僕はNYへの飛行機に乗った。NYではお金を稼ぎ、トラヴィスに借りた500ドルを返すという使命があった。
JFKを出ると、夏の曇り空が広がっていた。NYで待っていたのは、日本から久しぶりに会いにきてくれた恋人だった。彼女は、僕を見てまず泣いた。そしてこの時ほど、生きてて良かったと感じた瞬間はなかった。僕は彼女と地下鉄に乗って、マンハッタンにあるホテルに向かった。と言っても、そこはシェアハウスだか日本人宿だかわからないマンションの一室で、彼女をこの貧乏旅に巻き込んでしまったことが辛かった。それでもマディソンスクエアガーデンの向かいのクドナルドで値段を気にせず注文し、スタバのグランデを注文し、ダンキンドーナツで豪遊すると、一文無しの心地はせず、何もかもが手に入るような錯覚を覚えた。
繝槭ャ繧ッ

僕はここから一週間、汚い格好をしながらNYの街を観光した。レンタカーを借り、ワシントンDCに住んでいるトラヴィスの家に遊びにも行った。泊めてくれ、観光にも連れ出してくれた。お金も返した。フィラデルフィアではロッキーのポーズを、ペンシルベニアではインテリをきどって落水荘を、ナイアガラの滝ではちょっぴりカナダ入国を。ファストフードばかりで彼女にはすまないことをしたけれど、僕は幸せだった。
moma
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さて、彼女がいよいよ帰国して、僕は仕事を探さなければいけなかった。オーストラリア以来の仕事、そしてNYにはワーホリ制度がないため、完全な不法就労先を見つけなければならなかった。便りはNY在住の大学時代の先輩、ただ一人だった。移民の街、NYで僕はどうやって生活していくのだろうか?彼女が去った後はまたいつもの空しさに襲われて、僕はサウスブルックリンにある先輩の家を訪ねた。

次回、NYで働く!を記します。あと、恋人が会いにきてリア充旅と勘違いされると思いますが、一言。何もしてません。思い当たる節もあったりなかったりで、一応、最低限人としてクリーンな自分が証明されるまで、そういうことはなしでした。追記、帰国して諸々クリーンが証明されました。


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