3b. 世界一周ノート 青木大地

仕事をやめ、2013年10月から1年間の予定で世界一周の旅に出ました。

Profile
aoki_s

青木大地(あおき・だいち)

1986年生まれ。日本大学 芸術学部 卒業。
卒業後、大手レンタルビデオメーカーに勤務。店舗、営業を経て世界旅行のため退社。
念願のフリーライターとしてとりあえず1年は過ごせそうです。
同名義のFacebookもよければ見てください。

Facebook

3b. 世界一周ノート 第36回:南アフリカ-その5

襲われた僕たちは、言葉を失って立ち尽くすしかなかった。真っ昼間の駅前で、強盗に襲われて全てを失った僕はそこに立ち尽くすしかなかった。
現金、パスポート、キャッシュカード、クレジットカード、ラップトップ、その全てが消えてしまった。
呆然とする僕らに、身なりの汚い男が近付いて来た。そして「警察に連れて行く」と名乗り出た。
僕もトラヴィスも、藁をも掴む気持ちでその汚い男について歩いた。そして、歩く事1分、角に立っていた警官にその男は僕らを引き渡した。
そして、小銭を要求してきた。僕は全てを失った僕を見ていて、更に小銭を奪おうとするその男に絶望した。そして警官も、ろくに僕らの話なんて聞かず、警察署がある方向だけを教えてくれた。
それがヨハネスブルグ、そう言われている気がした。

警察署まで歩いて約10分、僕は何も持っていないのに、また襲われるんじゃないかという恐怖で震えていた。次こそは命を奪われるなんていう、嘘みたいで至極現実的な考えに捕われていた。
そして、僕は奇跡的にポケットに入っていたiPhoneに気がついた。僕に残された唯一の救いが、半分壊れかけのボロボロのiPhone4だった。
IMG_0726

警察署の写真なんて撮っている場合ではない僕は、一抹の期待を抱いて警察署に飛び込んだ。急いで強盗に遭った話を係官にすると、列に並ぶように促された。
僕らは30分程列に並び、簡単な紙切れ一枚を渡された。そして事情聴取が終了した。いい加減だとかそういうことでなく、日本で言う、家の鍵を失くした人程度以下の扱いを受けた。
自己責任という言葉の恐ろしさを呪った。パスポートのない僕はその日のNYへのフライトが間に合わないと悟り、まずは大使館へと向かうことにした。

警察署で約一時間だだをこね、粘り、大使館の連絡先を聞き、警察官の私用の携帯電話を借りて大使館に連絡をつけた。大使館は隣街、プレトリアにあることが判った。さっきまでカールトンセンタービルの向こうに見えていたあの街だった。
あまりの僕の執念に警官は知り合いの安全なタクシーを呼んでくれた。この土地ではタクシーさえ警官に呼んでもらって安全を確保する必要があった。今はもう、あの警察官にちゃんとお礼が言えたかどうかさえ僕は覚えていない。

トラヴィスはパスポートを持っていたため、その日のフライトに間に合いそうだということで空港に向かうことになった。そしてトラヴィスは僕にお金を貸すと申し出てくれた。
今思うと、ここで借りた500ドルがなかったら僕はどうなっていたか判らない。旅を辞めてしまっていたとも思う。
トラヴィスを安全なタクシーで空港まで送り、僕は大使館へと向かった。大使館のあるプレトリアまで1時間、僕は一度も触れなかったけれど、ダッシュボードの上には拳銃が置かれていた。

大使館には閉館ギリギリに着くことができた。その日は何も手続きができないからと言って、電話していた時に大使館の人が近くのホテルを予約してくれていた。そして、国際電話をかけさせてくれた。僕は実家に電話し、起きた事を伝えた。パスポートの再発行には戸籍謄本のコピーが必要な事、クレジットカードの再発行をして欲しいこと、次に買うべき航空券の行き先がどこなのか、自分でも判らないことなどなど・・・。

大使館の人はとても親切だった。噂通り、お金は貸せないと言ってはいたけれど、とても心配してくれた。持ち帰りの総菜の美味しいスーパーや、ホテルまでの安全な道なんかも丁寧に教えてくれた。久々の日本人のきめの細かい対応に感動した僕は、とてつもない無力感を抱えたままベッドに横になった。
IMG_0727

脱ぎ捨てた服は、襲われた時に引きちぎられていて、ボロボロだった。
IMG_0728

何度目を閉じても眠れない、そんな夜だった。

次回、ドバイ経由NYへ、を記します。


世界一周ノート
上海→杭州→南寧→ハノイ→ホーチミン→シェムリアプ→チェンマイ→ルアンパバーン→バンコク→パンガン島→ペナン島→マラッカ→スマトラ島→ジャワ島→マニラ→シンガポール→ジョホールバル→シドニー→チェンナイ→ムンバイ→アグラ→デリー→バラナシ→ブッダガヤ→コルカタ→ダージリン→ポカラ→ルンビニ→ガヤ→カトマンズ→ポカラ→イスタンブール→カッパドキア→パムッカレ→ボドラム→ギアテネ→メテオラ→ソフィア→ブタペスト→ザコパネ→クラクフ→サラエヴォ→ザグレブ→ヴェネチア→ローマ→ミラノ→バルセロナ→タンジェ→フェズ→マラケシュ→カサブランカ→カイロ→ギザ→アジスアベベ→ヨハネスブルグ→ケープタウン・・・以降、アメリカ、南米と巡りました

3b. 世界一周ノート 第36回:南アフリカ-その5


3b. 世界一周ノート 青木大地

仕事をやめ、2013年10月から1年間の予定で世界一周の旅に出ました。

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青木大地(あおき・だいち)

1986年生まれ。日本大学 芸術学部 卒業。
卒業後、大手レンタルビデオメーカーに勤務。店舗、営業を経て世界旅行のため退社。
念願のフリーライターとしてとりあえず1年は過ごせそうです。
同名義のFacebookもよければ見てください。

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3b. 世界一周ノート 第36回:南アフリカ-その5

襲われた僕たちは、言葉を失って立ち尽くすしかなかった。真っ昼間の駅前で、強盗に襲われて全てを失った僕はそこに立ち尽くすしかなかった。
現金、パスポート、キャッシュカード、クレジットカード、ラップトップ、その全てが消えてしまった。
呆然とする僕らに、身なりの汚い男が近付いて来た。そして「警察に連れて行く」と名乗り出た。
僕もトラヴィスも、藁をも掴む気持ちでその汚い男について歩いた。そして、歩く事1分、角に立っていた警官にその男は僕らを引き渡した。
そして、小銭を要求してきた。僕は全てを失った僕を見ていて、更に小銭を奪おうとするその男に絶望した。そして警官も、ろくに僕らの話なんて聞かず、警察署がある方向だけを教えてくれた。
それがヨハネスブルグ、そう言われている気がした。

警察署まで歩いて約10分、僕は何も持っていないのに、また襲われるんじゃないかという恐怖で震えていた。次こそは命を奪われるなんていう、嘘みたいで至極現実的な考えに捕われていた。
そして、僕は奇跡的にポケットに入っていたiPhoneに気がついた。僕に残された唯一の救いが、半分壊れかけのボロボロのiPhone4だった。
IMG_0726

警察署の写真なんて撮っている場合ではない僕は、一抹の期待を抱いて警察署に飛び込んだ。急いで強盗に遭った話を係官にすると、列に並ぶように促された。
僕らは30分程列に並び、簡単な紙切れ一枚を渡された。そして事情聴取が終了した。いい加減だとかそういうことでなく、日本で言う、家の鍵を失くした人程度以下の扱いを受けた。
自己責任という言葉の恐ろしさを呪った。パスポートのない僕はその日のNYへのフライトが間に合わないと悟り、まずは大使館へと向かうことにした。

警察署で約一時間だだをこね、粘り、大使館の連絡先を聞き、警察官の私用の携帯電話を借りて大使館に連絡をつけた。大使館は隣街、プレトリアにあることが判った。さっきまでカールトンセンタービルの向こうに見えていたあの街だった。
あまりの僕の執念に警官は知り合いの安全なタクシーを呼んでくれた。この土地ではタクシーさえ警官に呼んでもらって安全を確保する必要があった。今はもう、あの警察官にちゃんとお礼が言えたかどうかさえ僕は覚えていない。

トラヴィスはパスポートを持っていたため、その日のフライトに間に合いそうだということで空港に向かうことになった。そしてトラヴィスは僕にお金を貸すと申し出てくれた。
今思うと、ここで借りた500ドルがなかったら僕はどうなっていたか判らない。旅を辞めてしまっていたとも思う。
トラヴィスを安全なタクシーで空港まで送り、僕は大使館へと向かった。大使館のあるプレトリアまで1時間、僕は一度も触れなかったけれど、ダッシュボードの上には拳銃が置かれていた。

大使館には閉館ギリギリに着くことができた。その日は何も手続きができないからと言って、電話していた時に大使館の人が近くのホテルを予約してくれていた。そして、国際電話をかけさせてくれた。僕は実家に電話し、起きた事を伝えた。パスポートの再発行には戸籍謄本のコピーが必要な事、クレジットカードの再発行をして欲しいこと、次に買うべき航空券の行き先がどこなのか、自分でも判らないことなどなど・・・。

大使館の人はとても親切だった。噂通り、お金は貸せないと言ってはいたけれど、とても心配してくれた。持ち帰りの総菜の美味しいスーパーや、ホテルまでの安全な道なんかも丁寧に教えてくれた。久々の日本人のきめの細かい対応に感動した僕は、とてつもない無力感を抱えたままベッドに横になった。
IMG_0727

脱ぎ捨てた服は、襲われた時に引きちぎられていて、ボロボロだった。
IMG_0728

何度目を閉じても眠れない、そんな夜だった。

次回、ドバイ経由NYへ、を記します。


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