3b. 世界一周ノート 青木大地

仕事をやめ、2013年10月から1年間の予定で世界一周の旅に出ました。

Profile
aoki_s

青木大地(あおき・だいち)

1986年生まれ。日本大学 芸術学部 卒業。
卒業後、大手レンタルビデオメーカーに勤務。店舗、営業を経て世界旅行のため退社。
念願のフリーライターとしてとりあえず1年は過ごせそうです。
同名義のFacebookもよければ見てください。

Facebook

3b. 世界一周ノート 第35回:南アフリカ-その4

カールトンセンタービルの展望台を後にした僕とトラヴィスは、次のツアーバスの出発時間までお茶でもして休憩しようかと、真っ昼間のヨハネスブルグの街を歩き出した。
僕とトライヴィスは適当な会話をしながら、1ブロック、2ブロックと気付けば歩を進めていた。ブロックのあらゆるコーナーには警官がいて、僕は安心していたのかもしれない。カールトンセンターから5分ほど歩いても街の様子はさほど変わらず、商店や人の賑わいもあった。路面電車の駅が横にはあって、僕はヨハネスブルグの街を歩いている。と誇らしげに歩いていたように思う。

その時突然、目の前に白いトレーナーを着た、背の低い黒人が現れた。そして僕とトラヴィスに対して小さく低い声で「ヘイヘイヘイヘイ」と呟いた。
次の瞬間、後頭部、背中に鈍痛が走った。何が起こっているのか、完全に理解できなかった。気付いたら僕は後ろから強い力で押し倒され、地面に顔を押し付けられていた。
ここで初めて「複数人に襲われている」と理解できた。僕のポケットやサブザックに無数の手が伸びてきて、パニックの中で、ぶちぶちっっと生地の破れる音だけが聞こえていた。目の前にはアスファルトだけが見えていて、どうすることもできなかった。きっと30秒ほどその状態が続いて、そのうちに無数の手から僕は解放された。唖然とした僕が立ち上がると、僕から離れた5人くらいの黒人が今度は既に押し倒されているトラヴィスへと次々襲いかかっていた。僕は貴重品が全て入っているカバンを盗られたことに気が付いた。トラヴィスは「ヘルプ!ヘールプ!」と丸くなりながら必死で叫んでいた。僕は何故か冷静になって、周囲を見回すと、数多くの通行人たちがさも日常風景かのように、何の感情も示さずにこっちを見ていた。結局、グループは全部で10人くらいになっていたと思う。誰も助けてくれない、ヨハネスブルグの13時、乾いた光景の中にトラヴィスの「ヘルプ!」だけが響いていた。僕は大声で助けを求めることも、トラヴィスを助ける事もできなかった。ただ、全てを失ったヨハネスブルグの街で、真っ白になった頭をどうすることもできずに立ち尽くしていた。
紛れもない地獄絵図がそこにあった。
ついにトラヴィスのサブザックを引きちぎった強盗たちは、走ることもせずに雑踏の中へと消えていった。僕は逃げもしない彼らを追うことすらできなかった。それは恐怖を通り越した絶望だった。殺されなかっただけ良かった、そういう安堵の感情も去来していた。
そうしてパニック状態の僕とトラヴィスは、ひとまず警察を捜すことにした。

次回、パスポートを失った日本人への大使館の対応について記します。


世界一周ノート
上海→杭州→南寧→ハノイ→ホーチミン→シェムリアプ→チェンマイ→ルアンパバーン→バンコク→パンガン島→ペナン島→マラッカ→スマトラ島→ジャワ島→マニラ→シンガポール→ジョホールバル→シドニー→チェンナイ→ムンバイ→アグラ→デリー→バラナシ→ブッダガヤ→コルカタ→ダージリン→ポカラ→ルンビニ→ガヤ→カトマンズ→ポカラ→イスタンブール→カッパドキア→パムッカレ→ボドラム→ギアテネ→メテオラ→ソフィア→ブタペスト→ザコパネ→クラクフ→サラエヴォ→ザグレブ→ヴェネチア→ローマ→ミラノ→バルセロナ→タンジェ→フェズ→マラケシュ→カサブランカ→カイロ→ギザ→アジスアベベ→ヨハネスブルグ→ケープタウン・・・以降、アメリカ、南米と巡りました

3b. 世界一周ノート 第35回:南アフリカ-その4


3b. 世界一周ノート 青木大地

仕事をやめ、2013年10月から1年間の予定で世界一周の旅に出ました。

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青木大地(あおき・だいち)

1986年生まれ。日本大学 芸術学部 卒業。
卒業後、大手レンタルビデオメーカーに勤務。店舗、営業を経て世界旅行のため退社。
念願のフリーライターとしてとりあえず1年は過ごせそうです。
同名義のFacebookもよければ見てください。

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3b. 世界一周ノート 第35回:南アフリカ-その4

カールトンセンタービルの展望台を後にした僕とトラヴィスは、次のツアーバスの出発時間までお茶でもして休憩しようかと、真っ昼間のヨハネスブルグの街を歩き出した。
僕とトライヴィスは適当な会話をしながら、1ブロック、2ブロックと気付けば歩を進めていた。ブロックのあらゆるコーナーには警官がいて、僕は安心していたのかもしれない。カールトンセンターから5分ほど歩いても街の様子はさほど変わらず、商店や人の賑わいもあった。路面電車の駅が横にはあって、僕はヨハネスブルグの街を歩いている。と誇らしげに歩いていたように思う。

その時突然、目の前に白いトレーナーを着た、背の低い黒人が現れた。そして僕とトラヴィスに対して小さく低い声で「ヘイヘイヘイヘイ」と呟いた。
次の瞬間、後頭部、背中に鈍痛が走った。何が起こっているのか、完全に理解できなかった。気付いたら僕は後ろから強い力で押し倒され、地面に顔を押し付けられていた。
ここで初めて「複数人に襲われている」と理解できた。僕のポケットやサブザックに無数の手が伸びてきて、パニックの中で、ぶちぶちっっと生地の破れる音だけが聞こえていた。目の前にはアスファルトだけが見えていて、どうすることもできなかった。きっと30秒ほどその状態が続いて、そのうちに無数の手から僕は解放された。唖然とした僕が立ち上がると、僕から離れた5人くらいの黒人が今度は既に押し倒されているトラヴィスへと次々襲いかかっていた。僕は貴重品が全て入っているカバンを盗られたことに気が付いた。トラヴィスは「ヘルプ!ヘールプ!」と丸くなりながら必死で叫んでいた。僕は何故か冷静になって、周囲を見回すと、数多くの通行人たちがさも日常風景かのように、何の感情も示さずにこっちを見ていた。結局、グループは全部で10人くらいになっていたと思う。誰も助けてくれない、ヨハネスブルグの13時、乾いた光景の中にトラヴィスの「ヘルプ!」だけが響いていた。僕は大声で助けを求めることも、トラヴィスを助ける事もできなかった。ただ、全てを失ったヨハネスブルグの街で、真っ白になった頭をどうすることもできずに立ち尽くしていた。
紛れもない地獄絵図がそこにあった。
ついにトラヴィスのサブザックを引きちぎった強盗たちは、走ることもせずに雑踏の中へと消えていった。僕は逃げもしない彼らを追うことすらできなかった。それは恐怖を通り越した絶望だった。殺されなかっただけ良かった、そういう安堵の感情も去来していた。
そうしてパニック状態の僕とトラヴィスは、ひとまず警察を捜すことにした。

次回、パスポートを失った日本人への大使館の対応について記します。


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上海→杭州→南寧→ハノイ→ホーチミン→シェムリアプ→チェンマイ→ルアンパバーン→バンコク→パンガン島→ペナン島→マラッカ→スマトラ島→ジャワ島→マニラ→シンガポール→ジョホールバル→シドニー→チェンナイ→ムンバイ→アグラ→デリー→バラナシ→ブッダガヤ→コルカタ→ダージリン→ポカラ→ルンビニ→ガヤ→カトマンズ→ポカラ→イスタンブール→カッパドキア→パムッカレ→ボドラム→ギアテネ→メテオラ→ソフィア→ブタペスト→ザコパネ→クラクフ→サラエヴォ→ザグレブ→ヴェネチア→ローマ→ミラノ→バルセロナ→タンジェ→フェズ→マラケシュ→カサブランカ→カイロ→ギザ→アジスアベベ→ヨハネスブルグ→ケープタウン・・・以降、アメリカ、南米と巡りました